第二話:あんなに小さかったヨウ君も、いつの間にか立派になったのね

「ヒマワリ……。お前知ってただろ」


 心配するユリカさんに「大丈夫」と返しつつも、「ちょっと頭痛が」とヒマワリとカエデの付き添いで部屋に戻った俺は、ベッドに横になってヒマワリをじろりと一瞥した。

 とてもじゃないけど、今は立っていられない。衝撃が大きすぎてふらふらする。


「あ~……ごめん、ヨウ。忘れてた」

「忘れるか!? フツー!」


 忘れねぇだろ。実の姉に子供ができたなんてよ。

 横になったまま頭をかきむしる。


 ユリカさんに子供ができた。実にめでたいことだ。ユリカさんが俺の初恋の相手じゃなければな。


 妊娠したってことは、そういうこと・・・・・・もしてたってことで。その相手は鈴川で。


 勿論、ユリカさんが婚約したと聞いてから、何度だって想像した。

 想像したくもないが、思い浮かんでしまうんだ。しょうがない。


 最初の頃は、床を転げ回るくらいにしんどかった。

 ずっと好きだった相手が別の男と、なんて考えたら誰だってそうなる。


 最近は一部界隈で「むしろ興奮する」なんておかしな感性をお持ちの方々もいらっしゃるらしいが、あいにく俺はそうう性癖を持っていない。

 ただただ、辛いだけだ。何度「脳を破壊された」のだろうか、なんて考えると。笑える。いや、笑えない。


 とは言え、最近は落ち着いてきたはずなんだ。はずだった。


 でも、本人の口から言われるとこう。

 うん。ぜんぜん違う。


「ヒマワリさん。こういう時適当なこと言って誤魔化すの、ヒマワリさんの悪い癖ですよ」

「う……」


 カエデが咎めるような声を出した。

 ん? どういうことだ? カエデの言っている意味がわからない。


「ヨウ君。私達は知ってました。黙っててごめんなさい」

「え? 知って……?」

「よく考えてください? ヒマワリさんは実の妹ですよ?」


 よく考えなくても、当然なことだとわかる。

 実の家族なら知ってて当然だ。


 じゃあ、カエデはなんで?


「私は、ヒマワリさんから聞いて」

「そう……なのか」


 つまりあれか? 俺一人だけ蚊帳の外だったってこと?


「ご、ごめんヨウ。アタシが聞いたのって、まだお姉ちゃんが妊娠して二ヶ月も経ってなかった頃だからさ」

「初期流産の可能性があるので、普通はある程度月数が経たないと、身内以外には教えないものです」

「お、おう。じゃあ、なんでカエデが知ってるんだ?」


 俺から出た疑問は尤もなものじゃないか?


「私もヒマワリさんから聞いたのは最近です。具体的には、先週くらいに」

「そうなのか」

「はい。で、ヒマワリさんと二人で、ヨウ君に話すタイミングを見計らっていたのですが、その前に……」


 あー……話が見えてきた。なるほどなるほど、そういうことね。


 つまり、ある程度俺がショックを受けないように最大限気を遣ってくれていた、と。


 ヒマワリなりの優しさだったのか。

 もしかしたら、カエデの優しさが大きかったのかもしれないが。


 ヒマワリが心底申し訳無さそうに言う。


「ごめんね。ヨウ。お姉ちゃんが引っ越してからアタシも頻繁に連絡取ってるわけじゃなくて……」

「いや、いい。さんきゅ」


 少しだけ「なんでもっと早く話してくれなかったんだ」とか思ったが、蓋を開けてみればそうじゃなかった。

 二人はちゃんとおもんばかってくれていたのだ。


 これで、ああだこうだ言い始めるなんて、器が小さすぎる。

 俺は器の大きい男だ。……多分? いや、そうじゃないかも。


 でも、さっきまで感じていたちょっとした驚きと怒りはすっかり消え去っていった。


 そして、かわりに虚脱感が残る。


「あー……」


 ユリカさんが妊娠。妊娠。妊娠……かぁ。


 起き上がって頭を振る。


 確かにまだ俺はユリカさんが好きだ。勿論、理屈で納得できないのも人間だ。でも、もう色々と諦めただろ。


 そろそろ。俺だって前に進まないと。


「二人共、ありがとう。戻ろう」

「え? 大丈夫なの? ヨウ」


 ヒマワリもカエデも俺を心配そうに見ている。


「大丈夫、大丈夫だから」



 §



 リビングに戻って、ユリカさんに軽く言い訳をしつつ謝ることにした。


 言い訳はこうだ。


「いや、ちょっとこんつめて勉強しすぎたみたいで……」

「あら、そうなの? 頑張り過ぎも良くないわよ」

「あ、あはは。結構集中してたからさ」

「ヨウ君は昔っから、集中するとすごかったからねぇ」

「そうかな? いや、心配かけてごめん」

「いいのよ。でも、懐かしいわねぇ。可愛かったなあ、ヨウ君」


 ふと遠い目をしたユリカさんが懐かしそうな声を出した。


「え? そう?」

「そうよ? しょっちゅう『ユリカ姉、ユリカ姉』ってついてくる割に、自分の興味がひかれたら、私すら目に入らない勢いで集中しちゃうところとか」

「あ、あー。そんなこともあったかな?」

「覚えてる? 私の部屋の漫画本とか文庫本、一日で三十冊も読み切ったの」


 覚えてる。

 ユリカさんの部屋においてあった、たくさんの本。


 ユリカさんの好きなものを知りたかったのと、部屋に入りたかったのとで、読ませてくれ、とダダをこねた。

 苦笑いをしながら「はいはい」とユリカさんが部屋に招いてくれたのを覚えている。


 で、最初は口実だったのに、いざ読み始めてみたら殊の外面白くて、想い人であるユリカさんのことも忘れてひたすらに一日中没頭したのだ。


 今思い返せば、何をやっているんだ小さい頃の俺、と思う。


 しかし、ユリカさんの本棚にあった本は全部面白くて、女の子が憧れそうな男がたくさん出てきて。

 スマートで、男らしくて、爽やかで。


 ああ、ユリカさんはこういう人が好きなのかもな、と子供心ながらに感じ取った。


 背が高く、頭もよく、運動もできて、寡黙で。

 それでいて、しっかりとした優しさを持っていて。


 きっとそれがユリカさんの憧れで。


 ユリカさんが憧れるような、憧れてもらえるような男になりたいと思ったものだ。


「そうだよね、ヨウったら、アタシと遊んでたのに、気付いたらお姉ちゃんの部屋で本読んでるんだもん」


 ヒマワリが俺を非難するようでいて、それでいて懐かしそうな表情をする。


「で、見つけて、話しかけてもうんともすんとも言わないの。困っちゃうよねえ」


 そう言いながら、ヒマワリがカエデを見る。

 興味深げに聞いていたカエデが、小さく笑った。


「ふふふ。小さい頃のヨウ君。私も見てみたかったです」

「アタシの部屋にアルバムあるけど見る?」

「あ、それは興味あります。ヒマワリさん、今度お邪魔しても?」

「カエデちゃんならいつでも」


 おいやめろ。

 小さい頃の写真とか、恥ずかしくしかないんだからな。


 本人をそっちのけで盛り上がり始めた二人を俺はじろりと睨みつけた。


「あんなに小さかったヨウ君も、いつの間にか立派になったのね」

「そりゃ……。もう、高校生だし」

「ヒマワリはともかく、カエデちゃんみたいな可愛い女の子まで部屋にいるようになるなんて……。お姉ちゃん、なんか複雑」

「ちょっ! べ、別に、それはっ!」

「あはは、ヨウ君。冗談よ、冗談。別に責めてるわけじゃないわ」


 ユリカさんのしてやったりと言わんばかりの笑顔に、からかわれていたことに気づく。


「かっ……。からかわないでよ」

「そんなつもりはなかったんだけどね」


 どこか誇らしげな顔で、ユリカさんが俺を見た。


「中学くらいのヨウ君は、私から見てもちょっと心配だったけど、成長したんだなって思うの」


 ああ、そうか。


 俺はずっとユリカさんを見てきた。


「ヨウ君はもう、ちゃんと周りの人と良好な関係を築くことができて。助け合えるような人がちゃんといるんだなって」


 でも、同じくらいユリカさんも俺を見てくれていたんだ。


「だから、お姉ちゃん嬉しくて」


 勿論、「見てきた」ことに込められた意味は、俺とユリカさんじゃ全然違う。


 俺は、ユリカさんを女性として好きだったから見ていた。

 ユリカさんは、俺を大切な弟分として見てくれていた。


 全然違う。

 違うけど。違うけど、「大切だ」という根本のところは一緒なんだろう。きっと。


「ねぇ」

「なあに?」

「子供、いつ生まれるの?」

「来年の三月くらいかな」

「そっか。生まれたら、抱っこさせてくれる?」

「勿論。たくさん可愛がってあげて」

「うん」


 ずーっと初恋をうじうじこじらせてきた俺だ。

 これからもずっとうじうじしてるんだろう。


 でも、もう、これっきりにしよう。

 うじうじしても良い。でも、ちゃんと初恋は初恋として思い出にしよう。


 ユリカさんを好きだった俺とはおさらばしよう。


「ユリカさ……。ううん、ユリカ姉」


 俺は小さい頃の呼び方で、彼女の名前を呼ぶ。


「おめでとう」

「ありがとう」





「で、トウジさんったら、子供ができてから、本当に頑張ってくれてて……」


 しばらくして、ユリカさんが日々の鬱憤なのか、のろけなのかわからない話を延々するという、よくわからない時間が訪れた。


「つわりもひどくないから、大丈夫って言ってるのにね?」

「まぁ、そういうときは、男にやらせるもんよ?」


 主に聞き役は母さんだ。

 俺とヒマワリ、カエデは、相槌をうちながらユリカさんの話を聞くだけ。


「でも、今までも家事は分担してたっていうのに、『ユリカは休んでて。全部俺がやるから』とか言われても、こっちも居場所がないっていうか」

「それが赤ちゃん生まれてからも続けばいいけどねぇ」

「逆に私が心配してるのはそこなんです」


 ユリカさんが頬に手を当てて困った顔をした。


「トウジさん、今お仕事もかなり忙しいはずで。なんでも大型案件のコンペがどうとかで……」


 鈴川が具体的にどんな仕事をしているかは知らない。

 ただ、システム会社の営業だ、ということだけ知っている。


「うちに帰ってきて、ご飯作ってくれて、掃除も洗濯もやってくれて。助かるのは助かるんですけど」

「けど?」


 母さんが続きを促した。


「私が寝てからも、持ち帰ってきた仕事をこっそりしてるみたいで」

「俺の若い頃は、それくらい当たり前だったけどなあ」


 父さんがぼそりと言った。

 それに母さんがツッコミを入れる。


「アンタは、家事も育児も、全然やってくれなかったじゃないの。仕事くらいちゃんとするのが当たり前よ」


 言われた父さんが「そ、それは」としゅんとする。

 家長の威厳もなにもあったもんじゃない。


「それに今と昔じゃ違うでしょ?」

「まぁ、そうだなぁ。うちの会社も、コンプライアンス、コンプライアンス、うるさくなったなぁ」

「そういうことじゃなくてっ! 今なんてただでさえストレス社会なんだから、頑張りすぎるのも身体に毒でしょうが」

「だが、俺の若い頃だって」

「アンタの若い頃なんて、大いにサボってサボって、終わらなくなったから家に持って帰って来てたんでしょうが、トウジさんとアンタじゃ違うわよ」


 そこまで言われると、流石に父さんがかわいそうになってくる。


 同じように思ったのか、ユリカさんが苦笑いしてから、一つ咳払いをした。


「なので、少し頑張りすぎてるような気がして。心配なんです」


 ユリカさんの言に、母さんが豪快に笑う。


「ま、この人にはこう言ったけど、女なんてどしんと構えておけばいいものよ」

「そうなんでしょうか」

「そうよ。男なんて弱い生き物なんだから、辛くなったらユリカちゃんのところに逃げてくるわよ」


 男二人の前で「弱い生き物」とか言われると、うん。

 女性って強い。そう思わざるをえない。


 はからずも、父さんと目があった。

 非常に情けない顔をしている。助けを求めている目だ。


 すまん。俺には何もできない。

 耐えろ、父さん。


 そんな思いで父さんにアイコンタクトを返すと、捨てられた犬みたいな目で見られた。

 どうしようもないだろ。俺にはどうにもできないって。


「なんかあったら、ユリカちゃんがそれとなーく、支えてあげるのよ」

「そうですね。夫婦はお互い支え合うものですものね」

「そうそう。男なんて意地っ張りなんだから、過度に干渉するとますます意固地になって困るのよ」


 だから、母さん。

 この場には男も二人いるんだから、そういう「男なんて」論はやめろ。


 肩身が狭くなる。


 ヒマワリとカエデが、ニヤニヤしながら俺を見てるし。

 父さんなんて少し泣きそうになってるぞ。


 しかも、言うこと言うこと、大体あっているから困る。

 これが年の功ってやつなのだろうか。


「ありがとうございます。おばさま。もうちょっとだけ様子を見てみます」

「うん。それがいいわよ」

「はい」


 そう言ってからユリカさんがちらりと腕時計を見た。


「あ、もうこんな時間。すみません、おじさまおばさま。私、そろそろお暇しますね」

「あら、もうちょっといてもいいのに」

「いえ、今日これから病院なんです」

「あらあら。気をつけていってらっしゃい」


 立ち上がったユリカさんが、ごちそうさまでした、と小さくお辞儀をした。


「ヒマワリ。あんまり、ヨウ君やおじさまおばさまにご迷惑かけないようにね」

「わかってるよ、お姉ちゃん」


 それから、カエデを見た。


「カエデちゃん。ヨウ君とヒマワリをよろしくね。仲良くしてあげて」

「いえ、仲良くしてもらってるのはこちらなので」

「ありがとう」


 最後に俺を見る。


「ヨウ君、色々とありがとうね」

「えっと、何が?」

「色々は色々。またね」


 カバンを背負って、もう一度ユリカさんが深くお辞儀をする。


「今日は突然お邪魔してすみませんでした。また近く、立ち寄らせていただきます」

「ユリカちゃんなら、大歓迎よ。いつでも来て」

「ありがとうございます。では、失礼します」


 そして、ユリカさんは笑顔で帰っていった。

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