【完結】俺 パパです 死んじゃいました(作品230814)

菊池昭仁

俺 パパです 死んじゃいました

第1話

 春のうららかな日差しを浴びて、街路樹の桜の蕾も綻びかけていた。

 体が浮いて来そうな春の昼時、俺は部下の「関取」を連れて、街にランチに出て来た。

 

 「今日は給料日だから贅沢しましょうよ、岸谷課長」

 「お前は仕事は半人前のくせに食うのだけは3人前だな?」

 「しょうがねえすっ。俺、あのブス理事長の日本チャンコ大学の相撲部出身ですから」

 「そうだったな? お前はあのインテリぶったお笑いMCが裏口入学した、ゲイ術学部の大学出身だったもんな? 日本はいい国だよ「疑わしきは野放し」の国だからな?

 じゃあ今日は、久しぶりに回らない寿司屋にでも行くか? ごちそうしてやるよ。いつもだけどな? あはははは。その代わり、トロ、いくら、ウニは禁止だぞ。俺の給料が無くなっちまうからな」

 「やったー! ごっつあんです、課長!」


 私と関取の高山は、昼の新橋を並んで歩いていた。

 横断歩道の信号が青になり、私たちが歩き始めると、猛スピードでカーブを曲がって来る白い電気自動車が見えた。

 あのトロタクがCMをやっている、「やっちまったな? オッサン」のクルマだった。



 その後のことは何も覚えてはいない。

 俺は吹き飛ばされ、道路で大量に血を流してぐったりしている自分の姿と、俺に縋り付いて泣き叫ぶ関取の姿を上から見ていた。黒山の人だかり。


 「きゅう、救急車を早く!」


 その周りで俺の血だらけの体をスマホで撮影している若者たちがいた。


 「うえっ、俺、初めて見たよこんなグロいの。SNSで拡散、拡散っと。「俺、今、事故現場ナウ」これってウ○コTVに売れるかな?」

 「マジ売れんじゃね?」



 (これが例の幽体離脱だとすると、つまり俺は本当に死んじゃったのか?

 そういえば、体が透けてるような気が・・・。

 だって全然痛くねえもん。

 ということは、やっぱり死んでると言うことか?)



 救急車が到着し、救命隊員がしきりに俺に声を掛けている。


 「聞こえますかー? わかりますかー?」


 脈を取り、瞳孔を確認している救急隊員。


 「ダメだこりゃ、即死だな?」


 警察がやって来て、救急車はサイレンを鳴らさずにそのまま戻って行った。


 俺をはねたクルマはガードレールにぶつかりひっくり返っている。

 運転席にいたのは、品の良さそうな爺さんだった。


 「ああびっくりした」


 どうやら爺さんは無事だったようだ。


 「降りろジジイ! 業務上過失致死で12時28分緊急逮捕!」

 「このクルマは欠陥車じゃな? アクセルとブレーキが反対に付いておる。

 これはワシの命を狙ったCIAかKGB、あるいはイギリスの・・・」

 「うるせえ!このボケう〇こジジイ! あとは署でじっくりと訊いてやるから早くパトカーに乗れ!」

 「ワシはこう見えても総理とは昵懇でな、上級国民なんじゃ。ちょっと待って下され、息子が菅田総理の秘書官をしておりますのでな?「もしもし、ああワシじゃ、クルマが急に暴走してな? 事故に巻き込まれてしまったんじゃ。うん、うん。そうか、すまんな? ではよろしく頼む。それからあのゲス総理によろしく言っておいてくれ。また今度、ノーパンしゃぶしゃぶを楽しみにしておるとな。それじゃ」というわけじゃ。ワシなら大丈夫じゃからもう帰るから送って行ってくれ」

 「ふざけるなクソジジイ!」


 その時、その担当警官に連絡が入った。


 「そのお方を丁重にご自宅までお送りしろ」

 「ですが課長!」


 するとその爺さんはニコニコして警官に言った。


 「すまんが自宅ではなく、麻布のフレンチの店に頼む」

 「黙れこのウ〇コ野郎!」

 「じゃあタクシーを呼んでもらえんか? 西麻布の超高級レストランで晴美ちゃんが待っておるんじゃ」

 「ダメだこのジジイ、完全にボケてる。とりあえず、科捜研の真理子先生を呼べ!」

 


 警察官たちが俺に手を合わせている。


 (おい止めろ! 俺に手なんか合わせるな!)


 「どうか迷わずに成仏して下さい。南無阿弥陀仏南無阿弥陀仏」


 (おいおい、俺、どうすればいいんだよ?

 まだ住宅ローンだって18年も残ってるし、娘の唯だってまだ大学生なんだぞ。

 女房の裕子はどうなる? コーギーの小太郎は! 俺との朝のお散歩を楽しみにしているのに! 

 オシッコもウンチも家ではしない、血統書付きのお利口ワンちゃんだから、我慢させたら可哀想だよー!)





 俺の遺体は医大の解剖に回され、縫合を終えると霊安室に安置された。



 「ご主人に間違いありませんか?」

 「は、い・・・」

 「即死だったようです、苦しまずに。それがせめてもの救いでした」


 裕子は俺の亡骸の前で気を失いかけ、よろけてしまった。

 支えようにも支えてやれない、だって俺は死んでいるから。


 (裕子、しっかりしろ、俺はここだ、お前の上、上。ここだよ、ここ!)


 裕子は竹野内豊みたいなイケメン刑事にきつく抱き留められた。


 「奥さん、しっかりして下さい。

 無理もないですよね? ご主人がこんなことになるなんて?

 加害者は必ず私が厳重に処罰しますから安心して下さい。ご主人の仇は私が必ず討ちますから!」

 「刑事さん・・・」


 その刑事はどさくさに紛れて裕子のGカップを触った。

 触ったというか、少し揉んだ気がする。俺はもう十年以上も触っていないのに!


 (離れろ! この変態デカめ!)


 ちょっとまんざらでもない様子の裕子。

 裕子は竹野内豊の大ファンだったのだ。

 ちっくしょー!


 


 その頃娘の唯は、大学の同級生の女の子たち3人とマックで楽しそうにおしゃべりをしていた。


 (やはり、うちの唯がいちばんカワイイ。えへっ)



 「ねえねえ、唯。昨日の飲み会の後、あれから孝君とどうなったのよー? まさかお持ち帰りされちゃったりして?」

 「だってー、終電なくなっちゃたんだもん」

 「えー、やだあ、それでやっちゃったわけー? 孝君と?」

 「そんな言い方やめてよー。でも孝君、すごく優しくしてくれたんだ」

 「コノコノー! いいなあ唯は」


 (ななななんと! ウチの可愛い箱入り娘の唯がバージンじゃないだと! ショック! 大ショック!

 相手の男は孝という奴か? よーし、取り憑いて呪ってやるー!)


 「あ、ゴメン、ママから電話。もしもし、どうしたのママ?」

 「パパが・・・」

 「パパがどうしたの?」

 「パパが交通事故で・・・、う、うううっ」

 「ママ、泣いてちゃわかんないよ! 今どこにいるの? 病院なの!」


 (唯、残念ながらパパはここにいるんだよ。お前の右斜め前に座っている杏ちゃんの後ろ、病院じゃないんだよ。唯、もう、パパは死んじゃったんだ)


第2話

 俺はリビングの隣の6畳の和室に寝かされていた。

 弔問客が次々とやって来るが、女房の裕子と娘の唯はずっと泣き続けていた。


 「あなた、なんで死んじゃったの?・・・」

 「パパー、パパ~・・・」

 

 親父やおふくろ、親戚の輝子おばさんにヒゲおじちゃん。

 大勢の人たちが32坪、35年ローンで買った3LDKの家にギュウギュウの鮨詰め状態だった。



 「裕子さん、唯ちゃん。しょうがないわよ、遅かれ早かれ人は死ぬものよ。

 私たちだって総一郎に迎えに来てもらうんだから。

 ねえ、お父さん?」

 

 親父は黙っていたが、溢れる涙をこっそりと左手で拭っていた。


 (親父、ごめんな? 親父よりも先に死んじゃって。

 裕子と唯のこと、よろしく頼むよ)



 会社からは部長、部下や同僚たちが駆けつけてくれた。

 高山はずっとうな垂れて泣いていた。


 「俺が、俺が悪いんですう。

 課長を守ってあげられなくて・・・、すみません」

 「高山君、君のせいじゃないよ。岸谷課長は運が悪かったんだ」

 「俺が、俺が死ねば良かったんです!」

 「馬鹿なことを言うもんじゃない。しっかりしろ高山君。

 それでは岸谷君が浮かばれないぞ?」


 (そうだよ、そうだよ高山。お前が気にすることじゃない。

 元気のないお前を見るのは俺も辛い。

 どうした? いつもの「ごっつあんです!」のあの元気は?) 



 「相手は高齢者ドライバーだったんだって?」


 部長が高山に話し掛けた。


 「はい。東大出のなんとか省の偉い人だったそうです。

 手錠を掛けられたんですけど、すぐに釈放されたようです。

 なんでも上級国民だったそうで、菅田総理とも親しかったとか・・・」

 「何? あの『桜の下で桜餅を食べる会』の総理とも知り合いなのか?

 そのウ〇コジジイは!」

 「そうなんです。あの「どんだけ~」の芸能人たちも呼ばれて浮かれていた、『桜の下で桜餅を食べる会』のあの総理です」

 「う、う~、許さん! 国民の税金で桜餅を食うなど言語道断だ!

 絶対に許されるものではない!」

 「それより部長、酷いのはこのジジイですよ。

 これっぽっちも悪いなんて反省していないんですから。

 突然、#ドタ__・__#えもんにアクセルとブレーキをすり替えられたの一点張りなんですから。

 さっき、先方の弁護士が来て、「とりあえずお見舞いです」と現金100万円と「かっぱえびせん」を置いて、お線香もあげずに帰って行きました」

 「かっぱえびせんだと! ふざけた奴だ! 本人が来ないで代理人を寄越すとは!」


 (パンパースをした爺さんに何を言っても無駄だ。

 だがせめて、多額の保険金で賠償して貰いたい。

 裕子と唯のためにも。

 詰まるところ、後はカネの問題だ。

 俺の命っていくらなのかな?)



 「あのー、お取り込み中のところ申し訳ありませんが、極楽殿の三上と申します。

 本日はお日柄も良く、ご愁傷様です。

 御葬儀の件でお話しが・・・」


 お袋が裕子に声を掛けた。

 

 「裕子さん、大丈夫? 葬儀屋さんが葬儀の件でお話があるそうよ」

 「わかりました」


 (裕子、いいんだぞ、葬儀なんていちばん安いヤツで。松竹梅の梅で十分だぞ)



 「ご葬儀のプランには松コース、竹コース、梅コース、そしてルンルンコースの4つがございます」

 「ルンルンコースって何ですか?」

 「はい、ルンルンはですね、いちばんお得なコースになっております。

 御葬儀は近くの河原で芋煮会方式で行います。運動会の野外テントをお借りしてご導師様は参りません」

 「それじゃあ、映画で見た『ガンジス川で背泳ぎ』みたいじゃないですか?

 それではあまりに主人がかわいそう・・・」

 「導師様は参りませんがご安心下さい。代わりに私がお経を読んで差し上げます」

 「あなたが?」

 「はい、まだ入社3ヶ月の私ですが、一応、社内の『お経あげても大丈夫検定』、5級を持っておりますので頑張らせていただきます!」

 

 (この兄ちゃんではなあ。オレ、絶対に天国には行けないよ。

 いくら安いにもほどがあるよ。ここは真ん中、竹コースがいいぞ、裕子)


 「じゃあ、そのいちばん安い芋煮会方式でお願いします」

 「かしこまりました」


 (スーパーで卵を買うのに「ヨーベニの卵の方が1円安いのよ」と言っていた裕子だったことを俺は忘れていた。

 俺の葬式だぞ、河原で芋煮会の葬儀ってどうなんだよ!

 しかもこの新人君がお経をあげるだなんて!)




 葬儀はまるでBBQパーティのように盛り上がっていた。


 「お天気も良くて良かったですね~♪」

 「ホント、あの人もきっと喜んでいると思います♪ ルンルン♪」


 裕子はすでにもう酔っていた。


 「奥さん、もう一杯いかがですか? キンキンに冷えていますよ、このYuhiスーパー二番搾り。

 ご主人のお人柄が伝わりますね? まるでお花見をしているような気分だ。桜も見事に咲いている」

 「ありがとうございます。私はそろそろ日本酒にします。

 やはりお花見、いえ、お葬式には大吟醸ですから。

 お忙しい中、本当にすみません、竹野内刑事さん」

 「奥さんがどうしても心配になりましてね?

 困ったことや「寂しい時」はいつでも連絡して下さい。添い寝して差し上げます。

 たとえ犯人を追跡中でもかまいません。どうせ張り込み中はヒマで、あんぱん食べて缶コーヒーのバージニアを飲んでいるだけですから」

 「ありがとうございます、竹野内豊さん」

 「いえ、竹野内ではありません。申し遅れました、私、中村田吾作と申します」

 「田吾作さん?」

 「はい、中村田吾作です」

 「名前なんてどうでもいいわ、私は哀れで卑猥な未亡人ですもの」

 「未亡人だなんて、昨日見たエッチビデオの題名みたいじゃないですか?」

 「あら、刑事さんでもそんないやらしいモノをご覧になりますの?」

 「今ちょうど下着ドロボーの捜査をしておりまして、その犯人のエッチな気持ちになってみようと。

 まあこれも刑事の仕事ですから」

 「刑事さんって大変。私、そんな竹野内さんが好きです。あらやだ、私ったらつい。ポッ」

 「奥さん・・・」


 (チョット、チョットチョット。

 俺の葬儀の最中なんですけど! 離れろ田吾作! 裕子から離れろ!

 裕子もなにウットリしてんだよ!

 ソイツは田吾作! 田吾作なの! 竹野内豊じゃないの! まったく!)


 

 「えー、それでは宴もたけなわですが、これからお経を上げさせていただきます!」

 「よっ! いいぞ兄ちゃん!」

 「待ってました、大統領!」

 「頑張れーっ! お経をかむんじゃねえぞお!」



 (髭おじちゃん、スナックのカラオケじゃないんだからさー。

 しかも全然お経になってないし)


 彼は漢字がまるで読めない、令和経済福祉情報経理会計大学卒のボンクラだったのだ。

 試験は漢字で名前が書ければ合格だったが、彼は漢字アレルギーなので、銀行振込みのようにカタカナで自分の名前を書いたが、それでも合格したのだった。

 読めない漢字になると「うーむーなーむー」と言って誤魔化していた。

 


 「それではこれから火葬場へ移動となります。

 みなさん、こちらのマイクロバスへどうぞ」

 「いいんじゃねえの、ここで焼いちまえば? どうせ河原だし」

 「ガソリンならあるぞー!」


 (おいおい、そういう問題じゃねえだろう?

 それじゃホントに『ガンジス川で背泳ぎ』になっちゃうじゃないのさ。

 ちゃんと焼いてよ、拾ってよみんなで俺の骨を)


 その時だった、唯が叫んだのは。


 「いや! パパを焼かないで!」


 (唯・・・)

 

 「みんなどうかしてるよ! こんなの遠足の芋煮会じゃない!」

 「そうですよ、みなさん不謹慎です! 課長がかわいそうです!」


 (総務の美香ちゃん・・・。

 女の勘は鋭いもので、裕子がものすごい顔で美香ちゃんを睨んでいる。

 さすがは元レディースの総長だっただけはある。

 美香ちゃんとは何回かエッチした。

 おっぱいは小さいが感度は抜群。

 まるでお魚の鮎のようにピチピチとベッドで跳ねていたっけなあ。

 ありがとう、唯、美香ちゃん。

 泣いてくれたのは唯と美香ちゃん、そして親父と高山だけだ。

 でも、それで俺は十分だ。

 悲しんでくれる人がいるだけで)


 しぶしぶみんなはバスに乗り込み、火葬場へ移動した。



第3話

 俺の遺体は火葬場へと運ばれて来た。

 河川敷で荼毘にふされなくて本当に良かった。

 ここはインドのべレナスじゃないんだから。



 「それでは皆様、最後のお別れです」

 

 みんなが俺の棺に釘を打っていた。

 女房の裕子、親父、お袋、そして唯。

 

 「パパ、ごめんなさい。

 喧嘩したまま仲直りもしないで、お別れになっちゃったね?」


 昨日、朝帰りした唯を私は叱った。



 「今、何時だと思ってるんだ!

 朝だぞ朝! まだ学生のクセに朝帰りとは何事だ!」

 「パパ、うるさい!

 私はいつまでも子供じゃないよ!」

 「誰のおかげで大学に行けていると思ってるんだ!

 そのセリフはお前が自分で食えるようになってから言え!」

 「パパは私に嫉妬してるんでしょ!

 パパは高卒だもんね? 偏差値38の!」

 「うううっつ、俺が一番気にしている学歴コンプレックスをよくも言ったな!

 だから俺はどんなに頑張っても部下3人のお客様相談室の万年課長なんだよ!」

 「そんなの知らないわよ!」


 そのまま唯は自分の部屋に閉じ籠ってしまったのだった。

 

 (大丈夫だよ唯。俺はなんとも思っちゃいない。

 俺はお前が大好きだ。

 唯は俺のかわいい娘だ。

 自分を責めるもんじゃないぞ、唯)


 俺の棺に縋って泣く唯。



 「では、後がつかえていますので、そろそろチャチャッと焼いちゃいましょうか?」

 


 (おいおい、せっかく娘が泣いて俺との別れを惜しんでくれているんだぞ。この感動のクライマックスを早送りしろというのか?

 「後がつかえてる」だと? 「そろそろチャチャッと焼いちゃいましょう」だ?

 そりゃあ、あんたたちは慣れてる火葬場の公務員様だろうが、俺たち親子には初めての事なの!

 JRのダイヤじゃないんだから少しは気を遣えよ!)


 「唯、パパにお別れしなさい」


 裕子に肩を抱かれ、唯は号泣した。


 「パパーッ!」


 火葬場に唯の泣き叫ぶ声が響いた。


 (あーあ、俺の体が焼かれちゃうよー。

 火傷したらどうしよう!

 あっ、俺はもう死んで抜け殻になってるんだっけ)


 ボイラー室の扉が閉められた。





 2時間が経過し、俺の体は骨だけになってしまった。


 (もう完全に死んじゃったんだな、俺?

 みんなが代わるがわる骨壷に俺の骨を入れているよ)


 

 「あなた・・・、こんなに小さくなっちゃって・・・」


 (ありがとう裕子、あの田吾作刑事とのことはもう許すよ)


 唯も泣きながら俺の骨を慎重に拾ってくれていた。



 「いい家族じゃないの? 岸谷さん」

 「あんた誰? 死神さん?」


 ふと横を見ると、同じようにふわふわと浮いている透明なお爺さんがいた。


 「はじめまして。ワシは今さっき、ボイラーに入れられた河原と言います。

 あんたも成仏出来ないクチじゃな?」

 「あなたも浮遊霊ですか?」

 「そうなんじゃよ、ご同輩。ワシは家族が留守中、戸棚から苺大福を出してこっそり食べようとしたら喉に苺大福を詰まらせてしまってのう。

 気がついたら死んでいたというわけじゃ。

 ガンとか、不治の病とか、あるいは信長の『本能寺の変』のように、みんなから惜しまれてカッコ良く映画の主人公みたいに死ぬならいざ知らず、苺大福を食べて死んじゃうなんてな? カッコ悪いったらありゃしねえ。

 おまけにもう歳じゃろう?

 みんなセイセイしておるよ。

 さっきも待合所で俺の遺産の話で揉めておった。

 全くけしからん!

 いいですなー、岸谷さんとこは。

 娘さん、よほどお父さんが好きだったと見える」

 「これから私たちってどうなるんですか?」

 「家族が供養してくれるまでは、このまんまじゃな?」

 「生きているのでも死んでいるのでもなく、この中途半端なままですか?」

 「そういうことじゃ。だが、ひとつだけ許されていることがある」

 「許されていること?」

 「生あるものに憑依することが出来るんじゃよ。

 人や動物にな?」

 「それじゃあ、生きている人や動物の肉体を借りることが出来ると?」

 「そうそう、そういうことじゃ。

 でも、条件がある。

 自分の素性を絶対に明かさないこと」

 「つまり自分であることは明かしちゃダメなんですね?」

 「その通りじゃ」

 「もしもそれを破ったら?」

 「それは知らんが、多分・・・」

 「多分?」

 「怖いことになるじゃろうなあ?」

 


 それだけ言うと、河原さんは中庭の方にスッーと消えてしまった。



 (じゃあパンダにもなれるということか?)



 私は唯が子供の頃、パンダが大好きだった事を思い出した。


 (でもまさかパンダに乗り移って唯の前に出て行くのもちょっとなあ。

 あの引越業者のCMじゃあるまいし。

 すぐに麻酔銃で撃たれて動物園行きだろうしなあ)


 私は何に乗り移るかを真剣に考えていた。



第4話

 本来なら死んで初七日までは家の軒下にいるのが死人の決まりだったが、中途半端な状態にある俺は色んな人に会いに出掛けることにした。

 遅ればせながらの「暇乞い」である。

 どうせ暇だし。


 私は高山のことが気になり、会社にワープしてみることにした。




 高山は俺の代わりにやって来た、Windows島村にパワハラを受けていた。

 Windows島村は、別にパソコンに詳しいからという渾名ではなく、定年1年前のどうでもいいお荷物社員だったので、「窓際族」というところを今風の渾名にしただけだった。

 彼はパソコンを触ったことがない。

 今どき携帯も持っていないアナログ人間だった。


 

 「高山君、今のお客様からの電話応対だが、当社のクレーム・マニュアルにはない物です。

 なぜそんな勝手なまねをするのですか?」

 「お客様がちゃんとご納得するまでとことんお話を聴くようにと岸谷課長が・・・」

 「高山君、また岸谷さんですか? ここはお客様相談室ですよ?

 お客さんの話を最後まで聞いていたらキリがありません。

 いかに効率よく、迅速にクレーム処理をするか? それがこの部署の使命なのです。

 相談室とは言いますが、ここはクレーム処理室なのです。

 話し相手のいない暇で寂しい高齢者や、旦那に相手にされないセックスレスの奥さんたちのストレス解消のお悩み相談室ではありません」

 「岸谷課長はいつも言っていたんです、「ここはクレーム処理をするところじゃない、営業促進をする課なんだ」と。

 苦情を訴えるお客様を黙らせることじゃなく、うちの会社のファンになってもらう部署なんだと」


 (その通りだ、いいぞ関取! 俺たちの仕事はただのクレーム係じゃない!

 お客様の声は会社の宝なんだ!)


 「高山君、君は何かというとすぐに岸谷君の話をしますね? 今の君の上司は誰ですか?」

 「ウインドウ、じゃなかった島村課長です」

 「そうですよね? いい加減忘れなさい、岸谷課長のことは。

 岸谷君はもう死んじゃったんだから」

 「か、課長は、岸谷課長は・・・、僕の上司じゃありません、僕の先生です!

 僕がこのお客様相談室に配属されて塞ぎ込んでいると、岸谷課長はこう言いました。

 「高山、ガッカリしただろう? こんな窓もない地下室に閉じ込められて。

 でもな? 会社に必要のない社員なんて誰もいないんだよ」と。

 それでも僕は、カッコイイ海外事業部なんかで女子社員たちからキャーキャー言われて、丸の内のOLさんと合コンするのが夢だったんです。

 それなのに毎日毎日お客様から罵声を浴びせられて、ネチネチと嫌味を言われるなんて、「まるでウ〇コ係じゃないですか!」と岸谷課長に言いました。

 すると課長は「いいじゃないか? ウ〇コ係で。

 俺たちの仲間が汗水垂らして作った物を、足を棒にして頭を下げてお得意さんを回って売り歩いてくれている営業がいる。

 商品に意見をくれるお客さんはウ〇コなんかじゃない、それは宝物だ。

 確かに俺たちの仕事は地味で辛い。

 でもな高山、そもそも仕事とは自分ではやれないことや作れないこと、そして自分がやりたくないことをすることでお金をもらっているんだ。

 花形の海外事業部もいいだろう。

 高山、お前はまだ若い、まずは海外事業部で即戦力になるための努力をしろ。

 まずは社内の人に自分の存在を知ってもらうことだ。

 お前は相撲部で体重150キロ。

 それを活かせ。

 今のお前はただの#ふてくされ__・__#のデブだ。

 いいか高山? お前は「クレーム処理なら高山だ!」というデブになれ。

 そうすれば必ずチャンスはやって来る。

 いいことも悪いことも、誰かがきっと見ていてくれるものだ。

 少なくとも俺は見ているぞ、お前のいいところは。

 ひとつのことも出来ない奴が、世界を相手に仕事なんか出来るわけがない。

 がんばれ高山、俺はお前を応援しているぞ」

 岸谷課長はそう言って、そんな僕によくご飯をごちそうしてくれました。

 少ないお小遣いなのに、お昼代、タバコ代込みの3万円なのにですよ?

 それなのにウインドウズ、じゃなかった島村課長は吉田家の並盛牛丼すらご馳走してくれないじゃないですか!

 そんな岸谷課長は僕の人生の師匠、先生なんです!

 僕が、やっぱり僕が代わりに死ねば良かったんだあ! うわーん ううううう」



 それを聞いていたベテラン独身OL、鋼のバージン、平野佐知代がそれに噛み付いた。


 彼女は入社30年、今年で48歳になるバツなしの独身処女だった。

 仕事は出来るが協調性の欠片もなく、ブスで意地悪なお局だった。

 かわいい女子社員には特に厳しく、平野に虐められて給湯室で泣いている欅坂46みたいな女子社員を俺は何度も目撃した。


「高山、あんたバカなの? 

 岸谷課長はもうこの世にはいないの! 死、ん、じゃったの!

 いつまで泣いてんの! それでもオチンチン付いてんの! あんた男でしょ!

 甘ったれんじゃないわよ! この包茎チ〇コが!」

 「ついてますよチ〇コは。ちっちゃいけど・・・」

 「あんたのやることは泣くことじゃないでしょ! 

 あんたは岸谷課長に言われたことをしっかりと実行することなんじゃないの?

 何もしないで、泣きゃあ済むとでも思っているの?

 岸谷課長が見ていたらガッカリするわよ!

 初七日が終わったばかりだから、まだこの部屋にいるかもね?」

 

 (よく言った! その通りだよ鉄仮面、平野。

 さすがは鋼鉄のパンツを履く女だけはある。

 まるで岩下志麻みたいだ。

 あんな美人じゃないけど)


 

 「平野パイセン、俺、もう泣かないっす! がんばるっす!」

 「そうよ高山、そうじゃないとあんたも私と同じ、一生独身のままよ」

 「それだけは勘弁っす!」


 平野は高山に持っていたハサミをチョキチョキ鳴らして近づいた。


 「勘弁だあ? お前のそのちっさいチ〇コ、チョッキンしてやろうか!」

 「ひえっ! ご、ごめんなさい、もう言いませんから!」


 (危なかったな高山? それだけは言っちゃダメだぞ)



 「では退社時刻になりましたので、みなさんご機嫌よう」


 Windows島村はさっさと部屋を出て行った。



 「高山。私たちも帰るわよ」

 「ハイっす」


 (コイツらは大丈夫そうだな?

 問題は唯と裕子、そして親父だ)



第5話

 「あらヤダ、またパパの分までゴハン作っちゃった」

 「いいんじゃない、ママ。パパと一緒に食べようよ、ご飯」

 「それもそうね? まだ納骨もしてないしね?」


 (すまないな、俺の分まで。

 ありがとう唯、裕子。

 今日の夕食は俺の好物の和風おろしハンバーグじゃないか?)

 

 「唯、パパの納骨、いつにしようか?」


 箸を動かしながら裕子が唯に尋ねた。


 「納骨なんてしなくてもいいよ、ずっとこのままお家に置いておこうよ。パパの骨」

 「ダメよ唯、ここはお墓じゃなくてお家なのよ」

 「いいじゃない、お家がお墓でも。お墓参りに行く手間も省けるし」

 「私たちはそれでよくても、お客さんが来ることもあるでしょう?

 岸谷さんのお家は「お墓も買えないのかしら? 可哀そうに」なんて言われたら恥ずかしいじゃないの」

 「言いたい人には言わせておけばいいよ」

 「だって骨壺がインテリアだなんて。それに間違って小太郎が食べちゃったらどうすんのよ」

 「小太郎はそんなバカ犬じゃないよ、女王陛下のワンちゃんなんだから。ねえ、小太郎」

 「ワン!ワン!(オレは血統書付きのコーギー犬だぞ、そんなことするわけねえだろ。人間の言葉だってわかるし、話せないだけ! ねえパパさん!)」


 小太郎には俺が見えている。

 それに俺と話しも出来た。


 (小太郎、ありがとな)


 「ワオーン!(パパさんがいないと寂しいよ!)」


 小太郎は天井の隅に浮かんでいる俺を見て悲しそうに吠えた。


 「小太郎が天井を見て吠えたよママ。

 小太郎は賢い犬だから、パパが見えるのかも。

 小太郎、パパはあそこにいるのね?」

 「ワンワン!(そうだよ唯ちゃん、ほら、あそこにパパさんが浮かんでる!)」

 「パパ、早くここに座って大好きだった和風おろしハンバーグを一緒に食べようよ」


 俺は天井から降りてきて椅子に座った。



 「でもね唯。お客さんがもし、もしもよ、もしも万が一、お家に泊まりたいって言ったらどうすんの? 

 気持ちが悪いでしょ? 人の骨がリビングにあるお家なんて」

 「誰も泊まりになんか来ないよママ」

 

 (唯、なんてお前はやさしい娘なんだ。 

 それに引き換え裕子、お前、まさか田吾作とここで、俺の遺骨の前で喪服を着た淫らな未亡人という設定で、田吾作とエッチなことをしようと企んでいるんじゃないだろうな! けしからん女だ!

 それでも昔は俺を愛してくれた女か? それでも昔は浅野温子と呼ばれた女か!

 101回目のプロポーズのマネをして、俺は危うくダンプにはねられるところだったんだぞ、まったく!

 うん? でも待てよ。あのイケメンの田吾作デカが家に来る?

 そしてここで、俺たち夫婦の寝室でギッコンバッコンするつもりなのか!

 まだ喪が明けてもいないというのに!

 おのれ田吾作、竹野内豊に似ていることをいいことに! どんだけーだ!

 俺だって生きてる時は俺の誕生日とお盆とお正月、そしてクリスマスにバレンタインの時だけしかやらせて貰えなかったのにーっつ!

 しかもパンツだけおろして、すっぽんぽんじゃなくてだぞ!

 許せん! 絶対に許せん!

 二度と裕子に近づかないように脅かしてやる!

 ポルターガイストしちゃおうっと!)



 コーギーの小太郎は俺の仏壇の前がいつの間にか定位置となり、そこから動こうとしなかった。

 俺は小太郎の背中を撫でた。

 大好きなドギーマンのお芋のササミ巻きすら食べようとしない小太郎。


 「小太郎、おやつ食べないの? これ、大好きでしょ? パパが死んじゃって寂しいの?」



 (そうだ、試してみるか? 

 あの火葬場で会った同じ浮遊霊の爺さんの話が本当なら、小太郎に俺は乗り移ることが出来るはずだ。

 よし、集中集中、小太郎になれーっ!)



 するとあら不思議、俺は小太郎になった。

 

 (ホントだ! 俺、小太郎になってる!)


 俺は小太郎の両前足のピンクの肉球を見て歓喜した。

 俺は唯の足元に行き、右手、いや右前足で唯の膝をトントンした。

 

 (唯、俺だ、パパだ! 今、小太郎のカラダを借りているんだ!)


 「どうしたの小太郎? 

 しょうがないなあ、もう小太郎は甘えん坊さんなんだからー」

 

 すると唯は俺を抱きかかえてくれた。

 いかんいかん、唯のオッパイが俺の顔に!


 (あんなに幼なかった唯が、いつの間にかこんなに大きくなっていたんだなあ。

 パパーっ、パパーって俺の後ばかりついて来た唯が)


 俺は思わず鳴いてしまった。あのお買物カードの支払いの時のように。


 「ワオーン!」

 「わかるよ小太郎、悲しいんでしょ? パパが死んじゃって・・・」


 唯は泣いていた。





 実家に行ってみると親父とおふくろが俺のアルバムを開いて見ていた。


 「総一郎が生まれた時は大変でしたね?」

 「そうだな? カネもなくて仕事も忙しく、お前たちには苦労を掛けた」

 「仕方ないですよ、あの時代はみんなそうでしたから」

 「でも楽しかったな? あの頃の俺たちは」

 「ほら見て下さいよ、これは総一郎が地元の少年野球をしていた時の写真ですよ。

 目立つことが嫌いな子でしたよね? いつも写真の端に写ってばかりで」

 「俺に似たんだろうな?」

 「そうかもしれませんね? やさしくて控えめで、いつも他人のことばかり考えて・・・、ううっ」

 

 おふくろと親父は泣いてくれた。



 「親より先に死ぬやつがあるか! 総一郎、俺もじきにそっちに行くからな?」


 (ごめんよ親父、おふくろ。

 何一つ親孝行らしいこともしてあげられなくて。

 長生きしてくれよな、俺はあなたたちの息子で本当にしあわせだったよ)


 俺は愛されていたんだ。ありがとう、親父、おふくろ。



第6話

 俺、地縛霊になっちゃったのかなあ? 

 最近、体が重くて、よくこの事故現場にやって来ちゃうんだよ。

 俺はここで死んじゃったんだよなー。あーあ。


 あの上級国民の爺さんは花もワンカップもポッキーさえも供えに来ねえし。

 初七日が過ぎて、家にやって来たのは阿保総理の側近だという官僚の倅と、『行列の出来ない悪徳法律相談所』に出演していた桃山桃次郎弁護士だけだった。



 「この度は父が大変申し訳ないことをしてしまい、すみませんでした。

 御線香だけでも上げさせて下さい」

 「結構です、お引き取り下さい」


 (いいぞ裕子! その調子だ!)


 「奥さん、今日はこの話で来たんですよ。いいのかなあ、そんなこと言っちゃって?

 この猿滑さんは総理の懐刀なんですよ。

 今度の夏の衆議院選挙に出馬するかもしれないお方なんですから、少しは言葉を謹んだ方が身のためですよ。

 何しろ阿呆総理のお気に入りなんですから」


 桃山弁護士は、ニヤニヤしながら手をOKの形にして見せた。


 「ではどうぞ」

 

 (なんだよ裕子、カネの話ならいいのかよ!)


 「奥さん、あれね? クルマが故障してたの、だからしょうがないんだよ。あれは事故、クルマの誤作動による事故だったの。猿滑さんのお父上のせいじゃないの。

 でもね、保険で5,000万円は下りるんだけど、もっと欲しいでしょう? お金。

 そこでもし、奥さんが示談に応じてくれるんなら・・・」


 桃山弁護士はボストンバッグから1,000万円の札束を5つ、テーブルの上に並べた。


 「5,000万円あります。これは猿滑さんからの精一杯の誠意です。

 これをチャッチャと受け取ってこの示談書にサインして下さい。

 半沢直樹みたいでしょ? 「倍返しだあ!」なんちゃって」


 桃山弁護士がそれを言い終わらないうちに、裕子はお金をすぐに仕舞い、すでに示談書にサインをし終えていた。

 現金にはとてつもないチカラがある。

 

 「お忙しいところ、誠に申し訳ありませんでした。

 あらやだ、私ったらお茶も出さずにごめんなさいね? 私っておバカさん。テヘペロ。

 今、お茶を淹れますね。

 それともおビールの方がいいかしら? ルンルン♪」


 おいおい裕子、俺の値段はたったの1億円かよ?

 まあ、結局この世はカネだからな? しょうがねえか?

 でも俺も安心したよ、唯にも半分あげてくれよな。

 俺の県民共済からの保険金も事故死だから結構出るだろうし。

 掛金は安いし儲かったらお金を割戻してくれる。

 おまけに手厚い保証は流石は県民共済だ。

 やっぱり死ぬなら交通事故だよな? 交通課のおまわりさんも言ってたし。


 「岸谷さんの奥さん、死ぬなら絶対に交通事故だよ。

 両方から出るもんね? コレが。奥さんはツイていますよ。よく言うでしょ?「亭主死んだらカネが欲しい」って」



 そこへ唯が帰って来た。

 

 「お嬢様ですか? お邪魔しております。

 このたびは誠にすみませんでした。

 私、息子の猿滑です」

 「帰って! 聞こえないの? 

 帰ってよ! 今すぐこの家から出て行って!」

 「唯、この人たちは謝罪に来てくれたのよ」

 「じゃあ死んでよ! 死んで謝まりなさいよ!

 あのお爺さんはどうして来ないの? なめんじゃないわよ! パパを轢き殺しておいて!」

 「では我々はこれで失礼いたします。

 ごきげんよう。Have a nice Day!」


 桃山弁護士と猿滑はそそくさと帰って行った。



 (いいぞ唯! それでこそパパの娘だ!)


 俺は最高にうれしかった。

 仏壇に線香をあげ、鐘を鳴らし手を合わせる唯。


 「パパ、ただいま」


 お帰り唯。

 お腹空いただろう? 冷蔵庫にマダム真子のバウムクーヘンがあるぞ。

 手を洗ってうがいをしてから食べなさい。



 「唯、今日は外食にしようか?」

 「何で?」

 「たまにはいいじゃない、ね、ね?」

 「まあ、別にいいけど」

 「待ってて、ママ、すぐに着替えてくるから!」


 無理もない、あんな札束を積まれたら誰だってそうなる。


 「さあ唯、今日は銀座『十兵衛』でお寿司にしましょう! それからお買物。エルメスのバーキンにカルティエの時計、プラダのお洋服にそれからそれから、ああ、なんてしあわせな日なのかしら!」


 そんな母親に唯は呆れていた。




 また事故現場に引き戻されると、そこには利発そうな5歳くらいの男の子と、沢尻エリカみたいな美人ママが信号待ちをしていた。


 するとそこに大型ダンプが信号無視をして突っ込んで来るのが見えた。


 (危ない!)


 俺は咄嗟にそこにいた長州力みたいな大男に乗り移り、その子とママを抱きかかえて救出した。

 私は運転手を怒鳴りつけた。


 「どこ見て運転してんだこのタコ! 俺のウエスタン・ラリアートで死にてえのか!」

 「ひえっつ、すんません、長州さん!」


 そのダンプの運転手は一目散に走り去って行った。



 「助けていただいて、本当にありがとうございました」

 「うええーん!」

 「泣くな坊主! びっくりしたよな?

 怖かっただろう? 早く大きくなって、今度はお前がママを守ってやるんだぞ!」

 「うん、ボク、ママが大好き!」

 「オジサンもGカップのママは大好きだ! そうかそうか。

 いいか? 男は強くなくっちゃならねえ」

 「怪獣をやっつけるために?」

 「女を守るためだ。

 ジェンダーフリーだなんてどうでもいい。

 男は女を守るために強くならなきゃならねえんだ。

 男は女を守るために生まれて来たんだからな?

 そして女はそんな男に愛され、守られるために生まれて来た。

 自立なんてしなくていいんだ。仲良く暮らせばそれでいい」

 「ボク、おじさんみたいに大きくなれるかな?」

 「なれるとも! いっぱい食べて、いっぱい運動して、たくさん本を読め。

 そうすれば185cmの、賢くてチ〇コのデカイ男になれる。吉田拓郎みたいなデカイ・チ〇コにな?」

 「ボク、がんばる!」

 「でもな? 男は体力的に強いだけじゃダメだ。

 そして賢いだけでもダメ。

 強くて賢くて、やさしくなければ本物の男じゃない」

 「うん、ボク、おじさんみたいに強くてやさしいハゲになるよ」

 「ハゲにはならなくてもいい。

 お前はママに似てイケメンだから、女には気を付けろよ」

 

 男の子はキリッとした顔で深く頷いた。


 「私たち親子の命を助けていただいて、本当にありがとうございました。

 秀斗、おじさまにお礼を言いなさい」

 「ありがとう、オジサン! オジサンはボクのヒーローだよ!」 

 「ヒーローかあ? じゃあな、秀斗」


 俺は秀斗の頭を撫でてやった。



 「あのー、失礼ですけどお名前は? それからLINEの交換をお願いします。何かお礼をさせて下さい」

 「名前? そんなのはもう忘れたよ。

 そこらへんでお姉ちゃんのオッパイを触っている、俺はただのスケベなオッサンさ。

 それに携帯なんて持っちゃいねえ」

 「ステキ・・・」


 俺は親子に背を向け、大きく手を振った。


 (キマッタな俺。今度はキムタクにでも乗り移ってやるか?)


 「やっちゃえ、オッサン」なんてな? アハハ。

 

 俺は絶好調だった。



第7話

 裕子がテレビを点けながら掃除機をかけている。


 「あー、面倒臭い。

 そうだ、ジルバを買っちゃおーっと。

 お金もあるしねー。

 ジルバ、ジルバ、ジルバンバアーン!」


 裕子は憧れのジルバを買うことを決めるとご機嫌になり、ひとりでジルバを踊り始めた。

 

 おいおい裕子、いくらお金が入ったからって無駄使いはダメだぞ。

 そのタイタンの掃除機だって、お前が欲しいっていうから夏のボーナスでやっと買ったやつじゃないか?

 まったくもー。



 テレビではあの都知事の婆さんが、チャイナ・ウイルスに便乗して都民のカネでじゃんじゃん自分を売り込んでいた。


 「みなさんの協力が必要です。

 写らない、写さない。

 写ルンですはもう必要ありません。

 自称総理候補、東京都知事、大池トメを、大池トメをヨロシクお願いします」


 トメさんは完全に東京を私物化していた。

 このCMに一体何億円の税金が使われているんだろう? 

 大手広告代理店のホクホク堂は、このチャイナ・ウイルスのおかげでかなり甘い汁をチューチュー吸っているな?

 この商売上手め! この利益第一主義者! カネの亡者! 守銭奴!



 「大池都知事、今こそ都民に呼びかけるべき時です! この苦難を都民と共に乗り越えようじゃありませんか!」

 「そうね、私もそう考えていたところよ。

 こう見えても私、テレビのお仕事を若い頃にしていたから大丈夫、任せてちょうだい。

 阿佐ヶ谷姉妹とか多部未華子もいらないわ。

 だって、タレントさんを使うとお金がかかるでしょ?

 いいわよ、私で。

 そのCMには私が出演します!」

 「仰る通りです、大池都知事!

 とても70歳には見えませんよ、大池都知事は!

 どこから見ても25歳、いや16歳! よっ! 女性初の内閣総理大臣!

 お肌のツヤといい張りといい、欲の皮でつっぱっているそのお顔には、ほうれい線こそあってもシワはひとつもありませんから! イエス!高須クリーニング!」

 「さすがはホクホク堂さん、お口がお上手ね?」

 「あっぱれです、大池都知事!

 あっぱれを差し上げます!」


 「あっぱれ」だと? どっかのわけのわからない元プロ野球のお爺ちゃんじゃあるまいし、何でお前のご意見を聞く必要があんだよ!

 選手は命がけ、明日がないの!

 都知事、あんたがCMに出てどうすんの? いいよホラン千秋で。

 そんなカネがあるならシングルマザーに一律20万円とか、子供食堂をもっと増やすとか、風俗店のお姉さんに優先的にワクチンを打つことに使えよ、まったく!


 なんでトメが東京都のCMに出る必要があんの? ドラゴンボールの髪の赤い声優さんがやった方が絶対に効果あんのに。

 

 「オラ悟空、東京都民を代表してオラが言うからみんなよく聞け。

 みんなでチャイナ・ウイルスから尖閣諸島を奪還するぞ!

 なあ、キクリン!」


 とかやればいいじゃん。

 なんでトメさんが出てくんだよ。


 日本初の女性総理は『傷だらけの女』野田聖子になって欲しい。 あの桜餅を食べる総理の子分じゃなくて。

 忙しくて化粧も適当だし、大好き聖子ちゃん!

 なんなんだよ、あの三文役者の政治家は?


 「民自党をぶっ潰す!」


 なんて言って、ちゃっかり郵便局のお金をアメリカにあげちゃったじゃないか。

 ぶっ壊すんだったら政治家の世襲や高すぎる議員報酬や特権、爺さん婆さんの居眠りボケ老人議員をクビにしろよ! 60歳で定年だよ! ふざけんな!

 自分の子供や親戚を世襲させたいほど美味しい商売なのか? この野郎!


 おろっ? 裕子がいない? どこへ行った? トイレか?


 裕子は寝室のベッドで誰かと電話をしていた。 

 しかも大胆なTバックの黒い下着姿で!



 「あん、ダメ~、そんなこと言われたら感じちゃうじゃないですかあ~。

 豊さーん」

 「奥さんのここ、ほらこんなになっていますよ? グチョグチョだ。

 ここまで音が聞こえますよ、いやらしい音が」

 「奥さんなんて言っちゃイヤ、お願い「裕子」って呼んで。

 だって私、未亡人なんですからあ。

 ああ、カラダが熱いわ・・・」

 「裕子、我慢できないよ! 今すぐにサイレンを鳴らして飛んで君に会いに行くよ」

 「うん、待ってる。気をつけてね?」

 「大丈夫、これでも俺は署内で『やばい刑事』って呼ばれてるんだ」

 「ステキよ豊さん、大好き!」



 なんだよ、なんだよ、裕子の奴めー。

 俺が死んで、まだ四十九日も済んでないというのに!

 あーあ、もうあんなとこ触っちゃってー。

 生きてる時は俺がたまに誘っても「疲れてるのー」とか「今日は女の子の日だからダメ」とか言って避けてたくせに!

 1か月に4回も女の子の日が来るのかっていうの! 

 うー、許せん! そうだ、ちょっと悪戯しちゃおーっと。

 それーっ、裕子のカラダに憑依だー!



 あー、久しぶりだなー、このベッドの感触。

 一度やってみたかったんだ、女になって女を感じてみたかったの。

 ではちょっと失礼して、まずはオッパイをモミモミ。

 ヤバイ、こんなに感じるんだ? 女のカラダって?


 あれれ、乳首がピンとなってきたぞ。

 なんだか興奮して来たぞ、では下の方はどうなっているのかな?


 うへー、びしょびしょになってるー!

 女のカラダってこんなになってるんだあ?

 なつかしいなあ、裕子のクリちゃんってこんなんだったっけ? だいぶ昔に見たきりだからもう忘れちゃったよー。

 まずい、だんだん気持ちよくなってきちゃった。

 Gスポットをグリグリ。



 「あっ、いけないわ、彼が来る前にイッちゃいそう! あっ、イキそう、もうダメ、イクーッツ!」


 凄い凄い、女のエクスタシーってこんなに凄いのか? ちょっと失神しちゃったよ。 

 男のそれとは全然違うな!

 男は出して終わりだもん。

 イッた後は日経平均株価が気になるもんなあ? フェルマーの最終定理とかを考えちゃうのに。


 頭は真っ白、全身ピクンピクン、あそこがヒクヒクして止まらない!

 これなら何回でもイケるわけだ。


 すると裕子の携帯が鳴った。

 田吾作刑事からだった。


 「奥さん、じゃなかった裕子、今、着いたよ」


 来たか? あの変態田吾作刑事めー。

 よーし、二度と裕子に近づけないようにビビらせてやるからな? 覚悟しろ!


 「どうぞ、そのまま上がってちょうだい。玄関は開いているから」

 「鍵も掛けないなんて物騒じゃないか裕子?

 もし襲われたらどうするズラ?」

 

 田吾作はつい、自分のふる里の方言を出してしまった。


 気を抜いているな? 田吾作の奴め、ヨシヨシ



 田吾作が寝室にやって来た。

 

 「裕子! どうしたんだ! もうすっぽんぽんじゃないか!

 オラも、オラも脱ぐかんな? 待っててケロ!」


 こいつ、イケメンのくせに言葉遣いが酷いな? 田舎臭い。

 やっぱり田吾作だ。

 黙っていればクールな色男なのに、残念。

 おっと、そんなのどうでもいいんだった。

 驚かさなきゃ。


 「なんだなんだ? 地震だべか?」


 違う違う、俺が揺らしてんの、ポルターガイスト現象だぞー!

 ついでにスタンドも割っちゃえー! パリン!



 俺は裕子から一時離脱して、思いっきり暴れまくった。

 そして照明のリモコンもオン、オフ、オン、オフにっと。


 「ひえーっ! 旦那さんの祟りだべか!」


 怖がってる、怖がってる。

 それではこれで仕上げだーっ!


 俺は再び裕子に乗り移った。


 「うはははは! 貴様か? 俺の裕子に色目をつかっている刑事は?

 お前も蝋人形にしてやろうかあー!」

 「ひっ、ひえーっ! ご、ごめんなさい、ごめんなさい!

 岸谷さん、もうしません! 絶対にしませんから迷わず成仏して下さい!

 南無阿弥陀仏、南無阿弥陀仏、怨霊退散! びえん、びえーん!」


 田吾作は脱いだズボンを抱え、一目散にサイレンを鳴らして逃げて行った。


 裕子はさっきの自慰行為に疲れ果て、気持ちよさそうに眠ってしまった。


 俺は裕子に毛布を掛け、その美しい寝顔にキスをした。


 だが、裕子の唇の感触はなかった。

 やはり俺は本当に死んだらしい。



第8話

 大学のヒマラヤ杉の下のベンチに座り、娘の唯と彼氏らしき男の子が話しをしている。

 穏やかな午後の日差しと青い風。


 死んではいるが、気持ちのいい季節なんだろうなあという感じはわかる。

 感じることは出来ないが、なんとなくそう思えた。


 この金髪野郎が娘の唯のボーイフレンドなのか? 子犬みたいなかわいいイケメン。

 こんなヤツに唯の大切なバージンが! くっそー! 呪ってやるーっ!



 「唯、お父さん、大変だったね?」

 「パパが死ぬなんて考えたこともなかったからね?

 まだパパが死んだなんてこと、受け入れることが出来ないの。

 親って、死んじゃうんだね?」

 「あまりにも突然だったからな?

 俺は小学校5年生の時に親父をガンで亡くしたから、わかるよ、唯の気持ち。

 自分の親が死ぬなんて、思わないもんな?」

 「私ね、パパが亡くなる前日にパパと喧嘩しちゃったの。

 仲直りも出来なかった。 

 それを今もすごく後悔している」


 唯、そんなことはもう気にしてないから大丈夫だぞ。

 そんなことで悲しまなくてもいいんだ。

 唯のことはいつも見守っているからな。



 「唯、人はいつかは死ぬものだよ。それが早いか遅いかの違いだけだ。

 俺も唯もいつかは死ぬ。

 だからこの一瞬一瞬を全力で生きなきゃいけない。

 お父さんのことは辛くて悲しいことだけど、天国にいるお父さんに喜んでもらえるような生き方をしようじゃないか? 俺たちふたりで。

 俺はずっと唯を守っていく。約束するよ」

 「孝・・・」



 なんだこの男子、チャラい割にはしっかりしてるんじゃないの?

 俺がこの子位の時には、どうしたら女の子とバッコンパッコン出来るかしか考えていなかったもんなあ。

 コイツ、中々の好青年じゃないか?

 さすがは唯、俺の娘だけはある。フムフム


 

 「さあ、午後の講義が始まるから行こうか? 唯」

 「うん」

 

 ふたりは手を繋いで教室へと歩いて行った。




 死んでみて初めて分かったことだが、生きている人間と同じくらい、浮遊霊もたくさん彷徨っていた。

 足はあるが透けて浮いている。

 唯の大学の近くをふわふわと漂っていると、いきなり背後から声をかけられた。


 「もしもし浮遊霊さん、お散歩ですか?」


 振り返ると、そこには幽霊ではなく、中年の男性が立っていた。

 どこにでもいるような公務員みたいに髪を七三に分け、スーツを着て首からIDカードをぶら下げていた。

 歳の頃は40才くらいと言ったところだろうか?  

 黒縁の眼鏡をかけている。


 

 「君には俺が見えるの? 俺のことが?」

 「はい。私も以前、浮遊霊をしていましたから」

 「えっ、そんな転職するみたいに簡単に人間に戻れちゃうの?

 indeedじゃあるまいに!」

 「いえいえ、実は私、当たったんですよ、浮遊霊から地獄を経由しないで人間に生まれ変わる『クーちゃん黄泉よみがえりジャンボ宝くじ』に」

 「えっー! そんなのあんの!」

 「あるんですよ、これが。

 だから私は今、あの大池都知事のところで秘書課長をしています。

 仕事はめちゃキツイですよ、なにしろあの都知事ですからね? 毎日が地獄ですよ、地獄。

 せっかく地獄を免除されたのに、もっと地獄」

 「ねえねえ、その宝くじってどこで売ってんの?」

 「売り物じゃありません。前世で行いが良い人の中から宝くじを引くための補助券がもらえるんです。

 その補助券10枚で1回だけくじを引くことが出来るのです。

 私の場合は補助券が50枚だったので、5回引いて5回目でやっと当選しました」

 「その補助券はどこでもらえるの?」

 「佐川鈍便か、ヤマネコヤマトが配達してくれます」

 「宅配便で?」

 「はい。でも死ぬ前の人間には戻れませんよ、死んだ人が生き返ったら気味が悪いですから」

 「そりゃ驚くよな? もう死んで火葬されてるんだから」

 「そして、辛いこともあります」

 「辛いこと?」

 「死ねないんです、2度と」

 「死ねない? いいじゃないの不死身! 不老不死! 最高じゃん!」


 するとその男は悲しそうな顔でこう言った。


 「死ねないんですよ。どんなにイヤな事があっても死ねないんです。ずっと。

 それって人生を遣り直すことが出来ないということなんです。

 今が辛くても、徳を積めば来世ではチョットはマシな生き方が出来るかもしれないのに。

 つまり貧乏人はずっと貧乏のまま。悪徳政治家はずっと悪徳政治家のままなんて地獄ですよ。

 そして私はずっと公務員のままなんです」

 「いいじゃないの公務員。親方日の丸が一番だよ。ね、ね、ね。生き返るコツって何かあるの?」

 「良い行いをすることですね? 人に親切にするとか。そして「ありがとう」のスタンプで、この『人生親切スタンプ・ラリー・カード』をいっぱいにすることです」

 「よーし、なんだか生き返る勇気が湧いて来たぞー!

 俺、岸谷総一郎。あんたは?」

 「山田太郎と申します」


 山田は俺に名刺を渡した。


 「なんだか役所の用紙にある記入例みたいな名前だな?」

 「死ねないので、ありふれた名前なんです。

 これは自分では決められません。神様がお決め下さいます。

 女性の場合は山田花子です」

 「どうせなら高倉健とか、木村拓哉とかにしてもらいたいなあ。

 「不器用なもんで」とか「やっちゃえ、おっさん!」とか言ってみたい」

 「おそらく、岸谷さんも山田太郎ですよ。

 僕と同じ、同姓同名」


 「それでそのカードはどこでもらえるんだ?」

 「上野動物園の近くにある、どうぶつたちがバイトをしている深夜営業のコンビニ、『アニマル・マート』でもらえます」

 「わかった! 早速これからもらいに行ってくるよ」

 「どうぶつたちがバイトのシフトは夜の20時から朝8時までですからね?

 年中無休です。お気をつけて」

 「ありがとう。大丈夫だよ、気をつけなくてももう死んでるから」

 「あははは そうでしたね? 忘れていました。ではがんばって下さい」


 山田太郎は都庁へと帰って行った。



 よし、これはいいこと聞いちゃったぞ!

 さあ頑張るぞー! 親切、親切っと!


 総一郎の魂はドラえもんのアルミバルーンのように一段と軽くなった。



第9話

 親切、親切。さーて、誰か困っている人はいないかなー?

 おや、あそこにバスを待っているおばあちゃんがいるぞ。

 かわいそうに、あんな後ろに並んでいる。

 あれじゃ今度のバスには乗れないなあ。

 よーし、いちばん先頭に並んでいる若者のカラダを借りて、先頭にしてあげよーうっと。

 親切、親切ーっ! 月に替わって親切よーっ!



 「もしもし、おばあさん。よかったらボクと順番を代わっていただけませんか?」


 するとそのおばあさんはキッとした目で私を睨みつけると、


 「アンタ、今はやりの「もしもし詐欺」だね? 騙されないよ、あたしゃまだボケてないんだから!

 何が目的だい? カネかい? それともアタシのカラダが目当てなのかい?

 みなさーん! この男、もしもし詐欺ですよー! 誰か助けてー!」

 「違いますよ、違いますって! おばあさが後ろで並んでいるのが大変だろうと思って。

 次のバスには乗れないかと心配したんですよ!」

 「おばあさんだと? 兄ちゃん、アンタ誰に向かって言ってんだい!

 あたしゃこれでも大池都知事と同じ89才だよ! バカにすんじゃないよ、この仮性包茎の童貞が!」

 「お、おばあちゃん、大池さんはまだ70才ですよ!」

 「アンタまたお婆ちゃんて言ったね! この無礼者!」


 おばあちゃんは杖で俺を、いや、この若者を何度も叩いた。


 「痛い痛い! やめてください、おばあちゃん!」

 「早くどっかにいっちまいな! このボケ童貞が!」



 ごめんねお兄さん。ひどい目に遭わせちゃって。

 次だ次。




 すると大きなビルからレバノン人らしき人が出て来るのが見えた。

 あれれ、あの人はテレビで見たことがある顔だぞ。

 えーと、えーと誰だっけ? 

 そうだ! オッサン自動車のカルロス・ガーンさんだ!

 作業服を着ているが間違いない!

 なんで作業服なんか着てんだろう? そうか、工場の視察か!

 これから工場をサプライズで訪れて、非正規雇用の人たちを労うつもりなんだな?

 さすがはガーンさん、派遣社員にまで気を配るとは、なんて偉い人なんだ!

 よし、あのお巡りさんに憑依して手助けしてあげないと。

 親切、親切。



 「オッサン自動車のガーンさんですね? これからどちらへ?」

 「わ、わ、私はオッサンのガーンではない! 私は日本に電気工事を学びに来た、レバノン人のカルロス・トシキと言う実習生だ!

 断じてガーンなどではない! 人違いだ!」

 「そうですかー? 国の税金をこのチャイナ・ウイルス禍のどさくさに紛れて、1,300億円も貰っちゃって、2回もスピード違反で捕まったトロタクを使ってジャンジャンCMで「やっちゃったな、オッサン?」を連発した、あのオッサン自動車のガーンさんではないのですか?」

 「違う違う! それは私が捕まった後のことだ!」

 「ほら、やっぱりオッサンのガーンさんだ!」

 「違う! 私はオリジナルの技術なんてなんにもない、あの真面目に頑張っているオンダやヨヨダ自動車みたいな会社ではない! 「技術の何にもないオッサン」じゃない!

 殆どパクリだ!

 それが証拠に私は通勤にはポルシェを使っている! オッサンには乗らん! 乗り心地は悪いし、後部座席は狭いし性能が悪いからだ!

 第一私はトロタクが嫌いだ! CMなんかいくらホクホク堂がおべんちゃらを使って銀座で接待されても私は使わん!

 仲間だった草本が公園で酔っぱらってパンツをおろしただけであんなに罵倒したのに、自分の交通違反はヨヨタさんに揉み消してもらった恩知らずのあんな奴、オッサンの看板には使わん! 絶対にだ!

 あれは私をオッサンから追い出そうと画策した、意地汚い経営陣の仕業だ!

 私は危うく織田信長の本能寺の変にされるところだったんだ! アブナイアブナイ。

 とにかくそこをどいてくれ! 元グリーン・ベレーの救出部隊が迎えに来ているから!」

 「私はあなたに同情しているんですよガーンさん!

 レバノンから日本に来て、コストカッターとか言われて大改革を断行したあなたを尊敬しています!

 無能で欲深なオッサン自動車の経営陣にイヤな仕事はすべて押し付けられ、業績がV字回復すると今度は追い出されちゃった。

 なんてかわいそうなガーンさん」

 

 その時だった、そこへ背広の人たちがいっぱいやって来て、


 「お手柄だよ君、よくコイツがオッサンのガーンだとわかったな?

 もう大丈夫だ、ありがとう。

 おい、お前はカルロス・ガーンだな? そんな変装をしても無駄だ。

 なんだその間抜けな作業服姿は!

 東京地検特捜部だ! 観念しろ!」

 「がーん! お前のせいで捕まっちゃったじゃないか、バカバカ!」


 えっー、聞いてないよー、東京地検特捜部だなんてー!

 有罪率99.9%なんでしょう? 松潤が言ってたもん。やっても濡れ衣でも? 睨まれたら最後のその人たちなの?

 あの人気ドラマ、トロタクとかメリー羊みたいなビジュアルだけで頭が空っぽのチャライ検事さんならよかったのにね。

 梅たか子の方が良かったな、あとアベベ寛とかの前作の方が。

 トロタクのド下手な演技を、脇で支えていたもんなあ。

 美鈴さんも良かった。セクシーで。

 

 なんだっけあのドラマ? 歳のせいか名前が出て来ない。

 えーと、えーと、イチロー? ジロー? サブロー? 

 そうだ! 『YUJIRO』だ

 ヒーローだから石倉裕次郎!

 お兄ちゃんは目をぱちくりしているエロジジイ。息子はあのサリンをばら撒いた新興宗教『九官鳥』で曼荼羅を描いていたという、あのバカ息子たちの親。当たらない天気予報の息子は、いつもバカ同志で元プロ野球の二世タレントと、たまにバイオリンだけ高いオバちゃんと出てるもん。

 高嶋ちち子。

 ちち子にストラディヴァリ? あはははは。

 俺、嫌いなんだよな、「どうだー! 上手いだろうーっ!」って音楽するヤツ。


 あのコメディー・ドラマはお腹抱えて笑っちゃったよ。

 「角野卓造じゃねえし!」のステラおじさんも出てたな?

 それにしてもテレビの人は一度、心療内科を受診した方がいい。

 あんな二枚目気取りのチャラい俳優を飛行機のパイロットにしたり、検事にまでしちゃって、おまけにタモさんまで有罪にしちゃうんだから恐ろしいよ、まったく。

 人の命や運命を決めちゃう職業だよ、顔で選ぶなよ顔で。ちゃんとスーツを着ろっつーの!

 知り合いの女優の○○ちゃんが言っていたよ、


 「あんな演技がクソ下手なヤツ、出演者やスタッフにも気遣いもないし、ただの元ヤンのチンピラだよ。二度と共演したくないわ!」って怒ってたもんなあ。

 なんでそんなにアイツが嫌いかって?

 俺がふられた明美ちゃんが大ファンだったからだよ! くそっ!



 まあそんな話はどうでもいい、東京地検特捜部だよ! 特捜!

 あの森友理事長夫婦を起訴しちゃった検察の、ウルトラエリート特殊部隊なんでしょう?

 他のもっと悪いこと、えげつないことを平気でやってる大物政治家は野放しにして、どうでもいいような雑魚議員ばっかり有罪にして「これが検察の正義だ!エッヘン!」とか言っている、東大法学部卒集団の人たちなんだよね?

 かわいそうなハンナ元議員、あんなに美人で政治家として何もしていない、ただの民自党のマスコットだったのに。

 あんなにやつれちゃって。


 ハンナちゃんが逮捕されて有罪なら、日本の政治家、村議会議員も含めてみんな死刑だよ、死刑。

 新幹線で元『速度』のアイドル国害議員が手を繋いだり、何回も懲りずに浮気してバラエティー番組に夫婦で自虐出演したり、バッカじゃねえの?

 二世議員のボンクラ議員なんてアメリカじゃないけど懲役568年だよ。

 白人って本当にバカだよね? 無期懲役でいいのにさ、そんな568年も生きちゃいないよ、ドラキュラ伯爵や、夜マック店長じゃあるまいに。

 

 いや待てよ、魔女狩りやエクソシストの国だからそんなのも混じっているのかもしれないな?

 まあいいか? この巡査さんが昇進して巡査部長になれるはずだから。

 両津勘吉より上だもんな?

 親切って気持ちがいいなあ。

 これで補助券100枚は貰えるはずだ。うふっ



第10話

 「ちわーす! ヤマネコヤマト、冥界メールでーす!」

 「あっ、どうもどうも、ご苦労様です」


 遂に来た! あれ? 地獄閻魔審査評議会 事務局? まあいいや。補助券、補助券! 何回引けるのかなあ?   

 『クーちゃん黄泉がえりジャンボ宝くじ』、楽しみ楽しみ。

 俺、いいコトたくさんしちゃったもんねー。ワクワク


 お金に困っているドロボーさんの侵入を手助けしたり、政治家になりたいボンクラ二世のバカ息子を当選させたり、彼女が一度も出来たことがない男に衛生的な風俗店を紹介したり、がんばったもんなー、俺。

 

 でもなんだかヘンだぞ? 封筒が薄い、そして真っ赤なグロい封筒・・・。

 しかも「重要、至急開封して下さい」と書いてある。

 恐る恐る開けてみると、




    岸谷総一郎 殿         

                              地獄閻魔審査評議会

                              会長 閻魔ゆかり


  

                地獄行き決定通知書




   この度はご愁傷様でした。          

   『クーちゃん黄泉がえりジャンボ宝くじ』は応募者多数のため、やめちゃうことに

   しました。

   今後とも岸谷様の益々の浮遊霊としてのご活躍を期待しております。

   ゆるしてチョンマゲ。



   追伸 

   

   それからあなた様はみんなから大変愛されていたことが判明しましたので、地獄で

   罪を償うことが許可されました。

   来週の四十九日で地獄行きとなりますので、生前、お世話になったみなさんに、改め

   て暇乞いを済ませておいて下さい。


   地獄で十分反省し、なるべく早く甦ることをお祈りいたします。

   では地獄で待ってまーす、うふっ


                            

                                   以上





 どうしよう! 大変だ! 四十九日が終わったら地獄行き確定だなんて!

 それにまた「暇乞い」しろって?




 公園のポプラの樹の上で地獄からの通知書を読んでいると、木の下で山田太郎さんが俺を呼んだ。


 「岸谷さん、岸谷さーん」


 私は山田さんのところへ降りて行った。

 

 「ガッカリだよ山田さん、ちょっとこれ見てよ」


 山田さんはそれを見ると喜んでくれた。



 「良かったですね! これで岸谷さんも死ねるじゃありませんか!」

 「地獄ですよ、地獄。

 全然良くないじゃないですよ。やだなあ、地獄なんて」

 「仕方ないですよ、99%の人は地獄行きなんですから」

 「そうなの? ところで山田さん、この『暇乞い』って?」

 「それは自分が「死にましたからさようなら」と、自分が死んだことを知らせに行くことです。

 自分が会いたい人に」

 「それは知っていますよ。葬式は終わったからみんな俺が死んだことはもう知っているし」

 「岸谷さんが死んだことをまだ知らない人たちにですよ。

 暇乞いとは女性の場合、その人のお家の台所から。そして男性の場合はトイレからお知らせに行くことになります」

 「やだなー、トイレなんて。

 ウンチとかオシッコの溜まっているところから出て行くの?」

 「でも今は殆どが水洗トイレのお宅ですから大丈夫ですよ」

 

 俺は思った。でも新潟の小夜の家はまだ汲み取り式トイレだったはず。


 「だからトイレと台所はいつもキレイにしておかないといけません。

 死者の玄関口ですから」

 「いいなあ、山田さんは死ななくて」

 「私は岸谷さんが羨ましいですよ。いいですね? 死ねて」


 山田さんは急に寂しそうな顔をした。


 「何でだよ? みんな死にたくないからがんばって生きているんじゃないの? 嫌なことも辛いことも我慢してさあ! 死にたくないから生きているんじゃないか!」

 「そう思いますよね? 普通は」

 「何で死ぬのが羨ましいの?」

 「それは自分をリセット出来るからですよ。

 前世とは違う自分として、新たな人生の旅が始まるからです。

 すべてをゼロにして生まれ変われるんですよ。

 生きるということは喜怒哀楽の積み重ねです。

 いいこともあれば悪いこともある。忘れてしまいたいイヤなこともたくさんあります。

 もちろん、むやみやたらに死ぬことは神様の意に背くことになりますから、自殺などもっての外です。

 どんなに辛くても、苦しくても自分の寿命を全うしなければなりません。

 その寿命を全うした時、すべてをこの世に置き去りにしてあの世に帰るのです。

 そして自分が犯した多くの罪を地獄で償うと、後は自分が生きていた時にされた「人からの感謝」の数や大きさによって、新しい人生のステージが決まるのです。

 人からいっぱい「ありがとう」を言われた人は、経済的にも、人にも恵まれる幸福な人生が待っています。

 あるいは人を嘲笑あざわらった人はその嘲笑った人と同じか、それ以下の状態で徳を積む人生になるのです。

 つまり、死なないということは自分の辛い、悲しい記憶から永遠に逃れられないということなのです。

 ゾンビみたいに生きるようなものです」


 そう言って山田太郎さんはトボトボと去って行った。



 人から「ありがとう」と言われるような人生を送ることで、幸せに近づけるということかなのか?

 沢山の「ありがとう」が溢れた世界、それが天国なのかも知れないなあ。

 

 俺はたくさんの「ありがとう」を言ったとは思うが、「ありがとう」と言われることは少なかったかもしれない。

 ああ、なんでもっと人に親切にしなかったんだろう。

 どうせ総理大臣とか、社長とか、キムタクにはなれないんだろうなあ。

 でも人生に後悔のない人間なんているんだろうか?

 そんなの『北斗の拳』のラオウくらいだ。

 

 とにかく時間がない。暇乞いをしに行かないと。

 幼馴染みの小夜にはまだ、俺が死んだことは知らないはずだ。


 俺は小夜の田舎のポットン便所へワープすることにした。



第11話

 小夜は田舎の幼馴染みだった。

 保育園から高校まで、ずっと一緒だった。

 ふたりとも成績はいつも中の上。

 俺は野球部でセカンド。レギュラーだったり、外されたり。

 そして小夜はバレーボール部で、レギュラーだったり外されたりしていた。

 どちらも県大会では初戦敗退の弱小チームで、部活にはあまり熱心な高校ではなかった。

 俺たちは至ってフツーの高校生だった。


 俺と小夜は兄と妹というより、長年連れ添った夫婦のような関係だった。

 保育園の時のおままごと遊びでもそうだった。


 「あなた、仕事が終わったらまっすぐ帰って来るんですよ。

 お酒を飲んで、カラオケなんかしないで下さいね」

 「わかってるよ」

 「ハイ、ご飯ですよ」


 と、小夜は泥団子を俺に差し出す。


 「ムシャムシャ」と、食べるフリをする俺。

 「おいしい?」

 「うん、おいしい」

 「ハイ、お替わりをどうぞ」


 と、小夜はまた、泥団子を俺にくれた。



 高校生になってすぐ、俺と小夜は付き合い始めた。

 告白は俺からした。


 「小夜、俺と付き合ってくれ」

 「もう付き合ってるじゃん」


 夏の夕暮れ、カエルの鳴き声と蝉時雨が聞こえていた。

 部活を終えた俺たちは、田んぼの畦道あぜみちを一緒に歩いて帰った。

 

 突然、小夜のお気に入りの麦わら帽子が風に飛ばされ、田んぼに落ちてしまった。


 「あっ」


 幸いなことに、帽子は稲に引っ掛かり、水田に浸かったのはごく僅かだった。

 だが、それを取るには水田の中に入らなければならない。

 田んぼに落ちた帽子を取りに行くために、小夜は靴を脱ごうとした。

 だが俺はそれを止めた。


 「俺が取って来てやるよ」


 俺は靴を脱ぎ、ズボンを捲って水田の中に入って行き、小夜の帽子を拾ってやった。


 「汚れちゃっ・・・」


 と、俺が言いかけた時、小夜が俺の口をキスで塞いだ。

 

 「ありがとう・・・、総一郎・・・」


 それが俺と小夜の初めてのキスだった。




 高校を卒業すると、小夜は新潟市内の短大へ進み、俺たちは別れた。

 何で別れたのかは今はもう思い出せない。

 おそらく遠距離による自然消滅だったのかもしれない。

 俺は東京で就職し、彼女は新潟だったから。

 


     遠くの恋人より 近くの他人



 そんな理由だったはずだ。

 

 風の噂では、小夜は同じ会社の男性と結婚したがうまくはいかず、離婚して中学生の娘さんを連れて実家に帰っていると聞いていた。




 俺は小夜の実家のポットン便所から小夜のところへやって来た。

 


 「なるほど、山田さんの言った通りだ。

 でも、綺麗にしてあって良かった。ウンチも付いてないし」


 もちろん、小夜に俺の姿は見えてはいない。

 俺は自分の存在を知らせたくて、少し強めにドアを開閉した。

 小夜は台所で夕食の支度をしているところだった。

 少し歳は取ったが昔の面影はまだ残っていた。


 小夜、美熟女になったなあ。



 「香織、お爺ちゃんを呼んで来て、ご飯出来たよって」

 「うん、わかった」


 娘さんは旦那似なのかな? かわいい子だった。もう高校生なんだ。

 俺と小夜が結婚したら、どんな子供が生まれていたんだろう?

 小夜が便所の音に気付いた。


 「あら? トイレのドアが開いた気がするけどお父さんかしら?」

 

 するとそこへ父親の次郎さんがやって来た。

 男の子が欲しかった次郎さんは、よく俺とキャッチボールをして遊んでくれた。


 「総一郎、もっとスナップを利かせて投げてみろ、こんな風に」


 それはまるで『巨人の星』の星一徹のようにスパルタだった。

 次郎さんは俺に甲子園に行かせたいようだった。

 甲子園は次郎さんの夢だったからだ。


 次郎さん老けたなー。昔、地元のスナックのママとの浮気がバレて大変だったが、もういいお爺ちゃんになっちゃって。

 


 「あらお父さん、いたの? さっきトイレのドアが開いた音がしたからお父さんなのかと思った。

 だとすると誰? なんだか気持ちが悪いわね?」

 「誰かの「暇乞い」じゃねえのか? 誰かが亡くなったのかもしれねえな?

 便所なら男だな? 山ちゃんかもしれねえ? 胃がんで新潟大学病院に入院しているから、いよいよになったか?」

 

 するとその時、小夜の携帯が鳴った。親友の幸子からだった。


 「小夜、聞いた? 総一郎が交通事故で死んじゃったんだって・・・、まだ若いのに」

 「・・・」


 小夜の携帯を持った手がだらりと垂れ下がり、小夜はその場に泣き崩れてしまった。


 「小夜、小夜! 大丈夫!」


 携帯からは、小夜を呼ぶ幸子の声が聞こえていた。



 「どうした小夜?」

 「総一郎が、交通事故で・・・」

 「そうか・・・、俺はアイツがお前と一緒になるとばかり思っていたけどな。

 残念だったな、いい奴だったのに・・・」


 次郎さんも泣いてくれた。

 ティッシュで涙を拭いていたが、それには何枚もティッシュが必要だった。


 「ママも爺ちゃんもどうしたの?」

 「ママの初恋の人がね、死んじゃったんだって・・・」


 小夜、本当にありがとう。

 ありがとうございます、次郎さん。

 どうか俺の分までしあわせになって下さい。

 小夜、悪いけどトイレットペーパーをワン・ロール、貰って行くからな?

 俺も涙が止まらないから。


 俺は妖怪「いったん木綿」のようにトイレットペーパーをひらひらさせて、泣きながら東京へと戻って行った。

 



最終回

 暇乞いは終わった。

 小夜が泣いてくれた。俺のために泣いてくれた。

 そして次郎さんも。

 俺はそれだけで十分だった。

 


 女房の裕子は、まだ田吾作と懲りずに付き合っているようだし、総務の美香ちゃんも営業の三上との婚約が決まり、高山もようやく平常の食欲に戻っていた。


 「あー、腹減ったー。今日は『すたみな次郎』だ! ごっつあんです!」



 コーギーの小太郎には俺が見える。

 小太郎は喜んで仰向けになり、お腹を見せた。

 俺は小太郎のお腹を撫でてあげた。

 コーギーにはしっぽはないが、喜んでいるのはわかる。

 「パパ!もっと撫でて!」と、はしゃいでいた。



 親父は腰痛が悪化したようだが、重篤な病気はしていないようだった。

 おふくろはいつも通り、元気な様子。

 長生きしてくれよ、親父、おふくろ。



 唯に会いたい。

 娘に会って俺が怒っていないことを伝えたい。

 俺は唯のいるカフェに瞬間移動した。

 偶然、そのカフェの前の道を小説家の猫山狸吉が歩いていた。

 猫山は官能小説家だったが、なんと唯は猫山の大ファンだったのだ。

 

 生前、女房の裕子が俺に見せたことがあった。


 「ちょっとちょっと、これ見てよー。

 『濡れた花弁 マーマレードの夜』だなんて。

 唯のベッドの下に挟まっていたのよ、まったく。あの子ったらこんないやらしい本を読んでいるなんて。

 きっとあなたに似たのよ、あの子」


 お前は田吾作ともっと凄い、文章にするにも憚れるような事をしているくせに。

 いや、絶対にお前だ。唯はお前に似たんだよそこは。


 

 俺はすぐに作家の猫山に乗り移り、店内に入って行った。

 そして唯のテーブルに近づいて行き、唯に話し掛けた。


 「お嬢さん、生憎このカフェは満席でしてな?

 ご同席させていただいてもよろしいか?」


 カフェはがら空きだった。

 猫山は電撃ネットワークの南部のような風貌の男だった。

 彼の持論はこうだ。



      エロこそ生きるエネルギーなのだ!



 唯は猫山を見て歓喜した。


 「も、もしかして変態官能小説家の菊池、じゃなかった猫山狸吉先生ではありませんか!」

 「いかにも。私は猫山だが変態ではない、ただの官能小説家じゃよ、ただの巨匠じゃ」

 「私、ファンです! 握手して下さい!」


 ちょっと複雑な心境ではあったが、ま、いいか。私は唯と握手をした。


 「んっ? なんだかパパの手の感触と似ている。とってもやさしい手。

 狸吉先生の手って、死んだ父にそっくりです。 

 なんだかパパが猫山先生に憑依しているみたい」


 俺は死にそうに驚いたが、もう死んでいたんだっけ。


 「そ、そうでしたか? お亡くなりになったお父上と手の感触が似ていると。

 それは大変でしたね?」

 「やさしい娘想いの父でした」

 「良いお父上だったんですね?」

 「はい、とっても。

 でも父が亡くなる前日にケンカしちゃって、それが心残りなんです。

 父と仲直りしたかったんですけどね?」

 「でも心配いりませんよ。多分、パパ、いや俺、じゃなかったお父上はわかっていると思いますよ。

 けっして怒ってなんかいないはずです。

 ウエイトレスさん、クリームソーダをひとつ下さい、ミドリ色のメロン味のやつ」

 「かしこまりました」

 「ところでここのクリソーにはサクランボが付いていますか?」

 「はい、付いておりますがサクランボ抜きにしますか?」

 「いや、クリソーにはサクランボが無いといけません。

 もし付いていなければ、付けてもらおうと思いましてね?」

 「そうでしたか? では、そのままお持ちしてもよろしいですね?」

 「お願いします」


 唯が笑った。

 

 「それも父と同じです。クリームソーダにはサクランボだって、いつも言っていましたから」

 

 やばいやばいゾ、ついいつもの癖が出ちゃった。


 「狸吉先生の最新作『未亡人、裕子の後ろから前からどうぞ』には感動しました!

 あの未亡人、裕子が心とは裏腹に田吾作を拒むシーンには凄く興奮しました!」

 「ああアレね? そう、読んでくれたんだ。ありがとう」

 「先生の格言「エロこそ生きるエネルギーなのだ!」って、私、携帯の待ち受けにしているんですよ」


 ダメだよ唯、やめなさい、女の子がそんな待ち受けなんてしちゃ駄目!


 「お待ちどう様でした。メロンクリームソーダです。サクランボ付きの」

 「これこれ、ありがとうございます」


 俺はいつものようにサクランボを口に入れ、種を紙ナプキンに出すと、その枝を口の中で結んで同じように紙ナプキンに出した。

 そしてアイスクリームをゆっくりと食べ始めた。


 すると、それを見ていた唯が叫んだ。


 「パパ・・・、パパなんでしょう! パパだよね! 絶対にパパだ!

 私にはわかる! パパの娘だから! パパーっ!」

 「ち、ちがいますよ。人違いです。私は官能小説家の猫山狸吉です。 

 岸谷総一郎さんなんかではありません! 唯のパパなんかじゃない! 絶対に!」

 「パパーっつ!」


 唯が俺に抱き着いた。

 

 「ごめんねパパ。あんなこと言って・・・」


 俺は黙っていた。

 思い切りこの手で唯を抱き締めたかったが、我慢した。必死で我慢した。

 俺は静かに言った。


 「もちろん私はお父上ではありませんが唯さん、じゃなかったお嬢さん。お父上は怒ってなんかいないと思いますよ。だからお願いです、泣かないで下さい。

 ありがとう。ありがとう唯・・・」


 どちらにせよ、どうせ俺は地獄行きだ。

 愛しているよ、わが娘、唯!



 「パパ、今まで娘の私を大切に育ててくれて本当にありがとう。

 パパのことは決して忘れないからね?」



 するとカフェの天井が消え、天から黄金のエスカレーターが伸びて来た。

 俺の魂が猫山から離れて行く。

 そのエスカレーターの先端には、白髭の老人が微笑んでいた。


 「ではそろそろ参ろうかのう? 岸谷総一郎君?」

 「あのー、地獄にこの豪華な金のエスカレーターで行くんでしょうか?

 それにあなた様はとても地獄の使者には見えませんけど?」

 「フォフォフォ、ワシが地獄の使者に見えるかのう?

 ワシはお前がよく知る者じゃよ。

 お前のことはいつも見ておった。天国からな?

 合格じゃよ合格。追加合格。

 岸谷総一郎、お前を天国への入国を許可する。

 ほれ、これが天国へのパスポートじゃ。ご苦労様」


 その美しいエメラルドのような瞳のご老人は頭に茨の冠を被り、薄っすらと血が流れていた。

 両手には楔の跡が残り、白い絹の服には血が滲んでいた。


 「もしやあなた様は・・・」


 その老人は何も言わず、私の手を取り天に続くエスカレーターを昇って行った。

 いかに多くの「ありがとう」を集めたか?

 人に惜しまれる人生を送ったか?

 それが天国へのパスポートに書かれていた。

 そしてそのパスポートの最後のページには、「たいへんよくできました」のスタンプがびっしりと押されていた。

 まるで幼稚園のお通い帳のようにびっしりと。


  

                       『俺 パパです 死んじゃいました』完




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【完結】俺 パパです 死んじゃいました(作品230814) 菊池昭仁 @landfall0810

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