オーダーメイド

草群 鶏

第1話 喫茶店

「だからって辞めなくたっていいじゃん」

「私だっていろいろ楽しみたいの」

「いや楽しいでしょ」

「たのしいけどお」

 老舗の喫茶店、制服姿の男女がテーブルを挟んで睨み合う。傍から見れば痴話喧嘩のようだが、ふたりの関係はカップルとはほど遠い。

「もったいないよ」

「それは私が決めることだとおもう」

 決然と言い放たれて、多城慧汰たしろけいたはたまらず学ランの上着を脱いだ。さっぱりと短く刈った髪、まだ生地の硬い制服、ボタンに刻まれた校章は桐の花。高校に入学して三日目のことである。まだ青白いワイシャツの袖を捲って、ううんと腕を組む。

 ここで引くわけにいかないのだ。

「なんか他にやりたいことできたわけ」

「それは……」

 対する高原澄夏たかはらすみかの制服は紺色のブレザーで、胸元のバッジには雛菊の花。伸ばしかけの髪はストレートにしてみたものの、毛先が不自然に鋭くなって時折目に刺さる。スカート丈はウエストを折って上げるものだと知っていればもう少しゆとりのあるサイズにしたのに、ぴったりで注文してしまったから裾が膝にかかって鬱陶しい。テーブルの下で膝小僧を出したりしまったりしながら、澄夏は精一杯の抵抗を試みる。

「新しい友だちといっしょに、これから考える」

「いいじゃんもう、続ければ」

「なんかやだ」

「なんかってなに?!」

 慧汰はもう頭を掻きむしらんばかりである。

「関係ないじゃん、ほっといてよ」

 とりあえずで注文したリンゴジュースをずずずと吸い込む。澄夏の懐には、一杯七百円するコーヒーやフロートを頼む余裕はないのだ。

 中学の二年と三年は同じクラス、高校は男女で分かれたものの、対をなす県立高校同士で交流も深く、そもそも通学の利用駅も同じ。澄夏が不穏な動きをしていると聞きつけた慧汰は、帰るところを校門近くで張っており、開口一番「おまえ、陸上やめんの?」ときた。

 すらりと頭ひとつ抜き出た慧汰の容姿はただでさえ人目を引く。色めき立つ級友たちに、ぐるりと振り向く下校当番の教員。慌てた澄夏は「ごめんごめん、そういえば返し忘れてたね!!」とわざと大きな声でアピールし、一緒にいた子にことわってから慧汰をこの店に押し込んだのだった。もっと手頃な店にしなかったのは、同年代が来るような店ではそれこそ格好の噂の餌食になるからである。

「だって、バスケとかバレーとか、スポーツじゃなくても英語劇とか和楽器とか、うちの高校もいろんな部活あるんだよ。そういうの一切知らずに、ちょっとかけっこが得意だからって」

「まだそんなこと言ってんのか」

 慧汰と澄夏は同じ陸上部で、指導者不在のまま三年間やってきた仲間である。各々の素質もあるだろうし、澄夏はまだまだ荒削りだが、それぞれ県内で上位に食い込む短距離選手だった。慧汰が巻き込んで、付き合わせてきた自覚はある。でも、勝利をつかんだ時の笑顔は弾けるようだったし、練習に取り組む姿勢は真剣そのもの、慧汰の目にも澄夏は陸上にどっぷりハマっているように見えた。だから、学校が分かれても当然続けるだろうと思っていた、それが甘かったのである。

「一度決めたことは最後までやりたいし、三年間きっちりやりきったもん。だから、今度は新しいことやりたいの」

「うーん」

 そんなあやふやな理由で、と喉まで出かかったが堪えた。そういう言い方をすれば澄夏はますます意固地になるに違いない。伊達に三年間一緒にいるわけではないのだ。

 同じ走動作でも、男子と女子では身体のつくりが違うから推進力の生み出し方がすこし異なる。骨盤の横幅が広いぶん、女子のほうが身体を大きくひねることになる。澄夏は体幹と足首の蹴り出しが抜群に強いので、まるでネコ科の獣のように一歩が弾むのだ。はじめはてんでばらばらに暴れていたその力をなんとか前に進む形に整えて、ようやく好成績を収めるようになったのが中三の春。まだ伸びしろを残した澄夏の夏は、全国大会予選敗退という形で終わっている。

 慧汰も似たようなもので、高校でさらに上を目指すつもりでいた。まだ速くなれる、上を目指せると思っていたし、それに。

「すーさんの走ってるところ、好きなんだけどな」

「えっ」

 慧汰のこのひとことに、澄夏はぎょっと固まった。陸上バカのこの男のことだ、他意はないどころか何も考えてないに違いないのだが、たまにこういう、人を勘違いさせるような台詞を吐く。それが多城慧汰の罪深いところだし、不本意ながら一番近くにいた女子生徒として要らぬいざこざに巻き込まれたりもしたのだが、憎めないのもまた事実。

 それに、褒められて悪い気はしない。

「そう、それはありがとう」

「うん……?」

 急にしおらしくなった澄夏に眉を顰めつつ、慧汰はここが押しどころだと悟った。女心はてんでわからないが澄夏が単純なのは知っている。

「……ここのプリン、うまいらしいよ」

「ん? あ、そう」

 急に話の矛先が変わって、首を傾げながらも素直に相槌を打つ澄夏。

 もうひと押し。

「あと、雲海のクリームソーダっていうのが有名らしい。色、っていうか味も選べて、それぞれ名前も違うって」

 ほら、と慧汰が開いてみせたメニューブックは澄夏が努めて見ないようにしていたもので、色とりどりのソーダに宝石の名前、ふわふわのミルクホイップとシャリシャリのミルクシャーベットがもう夢のようだ。

「ここはご馳走するからさ、辞める理由もないならやろうぜ。またあのでかい競技場で走ろうよ」

 澄夏のくちびるがぐっと突き出す。

「でも、うち専門の先生いないし」

「俺がいるでしょ」

「学校違うし」

「合同で練習すればいいじゃん、近いんだし」

「そんな勝手に」

「さすがに勝手にはやらないよ」

 ここで策士はにっと笑う。慧汰には自信があった。

「知ってるでしょ、俺のやり方」

「そうだった……」

 やると決めたら最後まで。その点は澄夏よりも徹底していて、さらに手段も選ばない。

「なんでそこまで」

「いやー……」

 表現しかねて言葉を濁す。ぐるぐると首を巡らせて、しっくりくる言葉を探してから、ようやく絞り出した。

「絶対よくなる、ってわかってるからかな」

「絶対よくなる」

「そう」

 ふーん、と咀嚼するように目を落とす。彼女の視線はメニューブックに注がれていた。

「……〈あかつきのソーダ〉」

「え? ああ、〈あかつき〉ね」

「あとプリン」

「うん」

「あとアップルパイ」

「お、おお」

「あと、最後にコーヒーフロート」

「腹壊すぞ」

「じゃあホットコーヒー」

「……わかった」

「あと、すーさんはやめて」

「おっけー」

 順に提供される喫茶メニューをにこにこもぐもぐと平らげる向かいで、懐具合を確かめながら冷めたコーヒーを啜る慧汰は、それでも心からほっとしていた。

 高原澄夏は、交わした約束を違えない。やると決めたら、どんなにきつくても最後まで逃げない、頑固な粘り強さがあるのだ。

 慧汰は彼女のそういうところを信頼しているし、無意識に尊敬もしている。

 *

 澄夏のおなかがたぷたぷになった帰り際。

「仲が良くてよろしいこと」

 お会計をしてくれた老婦人がふふふと笑う。見ればレジ横の壁には、慧汰の男子高と澄夏の女子高、両校の部活や行事の写真、寄せ書きなどがびっしりと掲示されている。

(しまった)

 地元の老舗は学校との結びつきも強い。代々同じ学校に通っている家もあるから、その情報網は侮れない。

 またあることないこと言われるのだと思うと憂鬱だ。恨めしく思って隣の男を見上げると、なんだか満足げなニヤけ顔とばっちり目が合ってしまった。それでなんだか、人目を気にしている自分がばからしくなってしまった。

(まあ、いいか)

 結局、自分で決めたこと。人のせいにするのは性に合わない。それに、得意なことで喜ばれるなら、それはそれで幸せなことかも、と前向きに捉えることにした。

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