第九話:お姉ちゃんが、倒れて病院に運ばれたって……

 朝のホームルームで進路希望調査提出も済ませ、一時限目との合間。


 カエデが俺の席までやってきた。


「鈴川さんのお加減はいかがですか? ヒマワリさんからなにか聞いてます?」

「とりあえず、おばさんから鈴川の状況はぼやっと教えて貰ったらしいけど――」

「あ、それは私も聞きました。出来事が出来事だけに、細かい話は全然お母様はお話しにならなかったとか」

「うん。とりあえず、機を見てお見舞いって名目で、おばさんについてくくらいはできるんじゃないか、とは伝えたけどな」

「そうですね。今すぐは無理でも、様子を見に行くくらいはできるでしょう」


 あの日から、気づけば一週間強経った。今日は月曜日。

 ヒマワリはあれから、俺の部屋にはやってきていない。


 カエデはヒマワリと一緒に俺の家にやってくるから、ヒマワリが来なければ必然的にカエデも来ない。


 とは言え、一週間くらいであれば、二人がウチに来ないことなんて珍しくもない。

 たまたまタイミングが合わなかった、だとかいくらでも理由は考えられる。


 だから、ヒマワリについてはあんまり心配していない。


 一方で、鈴川とユリカさんの情報が全く入ってこないことは、少し不安だ。

 何も知らされず五里霧中みたいになっている状態は結構辛いものがある。


 とは言え……だ。


「まぁ、とりあえず、今は待つだけだろうな」

「そうですね……」


 カエデが少しだけ顔をうつむかせて、なにかを考えているような素振りを見せた。

 何を考えているのか少しだけ気になりはするが、俺も鈴川の話題になれば似たような顔をしているだろうことに気づく。


 子供の俺達にとっては、非常に難しい問題だ。

 考えても意味がない。だからこそ、カエデの考えを訊ねても意味がない。


「ヨウ~、春夏冬あきなしちゃん~」


 そんなふうに、二人で黙りこくっていると、浜口がいつもどおりの様子でやってきた。


「な、なんだよ。ヨウ。変な顔で俺を見るなよ」

「いや、すまん。お前は悩み事とかとは無縁そうで羨ましい、と思っただけだ」

「なんだそれ。俺にだって悩みごとくらいありますうー!」


 浜口がにやけた口元を崩さずに、目元だけでむっとした表情を作った。


「ほう? じゃあ言ってみろ。最近何で悩んだ?」

「最近は……そうだな。ウチのおふくろさ」

「おう」

「親父が『これ美味い』とか言い出すと、一週間くらいそのメニューが続くんだ。丁度先週、親父が『旬の秋刀魚さんまは美味いな』とか言い出してよ。それからずーっと、秋刀魚、秋刀魚、秋刀魚……。たまには肉が食いたくなるよな」

「わかった。お前に聞いた俺がバカだった」


 俺と浜口のそんなやり取りを聞いてカエデが小さく笑う。


「って、それはどうでもよくて。ヨウは、進路希望どうすんだ?」


 浜口が気を取り直して俺を見た。


「進路希望なあ」

「そうそう。第一志望どこよ?」


 少しだけ考える。

 ここで「東大目指すわ」とか言うのは、流石に恥ずかしい。


「あ、私も興味あります」


 どうにか話を逸らす方法を絞り出していたところ、カエデも興味津々といった面持ちで俺を見た。


 これは。うん。

 なんとなく、濁したりできなさそうな雰囲気だ。


 まぁ、浜口とカエデなら良いか。笑われても。


「……東大」

「は?」


 予想以上に恥ずかしさが勝って、小声になってしまったからか、浜口が聞き返してきた。

 カエデも聞こえていないようだ。顔にクエスチョンマークを貼り付けている。


「俺の第一志望は東京大学だよ」

「へー、東京大学かぁ。……って、とっ!?」

「しーっ。声が大きい」


 流石にクラスメイト全員にバレるのは恥ずかしい。


「お前……大きく出たなぁ」

「目標を高くする分には良いだろ。別に金がかかるわけでもないし」

「まぁ、そうだなぁ。ヨウなら、案外あっさり合格しそうだよなぁ」


 浜口が感心したように頷く。


 笑われても良いとは思っていたが、こうも感心されたらそれはそれで恥ずかしい。


「ヨウ君なら、頑張れますよ。私、応援してます」


 カエデがふわりと笑いながら言う。


「なんか、カエデはともかく、浜口のリアクションが予想外過ぎて戸惑う」

「なんだそりゃ。どういうのを想像してたんだよ」

「いや、笑われるかと」

「なんで笑うよ。お前のことだから、ちゃんと考えて決めたんだろ? 笑わねぇよ」


 おおう。意外と大人だ。

 そんなことを言った次の瞬間に、カエデの方を見てドヤらなければ、満点だったんだけどな。


「ちなみに、浜口。お前は?」

「俺? 都内の私立だよ」

「ほー」

「女の子にモテそうな順番で第一、第二、第三、って書いた」

「お前……」


 なんとも浜口らしい答えだ。


 言葉どおりに受け取ってはいけないのだろうが、浜口を見ていると、うじうじ悩んでいた自分がアホらしくなってくる。


「カエデは、外国語勉強できるところだっけ?」

「はい。偏差値の高い順番に書きました」


 なんとなく具体名を聞き出さずとも、どこの大学を希望したのか想像がつく。


 カエデはすごい、と素直に思う。告白されて、断って、それでも諦めないと言われて。


 こんなことを思えるような俺ではないけれども。

 ものすごく勝手なことを考えている自覚はあるけれども。


 カエデに好きでいてもらえるような男であり続けたいと思った。


 ……考えるだけなら、自由だよな?


 チャイムが鳴る。

 今日も一日が始まる。



 §



 授業もすべて消化し、帰宅した。


 とりあえず自分自身の課題である、進路については、答えが出せた。

 やるだけやってみよう。


 鞄を片付け、着替えて机に向かう。


 教科書やら参考書やらを机に広げて、さて勉強するか、と意気込んだ時、スマートフォンがぶるぶるぶるぶると震え出した。


 電話だ。画面を見ると「ヒマワリ」の文字がでかでかと表示されていた。


「なんだ?」

『ヨウ!? 今から行って良い!?』

「いや、良いけど、なにが――」


 なにがあったんだ、と聞き返す前にぷつりと電話が切れた。

 ひどく慌てた声だったように思えたが。


 色々と覚悟しながら待つ。

 当然ながら、机に広げた教科書等と真剣に向き合う気力は削がれてしまった。


 五分もせずに、インターホンの音が家中に響き、ヒマワリの「こんにちは、おばさん」が聞こえた。


 ばたばたばた、と階段をのぼる足音が聞こえ、次いでばたんという音。


 扉を開けてヒマワリが部屋の中に飛び込んでくる。息を荒げながら。


「よ、よ、よ、よ!」

「落ち着け、ヒマワリ。ほら、深呼吸」

「う、う、う、う」

「ほれ、吸って~」

「すう~」

「吐いて~」

「はあ~」


 三十秒ほど深呼吸をさせると少しだけ落ち着いたのか、ヒマワリが胸に手を当てて、大きくため息を吐いた。


「どうした?」

「お姉ちゃんが……」

「ユリカさんがどうした?」

「倒れた……って」

「は?」


 ちょっと待て。

 日本語が理解できていない。


 ユリカさんが。

 倒れた?


 どういうことだ?


「どういう……」

「お母さんから、メッセージが来て、お姉ちゃんが、倒れて病院に運ばれたって……」


 いや、全然わからん。


「おばさんは?」

「すぐに病院に向かったって」

「お前にはなんて?」

「とりあえず、家にいなさいって」


 ようやく状況が飲み込めてきた。


 その一、ユリカさんが倒れた。

 その二、それから病院に運び込まれた。


 ヒマワリの言っていることをただ脳内で繰り返しただけ。

 しかし、その事実は重い。


「だ、……大丈夫なのか?」

「わかんない……」

「わかんないって、おま……。いや、そうだよな」

「どうしよう……」


 どうしよう、って言われても……。


 一旦冷静になろう。


 ユリカさんが倒れて、病院に運び込まれた。

 おばさんが、病院に向かっている。

 原因は不明。


 ユリカさんは大丈夫なのか?

 お腹の子供は大丈夫なのか?

 どれくらい深刻なんだ?


 情報を整理すればするほど、疑問が湧いてくる。


「……とりあえず、待とう」

「……うん」


 今はそれくらいしかやれることはない。


 と思ったが、一つだけできることがあった。


「ヒマワリ」

「なに?」

「おばさんに口止めされてたりしないか?」

「うん。されてない」


 そうか。ならば。


「母さんに伝えるけどいいか?」

「おばさんに?」

「うん」


 ユリカさんが倒れたことは、秋野家と家族ぐるみの付き合いがあるウチにとっても大事件だ。

 情報連携をしても、おかしくはない。


「いい、と思う」

「おう。じゃあ、待ってろ」

「うん」


 部屋を出て、階段をおり、リビングに向かう。


 母さんはソファに座って、テレビを見ていた。


「母さん」

「どうしたの? ヨウ」

「ユリカさんが倒れたって」

「……倒れた? ユリカちゃんが? どうして?」

「いや、全然わからなくて。とりあえず、ヒマワリからそれだけ聞いてる」

「そう……」


 母さんが顎に手を当てて考える。


「秋野さんのとこに、メッセージ送っておくわ。ヨウ。アンタはヒマワリちゃんと部屋にいなさい」

「わかった」


 声が震えた。

 そんな俺を見て、母さんが、ふっ、と笑う。


「大丈夫よ」

「え?」

「そんな心配しなくても大丈夫。そりゃ、心配だろうけどね」

「なんで、わかるんだよ」

「んー、なんとなくよ」


 母さんが立ち上がって、俺の頭を乱暴に撫でた。

 少しだけ気恥ずかしくなって、手で振り払う。


「ま、なにかわかったら教えるから。とりあえずアンタとヒマワリちゃんは待機。いいわね?」


 俺は母さんの言葉に頷いて、リビングを出て部屋に戻る。


 ヒマワリが膝を抱えて、ベッドに背をもたれて、座っていた。

 こころなしか、ヒマワリの身体が小さく思える。


「母さんが」

「うん」

「とりあえず、俺とお前は待機しとけ、って」

「うん」

「なにかわかったら教えるって」

「うん」


 ヒマワリが必要最低限の返事だけをする。

 しかし、意気消沈としているわけではなさそうだ。


 瞳は俺をしっかりと捉えている。恐らく考えているのだろう。正解のない問いについて。

 今、自分がどうするべきなのか。何をするべきなのか。


 事件が連続しているし、本人に取っちゃ大事件だし。脳が疲れているだろうに。


 一瞬、「少し寝たらどうだ?」なんて言いかけてやめる。

 眠れるはずがない。俺だってそうだからだ。


「『大丈夫よ』ってさ」

「え?」

「母さんが」

「理由は?」

「なんとなく、って」

「なんとなくって……。まぁ、でも、おばさんがそう言うなら……」


 ヒマワリが少しだけ笑顔を見せた。





 それから、一時間ほどだろうか。

 母さんが、ノックと共に部屋に入ってきた。


 ひどく長く感じられたが、過ぎてしまえばあっという間だった。


「母さん」

「大丈夫だって。ただの立ち眩みなんだけど、転び方が派手だったみたいで、トウジさんが慌てて救急車呼んじゃったみたい」

「立ち眩み……」

「妊娠中って、身体が色々変化するから」


 母さんが、俺とヒマワリを安心させるように笑う。


「念の為、ユリカちゃんは少しの間検査入院。赤ちゃんになにかないか、ね」

「そっか」

「秋野さんから、二人も病院に連れて来て良いって言われたけど、一緒に来る?」


 俺はヒマワリと顔を見合わせる。

 答えは決まっている。


 俺はヒマワリと一緒に、母さんを見て、大きく頷いた。

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