第三部
第一話:おじさまおばさまにご報告がありまして
十月一日も過ぎてしばらく。
残暑も落ち着き、求愛の鳴き声を発する秋虫が数を減らしたことに寂しさを感じ始めたある土曜日のこと。
「ねぇ、ヨウ~」
机に向かって今日も今日とて勉学に励む俺の背中に、ベッドに背中をもたれさせてゲームをしていた幼馴染、秋野ヒマワリの声が投げかけられた。
「喉乾いた~、麦茶取ってきて~」
人の部屋で、人を顎で使うなんて、なんとも不躾なやつである。
俺はくるりと椅子を回転させてヒマワリをじとりと睨めつけた。
初恋の相手である秋野ユリカさん。
彼女の婚約から始まった初春の一騒動は、中学生に上がったあたりからすっかり疎遠になってしまっていた幼馴染との交流を復活させるきっかけとなった。
色々あったものだが、俺の初恋も流れ行く時間にかき消され、根深かったユリカさんへの想いは日に日に薄れていく。
時折そのことに気づいて、僅かな
「ヒマワリさん? お願いするには、お願いするだけの態度というのがありますよ?」
そして、部屋の中央にある小さなテーブルで、姿勢良く勉強をしている彼女は
今年度、俺の通う浦園学園の、超難関試験をクリアして、見事転入してきた帰国子女だ。
何でも俺のことが好きらしく、転入早々告白された。嘘みたいな話だと自分でも思う。
で、色々あって、夏くらいに断ったのだが、「諦めませんから」だとか堂々たる宣言を受けて……。
そして今、何故か俺の部屋にいる。
先々月くらいから、幼馴染由来の傍若無人ぶりを発揮するヒマワリと一緒に俺の部屋で駄弁るようになった。
勿論ヒマワリほどの頻度ではない。しかし、二週間に一度は俺の部屋にいらっしゃる。
なにがどうしてこうなったのかは俺にもわからない。
きっかけは、カエデに「ヒマワリがしょっちゅう部屋にやってくるから大変だ」とか話したことだったか。
――ずるいです! 私もヨウ君のお部屋行きたいです!
そんなカエデの主張に対する俺の返答はノーだった。
なんでかって? だってとうに振ったはずの、自分に好意を寄せている女子を部屋に招くなんて、不誠実も甚だしすぎるだろう?
そう考えるのは、俺の感覚がおかしいのか? いや、そうじゃないはずだ。
それに、幼馴染ということもあって慣れているヒマワリとは違って、明確に俺に好意を抱いているカエデと自分の部屋で二人きり。
魔が差さないという保証はない。
クズみたいなことをしでかして、回り回ってユリカさんの耳に入りでもしたらと考えるとぞっとする。
初恋を見事に散らせたとしても、
それに、そんなことになろうものなら、ユリカさんから長々としたお説教をもらうに違いない。
そんでもって、見た目は小動物、中身は爬虫類、なんて説明がしっくりくる岡平キョウコさんからメッセージが飛んで来るんだ。
『ヨウ君はやっぱりクズだったんですね。クズならクズなりに、相応の対応をさせていただきますから』、とか。
容易に想像できるところが怖すぎる。
幾重にも配慮に配慮を重ねて丁重にお断りした俺の努力も虚しく、気づいたときにはカエデはがっつりとヒマワリへの根回しを済ませていた。
――アタシがいいなら、カエデちゃんだっていいじゃん。あ、二人きりってのが嫌なの? じゃあ、アタシと一緒ならいいよね?
とはヒマワリの言葉だ。
勿論俺は猛反発したさ。しかし、ヒマワリは「こうと決めたらこう」を体現している人間だ。
俺の反対もなんのその。勝手にカエデを連れて俺の部屋に押し入ってきやがった。
という
カエデが俺の部屋に出没し始めた頃の、俺を見る母さんの目は忘れられない。
何も口に出さなかったが、まさしく女の敵を見るような目だった。
それがしばらくしてから、「あんたもやるわねぇ」とでも言いたげな視線に変わってきたのも、心の底からいたたまれない。
夕飯時に、「で? ヨウ。アンタ、カエデちゃんとヒマワリちゃんどっちにするの?」とか聞いてくるのもやめてほしい。
一般的な男どもからすると羨ましいだろうさ。
ヒマワリもカエデも、タイプは違えど美少女といって差し支えはない。
ラブコメ漫画の主人公にでもなったような状況だ。普通の男なら血涙を流しながら羨ましがるだろうさ。
でも、考えてみてくれ。
流石に年頃の女子二人を招き入れることを考えると、色々と考慮しなければならないことがあることを。
まず、部屋の掃除は必要不可欠だ。
いや、別に俺が率先して、やらねば、と思っているわけじゃない。母さんにどやされるのだ。「女の子を入れる部屋じゃない、片付けなさい」と。
まぁ、それくらいならまだ良い。
だがな? 年頃の男の部屋なら、どこにでも転がっているものがあるだろ?
ちょっといかがわしい漫画やら、雑誌やらだ。俺だって男だ。人並みにそういった欲はある。ましてや
で、そういったものを
勿論、今までだって慎ましやかに自分で処理をしていた。
でも、それは自分のペースで、だ。
ヒマワリもカエデも、ほとんど予告なく俺の部屋にきやがるのだ。
正確には、来る三十分から一時間前の予告があるのだが、そのタイミングがまた、学校から帰宅している最中だとかなのだ。
つまるところ、俺の安住の地は無くなった。無くなったのだ。
「カエデ、いつものことだから大丈夫だ。しかし、麦茶なあ」
ヒマワリをたしなめるカエデにそう言ってから、冷蔵庫の中身を思いだす。
もう、暑さもだいぶ和らいだので、麦茶なんてあったか……。だめだな、思い出せない。
「まー、とりあえず探してくる。無かったら、適当に変わりのモン持ってくるわ。カエデも飲むだろ?」
「あ、すみません。お手数をおかけします」
「いいよいいよ。ついでだし」
「ありがとうございます」
たおやかに微笑むカエデと俺のやり取りを聞いて、ヒマワリが不満げな声を出した。
「ヨウ~、アタシの時と態度ちがくない~? ヒマワリちゃんは悲しいなあ」
「うるせえ。普段の自分の言動を鑑みてみろ」
「あー、そういうこと言うんだあ! じゃあ、カエデちゃんにあのことバラすから!」
「どのことか知らないが、やめろ」
ため息を吐きながら、俺は椅子から立ち上がり、部屋を出る。
背中にヒマワリの「あ、なんかお菓子も~」という声がかかり、振り返らずに手で返事をして扉を閉めた。
階段を降りて、キッチンへ向かう。
パントリーを開け、適当なスナック菓子を取り出してから、冷蔵庫を開ける。
「あー、やっぱねぇよなぁ」
「あら? ヨウ。どうしたの?」
リビングでソファに横になり、テレビを見ていた母さんが俺に気づいた。
「いや、麦茶って作ってないよな」
「あー、そうね。もう季節じゃないし、作ってないわ」
「だよなぁ」
「ペットボトルのお茶ならあるから、それ持ってったら? そのへんにあるでしょ?」
「あー、あったあった。さんきゅ」
母さんが俺の返事に満足したのか、隣に座る父さんにテレビの話題を振る。
両親もこのおかしな状況に慣れたものだ、と思うと本当におかしな気分になってくる。
ともあれ、お茶と菓子は調達した。
さ、自室へ戻ろう、としたとき。
ぴんぽーん、とインターホンが鳴った。
届け物かなにかだろうか、と一瞬考えるも、最近ネットで何かを購入した記憶がない。俺の荷物じゃないな、と思い、無視して部屋へ戻ろうとした。
「あらー、ユリカちゃん!」
しかし、インターホンの室内モニターを確認した母さんの口からユリカさんの名前が出れば話は別だ。
手に持った諸々を、台所に置いて、父さん母さんと一緒に俺も玄関へ向かう。
「こんにちは、
ゆったりした服装をしたユリカさんは変わらず綺麗だった。
母さんが「上がって上がって」とスリッパを出し、ユリカさんが「すみません、お邪魔します」と靴を脱ぐ。
両親とユリカさんが大人の会話を交わしながらリビングに行く。当然ながら俺もついていく。
母さんにすすめられてソファに腰掛けたユリカさんが俺を見た。
「最近、ヒマワリがお邪魔してるみたいで。ありがとうね、ヨウ君。ご迷惑かけてない?」
「いや、大丈夫」
「ふふ、そう言えば、ヒマワリから聞いたんだけど、他の女の子も一緒なんだって?」
「え、えっと……。ま、まぁ、なんというか、別に俺が来いって言ったわけじゃないんだけどさ」
「うんうん。ヒマワリから聞いてるから。別にそんな顔しなくても、わかってるわよ」
ヒマワリめ。ユリカさんになに言ったんだよ。クソが。
なんて、脳内のヒマワリに向かって罵声を飛ばしていたら、にわかに騒がしくなったリビングを不思議に思ったのか、当の本人がやってきた。
「あ、お姉ちゃん」
カエデも一緒だ。
「ヒマワリさんのお姉さんですね。はじめまして、春夏冬カエデと申します」
もう、俺の家のリビングはしっちゃかめっちゃかだ。
何故か父さんは、嬉しそうにうんうん頷いているし。そのタイミングで母さんが、全員分の茶と茶菓子を持ってくるし。
結局父さん母さん含めた六人で、お茶会と相成った。
「あなたが、春夏冬カエデちゃんね? ヒマワリから話は聞いてるわ。はじめまして、ヒマワリの姉の秋野ユリカです」
「はい、私もヒマワリさんとヨウ君から、ユリカさんのお噂はかねがね伺っております」
「ヒマワリと仲良くしてくれてるみたいで、ありがとう。ヒマワリったら、こんな娘だから大変でしょ?」
ユリカさんが初対面のカエデに微笑みかけ、カエデも和やかに返す。
最後に出たユリカさんの言葉に、ヒマワリから「お、お姉ちゃあん?」という情けない声が出たのはご愛嬌だ。
「いえ、私こそ、ヒマワリさんにはいつも良くしていただいてます」
「ヒマワリをよろしくね」
「よろしくされているのは、私ですよ」
ユリカさんはともかく、初対面の相手とこんなにスムーズに会話できるカエデは流石だと思う。
「もー、やめてよお姉ちゃん! おじさんおばさんの前で!」
肩身の狭い会話を続けられたヒマワリから、不満の声が上がる。
どこからともなく笑い声が溢れた。
「で? ユリカちゃん。今日はどうしたの?」
お茶を一口飲んだ母さんが、ユリカさんに視線を遣る。
「あ、そうなんです。今日は
「報告?」
「はい」
「何かしら~」
母さんが、なにやら嬉しそうな訳知り顔でユリカさんにたずねた。
報告、かぁ。なんだろうなぁ。
ユリカさんの口から出る「ご報告」という単語には、正直良い思い出がない。
彼女が婚約する、と聞いた時も、こんな話し始めだったような気がする。
聞くのが怖いが、聞かないのもそれはそれで怖い。
ちらりとヒマワリを見やる。こいつなら何か知っているはずだ。
ヒマワリは「あちゃー」という顔で俺を見ていた。やめろその顔。まじで。
嫌な予感がつのる。
しかし、ユリカさんへの恋心には、踏ん切りをつけた。はずだ。
まだまだ引きずってはいるが、もうどうにもならないということを理解はしているし、これからどうこうしようとも思わない。
だから、どんな衝撃的な「ご報告」でも大丈夫なはず。
大丈夫なはずだ。
大丈夫であってくれ。まじで。
しかし、そんな俺の願いは容易く打ち砕かれた。
「まだ安定期には入ってないんですけど――」
安定期、という単語を俺は理解ができなかった。
安定期? 安定期ってなんだっけ? 何が安定してるんだっけ?
「お医者様からは、『相当順調だから』と言われたので――」
順調かあ。そりゃいいなあ。
「新しい命を授かりました」
新しい命? なんだろうね、それ。
「まあまあまあ。おめでたなのね!」
母さんが喜色満面な笑みを浮かべる。
父さんが「良かったなぁ、ユリカちゃん」と豪快に言う。
あー、妊娠ね。ユリカさんが、
……おうまいごっど。
がたーん、と大きな音を立てて、俺は椅子から転げ落ちた。
「よ、ヨウっ! 大丈夫!?」
「ヨウ君! 大丈夫ですか!?」
ヒマワリとカエデの俺を心配する声が、虚しくリビングに反響した。
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