けたたましく鳴り響いたクラクションの音。どこからともなく現れた黒い車体が、あきらとテルの乗った車の前へと立ちふさがってきた。減速しつつの路肩へ停車途中だったとはいえ、車体がわずかにつんのめる。テルの舌打ち。


 とある依頼の帰り道だった。テルが怒鳴る寸前になって、急にその勢いが萎んでいった。こんこん、と、輝のいる運転席側のサイドウインドウが叩かれ、開いた隙間からやすざわが顔をのぞかせた。ふりむいてテルの様子をうかがうと、ほんのわずかに、口角を歪ませている。一見すると大した反応には見えないが、数日でもテルと接する機会のある人間が見れば、珍しいくらいのオーバーリアクションだった。



「やっぱりテルちゃんの車か。輝ちゃんの顔が運転席から見えたから、そうだと思ったんだ」


 安澤はにこやかに、さきほどの荒っぽい車の動きとクラクションの音とは打って変わって、明るい調子でしゃべりかけてくる。


「テルちゃんも一緒だな。じゃあ急で悪いんだけど、仕事の依頼。さっき強盗にあっちゃってさ」


 はい?


「タクシー強盗ならぬ高級車強盗だな。合計四人。とりあえずこっちの黒服たちがひとり残らず取り押さえて、今は拘束して後部座席に突っ込んであるんだけど」


 すでに強盗全員の身柄を押さえているなら、こちらがわざわざ出張る必要もないだろう。ただでさえ今は、少し面倒な依頼の後で、テルの機嫌がすこぶる悪いというのに。



 安澤の父親は、そこらの土地やら物件を数多く所有する大地主。彼の周りを行き来する札束の金額は計り知れない。

 そんな大金の周りには、善人悪人、様々な人間が寄ってくる。そんななか、最初に目をつけられたのがテルだった。


 どんな状況、相手だろうが臨機応変に対応でき、たいした武器を持たずとも、素手喧嘩ステゴロでも充分の腕っ節の強さを発揮していたテルには、ヤクザやら不良グループ、今でいう半グレ集団、様々なそのテの組織からスカウトを受けていた。が、本人が断固として組織というものに縛られることを嫌い、どの誘いも断っていた。


 以来、父親はテルに始末の仕事を度々持ってくる、依頼人のひとりになった。

 だがそこで、テルにとって面倒な相手との出会いがあった。それが大地主のひとり息子、安澤だった。


 テルが始末の依頼を遂行後の場所、そのところどころに、ストーカーのごとく姿を現しては、俺のボディガードになってほしいと、熱心に口説いていた。輝もよく、その場に居合わせた。

 そんなテルを介した縁で、輝も安澤らと顔見知りになった。最初はお気に入りであるテルについてきたおまけ、といった印象だったろう。


 だが今は、時々安澤所有、両親に誕生日プレゼントとして送られたという、輝には名前もわからない高級車の運転手役を頼まれている。輝は酒を飲まないので、飲酒後の安澤の夜の送迎役、兼ボディーガード役として、かりだされることも多々ある。

 あのテルに育てられ、子どものころから鍛えられてきたというオプションが信頼の材料として働き、それがよかったのかもしれない。


「でしたら安澤さんの方で業者をお呼びして、あとはいくらでも、そちらの方で始末も後処理も手配できるではないですか」

 強盗の被害にあったなら、本当ならまずは警察なのだろうが。


「別に俺たちだけなら、この場で始末して解体屋にでも引き渡して処理してもらうんだけど。いかんせんこっちにはレイちゃんたちがいるからさ」

 安澤がとある理由から頻繁に顔を合わせ、安澤にレイちゃんと呼ばれている存在はひとりしかいない。だがレイちゃんたち、とはどういうことか。


「今、レイちゃんたちとおっしゃいましたが、今回は他にも誰かいらっしゃるんですか?」

「だっていくら言っても、レイちゃんがレンへの養育費を受け取ってくれないからさ。だから今回は旦那にも来てもらってて。夫婦ふたりと話をして、改めて金を受け取ってもらおうとおもってね」


 輝は額に手をあて、頭を抱えた。


 いくら自分と血をわけた実の娘のためとはいえ、もう別れて何十年と経ち、子連れの男と再婚もしている女性と接触するなど。しかも今回は、その旦那の方も呼びつけてお金を渡そうとするなんて。彼の思考回路は、相変わらず謎だ。


「一般人を乗せたまま、業者と接触するのも、ね。そんなわけで、始末はテルちゃんに依頼するってことで」


「……始末の依頼は受けてやる。だからとっとと、黙って俺の前から失せろ」

 荒い口調に、乱暴な言い種。よほど安澤と顔を合わせることが面倒なのだろう。


「それにこんなところで立ち話しててもいいんですか? この隙に、ご夫妻が逃げてしまいますよ」

 輝も加勢してみる。


「大丈夫だよ。車内で俺の黒服四人が、レイちゃんたちをきちんとみてくれているから。万が一逃げられそうになっても、逃走防止のために、俺の遠隔操作か許可がない限り、内側からはドアが開けられないようになってるから」

 車に、どんな改造をしてるのやら。


「立派な監禁じゃないですか」

「人聞きが悪いなあ。こっちはただ娘のための養育費を、好意で渡そうとしているだけじゃないか」

「認知しているわけでもないのに、ですか」

「俺はレンがレイちゃんのお腹にいるってわかった時にきちんとするって言ったんだけど、レイちゃんが頑として首を横にふるんだから。この子は私ひとりでもちゃんと育てていきますって」

「きちんとするっていったって、認知はしても、結婚する気はなかったのでしょう」

「そりゃあ」


 安澤の言葉を聞くより先、背中に強い衝撃を受けた。



「うるせえ!」


 巻き舌混じりの怒鳴り声。遅れてテルが、後ろから輝の座る運転席を激しく蹴ってきたのだとわかる。それまで陽気だった安澤も、さすがに口をつぐんだ。


「俺に関係のない話は外でしろ。強盗だかの身柄はこっちに移せ。俺がひとり残らず始末して処理の連絡をする。輝は安澤と今すぐ消えろ」



 テルがひとり、運転席で足を伸ばしてふんぞり返っているなか、強盗四人の運搬作業が粛々と行われた。とはいってもここは、それなりに車の通りも人通りもある街中である。最初は通行人などに不審がられて警察でも呼ばれるのではないかといらぬ心配をしてしまったが、そこはプロだ。

 いつもは黒いスーツに身を包んでいる、安澤が言うところの黒服たちが、今回は四人とも工事の現場などでよく見るツナギの作業着姿だった。なるべくなにかしらの荷物の運搬作業中、という体を装っていた。彼らが主に安澤の、輝には車種もわからぬ車から、青いビニールシートにグルグル巻きにされた強盗犯らしき物体を、上川の車のトランクやら後部座席へと運び入れた。その青いかたまりはどれも、その中に人間ひとりが入っているのかと疑ってしまうくらいに、動くことがなかった。おそらくスタンガンかなにかで、あらかじめ気絶させられていたのだろう。輝や安澤は基本、見ているだけだった。


 それと、安澤にレイちゃん、と呼ばれていた女性と、その隣に寄り添う男性。それはやはり輝と顔見知りのご夫妻、すずれいと、すずなおみちだった。


 お互い子どものいる、子連れでの再婚。息子が三人と娘がひとり。父親の連れ子である息子三人はなんと三つ子で、父親似にで背丈はそれほど高くないもののガタイがよく、皆、学生時代に柔道やアメフトを経験している。歳はそれぞれ二十二歳、名前がなおまさなおかずなおゆきだったか。

 そして母親の連れ子である娘はれん。歳は十六で氷柱つららのクラスメイト。


 安澤の、だ。



 そんなふたりが、主に直道の方が、輝の姿を見てひどく驚いていた。


「輝さん? なんでここに」

「あれ直道ちゃん、言ってなかったっけ」

 いくらなんでも馴れ馴れしすぎないか。


「輝ちゃんは俺の、昔からの同業者だよ。輝ちゃんのことは、子どもの頃から知ってるんだよ」

「まだ終わらねえのか!」


 もはやヤクザとしか思えない形相で、テルが車内から出てきて恫喝してくる。突然の迫力ある大男の姿に、玲子は怯えた様子で直道の体へ身を寄せた。



「そんなに怒鳴ってばかりいると体によくありませんよ、テルさんっ」

 輝は叫ぶ。テルは輝を掴みかからんばかりに睨みつけたあと、だが一度怒鳴ったことで少しは落ちついたのか、すぐに車の死角へ姿を消す。

 妻の体を、肩を掴んで支えつつ、何故か直道はひどく驚いた様子で、テルのいた場所と輝とを交互に見ていた。



 その日の夜だった。


 いつものマスターのいるバー。輝の隣ではテルが、相変わらずのピッチの早さで酒を繰り返し煽っている。よほど安澤とのことがストレスになったのか。


 輝の携帯がふるえた。画面を開いてみると、直道からのメールだった。彼とは今のところ、電話でのやりとりしかしたことがなかったので、メールでのやりとりは初めてのことだった。

 何故か、胸のざわつきを覚える。


『夜分に失礼します。

どうしても見て頂きたい写真があったので、メールにてご連絡しました。』


 ……写真?


『先ほどお会いした、輝さんがテルさん、と呼んでいた男性が、俺の中学の同級生によく似ていたので、恐らく同一人物ではないかと。娘にやり方を教えてもらい、撮影した写真を添付しました』


 何故かふるえる指で、添付されていた画像を押す。



 そこには、隣のテルとよく似た、嫌、もはや同じ顔の男が、写っていた。


 濃いめの眉、鋭い目つき、愛想のない十一文字に結ばれた唇。見たところ卒業アルバムか何かか首から上しか写っていないが、その太めの首から、十代のうちから相当体格がよかったであろうことがうかがえる。今のテルと、同じように。



はざとう

 写真の下には、確かにそう、書かれていた。



 おもわず、携帯の折りたたみ式の画面を閉じた。おもいきり力を込めてしまったため、閉じた音がやけに大きく響いてしまった。テルが反応してこちらを見た。


 ここで素早く携帯をジャケットの胸ポケットなりジーンズのポケットなりに仕舞わなかったのは、輝の誤算だった。加えて滅多なことでは表情を崩さない輝の強張った顔にただならぬものを感じ取ったのか、テルの長い腕と大きな手が、あっさりと輝から携帯を奪い取ってしまう。



 輝の携帯がテルの手に握られていたのはほんの一瞬で、途端に携帯電話が、テルの手から離れていき、まっすぐに空気を裂いた。

 携帯がぶつかり、グラスの数々が、次々と砕けていく。


 スツールから床へ、テルは輝を力任せに放り、重い拳を、輝の顔面へ幾度となく叩き込んできた。


 下手にテルの拳を素手で受ければ骨が砕ける。避けて距離をとろうにも、ここはカウンターにスツールが両手で数えられるほどと、その後ろにボックス席がひとつしかないバーの店内で、大柄のテルを相手に格闘するにはあまりに狭い。

 だから輝は、鼻や口から出血しても、意識が飛びそうになっても、構わずテルの逆鱗を甘んじて受け止め続けた。



 だが、それでも輝は、言わなければならなかった。テルの狭間冬吾としての過去になにがあったとしても。



 どんなことをしても、過去からは逃げられないんですよ。

 あなたが狭間冬吾であることも、僕があなたのだということも。



 もうとっくの昔に忘れていたはずの、記憶の断片が脳内をよぎった。燃え盛る家屋。その前で、小さな両手が、大事そうに抱え込んでいた貯金箱を手渡していた。


 隣にいた青年の大きな片手が、それを受け取る。

 青年が殺し、少年が燃やした。それぞれがいくつ歳を重ねた時のことだったか。輝にはもう、思い出すことができなかった。

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