第十一話:私も同席します。理屈で言い負かすのは得意ですよ?

 両親に伝えてきたというヒマワリの言葉は嘘ではなかったようで、母さんが電話したところあっさりと「よろしくお願いいたします」と返ってきたらしい。

 おばさんもジャストなタイミングでウチに電話をかけようとしていたらしく、通話ボタンをタップしようとしていた矢先に着信がきたので、結構ビビったとのことである。非常にどうでも良い情報だ。


 ヒマワリがウチに泊まりに来るのは初めてではない。中学に上がるまでは、度々泊まりに来ていた。


 とは言え、それは飽くまで思春期を迎える前の話で。

 俺もヒマワリも、大人ではないけれども、何も知らない子供かと問われればそうではなくて。


 だから、小学校の時のように、一緒の部屋で寝るなんてことには当然ならない。


 夜は、普段客間として空けているリビング隣の和室に布団を敷いて寝てもらう、とそういうことになった。


 そんなヒマワリは今風呂に入っている。それを待つ俺はと言うと、父さん母さんと一緒にダイニングテーブルを囲んでいた。

 家族会議、ではないが、ちょっとした情報のすり合わせをするのだ。


「ヨウ。トウジさんのこと、ユリカちゃんのこと、いつからどこまで知っていたの?」


 母さんが俺を見つめながら言った。


「二週間くらい前、かな。鈴川さんが会社に来なくなった、ってくらいまでは」

「ヒマワリちゃんに聞いたの?」

「いや。ちょうどヒマワリとカエデと三人で集まってた時に、岡平さんから電話がかかってきて――」


 俺は、あの日の出来事をかいつまんで話す。


 突然岡平さんから電話がかかってきたこと。

 鈴川が体調不良からの無断欠席コンボをかまし、連絡が取れなくなったこと。

 その後で、ユリカさんが無事鈴川を見つけ、岡平さんに口止めされたこと。


「そう……。岡平さんって、あの――」

「うん。この時の人」


 そう言って俺は、シャツの袖をまくって、右腕を見せる。

 父さんと母さんには、見る人によっては痛々しくも感じる傷口がはっきりと見えているだろう。


「……確かに、岡平さんの判断は正しい」


 眉間に皺を寄せて黙り込んだ母さんを見て、父さんが言った。


「いくら仲の良いお隣さんだからといって、我々は部外者だよ。お母さん」

「そう……。そうね。わかってるんだけど……」


 父さんに言葉を投げかけられた母さんは少しだけショックを受けたような顔をしている。

 俺はまずいことをしてしまったのでは、と一瞬思った。


「えっと……。ごめんなさい」

「ヨウが謝ることはない」


 父さんが優しげに目尻を細めて俺を見た。


「お母さん。ヨウは家族にさえ岡平さんから聞いた秘密を漏らさなかった。褒められこそすれ、怒られるなんてとんでもないよ」

「そんなことわかってるわ」

「じゃあ、その顔をやめなさい」

「あ、ごめんなさい。私は別にヨウがどうこうで難しい顔をしているんじゃないの」

「そうなのか。それは失礼」


 母さんが右手で眉間の皺を伸ばす。

 どうやら、母さんは俺が色々と秘密にしていたことに対して思うところがあるわけではないらしい。


 父さんと俺は顔を見合わせる。


 であれば、なぜそんな難しい顔をしているのだろうか。


「部外者なら部外者なりに、できることはないかなって」

「気持ちはわかるが……」


 父さんが苦々しい声を出す。


「例えば、ヒマワリちゃんのことね」

「ヒマワリの?」


 唐突に出てきたヒマワリの名前に思わず俺は声を出した。


「そう。今日だって、色々とショックでお家を飛び出してきちゃったんだと思うのよ。それに、あの子なりに気を遣ったのもあると思うし」

「ヒマワリが、気を遣った・・・・・?」


 ヒマワリが気を遣えない人間だなんて言うつもりはない。ただ、今日のあいつに関して言えば、いたたまれなくなって出てきたというのが正しいように思うのだけれど。


「ヨウ? ヒマワリちゃんは、ものすごく気配りができる子よ。お父さんもお母さんも感心しちゃうくらいに」


 そうか?

 ものすごく気配りができる、となると話は変わってくる。


 とは言え、ここで反論したとしても何が変わるわけでもない。

 特に母さんに関しては、俺は言い合いで勝てた試しがない。


 俺は口を噤んだ。


「ヨウ?」

「うん」

「私達がトウジさんとユリカちゃんにしてあげられることは少ないわ。でも、ヨウはヒマワリちゃんになら色々としてあげられる」


 そう言って母さんが、父さんの顔を見る。

 視線を向けられた父さんは、神妙な顔で深く頷いた。


「ヒマワリちゃんの力に、なってあげなさい」



 §



 しばらくして、ヒマワリが風呂からあがってきたので、とりあえず寝るまでの間二人で俺の部屋に引っ込むことにした。

 母さんの「あとでお茶でも持っていくわね」という言葉に、ヒマワリが丁寧に謝意を示すのを見届けてから、二人で階段を昇る。


 ヒマワリが部屋のドアを開け、いつもの定位置に陣取った。

 ベッドに背をもたれて、膝を抱えて座り込む。


「で?」


 ぼうっと宙空を眺めているヒマワリに声をかけた。


「で? ってなに?」

「いや、突然押しかけてきたんだから、なんか話したいことでもあんのかな、と思って」

「あー……うん。あるにはある、んだけどね」


 ヒマワリの返事は歯切れが悪い。


「まだ、纏まってない感じか?」

「うん。もうちょっとだけ整理させて、ごめんね」

「おう」


 すっかり萎びた様子のヒマワリを少しだけ心配する。


 しばらく疎遠になってしまって、また交流するようになってから半年くらい。

 こいつがヘコんでる姿は何度も目にした。しかし、回数は多いけれども期間に関してはそうでもない。


 ヒマワリはいつだって元気いっぱいだ。

 見ているこっちさえ、活力に満ち溢れそうになる笑顔で、周囲をどんどんと引っ張っていく。


 こいつがしょぼくれている様は、何度目にしても慣れるものではない。


 それに、今回はことがことだ。

 正直、ほとんど部外者の俺だってショックなのだ。


 半分くらい当事者のこいつがショックじゃないはずがない。


 しばらく、ヒマワリを視界の端で観察し続けていると、ヒマワリがゆっくりと口を開いた。


「ねぇ、ヨウ?」

「なんだ?」

「協力、してくれない?」


 こいつの口から協力を求める言葉を聞くのは、あの日以来だろうか。

 そもそもが、ヒマワリは積極的に他人へ協力を求めるタイプではない。


 自分の力を全部使って、やってやって、やりきって。

 その後で「なんとかしてくれ」と言う女だ。


 そんなヒマワリが、初手から「協力」を求めている。


 なら、答えは一つだろう。


「いいぞ」

「そうだよね……。やっぱ、ヨウもそう思うよね――って、え?」

「協力する。なんとかしたいんだろ?」


 ヒマワリが目をぱちくりさせた。


「てっきり『俺達にはどうしようもない』って言われるかと……」

「でも、どうにかしたいんだろ?」

「それはっ! …………うん、そう」

「なら、どうにかしよう」


 ヒマワリが瞠目して俺を見る。


 それから、口角が持ち上がり、目が細められる。


「うんっ!」





 とは言っても、具体的に何をするべきなのかなんてさっぱりだ。


 ユリカさんの様子も心配だが、元凶を取り除かねば意味がない。


 なので、必然的に大元である鈴川を元気にする、という話になるのだろうが……。

 俺もヒマワリも精神的に病んでしまった人間をどのように扱えばよいのかなんてわからない。


 俺達の知っている中で一番詳しそうな人といえば岡平さんなんだけどな。

 ただ、俺達にできることはないと告げた岡平さんにいきなり相談しても、同じ結果に終わる気がする。


「うーん。なにをどうすればいいのか、わからん」

「だよねぇ」


 俺もヒマワリも一生懸命考えはするが、ただ唸り声を上げるだけ。

 こんな状態じゃ答えが出ようはずもない。


 ふと、思いつく。


「カエデなら……」

「カエデちゃん?」

「うん。とりあえず、カエデにも相談してみよう」

「巻き込んじゃって大丈夫かな?」


 そこに関しては俺も少しだけ後ろめたさがある。

 カエデから向けられる好意はずっと変わらない。俺が「知恵を貸してくれ」といえば、きっと力を貸してくれるだろう。

 しかしそれは、向けられている好意を利用しているようで、ずるい気がする。


 ……でも、状況が状況だ。なりふり構ってられない。


「電話してみる」


 俺の言葉にヒマワリが頷いた。


 スマートフォンで「悪い、今電話できるか?」とメッセージを送ると、すぐに「大丈夫です」と返ってきた。


 通話をかける。二コールくらいで、カエデは出てくれた。


『こんばんは。どうされましたか?』


 嬉しそうな声にわずかに罪悪感が湧き上がった。


「あー、えっと……。ちょっと気が引けるんだけど、相談があって」


 歯切れの悪い俺に、電話の向こうのカエデは少し黙ってから、ふふ、と笑った。


『鈴川トウジさんと、ユリカさん、のことでしょうか?』


 なんでわかったんだろう、と不思議に思う。

 だが、カエデは鈴川がそういう・・・・状態にあることを知っている。


 聡明なカエデのことだ。このタイミングで俺が電話をかけたことから、すぐに推察できたのだろう。


「うん」

『それで、ヨウ君がそんな声を出しているってことは、私に協力してほしいけど、なんだか後ろめたい、ってところでしょうか?』


 超能力者かなにかだろうか。


『ヨウ君のことなら、なんでもお見通し、と言いたいところですが、なんでもかと言われると微妙な気がしますね』

「……悪い」

『謝らないで下さい。ヨウ君が私を頼ってくださって嬉しいです』


 おおう。

 ここまで言われるともはや俺が悪者みたいだ。


 いや、まごうことなき悪者だ。


「……ごめん」

『だから、謝らないで下さいってば。心配だったのは私も同じですし、力になれることが僅かでもある事実が嬉しいんですから』

「なんっつーか。ありがとう」

『いいですってば。で、そこにヒマワリさんもいるんでしょう? スピーカーにしていただけますか?』


 流石のカエデさんだ。話が早い。

 俺は、スマートフォンを操作してスピーカーモードにする。


『ヒマワリさん。こんばんは』

「あの……。面倒なことに巻き込んじゃってごめん」

『何を仰ってるんですか。助けを求めている友人の力になるのは当然です』

「カエデちゃん……」


 ヒマワリも感極まったような声をだす。

 俺? いろんな感情が相まって、もうさっきから泣きそうだよ。


『とりあえず、今の状況を教えてもらってもよいですか?』





 俺とヒマワリが補足しあいながら、カエデに一通りこれまでの経緯いきさつを説明した。


 カエデが電話の向こうで、「ううん……」と唸る。


『まずは、鈴川トウジさんのストレス原因が何なのか突き止めること……が先決ですね』

「それは、わかってるんだけど」


 カエデの意見に、ヒマワリが、でも、と言う。


『病院には行かれたんですか?』

「行ってない……のかな? 何も教えてもらってないんだよね」

『では、まずはユリカさんにお話を聞きましょう』

「お姉ちゃんなら、きっと『私は大丈夫』の一点張りになっちゃうような気が……」

『ヒマワリさん? それは、きっとお二人だけでユリカさんとお話ししたのであれば、です』


 どういうことだろうか。

 俺とヒマワリは顔を見合わせる。


『私も同席します。理屈で言い負かすのは得意ですよ?』


 えっと?


「つまり、ユリカさんを論破する、って言ってる?」

『はい。父とディベートを重ねた私の弁舌をお披露目しますので』


 電話の向こうで、カエデが舌を出して笑っている。

 そんな気がした。


『お二人は、ちゃんと援護射撃、してくださいね?』

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