Ⅳ
愛だ恋だ溺れていたのは、自分だけだったのか。
息子の顔を見る度、そんなことを考える。
彼女に対し、
可愛いというよりは綺麗。豊満というよりはスレンダーなタイプ。背も輝より、十センチ以上も高い。だから彼と並んでいるのを見ると、まるで雑誌の表紙のなかの、モデルのツーショットを見ているかのようだった。
お互い過去に殺し合った犬猿とも呼べる仲であり、ふたりにお互いを好きだとか、愛だとかという感情がないのはわかっていたが、ふたりが並んでいるのを見ているだけで、いつも、どこか気持ちがモヤモヤしっぱなしだった。
そんな輝の思いを、ふたりとも気づいていながら、どこかそんな輝を見て、愉快そうだった。特に彼女は、魔性とでもいうのか、なにあいつに嫉妬してんの? と微笑み、輝が子どもみたいにムッとすると、輝の一方的な気持ちを弄ぶみたいに、唇を重ねてきた。
そしてそのまま、彼女の方から、輝を押し倒してきた。寸前に迫る彼女の顔と、艶めく黒髪からふわりと鼻を抜ける、爽やかな香り。
「こうすれば、背丈の差なんて、関係なくなるもんな」
彼女との背の差にコンプレックスを抱いていた輝の気持ちをわかっていて、そんなことを囁いてくる。輝から口づけをしようにも、たとえ背伸びをしたって、彼女の唇には届かなかったから。
彼女より背が低くて良かった、なんて、そう、思わされる。
それからは、輝はもう夢中になって、彼女と互いの熱を交わし合い、絡ませ合った。
でも、いつだって彼女を好きだと思っていたのは、輝だけだった気がする。
彼女の妊娠がわかり、当然輝は堕ろすものだと思った。
お互い殺し屋同士で父親と母親になるなんて光景、想像するのも無理があったから。
彼女は、産むという選択をした。
だが輝には、不安があった。
子どもを育てていくという未来もそうだが、彼女のお腹に宿る子どもの状況、妊娠〜ヶ月です、と医者に告げられた時、輝は彼女と触れ合い、抱き合った記憶が、なかったからだ。
そしてその時の彼女は、彼と行動をともにしていたことを知っていた。
そもそも浮気だなんだと言って彼女を責める権利は、輝にはない。
彼女の口からは一度だって、輝を好きだとか付き合ってるという類の普通の男女のような台詞は、聞いたことがなかったから。
輝も、この気持ちは決して叶わぬものだと、そもそも恋人だとか夫婦だとか、普通の男女のような関係を求める権利などないと、深い関係を求めようとはしなかった。
この気持ちは、ただの輝の一方的な片思いに、過ぎなかった。
彼女のお腹にいる子どもは、彼との子だ。彼女はそんな子どもを産む、と言った。それがなにより、輝の気持ちが片思いである、何よりの証拠ではないか?
その直前、彼女は輝に言い残した。
氷柱のこと、お願いね、と。
それは輝が見た彼女の初めての顔。母親の顔、だった。
こうも言った。輝の気持ちを惑わす口づけを、輝の唇へと残して。
輝はあたしのことが好きなんだから。
あたしは輝のことが好き。
では決してなく。
あれから氷柱の歳の数だけ月日が過ぎた今でも、彼女の本当の気持ちはわからないままだ。
そして思う。
愛だ恋だとそんな感情に溺れていたのは、自分だけだったのではないか、と。
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