第十二話:じゃあ、三人とも……聞いてくれるかしら?

 次の日の放課後。


 俺とヒマワリ、カエデはユリカさんの入院する病院を訪れた。

 病院のエントランスをくぐり、面会の受付を済ませる。

 受付の女性が、「お見舞い? 偉いわね」と頬笑んで、俺達は愛想笑いをした。


 確かにお見舞いといえばお見舞いなのかもしれない。

 しかし、その目的は「カエデによるユリカさんの論破」だ。


 三人揃って微妙な表情になったのは仕方がないことだろう。


 エレベーターに乗って、ユリカさんの病室がある階へ向かう。

 ヒマワリ曰く、退院は明日になるのだそうだ。


「カエデ」


 目的階に到着する僅かな待ち時間、俺はちらりとカエデを見やる。


「具体的にどうするつもりなんだ?」

「え? 具体的に、ですか?」


 カエデが俺の方を見て、少しだけ眉間に皺を寄せる。そして困ったように笑いながら口を開いた。


「えっと……。特には考えてません」


 カエデの口から飛び出たのは予想外の言葉だった。


「え?」


 二人分の驚く声が庫内に響く。


「か、か、カエデちゃん。大丈夫!? 私が言うのもなんだけど、お姉ちゃん結構手強いよ!?」


 数秒のタイムラグの後ヒマワリが慌てた声を出す。何も言わなかったが俺もほとんど同意見だ。

 ユリカさんが意外と頑固であることは、俺もヒマワリもよく知っている。


「大丈夫です。こういうのは事前に準備なんてしてしまうと、逆にうまくいかなかったりするものですから」

「そう……なの?」


 ヒマワリが信じられないといった表情で返事をする。


「はい。昨日『論破』と言いましたけど、実際には対話と説得です。ユリカさんが何に困っているのか。鈴川トウジさんが何に困っているのか。今の状況を二人はどう思ってらっしゃるのか。聞き出した上で、『こうしたほうがよいですよ』と言うだけですから」


 にこりと笑うカエデからは、妙な迫力がする。


 しかし。確かに。


 相手と議論をするということを考えた場合、事前に準備してしまうと、想定から逸れたときの応用が効かない。


 なんとなくわかる。わかるのだが……。


 にこにこと微笑んでいるカエデを見て、俺はとある女性を思い出してしまった。

 ほかでもない岡平さんだ。


(カエデは絶対に怒らせちゃだめだな……)


 俺は人知れずそんなことを考えた。


 ややあって、ちん、という音と共にエレベーターがとまり、扉が開く。


 看護師の女性が慌ただしく歩き回る廊下を通って、昨日と同じ病室へたどり着いた。


 ヒマワリがノックをする。

 中から、「はあい」と、ユリカさんの柔らかな声が聞こえたので、ヒマワリが扉を開けた。三人揃って中に入る。


「あら。ヒマワリ、ヨウ君。それと……カエデちゃん? お見舞いに来てくれたの?」

「うん」


 ヒマワリが頷いてから、振り返ってカエデの顔を見た。

 ヒマワリの視線を受けたカエデが一歩前へ出る。


「ご無沙汰しています。ユリカさん。ご懐妊のご報告の折、ヨウ君のお家で会って以来でしょうか」

「ええ。わざわざありがとう」


 ユリカさんが苦笑いしながらお礼を言った。そして、苦笑いを崩さずにヒマワリを見遣る。


「ヒマワリ? カエデちゃんになんて伝えたの? 別にたいしたことないし、明日退院なんだから。大げさじゃない?」


 そう言って、ユリカさんが小さく笑う。苦笑いから一転して少しだけ嬉しそうな顔をし、「ま、嬉しいけどね。検査も終わって退屈だったの」と付け加えた。


「ユリカ姉。検査の結果は?」


 俺はとりあえず、気になっていたことの一つを訊ねてみることにした。「大丈夫そうだ」と聞いてはいたものの、実際の検査結果を聞くまでは心の底から安心できないものだ。


「大丈夫よ。検査も全部終わって異常なし。お腹の子も元気だって。なんだけど、お医者様に今日はゆっくりしていきなさい、って言われちゃった」

「そうなんだ。良かった」

「うん。心配かけてごめんね」


 ユリカさんの謝る言葉に俺は首を横にふる。

 確かに心配はしている。でも、それは好きでしているわけで、謝られることじゃない。


「あの。ユリカさん」


 最初に挨拶をしてから、ずっと黙っていたカエデがやおら口を開いた。


「すみません。私、ヒマワリさんから聞き出してしまったんです」

「聞き出してしまった?」


 ユリカさんが不思議そうな顔をする。


「はい。ユリカさんの旦那様がちょっと大変な状況にある、ということを」

「ああ……。そのことね」


 ユリカさんが小さく、ふう、とため息を吐いて、ヒマワリをちらりと見た。

 どういう了見で家族のこみいった話をカエデに打ち明けたんだ? と、乱暴に言えばそういう視線だ。

 視線を受けたヒマワリが僅かに肩をすぼめる。


 その様子を見て、すぐさまカエデがフォローに走った。


「あ、ヒマワリさんは悪くありません。私が、無理やり、聞き出したんです」

「……ええ……っと?」


 一転して、ユリカさんは、自分がどういう状況に置かれているのかわからなそうな顔をした。


「私の父、大手の商社に勤務しているんです」

「そうなの」


 それが自分になんの関係があるのだろう。ユリカさんの顔はそんなことを言いたげな様子だ。


「商社って忙しいみたいなんです。私の記憶にある限り、二度。父は会社に隠れて心療内科に通っています」

「え?」

「それから、父から、同僚の方が大変な思いをしたらしい、という話も何度も聞いています」


 カエデがまっすぐにユリカさんを見る。


「お力に、なれると思うんです」


 ユリカさんがカエデの言葉を受けて、ゆっくりと目を閉じる。

 それから、深く息を吐いて、目を開けて、口元だけで微笑んだ。


「ありがとう。でも、大丈夫よ。これは、私達二人の問題だから」


 ゆるりと微笑んではいるが、目は笑っていない。やんわりとした、それでいて明確な拒絶。

 ユリカさんの瞳は、雄弁に「深入りしてくれるな」と言っている。そんな気がした。


「ユリカさん」


 聡明なカエデのことだ。ユリカさんに拒絶されたことは理解しているだろう。

 しかし、それでも、カエデは言葉を続ける。


「夫婦お二人の問題、と断ずるにはいささか早計ではありませんか?」

「え? どういうこと?」

「まず、ユリカさんのお腹には小さな命が宿っていらっしゃいます」


 カエデが自分のお腹に手を当てながら言う。


「もしも、ユリカさんが身重でなければ、私もこうまで深く関わろうとはしなかったでしょう。そもそもが私は部外者。その上、仰るとおり、ご夫婦お二人の問題です」


 ゆっくりと言い聞かせるように告げながら、カエデがちらりとヒマワリを見やる。


「ですが、生まれてくるお腹の子供は?」


 ユリカさんはカエデの言葉を黙って聞いている。


「ヒマワリさんにとっては甥か姪になるでしょう。ヒマワリさんです。さぞかし可愛がるでしょう。お父様、お母様も同様です。ご両親にとっては初孫です」


 諭すような語り口は、まるで歌っているかのようだ。


「昨今、核家族が大多数を占めているとは言え、子供は夫婦二人だけで育てるものではありません。未だ高校生の私に何がわかるのか、と仰るかもしれませんが、あえて申し上げます。育児は祖父母、両親、地域、一丸になってやるべきものです」


 気づくとベッドの横までカエデが移動していた。


「お腹の中のお子様を大切に思うのであればこそ、今回をきっかけとして、貴女は周囲にSOSを出すべきです」


 そこまで言い切ってから、カエデが深く息を吸った。

 ユリカさんが、カエデではなくベッドに投げ出した自身の脚を見ながらがぼそりと呟く。


「……そうね。カエデちゃんの言う通りかもしれないわ」

「では――」

「でも、私も相談していないわけじゃないのよ? お父さんお母さんに相談しているし、トウジさんのお父様お母様にも話しているわ」


 にこりと笑って、ユリカさんが言った。

 翻訳するならば「子供のお前らが出る幕ではない」だろうか。


「特に、あなた達はこれから受験でしょう? 私達のことは放っておいて、自分たちのことに集中してて欲しいの」


 おおう。

 俺ならここで、「うん、そうだね」とでも返してしまいそうだ。


 しかし、カエデは流石だ。

 しっかりとユリカさんの言葉に反論を重ねる。


「お言葉ですが、ユリカさん? ユリカさんが大変だというときに、ヒマワリさんやヨウ君が受験に集中できますか?」

「それは……」

「ユリカさんにとって、お二人はそれほどまでに薄情な人間なのでしょうか?」

「そっ……んなことないわ」


 カエデがほとんど勝利を確信したような顔をした。

 きっとユリカさんからは見えていないだろう。口の端が少しだけ歪んでいるのを。


 多分俺からしか見えていない。


 ……忌憚なく言えば、怖いぞ、カエデ。


「ユリカさんからすれば、私達は子供でしょう。ですが、子供だからこそできることもあります」

「……でも」

「旦那様、病院にいかれていませんね?」


 ユリカさんが、ばっ、と顔を挙げて、カエデを見る。

 目は驚きに見開かれていた。


「やはりですか……。ヒマワリさんからお話をうかがって、変だなとは思っていたんです」

「なんでわかったの?」

「わかってませんよ。なんとなく違和感を感じたのでカマをかけただけです」


 さらりとカエデがすごいことを言い始めた。

 温厚なユリカさんも流石に少しだけ眉間に縦皺を作り顔を歪める。


「通院しているのであれば、『ちゃんとお医者様に診てもらってるから大丈夫』なんて一言、出てきそうなものです。ですが、ヒマワリさんからそういう話は聞いていませんし」

「カエデちゃん? そういうやりかたは――」

「やりかた云々を咎めるのは結構です。ですが、今そこは本質じゃあないのでは?」


 ぐうの音も出ない正論に、ユリカさんが「う……」とうめいた。


「ご両親に相談している、と先ほどおっしゃいましたが、実のところ根本的な部分では何も伝えていないのではないですか?」


 ユリカさんは何も喋らない。

 これもカエデのカマかけだと思っているのか、図星だから何も言えないのか。


「精神的な病は、放置すればするほど寛解が遅れます。初期対応が命なんです」


 カエデが「黙っていても構わない」とばかりに、まくしたてる。


「父も一度目はひどいものでした。朝ベッドから起きられないんです。三時間も前に目は覚めているのに」


 苦笑いをして、カエデが言う。


「真顔で『死にたい』なんて言うんですよ? 信じられますか? 家族がそのように変わっていく様を、ユリカさんはご覧になりたいのですか?」

「……見たくないに決まってるわ」


 ようやく、黙り込んでいたユリカさんが、吐き捨てるように喋った。


「お医者様との相性もあります。薬との相性もあります。ですが、とにかく受診をしなければなりません。普通は悪くなっていきますから」


 カエデがユリカさんのベッドに腰を下ろす。


「ユリカさん。話してくださいませんか? 話を伺った上で、私が、我々のような子供に手に余るかどうか判断します。一度『手を出さない』と判断したなら、ヨウ君にもヒマワリさんにも手を出させません」


 ユリカさんが、カエデを見る。口を開いたり閉じたりして、目を泳がせた。


 カエデがちらりと俺を見る。

 その瞳に見える色は、「勝利」の二文字だ。


 たおやかな女の子だと思っていた。

 勿論頭の良さも知っていた。

 知識も、経験も、同世代の人間と比べ物にならないだろうことも理解していた。


 しかし、俺は見誤っていた。カエデという人間の凄さを。悪辣さを。

 いや、カエデに力を貸してくれと頼んだのは俺で、それを「悪辣」なんて言ったらどうしようもなく失礼なのだろうけど……。


 もう一度思う。カエデを怒らせてはならない。


「……カエデちゃんの言う通りね」


 ほらあ。


 ユリカさんは、本来見た目にそぐわず頑固で意固地だ。

 こうときめたらこう、自分の信じる一本の芯を通して、決して曲げない。そのが、人間としてあるべき姿であるから、わかりづらいだけで。


 ユリカさんは、ものすごく聞き分けが悪いのだ。


 そのユリカさんを説得した。


 俺も、ヒマワリですらもできなかっただろう。


「じゃあ、三人とも……聞いてくれるかしら?」


 ユリカさんが苦々しい表情で、ゆっくりと語り始めた。

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