第十五話:なんでヨウのこと好きになったの?
「さってと、カエデちゃん」
ヒマワリはヨウがカラオケボックスの部屋から出ていったことを確認して数秒後、口火を切った。
「聞いて良い?」
大画面のモニターに映る最近話題のアーティストが挨拶している様子を眺めながら、ヒマワリが軽い調子で続けた。
「良いですよ。なんでしょうか?」
カエデが手に持ったグラスをテーブルに置いて、小首をかしげる。
「ごめんね。ヨウったら口が軽くて聞いちゃったんだけどさ」
「はい」
「カエデちゃん、ヨウに告白したんだよね?」
「はい。四月頃、でしょうか。お返事はまだ頂けてないというか、『返事はもうしばらくしてからで良い』と伝えてありますけど」
さらりと気にしたふうもなく言ってのけるカエデに、ヒマワリはどう反応したら良いか迷った。
確かに、カエデと少し話をしたくてヨウを追い払ったのは事実だ。
しかしながら、どういう会話をするのか。
自分が何を聞きたいのか。
カエデという少女の何を知りたいのか。
ヒマワリ自身も、自分の感情を把握しきれていなかった。
迷って、迷って、迷って、数秒。
にへら、と笑ってヒマワリが口を開く。
「あのヨウのどこが良いの~?」
ヒマワリが選んだ答えは、茶化すことだった。
「別に、そんなにイケメンでもないし~」
その先はヒマワリも驚くほどにスラスラと出てきた。
「性格も、つっけんどんっていうか、華やかな方じゃないし~」
彼女の口から出てくる
「ノンデリだしさ~」
ただ、一つ付け加えるとするなら、その評価自体は嘘ではないが、ヒマワリが「どう思っているか」については一切触れられていないということだ。
ヒマワリが言ったヨウの評価は、飽くまで彼の外っ面を撫で回したようなものでしかない。
そういった面について、ヒマワリがどう思っているのか。
好ましく思っているのか、はたまた逆なのか。
自身でも気づかないうちに、ヒマワリは明言を避けた。
気づいているのかいないのか、カエデがふふ、と口に手を当てて微笑する。
「そんなところも含めて、私はヨウ君が素敵だと思いますけど」
「そうかなぁ」
相槌を打ちながら、ヒマワリが自身のグラスの縁を指でなぞる。
なぞりながら、隣の部屋から漏れ聞こえる安っぽいカラオケ音源によって僅かに揺れるドリンクの水面を眺めた。
隣の部屋にいる客は、どうにも歌が上手くない。
上手くないのに、声量だけはあるので、二人がいる部屋の中に、ずしんと響く低音と、フィルターがかかったような叫び声が反響した。
一分もしないうちに、隣の部屋の曲が終わり、部屋がすう、と静かになる。
丁度そのタイミングで、ヒマワリがカエデの方に身を乗り出した。
「ねぇねぇ」
「はい」
「なんでヨウのこと好きになったの?」
「なんで、ですか?」
ヒマワリの問いかけに対して、カエデが顔にクエスチョンマークを貼り付ける。
何故、などと問われるとは思っていなかったのだ。
どこが、だとか、どんなところが、だとか、そういった質問であれば、カエデだってこうも不思議な顔をしなかっただろう。
しかし「なんで?」となると話は別だ。
つまるところ、カエデは何を問われているのか理解できなかった。
「すみません。ヒマワリさん。質問の意図が」
「あ、ごめんっ。そうだよね。アタシ何聞いてんだろ」
思わず口をついて出た質問にヒマワリも首をかしげる。
うーん、と唸りながら、ヒマワリは頭の中を整理した。
「えーっとお。だって、カエデちゃんってヨウとは一年しか一緒にいなかったわけじゃん?」
「はい、そうですね」
「アタシの記憶が正しければ、ヨウとカエデちゃんって、あんまり絡みなかったし」
「はい」
「でも、シンプルに『顔が好み』とか、カエデちゃんはそういうのじゃないと思うのですよ。このヒマワリは」
むむむ、と難しい顔をしながら、言葉を絞り出すヒマワリに、カエデが少しだけ納得した顔をする。
同時に、カエデはヒマワリに対して「良く人を見ているな」と思った。
まっすぐで、向こう見ず、暴走しがちで、即断即決。周囲の人間からのヒマワリに対する評価はそんなところだろう。
あながち間違った評価ではない。
しかし、「まっすぐで、向こう見ずで、暴走しがちで、即断即決」だからこそ、他者の感情の機微に対しては多少敏感であった。
ヒマワリ自身の頭が茹だっていない時に限った話ではあるが。
ヒマワリは自分が起こした行動の結果を見てきた。
他人よりも、行動回数が多かった分、行動の前後での他人から向けられる感情の変化をよく観察できた。肌感覚で感じ取れた。
冷静な時のヒマワリは、人をよく見ている。
「つまり、ヒマワリさんは、『どのようなきっかけで、私がヨウ君を好きになったのか?』を聞いているのでしょうか?」
「……そう! それそれ!」
一方でヒマワリは自身の感情や思考を言語化することは苦手であった。
とりあえず行動。細かいことは後から考える。
ついてこれない人間は、置いていく。
わからないままついてくる人間は、結果を見て判断しろ。
それがヒマワリのポリシーだ。
言うまでもないことだが、ヒマワリ自身の頭の中に、そういった明文化されたポリシーがあるわけではない。
頭が良く、言語化が得意な方であるカエデの要約に、ヒマワリは我が意を得たりとばかりに頷いた。
「そうですね……」
「あ、こめん。言いにくいことなら、無理に――」
「いえ、そうではなく、ちょっと昔の話になってしまいますから」
何から話そうか、と顎に手を当てて、カエデが考える。
「ヨウが戻ってくるまでだったら時間があるからさ」
ある程度なら長くなっても構わない、とヒマワリが言う。
「じゃあ――」
§
二年ほど住んでいたインドネシアから日本に戻ってきて始まった中学生活。
カエデから見たクラスメイトは、ひたすらに幼稚であった。
カエデ自身、明確に自慢になど思ってはいなかった。しかしながら、父親の仕事で海外を転々としていた彼女の人生経験は小学校を上がってすぐの同年代の子供たちとは比較にならなかった。
女子はまだ我慢ができた。
しかし、我慢がならないのは男子だった。
休み時間ともなれば一斉に騒ぎ出し、下らないことをしでかして教師に叱られる男子生徒の存在がカエデにとっては不愉快極まりなかった。
机に座り、文庫本を開いてため息を吐く。
大好きな作家の新刊だというのに、全然集中できない。楽しさは半減どころではなかった。
しかし、それでも休み時間に文庫本を開く意味をカエデは理解していた。
理解したうえで、集中できない文章の羅列に目を落としていた。
これは明確な拒絶である。「今、私は読書しているのだから、邪魔をするな」というポーズにほかならない。
休み時間の間にこうして本に集中をしている姿勢を見せれば、自分に話しかけようなんて人間は減っていく。
だが、それすら理解しない人間がいることも確かだ。
カエデの机に、教室の中ではしゃぐ男子がぶつかり、ガタリと音を立てた。
衝撃が身体に伝わり、ぎろりとカエデはぶつかってきた男子を睨みつける。
ぶつかってきた男子からの謝罪はいくら待っても出てこない。
謝罪をする気もないのに、どういうわけか彼はちらりとカエデに視線を寄越した。
わざとだ。
カエデは確信した。
ぶつかってきた彼について、カエデは良く覚えていた。悪い意味で。
よく偶然を装ってちょっかいをかけてくる男子だ。
どういうつもりなのかは、カエデにはわからない。
カエデがもう少し少年の恋愛機微に聡かったならば、それが「自身に好意を寄せている」というサインであったことに気づいただろう。
少女漫画は好きであったし、中学生くらいの男子が好きな子にいたずらをしがちである、という知識はカエデも持っていた。
しかしながら、彼の行動とカエデの知識を紐づけられるほどではなかった。
ちらちらとカエデに視線を寄越しながら、友人と騒いで遠ざかっていく彼を見遣って、カエデはもう一度ため息を吐いた。
気を取り直そうとした時、カエデの右斜め前の席から声が発せられた。
「おい」
険のある声だった。
「お前らうるせぇよ」
カエデにぶつかり、何も言わずに遠ざかっていくお調子者の男子をじとりと睨めつけたのは、座っていたヨウだった。
件の男子が振り返って負けじとヨウを睨み返す。
「なんだよ、ヨウ」
「休み時間とは言え騒ぎすぎだ。静かにしたい人間のことも考えろ」
「はぁ? 俺達の自由だろ!」
ヨウが眦を釣り上げて、立ち上がった。
「それに、お前今、
自分の名前が出たことに、カエデがびくりとする。
「はぁ!? お前に関係ねぇだろ」
「ぶつかったのに、謝罪もなしか?」
「だから、お前になんの関係がっ!」
「関係あるとかないとか、そういうんじゃねぇだろ」
静かに、しかしながら強く非難するヨウに、いきり立つお調子者の男子グループ。
その諍いは、始業ベルが鳴り、授業が始まったため、不完全燃焼ながらも強制的に打ち切られた。
その後の授業中、カエデは担当の教師の説明を聞き流しながら、ヨウの後ろ姿を眺める。
(……皆子供だな、って思ってたけど、ああいう人もいるんだ)
いつもよりも短く感じた授業時間が終わる。
カエデは立ち上がって、次の授業の教科書とノートを広げるヨウに声を掛けた。
「えっと、春原君」
ヨウがゆっくりと振り向いた。
「ああ、春夏冬か。ごめん、さっきは」
「いえ。ありがとうございます」
「いや、ただうるさくしてたあいつらが気に食わなかっただけでさ。春夏冬をダシにするみたいにしちゃっただけだから」
そう言って、ヨウが「ごめん」と頭を下げた。
謝られたカエデは、手を振って、「謝罪は必要ない」というポーズを取る。
「謝られるいわれはないです。あの、ありがとうございます」
「いや、だったら俺も、礼を言われる筋合いは無いよ」
「でも」
「いや」
いい加減千日手になりそうな様相を表し始めた会話を受けて、示し合わせたように二人がくすりと笑いをこぼした。
「これぐらいにしとこう」
「そうですね。これじゃあ、お互いに平行線ですし」
「ああ、じゃあ、そういうことだから、春夏冬も気にしないでくれ」
ヨウが少しだけ微笑んで、机に広げた教科書に向き直る。
ここで会話を終わらせてしまいたくない、とカエデは強く思った。
そんなカエデが掛けた言葉は。
「あの、春原君」
面倒だろうに、そんな感情はおくびにも出さずヨウがまた振り向く。
「何?」
「春夏冬、って呼びにくいですよね? カエデって呼んでください」
「ん?」
ヨウは一瞬何を言われているのかわからないような顔をしたが、すぐに納得したように小さく頷く。
「わかった、カエデ。俺のこともヨウ、で良いから」
「はい、ヨウ君」
§
その日から、カエデはヨウのことを良く見るようになった。
自身でも気づかぬうちに、ヨウのことを目で追ってしまう。
カエデは自分の内面の変化を持て余していた。
(なんだろう。なんで、私。ヨウ君から目を離せない)
ヨウはずっと静かに勉強をしていた。なんでそんなに勉強をしているのかはわからない。
まるで生き急ぐように、努力をし続ける理由が気になった。
直接話をすることはあまりない。そもそもがヨウは他人と会話を楽しむようなタイプではない。
カエデも理解していた。
だから、積極的に話しかけはしなかった。
それでも、ヨウの一挙手一投足が気になって気になって仕方がなかった。
流石のカエデも気付いた。
(私、ヨウ君のことが気になっているのかな)
恋なのだろうか、と悩む。
恋ではないのかもしれない。
でも、意識していることは確かだ。
気になっていることは確かだ。
そんなふうに過ごして数ヶ月が経ったとある日。体育の授業終わり。
女子更衣室で着替えをしている時、更衣室の中がにわかに色めき立った。
年頃の女子が集まれば、当然ながら低くない確率で沸き起こる会話がある。
恋バナだ。
きゃいきゃいとはしゃぐ女子生徒を冷ややかに見ながら、カエデは手早く着替えを済ませようとしていた。
そんな時、女子生徒の一人が、カエデに声を掛けた。
「春夏冬さんは、好きな人いるの?」
「え? 私ですか?」
地味な見た目のカエデは、自分にそういった話題が振られるとは思っていなかった。
だから油断していた。
「私は――」
年頃の女子は敏感だ。
特に恋愛ごとに関しては。
「いつも、春原君を見てるよね、春夏冬さんって」
「うえっ!? いや、あの! それはっ!」
カエデに声を掛けてきた女子のグループが、くすくすと笑う。
それは別にカエデを馬鹿にした様子はなく、むしろ好ましそうな感情が読み取れた。
「春夏冬さん、わかりやすいね」
「春原くん、他の男子とはちょっと違うもんね」
「い、いや、そのっ! べ、別にヨウ君はっ!」
慌てて否定しようとするも、もう後の祭りだった。
「『ヨウ君』、だって!?」
「わー!」
女子生徒達の中で、カエデがヨウを好きである、というのは確定事項になってしまった。
「幼馴染のヒマワリさん! どう思われますか!?」
「え? アタシい?」
女子グループの一人が、離れたところで友人と談笑していたヒマワリに声をかける。
「春夏冬さんが、春原君のこと、好きなんだって」
違う、と否定する間もなかった。
「へー、ヨウを好きな子が、とうとう現れたか~」
「そこんとこ、どうなんですか!?」
ヒマワリが、うーん、と悩んでから、答える。
「ヨウは、あんまりおすすめしないかな?」
「そのココロは!?」
「あいつ、アタシのお姉ちゃんラブだから」
きゃー、と女子更衣室が黄色い声で満たされる。
(そっか……。ヨウ君、好きな人がいるんだ)
ヒマワリから出てきた情報に、カエデは残念に思った。
自然と。
(え!? なんで私残念に思ったの!?)
それは、ともすれば、恋の始まりだったのだろう。
しかし、どうやら自分は失恋することが確定したようだ。
始まる前から終わってしまった。
カエデは小さくため息を吐いて、未だに黄色い声を上げ続ける女子更衣室をこっそりと抜け出した。
(ちょっと、残念だけど、ま、仕方ないよね)
本気になる前で良かった。カエデはそう思う。
しかし、次の日。
クラスの中で「春夏冬カエデは春原ヨウが好きだ」という噂がまことしやかに流れるようになった。
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