第十八話:一度、一旦のお答えを、今頂いてもよろしいでしょうか?
「なぁ、カエデ」
ヒマワリがカラオケから飛び出していってから十数分。
「流石に二人でカラオケはな」とカエデと合意したので、店を出ることにした。
店を出ても特段やることが思いつかない。
だから、とりあえず思いつくまで近くのコーヒーショップでのんびりするべ、となった。
そもそもが今日は、カエデが「ヒマワリと会いたい」と言ったことから始まったわけで、ヒマワリがいなくなってしまったということは、主たる目的が失われたということだ。
コーヒーショップに入って、一息つき、何と無く掛けた俺の呼びかけに、カエデが返事をする。
「なんでしょう? ヨウ君」
「ヒマワリとなんかあったのか?」
あの時のヒマワリは、どこかおかしかった。
喧嘩でもしたんだろうか、と少し頭をよぎったが、余りにも見当違いな想像すぎて可笑しくなってしまったものだ。
カエデは控えめな性格だ。むやみやたらに他者と波風を立てようとせず、穏便にものごとを進める人間だ。
ヒマワリは明るく社交的な正確だ。他人と対立しようとするより、積極的に仲良くなろうとする人間だ。
そんな二人が、二人きりになったとたん喧嘩をし始めるなんて考えられない。
「内緒です」
カエデが人指し指を口元に当てて、ウインクをし、茶目っ気たっぷりに言った。
内緒かあ。内緒なら仕方ないな。
ってなるか。
「何話してたんだよ」
「ヨウ君、女の子同士の話を男の子が詮索するのは野暮ですよ」
そう言われてしまうと立つ瀬がない。
コーヒーを少しだけ口に含んで黙る。
「そう言えば、ヨウ君」
カエデが突然思い出したような声を出す。
「先週結婚式にいかれたんですよね?」
「ああ」
「どうでしたか?」
どうだったと訊かれてもなぁ。
俺は少しだけ考えてから答える。
「良い結婚式だったよ」
「そうですか」
カエデが「それはなによりです」と続ける。
小さく頷いて、俺はコーヒーをもう一口すする。
「お姉さんのことはまだ好きなんですか?」
いきなりのブッコミに危うくコーヒーを口から吹き出しかけた。
「え? な、なんで?」
「中学のときに、ヒマワリさんが、ちらりと仰っていたので」
「あいつめ……」
人の想い人を勝手に第三者にバラしてんじゃねぇよ。ヒマワリめ。
「で? どうなんですか?」
身を乗り出したカエデが、興味津々といった面持ちで俺を見る。
なんでそんなに気になるんだよ、と一瞬思ったが、カエデの立場からすると気になって当然か、とすぐに気づく。
カエデの今の状況は「
想い人の、想い人かもしれない人間。
そりゃ気になるよな。
しかし、なんと返したものか。
コーヒーを飲むふりをしながら考える。
正直に喋ってしまうことに忌避感はない。
ただ、その「正直」というのが自分でもよくわからないのだ。
正直なところどう思ってるよ? と訊かれても、「うーん」となってしまう。
俺は今、ユリカさんをどう思っているのだろうか。
まぁ、いいか。
あれこれ考えるのに疲労感を感じ始めたので、何も考えないで喋ることに決めた。
「……ぶっちゃけ、よくわからないんだよな」
「それは……お姉さんのことをまだ好きなのかどうか、ということですか?」
「それもあるけどさ」
好きかどうかと問われれば、「まだ好きだ」なんて未練がましい答えになる。
そして、「諦めたのか?」と問われれば、「諦めたんだろうと思う」なんて、ぼやっとした答えになる。
そもそもがもう勝ち目がない勝負なのだ。
サッカーならロスタイムで三点差。野球なら、コールド負け。バスケなら、百点ゲームで、百点取ってるのは鈴川だ。
だから、俺の選択肢に「諦める」以外残っていないことは明白なわけで。
どれだけあがいても、ユリカさんを心から想っても、報われないことは確定事項なわけで。
しかし、自分の想い――未だに尾を引いて時折俺をぐるぐるとした思考の渦に沈めていかんとしている感情に「お前は蹴りを付けたのか?」と問われれば。
わからない。
「なんだろな。なにがわからないのかすら、今はわからないんだ」
「……そうですか」
ただ、結婚式でのユリカさんは、本当に幸せそうで。
あの時、あの瞬間は素直に祝福できた。それは事実なんだ。
だから、頭のどっかではもう吹っ切れてるんだと思う。
と、結婚式のことを思い出したからか、不意に岡平さんの顔と言葉が脳裏に浮かんだ。
――あなた、最低までいかずとも、すこーしクズに足を踏み入れるような真似をしている自覚はあります?
――『こいつ、俺のこと好きだって言ってたし、しばらくはちやほやしてくれそうだから、キープしーとこ』ですよ?
思い出してしまった。しばらく忘れていたのに。忘れちゃいけなかったのに。
「あー……」
「どうしたんですか?」
「いや……」
言って良いものか。こんな話。
まぁ良いか。この際だ。
口を開く。
「結婚式のときに、知り合いの女の人にさ」
「はい」
「お前はクズだ、ってバッサリ切られて」
「え? ヨウ君がですか?」
カエデが不思議そうな顔をした。
「どうしてですか?」
「いや、うん。ごめん。カエデとのことを話しちゃったんだよ。恋バナを要求されて」
「恋バナですか」
「そうそう。そしたら、『あなたはクズです』って」
少しだけ瞠目した後、カエデがくすりと笑った。
「そんなことないですよ。ヨウ君は誠実な方です」
「いや」
「そもそも私が、『答えは今すぐに出さなくて良い』って言ってるんですから」
そこに甘えていることこそが、俺がクズと言われた原因なんだけどな。
「それを言い始めたら、私だって少しズルをしてるんですよ?」
「え?」
カエデがズル?
そんなことはない、と思う。
「四月のあの日。ヨウ君に『今すぐ答えをください』なんて迫ったら、断られるだろうことを私は知っていました」
そうでしょ? とでも言うように、カエデが俺の目を見る。
「……かもしれないな」
「はい。私はヨウ君が思っている以上にずるいんです。お断りの言葉を聞きたくなくて、私は『答えは今は要らない』と言いました」
「それは、ずるいのか?」
ずるいというのもまた違う気がする。
人間として自然な感情の発露じゃないか?
「ずるいです。『私はあなたが好きです』なんて言っちゃえば、ヨウ君は多少なりとも私を意識してくれます」
まぁ、確かに意識はした。今だってしている。
「知ってますか? 人間って、嫌っていない特定の人間のことを考える時間が長ければ長いほど、その人のことをどんどん好きになっていくんですよ?」
「そうなの?」
「はい。私は、ヨウ君が私のことを考えざるを得ない状況を作ったんです」
にこりと笑ったカエデが、「ズルいでしょ?」と付け加えた。
「私は計算高い女です。頭が良いとは言いませんが、馬鹿ではありません」
いや、カエデが頭良くなかったら、誰を頭が良いと言えばよいのか。
浦園学園は入学偏差値七十超えの進学校だ。
カエデの独白は続く。
「今だって、お返事をヨウ君に要求するタイミングとして、いつがベストなのかずっと考えています」
長い黒髪を右手で弄びながら、カエデが苦笑した。
「そのお知り合いの女性に私のことをヨウ君が相談したのも、私の計画通りかもしれませんね」
そうは言っても。
今のカエデをずるいというのは違う気がする。
「カエデは別にずるくないよ」
「なんででしょうか?」
「本当にずるかったら、今俺にそんな話はしない」
本気でずるくことを進めようと思ったとき、俺なら相手に絶対に悟らせない。
できるかどうかは別として。
「わかりませんよ? それも高度な計算の上で、なのかもしれません」
「いや、それはない」
「どうしてそう言えるんですか?」
どうして言えるのかって?
そりゃ。
「四月に会って、今までカエデと話して。カエデがそんな人間じゃないってことを俺は知ってるから」
「っ……!」
カエデが手に持った飲み物を滑り落としそうになった。
なんとかギリギリのところで耐えきったものの、中の紅茶が少しだけこぼれた。
「おおう、危なかったな」
「よ、ヨウ君……」
「なんだ?」
「そういうのは……いえ。なんでもないです」
カエデが小さくため息を吐く。
俺なんか、癪に障るようなこと言ったか?
カエデが気を取り直すように咳払いをした。
「でも、そうですね。クズだ、なんて言われたヨウ君は、どう思ったんですか?」
「いや、今まで忘れてたけどさ。でも、ちゃんと答えを出さないとな、とは思ったよ」
「答えは出ましたか?」
「大変申し訳無いが、出てない」
カエデは魅力的な女の子だ。そう思う。
付き合ったら、きっと楽しいのだろう。
付き合ったら、きっと毎日がウキウキするのだろう。
だが、俺が今カエデを好きかと訊かれれば、それはわからない。
わからない、ということは。
好きだ、と即答できないということは。
きっとそういうことなのだろう、とも思う。
「ちなみに、『クズ』とまで仰ったそのお知り合いの方は、そうまで仰るなら、何かしらアドバイスもされたんですよね?」
「そうだな」
「なんと?」
岡平さんは、なんと言っていただろうか。
「うーん。わかるような、わからないような助言というかなんというか。そういうのをされたかな」
「なんですかそれ」
カエデが可笑しそうに笑う。
「ちなみに……」
「ん?」
「ヒマワリさんにも、話したんですよね?」
「あー、さっきもしかして、その話してたのか?」
「女の子同士の内緒話は詮索しちゃ、めっです」
ウインクしながらカエデがまた、人指し指を自身の口に当てる。
「ヒマワリさんはなんと?」
「あいつは……」
ヒマワリは。
「『付き合っちゃったら?』って言ってたかな」
「……そうですか」
その後で「どうせ、高校生の恋愛なんて、ごっこ遊びだよ」なんて言ってたが、わざわざカエデに伝える必要もないだろう。
「ダメですね、私は……」
カエデがぼそっと呟いた。
「何がダメなんだ?」
「いえ、気になさらないでください」
「そうか?」
何やら深刻そうな声色だったような気もするが。
カエデが髪の毛をかきあげて、憂いを帯びたような吐息を吐いた。
「ヨウ君」
「なんだ?」
「ごめんなさい、私嘘吐きました」
「は?」
いきなり言われても。なんのこっちゃ、だ。
「さっきまで言ってたこと、全部嘘です。……いえ、それは言い過ぎですね。一部嘘です」
「さっきまで言ってたことって」
「ズルいとか、計算高いだとか、です」
どういうことだ?
俺はカエデが話している意図がわからなくなった。
「確かに、小狡い計算もあって、私はヨウ君に『まだ返事は要らない』と言いました」
カエデが困ったように笑う。
「でも、それ以上に、私はヨウ君にお断りされるのが怖かったんです」
その気持ちは。理解できる。
でも、なんで今更、意見を翻すのだろう。
「きっと、あれこれ言い訳しましたが、それが本心だったんです」
わからない。
「そして、今は、ヨウ君に返事をまだもらえていない、というこの状況が、怖いです」
それも理解できる。
「なんなんですか、もう。ヒマワリさんも、ヨウ君もです」
少しだけ泣きそうな声で、カエデが言う。
俺はともかく、なんでヒマワリがそこに出てくるのだろう。
「まっすぐ過ぎます……。自分がものすごく薄汚く思えちゃうじゃないですか」
カエデがそう吐き捨てる。その後で照れたようにこちらを見ながら、「ヨウ君のそういうところが好きなんですけど」と付け加えた。
そんなさらりと、恥ずかしいことを言わないでほしい。俺も照れる。
しかしどうだろう。
俺はまっすぐだろうか?
ヒマワリはまっすぐだろうか?
わからない。
「ヨウ君。私は、あなたを諦めるつもりはないです」
カエデが俺を真剣な目で見つめながら、言った。
「ですが、一度、一旦のお答えを、今頂いてもよろしいでしょうか?」
柔らかな微笑みはいつのまにか、影も形もなくなっていた。
カエデの顔は神妙だ。
「でも、私はずるいので、今ヨウ君の答えがイエスでもノーでも、諦めません。諦めてたまるものですか」
そう言ってから、カエデがグラスに口を付けて、紅茶を一口飲んだ。
「いかがでしょうか?」
決断を迫られている。
俺はごくりと生唾を飲み込んだ。
「俺は……」
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます