第二十話:ああ、わかった。覚悟しとくよ

「ごめん。カエデ」


 一呼吸置いて、俺は苦笑いを崩さないカエデに告げる。


「俺はお前と付き合えない」


 カエデが、「やっぱりか」とでも言わんばかりに少し顔を歪ませた。

 その表情に、少しだけ申し訳無さを感じるけれど、答えは変わらない。


「……はい、なんとなくわかってました。ですが、理由を訊いても?」


 カエデが極力なんともなさそうな様子で言う。

 でも、俺はその声が震えていることに気づいてしまった。


 真剣に答えるべきだ。

 理由か。理由……。


「……上手く喋れないけどさ」

「はい」

「カエデが俺を好きでいてくれるのは、嬉しい」

「はい」

「『私のヒーロー』なんて言われてさ。過分な評価すぎて恥ずかしいけど、正直それもすごく嬉しいんだ」

「はい」

「それに、カエデと一緒にいて、確かに楽しいし、『はい喜んで』って言っちゃった方が、良いと思うんだ」

「それなら――」


 うん。そうなんだよな。


 改めて言葉に出すと、自分でも理解が深まってきた。


 俺だってわかってる。


 カエデは誰が見ても美人だし、優しいし、頭も良い。

 普通に考えるなら、ここで「付き合わない」なんて言う俺はおかしいのだろう。


「でもさ、俺、カエデのことを心から好きか、って訊かれたらちょっと悩んじゃうんだよ」


 ものすごく失礼なことを言っている自覚はある。


「俺がずっと好きだったユリカさん。あー、ヒマワリのお姉さんなんだけど」

「はい」

「結婚式でさ、旦那さんと一緒にいてさ。すっごく幸せそうだったんだ。ユリカさんだけじゃなくて、その相手の男の人も」


 カエデがいきなり何の話だろうか、とでも言いたげな、きょとんとした顔をした。


「お互い愛し合って、『この人じゃなきゃだめだ』って思ってたんだと思うんだよ。二人は」


 他でもないこの人の隣に立っていたい。

 他でもないこの人と支え合って生きていきたい。


 鈴川とユリカさんの関係はまさにそういった理想・・だった。


「すごくカエデには悪いことを言うけど。今、俺はカエデに対して『この人じゃなきゃだめだ』って思えてないんだ」


 カエデが顔をうつむかせる。


「カエデのことが嫌いなわけじゃない。でも、ずっと好きだったユリカさんに対する感情みたいなものが、カエデに対してあるのかって訊かれたら、ないんだ」


 だから、きっと俺の答えはこれ以外にない。


「だからさ。そんな状態で俺がカエデと付き合うとか、そういう関係になるのは、カエデに失礼だし」


 カエデはさっきから押し黙ったまま何も喋らない。


「お互いにとって良くないし、上手くいかないと思うんだ」


 ほとんど息継ぎをしないで話していたので、少し苦しくなって、深呼吸をする。


「俺はカエデのヒーローにはなれない」


 つまるところ、そうだ。


「きっと、カエデのことを一番に考えられない」


 カエデが苦しんでいる時、悲しんでいる時、泣きそうな時。

 もしも他に優先するべきことがあったら、俺はそちらを優先してしまうだろう。


 もしかしたら、カエデが助けを求めていることに気づかないかもしれない。


 俺は、彼女だけを考えるヒーローなんかにはなれない。


 きっと、カエデが求める「春原すのはらヨウ」に、俺はなれない。


「だから、ごめん」


 言って、頭を下げる。


「好きになってくれて、ありがとう」


 カエデが俺を好きになってくれたこと。それ自体は本当に嬉しかった。


 他人から、本気の「大好き」を向けられる人間というのは、世界中でどれくらいいるのだろうか。

 どれくらいの割合なのだろうか。


 きっとそれは、ものすごく幸せなことなんだろうと思う。


 だけど、俺はカエデに本気の「大好き」を向けることができない。貰っただけのものを返すことはできない。

 未来はわからないさ。でも少なくとも今は、そうじゃない。


「……わかりました」


 カエデが顔をあげる。

 俺に向ける目がさっきまでとは違う潤み方をしている。


「――ですが、ヨウ君」

「うん」

「さっき申し上げた通り、私は諦めません。今のお返事は飽くまで『一旦』の答えだと、そう受け取ります」

「あー、うん。まぁ、それでいいよ」


 時間が経って、俺の気持ちが変わるかは、正直怪しい。

 わからないけど。


 でも、わからないけど、そうはならない気がする。

 自信たっぷりに言えるのかと問われれば、自信はないとしか言えないけどさ。


 とは言え、カエデが「俺の答えを『一旦』だと受け取る」、なんて言うなら。

 止める権利は俺にはないと思う。


 だって、「俺のことは忘れて、新しい恋に生きてくれ」なんて、流石にどの口が言ってんだって感じがするだろ?


「つまり、ヨウ君は、ちゃんと好きになっていない状態でお付き合いするのは、私に失礼だ、と言っているんですよね?」

「そうだな」

「私がそれで良いと言っても、変わらないのですよね?」

「うん。多分そう」

「わかりました」


 涙を流すまいと、目元を震わせながら、それでも口元だけでカエデが微笑む。


「じゃあ、ヨウ君が、ちゃんと私を好きになってくれれば、答えは変わります。そうですよね?」

「理屈だけなら、そうなる……かな?」

「はい、言質は取りましたから」


 カエデが目を細めた。にっこりと微笑みながら。

 必死で涙を堪えていたのだと思う。しかし、目を細めたせいでそれも水の泡だった。


 一筋の涙が、つうっと、左の眦から頬にかけて伝っていく。


「ヨウ君。覚悟してくださいね?」


 好きだと言って。

 付き合えない、と言われて。


 直後に、こんな顔をできるカエデは本当に魅力的な女の子なのだと思う。


「私は、全力で、ヨウ君を振り向かせますから」


 カエデの純然たる決意表明。


「私は、全力で、ヨウ君に好きになってもらいますから」


 そして、宣言。


「私は、諦めません」

「えっと、はい」


 煮えきらない返事をする俺に向かって、カエデが指をさす。


「これから毎日、毎日、手段なんて選ばずにヨウ君にアプローチし続けますからっ!」


 強くて、芯が通っていて、気持ちが良くて。


 そんなところが凄く魅力的だ。

 そう思う。


「私は、ずっとずっとヨウ君が好きです!」


 カエデが普段の様子からは考えられないような、勝ち気な微笑みを浮かべて、俺を見る。


「もう一度言います。覚悟してください!」


 そう言われちゃ、俺が返す言葉は一つだけだろう。


「ああ、わかった」


 これからの毎日が少しばかり騒々しくなりそうだ。

 それに、少しだけ申し訳無さもある。


 きっと俺は、カエデの気持ちに答えられはしない。

 それでも、カエデは俺に「好きだ」と言い続けるんだろう。


「覚悟しとくよ」


 瞳を潤ませて、涙を流しながらも綺麗に笑うカエデに、俺は苦笑いを返した。



 §



 カエデに「付き合えない」と一旦の・・・返事をして、ヒマワリにうざ絡みされて。

 一夜明けて。


 何事もなく日曜日もだらだらと過ごして月曜日。


 少しばかりの気まずさを心中に抱えながら教室の扉を開けようとした。


 のだが、俺が力をいれるまでもなく、扉がガラリと開いた。


「あ……」


 口から漏れ出た声は、どちらの声だっただろうか。


 目の前に現れたのは、カエデと、彼女と仲の良い二人のクラスメイトだった。


 少しだけ逡巡する。

 どんな顔で、なんと声をかければ良いのか、と。


 しかし、俺のそんな葛藤は彼女には全く関係なかったらしい。


「おはようございます、ヨウ君」


 にこりと微笑んで、カエデが挨拶をする。


 まぁ、そうだよな、と納得した。

 変にお互い気を遣ったりしても、良いことはない。


 それにカエデは「諦めない」と宣言したのだ。


 いつも通りの態度を取るのは当たり前なのだろう。


「おはよう、カエデ」

「はい、天気が良くて、良い日になりそうですね」


 ふふ、と小さく笑ったカエデが、「では」と言って、友人に目配せをし、足早に去っていく。

 何か用事でもあったのか、それとも授業直前のタイミングでトイレにでも行ったのか。


 ……いや、ここで「トイレにでも行ったのか」なんて考えるからヒマワリに「ノンデリ」なんて言われてしまうだろう。

 余り想像はしない。

 そうしよう。


 始業ベルがもうすぐ鳴るはずだ。

 そのまま教室に入って、席につく。


「おっすー、ヨウ」


 少し遅れて浜口がやってきた。

 何やら元気がない様子だ。


「おー、どした?」

「いや、聞いてくれよ」


 浜口が落ち込んだ声を出す。


 それから、周囲を見回して、声を潜めて、俺に耳打ちした。


「昨日さ、春夏冬あきなしちゃんをデートに誘ったんだよ」


 心のなかで「ぎくり」と音がした気がした。

 慎重に浜口を見る。


 大丈夫そうだ。何も感づかれていはいない。多分。


 そう言えば、結構前に「春夏冬ちゃんと連絡先交換できた!」って騒いでたっけか。


「そしたらさ、『私、好きな人がいるので、そういうのは』って断られちゃって」

「ほ、ほー」

「春夏冬ちゃんの好きな人って、誰なんだろーなー。お前、中学からの仲なんだろ? 知ってるか?」


 もう一度、心のなかで先ほどよりも大きな「ぎくり」という音がした。


 こいつ、わかってて言ってるんじゃねぇだろうな。


 いや、根本的に何もわかってなさそうだ。

 アホで助かる。


「知らんし、知ってたとして俺が話すと思うか?」

「だよなー」


 丁度そのタイミングで始業ベルが鳴る。


 視界の端で、カエデと彼女の友人らが教室に駆け込んできたのをとらえた。


「ほれ、始まるぞ」

「おー」


 浜口がとぼとぼと、自分の席に行く。


 数秒して、担任教師が入ってきて新しい一日が始まろうとしたその時。


 ポケットの中のスマートフォンが震えた。


 担任にバレないように取り出し、画面を見る。


 カエデからのメッセージだ。


『もしかして、浜口さんと私の話、してました?』


 スマートフォンの画面を見て、俺は椅子から転げ落ちそうになった。


春原すのはら君?」


 担任教師が怪訝そうに俺を見る。


「す、すみません。ちょっとバランスを崩して」

「……? そうですか」


 女性教師が、中断されたホームルームを再開させた。


 勘が鋭すぎて、正直怖い。

 姿勢を正して、カエデの方をちらりと見る。


 こちらを見ていたカエデと目があった。


 目があったカエデが、いたずらが成功したかのように笑って、ウインクをした。

 そして、すぐに教壇の後ろで今日の連絡事項を喋り続ける教師に視線を戻す。


 こりゃあれだ。

 宣戦布告といったところなのだろう。


 俺は、小さくため息を吐いて、カエデのメッセージにどう返したものか悩むのだった。

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