第3話

 僕は今年20歳になった。


 高校を卒業し地方から上京してきて約2年、ずっとこのマンションで1人暮らしをしている。

 メインのベッドルームは約11畳。キッチンとの仕切りはないとはいえ、1人で住むには十分すぎる広さだ。風呂トイレもユニットバスではなく別々で、浴槽は深く大きい。築年数も浅く、ほぼ新築といって差し支えない。外観は洒落ていて、7階建てという高さと相乗して近辺とは逸脱したファッション性をもたらしている。見た目だけでなく、最寄りの駅からも徒歩数分の距離と利便性にも事欠かない。24時間開いているコンビニも近くにあるので、深夜にお腹がすいても大丈夫だ。


 さぞ家賃は高いと思うが、親が支払っているので詳しくは知らない。さらに月数万円の仕送りもしてくれる。週2、3回のアルバイト代も合わせると、それなりに贅沢をしても十分なくらいのお金がある。

 同年代と比べてもはるかに裕福であるといっても過言ではない。一介の大学生に与える環境としては分相応とは言い難い、むしろ有り余るほどだ。


 それなのに、僕はいつもどこかで死にたいと思っていた。


 別にいままでの人生が悲惨なものだったとか、そういうわけでもない。

 地元は東京と比べると田舎で、少子化の影響もあってクラス数も多くはなかったけれど、小中高と友達がいないわけではなかった。クラスで仲間外れにされていたとか、いじめられていたこともない。休みの日は駅前のファミレスに集まって話をしたり、誰かの家でゲームをしたり、大多数の学生と同じような生活をして過ごしてきた。

 親友と呼べるような何でも話せるような人はいなかったけれど、いまの時代、そういう存在がいるほうが稀だと思う。


 家族も普通だ。

 父も母も健在で離婚もしてない。妹ともたまに連絡を取り合う間柄で仲は悪くない。ギャンブル中毒だとか不倫だとか家庭内暴力だとは無縁の、それこそありふれた一般家庭だ。


 先日、母から連絡がきた。感染が収まったら来年の成人式は戻っておいでと気遣いの内容だった。

 上京してからすぐに例の病が流行り、実家には1度も帰ってない。まだどうするか決めていないけど、今年はできたら帰省しようかと思う。もしそうなれば、父とも東京はどうだとか大学はどうだといった、たわいもない世間話に晩酌を交わすだろう。

どこに行っても人が多いというつまらない回答しかできない僕を、いつでも家族は温かく迎えてくれる。


 それでも、僕は死にたいと考える。


 地元にいたころより孤独になったといえば、それは正しい。

 親元を離れ、一緒に東京に出てきた友人もなく土地勘もない。より多くの人との出会いの場であったはずの大学も、人との接触を避けるという名目のもと授業はほぼリモートで、同期の顔すらまったくわからない。


 それに、べつに東京がよかったわけでもない。

 学力的に問題がなく、なおかつ就職に有利だという当時の担任の言葉を鵜呑みにした結果、たまたま東京の大学を選択し進学することになっただけだ。


 夢も将来やりたいこともない。それどころか自分になんの能力があって、何ができて、何をしたいかすらわからない。相談する相手もいない。


 恋人も20年間できたことがない。


 トランスジェンダーというわけではない。TVに出ているアイドルみたいな可愛い子が彼女だったらどんなに楽しいだろうと、妄想することも多い。

 でも、誰かに声をかけたり積極的に出会いを求めたり、行動に移すことはない。


 怖いのかもしれない。

 嫌われたら拒絶されたら、考えるだけで眠れなくなる。自信なんて1つもない。自分みたいな取柄のない人間を好いてくれる人がいるとは到底考えられない。モテるのはいつでも声の大きいイケメンで、僕みたいにボソボソとしゃべる男には誰も見向もきしない。


 ゲームのように何時何分にこの場所に行くと恋人になるフラグが立つ、そんなふうにすべてが決まっていればと願う。でも、現実はそうじゃない。誰も未来のことなんてわからないし、いまのこの選択が最善なのか最悪なのか知るよしもない。それなら最初からなにもしないほうがいい。


 政府も人と接触するなと言っている。従って家にいるのが一番だろう。もっとも緊急事態宣言が解除され自由に外出できるようになっても、僕は1日中部屋の隅でスマホとにらめっこしているだけだろうが。


 友達がいない。

 恋人ができたことがない。

 つまらない人生。


 それらに絶望したから、僕は死を思い描くようになったのか?


 どうもピンとこない。いくら思考を巡らせてもしっくりこないのだ。僕が自らの心臓の音を止める理由としてはどれもインパクトにかける。


 そもそも現状に不満がないのだ。

 1人は嫌いじゃない。むしろ無駄な人間関係に精神を擦り切ることがないので気楽だ。彼女はいないけれど、スマホがあれば芸能人並みに可愛いセクシー女優たちがサンプル映像とはいえどもいくらでも裸を晒してくれている。すこし検索すれば無料でおもしろい動画が数えきれないほど転がっている。難しくてクリアできないゲームも、他人が面白おかしく実況してエンディングまで見せてくれる。それでも物足りないなら、いくらか支払うことで様々なアニメや映画を鑑賞することができる。音楽も邦楽から洋楽、K-POPまで聞き放題だ。

 娯楽は一生かけても消化しきれないくらいある。これから先、楽しみに困ることはない。


 バイト先の人間関係もまずまずだ。

 接客業、それも居酒屋なので泥酔した客に絡まれ面倒なことは多い。ビールをこぼして怒鳴られたこともあった。そのときは自分のふがいなさに落ち込んだし、余裕のない客にイラつきもした。でも、先輩は気にしなくていいと慰めてくれたし、ほろ酔い気分の上機嫌な客からチップと称して5千円もらったこともあった。すべてがイヤなことばかりじゃない。リーダーも癖のある人だけど優しくしてくれる。店長も緊急事態宣言中で人手なんて不足してないのに、それでもたいして仕事のできない僕を雇用し続けてくれている。


 悪くない人生だ。


 高校のときの友人は奨学金を借りてまで大学に行くと言っていた。朝早くから夜遅くまでバイトをして学費に充てている人だっている。金銭的な問題から進路を選択できない人もいる。生まれたときから格差があり、ガチャだから運だからと、そう片付けたくなるほどこの世界は理不尽で不公平だ。


 そのなかで僕はどうだ?

 いま手にしているスマホだって、今年発売したばかりの最新型だ。値段は15万近くして下手なパソコンより高い。なのに負担はすべて親だ。本体代金も月々の支払いも、僕は1円も財布から出してない。


 進学、卒業、就職。ついすこし前までは当たり前だった常識ですらハードルが高くなっているこの国で、僕が歩んでいるレールは完璧に近いだろう。


 それでも僕は死にたいと願うのか?

 それすら贅沢ではないのか?


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