第6話

 ウサギを飼い始めて1ヵ月半が過ぎようとしていた。

 毎日の水の交換、エサの補充は欠かしたことがない。ゲージやトイレの掃除も手慣れた。爪切りは最初緊張したけれど、ウサギは僕相手だととてもおとなしいから、まったく問題なく終えることができた。うんちは正常で下痢は一度もない。遊ぶのが好きでよく動き回るから、肥満ともほど遠い、

 トラブルが起きるかもしれない、病気になってしまうかもしれない、そう危惧していたのがウソみたいにウサギは健康的で明るい。今日も元気よく跳ねまわり、いまは疲れたのかラグの上でまるくなって気持ちよさそうに眠っている。


 すべてが順調なのに、僕の心は晴れない。


 僕はウサギを起こさないよう慎重に起き上がると、ソファーに身を預けた。机の上で充電してあったイヤホンをつかみ耳にはめる。ノイズキャンセリングは不必要な生活音を完璧なまでにシャットダウンし、僕を窓も扉もない密封された空間へと閉じ込めてくれた。そのままスマホに目を落とし、アプリをタップする。途端に派手な爆音が流れ、原色すぎる画面が目にちらついた。


 ずっと休日は苦手だった。

 予定らしい予定はないのに、僕はいつも時間に追われていた。


 SNSをチェックする。ゲームをする。お気に入りの動画が更新されたらそれらを閲覧する。録画していたアニメや配信された映画見る。大学の課題をこなす。それが僕の休みの全てだった。


 課題はともかく、それ以外のことは別にどうにでもなる。すべてを一度にやる必要もないし、義務もない。おもしろくなければ途中でやめてしまえばいいし、そもそも途中で放棄してもいい。

 でも、僕は強迫観念にかられたように、それらを消化することに専念していた。


 間に合わらないからだ。


 あらゆる流行が、アクセルをベタ踏みしたスポーツカーのごとく走り去っていく。

映画化されて興行収入を何億も稼いだアニメも、放送が終わるともう誰も口にしなくなる。毎夜ボイスチャットで賑わっていたゲームも、別の新作が出たら一気に過疎化する。皆が可愛いと騒ぎ立てたキャラクターも、バズって話題になったセリフも、蛇口から排水溝へ流れる水のごとく記憶にとどまるより前に忘れ去られていく。


 1つの曲が流行はやったら全員が口ずさめる、そんな時代は終わった。


 コンテンツは無尽蔵に溢れかえり、次から次へと新しいものが生まれていく。サイクルは恐ろしいほど早く、24時間ではとてもじゃないが対応しきれない。さらに分単位でトレンドは移り変わり、ついこの前まで標準だったものがあっという間に死語へと変貌する。次はこれ、その次はこれ。僕らは周回遅れにならないようついていくのに必死だ。


 だからすこしで効率をよくするためにどんな動画も倍速で見る。媒体ごとに別々のものを映して同時に視聴するなんてこともざらだ。内容はなんとなくわかればいい。おもしろいとかつまらないは二の次だ。あげくにすこしでも冗長なシーンがあれば飛ばしたり、ほかの情報をチェックしたりする。

 テレビでゲーム、タブレットで動画、スマホでSNS。激務のサラリーマンより僕らは忙しい。


 毎日プレイしているスマホゲームがある。

 サービス初期からずっとやっていて、ログインしなかった日はない。メインストーリーは最新話までクリア済み、PVPも上位トップクラスには敵わないが、いまのレベル帯での勝率は悪くはない。課金もわずかながらしていて、我ながらかなりやりこんでいると思う。


 でも、なにが面白いのかわからない。


 そもそも始めたきっかけも、事前登録人数が過去最高を記録したとか、当時の友達がやるとか言っていたからとかで、僕個人の意思ではない。それでもけしてすくなくはないデイリーミッションを欠かさずこなし、無料のアイテムをもらい、それがたまったらガチャを回す。

 時折、強いキャラクターが当たったときはおもわずガッツポーズをするけれど、すぐにそれを育成するための手間と時間にげんなりする。季節限定のイベントも、もう熱心にやってはいない。

 スタートから差をつけるために何度もインストールとアンインストールをして手に入れたキャラクターも、ゲームバランスのインフレが進み、とっくの昔に戦力外だ。倉庫で眠ったまま、パーティの選択肢に入ることすらない。


 とっくに飽きているのに、僕はそのゲームをやめない。

 どうしてって? まわりがそれをやっているからだ。


 たとえそれが顔すら知らない、たまたま相互フォローしただけの希薄な関係だとしても、みんながプレイしているなら、僕はそれを続けなくてはいけない。


 どこかの動画配信者が上から目線で語っていた、他人なんか気にせず、自分の好きなものだけを追求すればいいと。


 そいつは何もわかっていない。

 元よりやりたいことなんてない。


 そしてなによりも“同じ”であるというのがはるかに重要なのだ。


 子供の頃、大ヒットした映画があった。人の生死をテーマにした、感動のヒューマンドラマだ。

 難病を抱えた少女と冴えない少年が心を通わせ、2人で手を取り合いながら困難を乗り越え、最後はヒロインの病気も奇跡的に回復に向かい、そのまま結ばれるという内容だった。


 今世紀の最大の感動作というキャッチフレーズで、それまでの記録を塗り替えたとか、動員人数もかなりのものだったらしい。

 僕も当時の友達に誘われ、わざわざ電車を乗り継いで駅前の映画館まで足を運んだ。泣けると謳われていたこともあり、僕はすくなからず期待をしていた。


 だが、結果は一言「つまらない」だ。


 すべてができすぎていた。あまりのご都合主義にイラつきすら感じたほどだ。

 ヒロインは学校一の美少女、それなのにたいしたことないクラスメイトと恋に落ちる。まず、そんなことが現実で起こりえるはずがない。容姿能力財産。男女問わず、人はなにかしら強みのある人物に惹かれる。朴訥ぼくとつで平均以下の人間など眼中にすらない。


 そもそも主人公はモテないという設定らしいが、演じている俳優は若手アイドルのイケメンで説得力のかけらもない。挙句にあれだけ助からないと医者が諦めていたにもかかわらず、寛解かんかいしてハッピーエンドだ。


 フィクションだからと言われればそれまでだが、どうしても作り物感がひどくて物語に没入することができなかった。むしろ途中から早く終わらないかとあくびを我慢するので精一杯だった。


 いまでこそネットの意見を見れば、マイノリティだけど同じことを指摘している人はいて、僕の苛立ちも間違いではないと自信を持てるが、そのときはそうではない。これが今年最も売れている映画で世間が絶賛しているものなのか、自分の感性が狂っているのかと不安になるほどだった。


 だが、隣にいた友人は違った。彼は泣いていた。

 男性でありながらも大粒の涙を流し、半分以上残っているポップコーンを食べるのもやめ、コーラが氷で薄まるのも気にせず画面に釘付けになっていた。


 さぞかし退屈しているだろうと高を括っていたから、僕はその様子に驚きを隠せなかった。


 慌ててハンカチを取り出し、目元を拭くふりをする。

 相手が感動だと思うなら、それが正解だ。僕個人の意見なんてどうでもいい。


 おもしろいよね可愛いよねすごいよね楽しいよね。


 当たり障りのない肯定だけを選んで同調すればいい。不和を生む批判的な発言なんて誰も求めていない。議論なんていらない。ただ「はい」と頷く。社会が欲しい人材もそういう人間だ。慢心な自己主張など、面接官の眉を険しくさせるだけにすぎない。


 もし誰かに感想を求められたら、いくらでもあるネットのコメントをうまくつなぎ合わせてそれっぽく賛同しよう。


 同じ髪形で、無地の服を着て、一緒のスマホを右手に、流行りの飲み物を左手に、横一列で仲良くゴールをする。どうしてその事件が起こったなんて考えなくていい。理由なんて知らなくていい。試験に出るから覚える。そう生きろと子供のころから教えられてきた。


 僕らは他人と“同じ”だと安心する。

 “違う”と恐怖する。


 だから、僕は眠い目をこすってでも話題のアニメを見る。

 それについて語る人がいないとしても、眼前の光る点滅を脳が知覚しているだけだとしても、僕はそれをやめない。


 ウサギの世話をしないといけないことで、それらの同調意識はすこし薄れた。それでも、僕のなかで“同じ”でい続けなくてはならないという強迫観念は消えない。


 “同じ”ということが、僕と世界を結ぶ唯一の証明なのだ。


 どんなに狭い界隈のなかだけだとしても、ただの自己暗示だとしても、“同じ”でなくなった時点で輪から否定され孤立する。


 暗い部屋のなか、スマホから発せられる光は絶えず変化し、僕の眼を赤や青へと染めた。


 誰よりもこの世界からいなくなりたいと願いながら、誰よりもこの世界から切り離されることに怯えている。


 僕は愚かだ。

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