祝い

とがわ

祝い

 猫の地面をみた。猫のイラストが描かれている地面、というわけではない。生きていたであろう本物の猫だ。まるでプリントでもされた猫かのように、アスファルトにペタリと、くっついていた。

 日が落ちてから数時間経過した夜の街だった。銭湯に行く途中、歩いていた歩道の脇に何やら怪しげな物体が目に入った。そのすぐ先の車道に、アスファルトの表面に見知ったある黒いシルエットが浮かんでいた。夜、立ち止まることもしないでそれが猫だと分かったのはただの偶然だった。車に撥ねられたのち、何度も何度も車に轢かれ、潰され、プレス状態となりアスファルトと最早一体化したようだった。もう死んだというのに、そのことさえ気づかれず、ただの地面と認識され、存在さえも朧気にされていく。

 足を止めなかったのは彼女が傍にいたからであり、見たものを言わなかったのは彼女に悟られたくないと思ったからだった。


 死んだらどこへいくのだろうと、考えない人生はあるのかという愚問を投げてしまうほどに耳タコなフレーズが、例に漏れずわたしの中にも浮かび上がる。今初めて浮かんだわけではない。ずっと前にそれは生まれて、今も身体の中で漂って答えを掴みきれずにいた。

 しかしその答えなど最初から決まっているも同然だった。わたしの考えを否定する者は大勢いるだろうが、死んだら終わりでしかないのだと行きつくしかなかった。

 それでも、生きていたという事実は消えない。わたしはそれが苦しいと感じるようになった。だからこそ、まっ平にされた猫を羨ましく思った。自分もそんな風に死ねることができたらいますぐにでも死んでしまいたいのにと。

「どうしたの……?」

 脳裏にさっきの猫が埋まっていて、視界に目の前の景色が映っていなかったのだと、声をかけられて気がついた。

 見ると、もう銭湯に着いていた。

「ごめん。ちょっと寒くて」

 また、嘘をついた。

 わたしたちは常連になりつつあるこの銭湯に今日も浸かるのだ。大通りが見えるほど近くにあるにも関わらず静かで時間がゆったりと流れているような細道に、極めて自然と建っているこじんまりとした銭湯だ。客人から料金を受け取るおじさんが中央にいて、わたしたちはいつも通り五百円玉を渡した。左側が男湯で、右側が女湯だ。わたしたちは赤色の暖簾をくぐって脱衣所に入った。

「十一月になると流石に寒いよね~」

 ロッカーを開け、荷物を入れる。彼女はさっそく上着を脱ぎながらそんなことを言った。

 確かにわたしはさっき嘘をついたが、寒いのは事実で嘘ではないのだと言い聞かせることで正当化した。それが嫌悪の対象だということには目を背けてしまった。

「今日も人いないね」

 また彼女が会話を始める。

「この時間帯はみんな夕飯時なのかな」

 わたしも会話に乗っていく。

 ズボンを脱いで曝け出される彼女の白い足が目に入る。急いで上着とズボンを脱ぎ、彼女より先にTシャツを脱ごうとしたが、負けた。ほんの少し先に下着姿になった彼女は今日も少し頬を染めながらそれを取り外していく。彼女の姿を凝視しているわけではない。何気ない会話の中で相槌を打つみたいに視線を向けているだけだ。時折彼女と目が合うのは、彼女も同じ様にわたしを見ているから。

 裸になって浴室の扉を開ける。毎回、この瞬間は気持ちが悪かった。服を全て剥いだはずなのに、彼女に対して裸じゃない部分ばかりだからだ。

「ねぇねぇ、今日鍋パにしない?」

 身体をシャワーで流しているところにまた彼女の声が飛んできた。

「いいよ」

 バシャバシャと水の音が大きく、聞き取れない可能性を考え少し声を張り上げて答えた。

「やった! 何味にしようかなぁ」

 その発言は独り言だろうと思い、返事はしなかった。

 彼女はいつも髪の毛から洗う。頭を、俯くみたいにしてわしゃわしゃと泡を立てる。その間彼女の目は固く閉じられている。わたしはそうではない。つまり、その間は彼女の身体をじっくり見ることのできる時間というわけだった。

 肌が白いのもちょうどよく痩せているのも体質らしいと聞いた。その白さや痩せ型が彼女自身の努力ではないとはいえ、男女関係なくそれが良い評価へと傾くのは至極自然なことだった。しかしその評価が恋愛対象に導かれるのは男性だけだ。それが当たり前で、その自然な秩序を乱してはいけない。それが、死よりもずっと正しい答えの中にある。

 巨乳というには満たないであろうがほどよく膨れた脂肪がふわりと揺れる様は、自分のものとは別の何かに思えた。綺麗だなと思うし、それが自分の姿であればと羨望の眼差しを向けるのも、やはり当然な反応である。そうして、その羨望の先に何があるか、それは決まって男性の存在だ。

 わたしが身体を洗い終えると同時に、彼女も泡を流し始めた。わたしは見るのをやめて、今度は自分の髪を濡らしていった。わたしが髪を洗っている間、彼女がどこを見て何を思っているかは、知る由もなく知りたくもないと心底思う。

 互いに汚れを流し終え風呂に浸かる。どうでもいいような会話を投げ合っている間におばさんが入ってきた。扉が開いた先にも数名いて、やっとかと肩の荷を下ろす。緊張がようやく解け、風呂の気持ちよさを思い出した。

 最初に入ってきたおばさんが身体を洗い終えた頃、わたしたちは風呂からでた。髪から滴り落ちる水の量は異常で、彼女の身体がどうだとかそんなことを考えている暇もなく、拭いて服を着て、そうしてまたホッとする。

 乳首あたりまである彼女の髪を優先的にドライヤーで乾かすのは愛情ではなく親切心でしかなかった。幸い人の髪を触るのは好きな方でドライヤーをしてという彼女の我儘を受け入れるのは容易だった。彼女の顔を見ないで済むドライヤーの時間は意外と気の休まる時間でもあった。この子は単なる友達なのだと思い込むことができて、そしてまた吐きそうになる。


 銭湯の中は温かかったのだと痛感する冷たい風が、頬を刺す。時刻は午後八時をまわっていた。スーパーが閉まるのはあと一時間後だった。銭湯から歩いて五分の距離にあるスーパーに入り鍋の具材を籠に放り込んでいく。

「何鍋がいいとかある?」

 言い方からして、もう食べたい味が決まっているであろう彼女の質問に対し、わたしはなんでもいいという答えを出した。嬉しそうに「じゃあ味噌で!」といい味噌鍋の素を手に取った。

「お酒飲むよね?」

「うん。飲むよ」

 飲まないという選択肢はない。飲まないとやっていられない。飲まないとやれない。直前まで酒ばかり流し込むわたしを、彼女は酒豪だと笑う。

 缶を三本とビンに入った梅酒を買った。ロックで飲むにはさすがに強いので炭酸も買った。

 彼女はというと籠に入れたのは缶一本だけだった。酒に弱い方で、すぐに寝てしまわないようにという気遣いらしいがいつもそれが煩わしいと、本当は思っている。


 スーパーを出て彼女の一人暮らしの部屋へと戻った。さっきの猫はどうなっただろうと道路に注意を向けて歩いていたが、気づけば見たはずの道路は既に過ぎていた。やはりいいなと思った。

 狭い部屋だから自然と距離が近くなる。逃げ場がないからこそこの気持ちの正体を誤魔化せていいと最近は思い始めていた。

「座ってていいよ。わたしがつくる」

 彼女は帰るなりエプロンをつけて台所に立った。

「手伝うよ」

「ううん。先週作ってくれたし、鍋簡単だからいいの」

 そういうのでわたしは甘えて、座椅子に腰を下ろしテレビをつけた。わたしたちではない別の音があるとホッとした。座っているところから、顔を少し横にずらせば台所で野菜を切る彼女が映る。その姿に見惚れる、なんてことはない。

 あぁ、もう耐えられない。机の上に置いた缶ビールのプルタブに指を引っ掛け、あけた。プシュッとまるで何か破裂したかのような音がたつ。

 アルコールを入れれば意識は弛緩し、責任は酒へと転嫁できるから都合が良かった。おまけに普通なら不可能なことも酒のお陰でなんとか死なずにやりきれる。

 順調に速いピッチで酒が体内を巡っていく。はやく。はやく。アルコールに侵されてしまわなければ。

 鍋が運ばれてきた頃、缶ビール一本を空にし今度は梅酒をあけた。味噌味の鍋は味が濃く、酒も進んだ。

 彼女も梅酒を少しばかり嗜んだ。そしていつも通り、それは見惚れるほど丁寧に咀嚼をする。酒で鍋を流しこむ、なんて飲み方も食べ方もしなかった。美味しそうに頬張るがその動作はやはり美しかった。

 鍋も終わりが近づいてきた時、追い込まなければと更に酒を追加した。食後が本番で、彼女が鍋を片したら。

「ねぇ」

 きた。風呂にも入って食事もしたらあとは寝るだけだ。ベッドはひとつ。この夜を乗り切るのはいつも容易ではない。

「映画でも、観ない?」

 いつもと違う流れに意表を突かれて、わたしはとぼけた声を出したが彼女にそれが聞こえたかは分からなかった。彼女はしばらく俯いたままだった。

「映画、いいね。何か観たいものでも?」

 戸惑いが隠し通せず焦ったような声色になっていたのならまだよかった。安堵した隙にでた喜びが破裂したかのように溢れたのを完全には留められなかった。

「そうそう!」

 途端彼女は顔をあげ笑顔を見せた。その笑顔が果たして普段と同じかどうか、わからなかった。

 彼女は自身で購入したプロジェクターを起動させ、動画配信サービスから観たい映画を選択した。それなりに有名で観たいと思っていた映画だったので気分もあがった。ベッドに二人で座って映画を観始める。部屋が暗い。しかしいつもとは違う。わたしはこういうのを望んでいた。彼女の手は、わたしの手を握らなかった。

「やばぁい、眠くなってきた」

 途中、何度か彼女はそう言った。その度に、「寝たら?」と返したが続きが気になるようで寝たくないと言った。ミステリー要素の強いこの映画は、確かに途中下車は向かないだろう。しかし、眼を擦ったり身体を揺れさせながら強引に起きていようとするのは異様な光景に見えた。あまり映画を観ない彼女をここまで引きずり込んでしまうこの作品はやはり評価のいいものだった。

 終盤からエンドロールの最後の最後まで互いに声を忘れたように黙って観た。完全に真っ黒の画面になって、動画配信サービスのホームに戻っても切ないラストシーンに、虚無感を抱いてしばらく何も手がつけられずにいた。それは彼女もそうだったようで、しばらくしてから言葉をぽつりと零した。

「愛って、怖いね」

 どきりとした。その言葉をいうために最後まで起きていたのではないかと思った。しかしこれはあくまで映画の感想だと落ち着かせる。恋愛の好きなのかわからないが、ある一人の女に執着して罪を犯してしまう男の話。返せない愛と、それでも離れられない事情のある二人。その映画にはわたしたちの関係とどこか重なる部分が確かにあった。彼女はそれを知っていて観ようと言ったのだろうか。

 そうだ、わたしは期待していた。彼女が次にいう言葉を。

「腕時計、つけてくれてないね」

 ここに心臓がいるのだという気持ち悪い主張が始まった。


 大学を終えた後わたしは彼女の部屋にきては泊まった。彼女の部屋は大学からすぐ近くで、電車を乗り換えて行き来するわたしにとってそれは楽なもので仲良くなってからは押しかけるようになっていた。

 平凡な関係が崩れたのはいつからだったろうか。

 大学に入って、これまで学んでこなかった学問を学ぶことも多かった。同性同士で付き合う人がいることを知った。それをあり得ないと拒絶する人間がいることも知った時、なんて心のない人間だと蔑んだ。そう思うことで満たされる自分がいた。だから、同性の友人という位置にいる彼女から付き合ってほしいと言われた時、受け入れなければならないという使命感に襲われた。

 わたしの恋愛対象は男性だった。

 彼女とは付き合って二か月でキスより先に進んだ。男との経験があったから演技ができたように思う。毎回本気で死ぬのではないかと思いながら彼女の身体と密着した。始まる前から嫌悪感と罪悪感に侵されていて、彼女の嬉しそうな笑顔や照れた表情さえも気持ち悪く思った。それでも初めてした日、こんな行為ができるなら好きになれる可能性があるのだと信じてもう一度、もう一度と繰り返した。

 この先も恋愛対象は男性で揺るがないのだとはっきりしたが、それを誤魔化したくて、嘘を誠にしたくて、好きになれるよう努力した事は、しかし嘘を強くした。それを彼女に悟られるのは怖かった。満たされたあの欲はなんでも受け入れられる自分を演じて、そういう評価を得たいというものだった。損得勘定が、言動の基に常にいた。

 わたしは、彼女にとって良い恋人と思われたいと強く思い始めた。一緒にいる時間を何重も重ねていけば、恋愛感情でなくとも執着をしてしまうのが人というものらしい。好きになれないから、逃れたいから、という理由をもって別れを切り出す勇気は用意できずにいた。

 それならばと、死んでしまえばいいとも考えた。しかし死ぬのはそう簡単な行為ではないと考え着いた。

 映画の男は執着した相手のために過ちを犯した。わたしは彼女のために罪を犯すことはできないが、かわりに悲しませたくないという思いが芽生えた。明らかに彼女にとってわたしは最も優先すべき人物で、消えたら喪失感で押しつぶされてしまうのは容易に想像がつく。しかしこの呪縛から逃れたいという自分の願いもずっとあって、ただただ、天秤がゆらゆらと揺れているだけになった。

 ずるずると惰性で付き合い続けて初めてのわたしの誕生日が先週やってきた。彼女がプレゼントを贈ってくるのは当然だったから事前に、皮膚が弱いから身につける系のものは受け取れないと言っていた。本当はシルバーネックレスが好きでつけたいのを必死に抑えていることを彼女は知らない。

 誕生日前日当然のように部屋に招かれて時計の針がゼロをまわったと同時に楽し気なソングを歌いあげ、もらったプレゼントは腕時計だった。

「この時計ね、一応皮の素材だから皮膚に優しいかなって思って。まあ、つけられなくてももらってほしい」

 彼女はあの時、震える声でそういった。家に帰ってから恋人に腕時計をプレゼントする意味を調べ、吐き気がした。花言葉や占いが好きな彼女が意味を知らずに贈るわけがなかった。これから先も共に時間を刻みたいと、一緒にいたいという彼女の切実な願いが込められていた。手首につけるブレスレットの意味も調べた時、この腕時計を巻きつける行為は彼女への愛の返事に値すると考えたわたしは、一週間つけられずにいた。


 だから、つけないという行為を見せつけた一週間はそれ相応の意味を彼女に与えてしまったのだろう。誤魔化すことはできるだろうか。

「ごめん。腕に何かついてるの慣れなくてさ」

 咄嗟にでた言い訳はどこまで通用するだろう。逃れたい苦しい嗚咽が混じってはいないだろうか。

 つけているはずだったわたしの手首をじっと見つめたままの彼女につけ加える。

「ちゃんと、大事に持ってるよ。嬉しかったし」

 嘘ではない。嘘ではない。そうやっていつまで自分にも嘘をついていけば真実に変わるのだろう。

 彼女の瞳が潤んでいるのが見えた。部屋は相変わらずプロジェクターから映し出される動画配信サービスのホームの光のみの、とても静かで暗い、ふたりだけの狭い空間だった。

 彼女の涙が一滴落ちるのを見た時、さっきみた猫を思い出した。

 死ぬのは簡単ではない。死んでしまえばわたしの感情は消える。嘘をつき続けた苦しさも、彼女を悲しませたくないという身勝手な感情すら失われる。わたしはそれらから解放される。解放されたい。死ねば別れられる、逃れられる。だが、それではぎりぎりまで残るわたしの感情が許さない。

 残された彼女はわたしの存在を消せないでいる。喪失感に襲われて崩れていく。死ぬことで余計にわたしの存在が色濃く纏わりつくことだろう。わたしが死んだ後も、悲しいのでは意味がない。だから、死ぬのは簡単ではないのだ。

 あの猫になりたいと強く思う。死んだことにも気づかれず、存在さえも朧気にされた猫。スーパーの帰り道、わたしが既に気づかなくなったように、そうやって存在していたという過去ごと消えてしまいたい。あの猫のよう消えてしまえるのなら、慶んで死の沼へ飛び込んでいくというのに。

 涙が音もなく零れ落ちていく。拭ってやれることができないで、泣きそうになる自分を殺してやりたくなった。悲しませたくないとついてきた嘘は、その分だけ悲しみを大きくさせた。そうなることなど分かっていながら手放せなかったというのに、単に執着という言葉で片付けていいのだろうか。いいや。綺麗な言葉で言い包めようとするのは狡いことだ。

 彼女の涙が落ち着いた後、彼女の口は開いた。

「ねぇ今日、何の日か知ってる?」

 それを聞くために涙を止まらせたようであった。

 時刻は午前一時近かった。とっくに今日を迎えていたのに、わたしは気づけていなかった。

「うん、知ってるよ」

 気づけずとも覚えている。並んだ数字を見るとハッとしてしまうほどの呪いのように。わたしにとって告白を受け入れてしまった日でも、彼女にとってそれは大切な記念日だった。

「最初は好きだった?」

 また涙が込み上げてきているようで、言葉尻が震えていた。もう嘘をつける勇気はなかった。悲しいという感情は回避できないのだと、結論づけてしまってもいいだろうか。

「好きになりたかった」

 本心だ。吐き気がした。それでもいつもよりずっと楽な吐き気で、このまま吐き出してしまおうかと思った。彼女もおそらく、苦しいけど望んでいる。

 彼女の手がわたしの手を握る。彼女の体温がほのかに伝わってくる。わたしなんかを好きになったせいで苦しませたね、なんて言葉にはできない。

「同じくらいの想いは返せなかったし、これからも無理みたい」

 もういっそはっきりいうしかないのだと、自信満々といった態度で言ったのは良くなかった。彼女は「最低」と低い声を出してわたしを蔑んだ。最初から蔑んでいた相手は自分自身だったのだと知る。

「ごめん。本当に」

「少しも好きじゃなかったんだね」

 怒っているのにぼろぼろと涙を零している。言葉と表情の裏で、彼女はこれまで多くの葛藤をしてきたのだろう。腕時計を贈るよりもずっと前から、わたしの気持ちがないことくらい彼女は解っていたのだろう。同じように、いやそれ以上にたくさん天秤を揺らし続けてきたことだ。

「ごめん。でも大切だったんだよ」

 嘘なんかではない。でもその本音はもう彼女には届かないらしい。それでいいと思った。

「でも」

 彼女は泣きながらもまだ話を続けた。必死に思いを形にする。わたしはせめて、それを受け取る必要がある。そうだ、受け入れるのではなく受け取ればよかったのだと、気づくのはこんなにも後だ。

「好きなのぉ」

 わんわんと泣き崩れた。泣く資格などないと分かっていてもわたしの涙も我慢の限界だった。一度流れてしまえば、その跡を辿って次から次へと流れていく。

「ごめん、ごめん」

 謝ることしかできない。

「謝るなら、好きに、なってよぉ」

 受け取るしか、もうできない。

「好きになってくれて、ありがとう」

「……最初から、振ってくれたら……」

 振ってあげたらよかったのだ、彼女にとってそれでよかった。

 彼女は泣き続けた。そうして、眠ってしまった。


 泣き腫らした彼女の寝顔は、見ているだけで苦しくて痛かった。彼女はこんな思いをずっとしていたのだろう。プロジェクターの接続を切って、暖色の常夜灯をつけた。今のうちに私物をまとめておこうと思った。

 望んでいたはずなのに、こんなにも悲しみが勝ってしまうのかと胸の痛みは強くなる。気持ちが強く揺さぶられているのに、恋愛の好きではないことが悔しくてたまらなかった。

 整理をしていく途中、夏にした手持ち花火の残りを見つけた。季節外れの花火も楽しそうだと彼女がいうので半分残しておいたものだ。こうやって、約束の果たされていない事がたくさん残っているのかもしれない。

 夏にした時のバケツを探し出し水を汲むと、ライターと花火を持って外へ出た。大学が近くにあるとはいえ、閑散としたこの辺で花火をするのは容易かった。あの時は、今くらいの時間に外をでて公園で花を咲かせたっけ。今は部屋の前の道路で、一人火を花にする。

 蝋燭がないためライターから直接火をつけるわけだからその瞬間は熱いが、それくらい自分への罰だと思えばむしろやらなければと思った。

 うるさいだろうか、近所迷惑だろうか。そうは思っても火をつけずにはいられなかった。

 小さな火の種がほんの一瞬で飛び散っていく。眩しかった。一緒にした花火は楽しかった。好きだなと思う瞬間もゼロではなかった。でもそれは持続を知らず一瞬で儚く消えていった。花火のように、束の間の幻だった。

「好きだよ」

 最後の花火。もう消えるというところで、その言葉を花火に溶かして蓋をした。

 好きだった、大切な友人として。彼女の好きは果たしてどこへ溶けていくだろう。他の誰かに向いて、報われて、涙を忘れて生きてくれるだろうか。わたしはどうも死ねないみたいだから。死んだら全てが失われる。わたしの記憶も、彼女がいたということも、彼女との思い出も消えていく。彼女を手放す代わりに、彼女を覚えていたい。友人として、永遠に君の幸せを願うから、どうか許して。

 午前二時半。夜明けまであと数時間、最後に彼女の傍で眠ろう。起きたら伝えよう。全身全霊で。抱きしめてもいいだろうか。今度こそ本当の心で、彼女に伝えよう。君が大嫌いだと。

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祝い とがわ @togawa_sora

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