第十九話:私は諦めません。イエスでもノーでも。でも、今、ヨウ君の一旦のお返事を聞かせてください
「ただいま」
玄関のドアを開けて、靴を脱ぐ。
いつも通りのリビングから届く「おかえり」に、軽く返事をしながら、階段を昇り自室へ向かおうとした。その時だった。
「あ、ヨウ。ヒマワリちゃん来てるわよ」
リビングの奥から、予想外の情報を含んだ母さんの声が耳に入ってきた。
「は?」
思わず聞き返す。しかし、聞き返した俺の声は母さんには届かなかったらしく、リビングの奥から、「アンタの部屋に通してあるから」と一方的な声が聞こえた。
(あいつ、用事あったんじゃねぇのか?)
そんなことを思いながら、階段を昇り、自室のドアを開ける。
「よっ」
勝手知りたるなんとやら、といった感じで、ベッドに背中を預けて床に座り、ゲーム機をいじるヒマワリがそこにいた。
ゲーム機から目を離さすことはない。そのへんもいつも通りだ。
「なんでいんだよ」
カバンを壁にかけながら、問いかける。
「べーつに、いーじゃん」
「いや、用事は?」
「済ませた。カエデちゃんにごめんって伝えといて」
「わかったけど、俺に謝罪はないのかよ」
「え? 要る?」
池袋で突然「帰る」と告げた時の妙な雰囲気は無い。いつも通りのヒマワリだ。
なんだったんだろう、と疑問に思うも、問い詰めてもまともな答えが返ってはこないだろう。
俺はそれ以上の追求をやめることにした。問い詰めるかわりに、口の中だけで小さくため息を吐く。
「カエデに伝えろっつーなら、伝えとくけど、そういうのはお前から言うもんだぞ?」
「それはもう済ませた」
「は?」
「『ごめん』ってメッセージ送った。だから、ヨウからも改めて『ヒマワリが謝ってた』って伝えて~」
「いや、そりゃいいけどよ」
「お願い~」
お願いされるのは良いけど、ゲーム機から目も離さずに言われると、少し業腹だ。
まぁ、そこまで目くじらを立てるほどでもないので、ヒマワリの横を通って、ベッドに仰向けになる。
「あ、そうそう」
「なんだ?」
「今日、おばさんが『晩ごはん食べてけ』って」
「そうか」
今日もヒマワリのとこのおじさんおばさんは遅いらしい。
ユリカさんも引っ越していってしまったし、夕飯を作る人間がいないのだろう。
「なんか、この感じ久しぶりじゃない?」
「そうだな」
スマートフォンを取り出しながら、答える。
動画アプリを開き、いつもどおりの雑学系動画を見始めた。
六月も中旬になり、すっかり日が長くなった。
午後六時前だというのに、まだまだ全然明るい。
静かな時間が流れる。
俺のスマートフォンの動画音声と、ヒマワリのゲームの音が混ざり合いながら部屋に響く。
「ねぇ」
数分ほどそうしていただろうか。
ふと、ヒマワリがぼそりと呟いた。
スマートフォンの動画を見続けながら、返事をする。
「なんだ?」
「アタシ、もう来ないほうが良い? ココ」
いきなり素っ頓狂なことを言い始めたヒマワリに、思わず動画を一時停止した。
もう来ないほうが良いかって? 別にそのようなことを思ったことはない。
「なんでそうなる」
「いや、その……だってさぁ」
ヒマワリにそう言わせてしまうような態度を取ってしまっていたのだろうか、と数秒考えるも心当たりはない。
その他にも色々と思い返すが、やっぱり心当たりっぽいものはなかった。
だから、思考を放棄して、とりあえずヒマワリに言いたいことを素直に言うことにした。
「四月頃、『来なくて良い』ってさんざん言ってんのに、無理やりおしかけてきたお前が何言ってんだよ」
「え~!? アタシだってさ!」
「『アタシだって』、なんだよ」
ヒマワリの方を見ると、いつの間にかゲームをやめて、俺をじっと見つめている。
俺を見つめる瞳が少しだけ不安そうに揺れた。何を不安に思っているかは知らない。
「け、っこう……なや、んで」
悩む? こいつ悩んでたのか?
「何を?」
「だって!」
ヒマワリが「お前は何を言っているんだ」とでも言いたげな顔をする。
いや、俺が「お前は何を言っているんだ」と言いたい。全力で。
「……カエデちゃんと、付き合うんでしょ?」
「は?」
こいつは何を言っているんだろうか。わからない。
「別にそういう予定はない」
「今はそうじゃなくても、将来的に、さあ!」
「そのつもりもない」
「ええ!? なんで!?」
なんでと問われても……。
「アタシはてっきり……」
「てっきりなんだよ」
「カエデちゃんは美人だし、性格もいいしさ。ヨウにはもったいない女の子じゃん!」
「いやにはっきり言うな……」
そうまで言われると、流石の俺も傷つくんだが。
それに、何か決定的な勘違いをこいつがしている気がする。
「あのなぁ」
「うん」
いつもと打って変わってしおらしいヒマワリに少しばかり調子が狂う。
どことなく気まずさを感じて、誤魔化すように髪の毛をぼりぼりと掻きむしる。
「カエデには今日、ちゃんと『ごめん』って伝えた」
「え?」
カエデは「それでも俺のことを諦めない」、だとか言っていたけど、わざわざ伝える必要もないだろう。
「ちゃんと答えを出したよ」
「なんで断っちゃったの!?」
なんで、ってお前……。
「別になんでだっていいだろ」
「え~!? だってえ! カエデちゃんは、すっごくいい子で、美人さんだし!」
「あのなぁ」
さっきも似たようなこと言ってたぞお前。
ため息を一つ。
確かに、カエデはヒマワリの言う通り、美人だし性格も良い。
俺にはもったいないほどの女の子だ。俺だってそう思う。
カエデに好かれたっていう今の状況をはっきり言い表すなら、人生のボーナスステージみたいなもんなんだろう。一般的な感覚からすれば。
だけど。なんだろうな。
「なんでえ!?」
納得のいってなさそうなヒマワリをちらりと見る。
「別にお前に言う必要あるかよ」
「え~!? 教えてよっ!」
「バーカ、これは俺とカエデとの間の話で、軽々しく他人に話すべきもんじゃねーの」
「いいじゃんいいじゃん!」
「だーめだって」
全力で理由を聞き出そうと躍起になっているヒマワリに、ちょっと突き放したように言い放つ。
「とにかく、俺はカエデとは付き合わない」
「まじで?」
「まじで」
「そっかあ」
ヒマワリの声に、なんとなく嬉しそうな雰囲気を感じて、顔をまじまじと見る。
なんだか、ほっとしたような、胸のつかえがおりたような、そんな顔をしている。
「なんでそんな嬉しそうなんだよ」
「えっ!? いや、幼馴染と気軽に話せなくなるのは、アタシとしてもちょっともったいないかな、って思ってたから! さあ!」
「ふうん」
その感覚はまぁ。理解できなくもない。
「しっかし、ヨウったら、なあに? カエデちゃんみたいな良物件、なかなかいないよ?」
「そりゃ、わかってるよ」
「惜しいことしたね~」
「うるせぇよ」
うりうり、とヒマワリが肘で俺の脇腹を小突く。やめろ。
「しっかたないなあ。モテない君で、彼女いない君のヨウを、幼馴染のアタシがこれからもちゃーんとお世話してあげないと、ってことだよね~」
「なんでそうなんだよ」
「照れるなって~、このこの~」
「うぜえ」
調子に乗るなよ、バカ。
そんな言葉は口に出さず、ヒマワリをいなしながら、俺はさっきカエデと交わした会話を思い出す。
§
「俺は……」
カエデの視線を受けて、少しだけ言葉を濁す。
答えは出かかっている。しかし、本当にそれで良いのだろうか、という気持ちもある。
だから、俺はずっと気になっていたことを訊いてみることにした。
「訊いて良いか?」
「はい」
少しだけ、本当に訊ねて良いものか悩む。
しかし、ここまで言ってから「やっぱなんでもない」なんて引っ込めるのもどうかと思った。
なので、ためらいながらも聞く。
「なんで俺?」
「『なんで』……ですか?」
聞き返された。
「い、いや。ほら。俺って別に顔が良いわけじゃないし、どっちかというとぶっきらぼうって言われるしさ。ヒマワリ曰くノンデリらしいし」
思わずわたわたと早口になる。
気づくとカエデが目をまんまるにしていた。
小さく深呼吸。
落ち着け、俺。
「俺は別に、誰かから好かれるように振る舞ってきたわけじゃないからさ。だから、なんで――」
そして次の言葉を言いかけて、自分がものすごく恥ずかしいことを言おうとしていることに気づいた。
だが、もう言い出し始めてしまったことだ。
続ける。
「なんで、カエデは俺のこと好きなのかな、って」
口に出してから、やっぱりものすごく恥ずかしい発言であることを再認識する。
なんだこれは。汗が吹き出る。しかも爽やかでもなんでもない、じわぁっとした嫌な汗だ。
付き合いたてのカップルじゃあるまいし。「俺のどこが好きなの~?」、「え~? それはね~」じゃねえんだからさ。
羞恥心に勝てず、思わず俺は吐いた言葉を撤回しようと口を動かしていた。
「いや、ごめん。わすれて――」
「ヨウ君は」
しかし、カエデの言葉に遮られた。
「ヨウ君は、私のヒーローなんです」
「は?」
カエデから飛び出た予想外の言葉に固まる。
「きっと覚えてらっしゃいませんよね」
覚えているかと問われれば、「覚えてない」としか言いようがない。
何について、だとか、何を、だとか、聞き返すまでもない。
全く覚えちゃいない。
申し訳なく思いながらも頷く。
「中学校の時、ヨウ君がクラスの男子グループと大きな喧嘩されたのは覚えてますよね?」
「あー、それは覚えてる」
「きっかけ、覚えてます?」
きっかけは……。
確か、ちくちく俺に嫌がらせをしていたクラスメイトのグループに対して、俺が我慢の限界を迎えた、ってそんだけだった気がするんだが……。
他に何かあったか?
「……いや、ごめん」
正直、あの事件については、終わった後謝罪に付き合ってくれたユリカさんの印象が強すぎて、その他のことについては全然記憶にない。
「私が、からかわれてたんです」
「え? 俺に嫌がらせしてたよな、あいつら」
「え? 違いますよ?」
お互い顔を見合わせる。
何か行き違いがあるような気がする。
「あ……」
しかし、次の瞬間、俺の頭の中で事実と事実が一本の線でつながった。
あいつらが俺にちょっかいをかけてきていたのは、リーダー格の好きな女子が、俺を好きだったとか、そういう話だったか。
つまりあれか。
それがカエデ?
あー、なんか思い出してきたかも。
相合い傘みたいなのを黒板に書かれた記憶があるわ。
すっかり忘れてた。
俺にとってあの日の記憶は、ユリカさんとの大切な思い出であって。
ユリカさんに、大好きな人に、ものすごく大事なことを教えてもらった思い出であって。
それが、カエデから見ると、そうなるのか。
少しだけ驚く。
「いや、ごめん。やっと思い出してきた」
「ありがとうございます。私、ヨウ君に助けてもらったんですよ?」
カエデが宝物を取り出すように語りだす。
「ヨウ君にとっては、ただの大喧嘩かもしれないです」
「うん」
「ですが、私にとっては、ヨウ君がまるでピンチのお姫様を助けてくれる英雄みたいに見えたんです」
ぎゅうっと胸の前で両手を握りしめながら、カエデが言う。
「ドキドキしました。今だってドキドキしてます」
カエデが目を潤ませて俺を見る。
「ヨウ君は私のヒーローなんです」
そして、恥ずかしそうに微笑んだ。
ヒーロー、なんて柄じゃないんだけどな。
でも、カエデの気持ちを否定したりはできない。俺がどうこう言うものじゃない。
ただ、答えは決まった。
「ヨウ君。私は、ヨウ君のことが大好きです。もう一度言います」
カエデが目を閉じて大きく息を吸う。
「私は諦めません。イエスでもノーでも。でも、今、ヨウ君の一旦のお返事を聞かせてください」
目を開いて、カエデが苦笑いしながら俺を見た。
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