第十三話:ユリカさんが、幸せそうだった
「どした? ヨウ」
言葉を詰まらせた俺を、小首を傾げてヒマワリが見る。
「いや、悪い」
特にヒマワリの視線から何かを感じ取ったわけではない。そのはずだ。
俺は目を擦る。
俺を見るヒマワリの様子に違和感はない。気のせいか?
気のせいなのかも。
であれば、なんで「そうだ」という肯定の言葉が、瞬間うまいこと出てこなかったんだろう。
「ううん。いいよ。で?」
ヒマワリが改めて問い直す。
「恋バナなんてしてたんだったら、絶対カエデちゃんのこと話してたんでしょ?」
「まあな」
ようやく俺の口から出てきてくれた肯定を受けて、あはは、とヒマワリが軽く笑い声を上げる。
「なるほどねえ。ま、細かい話はそのうち聞くよ」
周囲を見回しながら、ヒマワリが言った。
もう二次会会場には、ほとんど人は残っていない。
「そろそろ帰らないとねえ。お母さんから、『終わったなら早めに帰ってきなさい』って連絡きてたし」
ヒマワリが気持ちゆっくり、くるりとレストランの出口の方を向いた。
鼻歌でも歌い始めそうな軽い足取りで数歩歩き出してから立ち止まり、こちらをちらりと振り返る。
「じゃね、ヨウ」
軽く手を挙げたヒマワリが、また前を向いて、歩き出す。
その背中を見て、母さんからヒマワリと一緒にタクシーで帰ってくるように念を押されていたことを思い出した。
「あ、ちょっと待て」
「なあに?」
俺の声に再び歩みを止めて、またヒマワリが振り返る。
「母さんから、タクシー代もらっててさ」
「うん」
「お前と一緒に帰ってこいって言われてたんだよ」
「おー、まじか。おばさんナイス」
にしし、とヒマワリが歯を見せる。
「ここって、結構駅からアクセス悪いよね」
「そうだな」
「んじゃ、タクシー捕まえて一緒に帰ろっか」
「おう」
§
二次会会場のレストランが大きめの商業施設の中のいち施設だったからか、タクシーは簡単に捕まえることができた。
ヒマワリと一緒に車に乗り込んでから、運転手に住所を告げる。
運転手がナビに目的地を設定し、こちらに目配せをした後、車はゆっくりと動き出した。
動き出して最初の赤信号で止まったとき、中年の男性運転手がフォーマルな格好をしている俺とヒマワリを見て、「今日はなにかの催し物ですか?」と訊いてきた。
ヒマワリが「今日、お姉ちゃんの結婚式だったんです」と返し、運転手が「そりゃめでたいですね」と顔をほころばせた。
とりあえず尋ねはしたものの、それ以上話を広げる気はなかったのか、運転手は以降、無言で前を見て運転に集中し始める。
そんな中年男性の様子を見届けてから、隣のヒマワリが俺を見た。
「ね、ヨウ」
「んー?」
「丁度いいからさ、さっきの話! 続き続き!」
「あー」
ヒマワリの興味津々度合いが半端じゃない。
まぁ、理解はできなくもない。俺の恋バナなんて、ずうっとユリカさんに関することだったのだ。
そこに降って湧いた、
俺をよく知る人間ならば、皆が皆興味を持つに違いない。
「で? 岡平さんに『告白された』って言ったの?」
「ああ、言った」
「へー、岡平さんはなんて?」
「クズって言われた」
クズ、という言葉にヒマワリが、ぶはっ、と吹き出す。
「クズって言われたの?」
「おう」
「岡平さんに?」
「おう」
何度も確認するように聞き返して、ヒマワリがくつくつと笑う。
「なんでクズなのさ」
「自分に好意を持っている女子をキープしてるんでしょう、罪深い、って」
「つみぶかっ!」
静かに肩を震わせていたヒマワリが、とうとうゲラゲラと笑い出す。
「確かにそうだねえ。クーズ、クーズ」
「うるせぇよ」
「でも返事、まだしてないんでしょ?」
「うん」
「岡平さんの言う通りの、立派なクズじゃん」
ヒマワリが、にやにやしながら俺を見た。
「確かゴールデンウィークもデートしたんだよね?」
「そうなるな」
言い訳はいくらでもできる。
返事を待ってもらっている身で、自分からカエデと二人で遊びにいこうなんて提案するほど、俺は神経が太くない。
しかし、カエデの押しが予想以上に強かったのだ。
四月下旬のやりとりを思い出す。
『ヨウ君、ゴールデンウィークはお時間ありますか?』
『ないかな。勉強したりとかしないと』
『あら、つまり、予定はないってことですね?』
『いや、まあ、予定はないけど』
『じゃあ、私と遊びに行きましょう』
『え? いや、だから』
『一日だけでいいですから。行きましょう? 一日くらい良いでしょう?』
あの時のカエデの圧は強かった。ロールプレイングゲームの無限ループ選択肢を食らった気分だった。
いいえ、を選択しても「あら、聞こえませんでしたわ、もう一度言ってくださいます?」、なんて聞き返されるアレだ。
結局俺はカエデの圧に負ける形となった。
「そりゃあ、岡平さんだし。そんなこと話したら、クズって言われるよねえ」
にやけきった顔を俺に向けて、ヒマワリが左肘で俺をつつく。
反論できない。しようとも思わないけれど。
何しろ、俺がクズと呼ばれるような所業をしていることは、歴然たる事実なのだ。
「あー、笑った笑った」
ヒマワリは涙すら浮かべている。
そりゃ面白いだろう。というか、面白くあってくれ。クズとまで言われて、面白くすらなかったら、それこそ救いがない。
「で? 岡平さんと話して、これからどうするのか、答えは出せたの?」
「いや」
「ヨウは真面目だねえ」
クズなのに、真面目。二つの要素は両立するのだろうか。判断に迷う。
「言ったじゃん、気軽に考えたら? って」
「気軽に考えられる問題じゃねぇだろ」
「そうかなあ」
ヒマワリが楽しそうに言った。
家まで半分くらいの距離になっただろうか。スマートフォンがぶるりと震えた。
ポケットから取り出して通知を確認する。
「あ」
カエデからのメッセージだった。
『ヨウ君。こんにちは。特段用事があるわけではないですが、今何してますか?』
彼女らしい気遣いが目一杯込められたメッセージが画面の最下部に表示されている。
「さては、カエデちゃん?」
「おう」
ヒマワリに返事をしてから、スマートフォンをタップし、『小さい頃からお世話になってた隣のお姉さんの結婚式に参加していて、帰るとこ』と返信する。
すぐに既読がつき、三十秒くらいでメッセージが表示された。
『もしかして、秋野さんですか?』
『そうそう』
『ヒマワリさんのお姉さん、ですか?』
『そう』
俺からの返事は酷くそっけなく見えるが、俺とカエデのやり取りはいつもこんな感じだ。
少しばかり考えて、追加でメッセージを送る。
『今、丁度ヒマワリと一緒にタクシーで帰ってるところ』
既読がつく。
そして、しゅぽっと、すぐにカエデからの返事が届いた。
『ヒマワリさんに伝えて貰えますか? 今度三人でお会いしませんか、と』
「おおう」
突然のカエデからの「お願い」に、思わず声が出た。
「どした~?」
ヒマワリが反応する。
「いや、カエデがさ」
「うん」
「ヒマワリと俺と三人で遊びに行きたいって」
「え!? 良いけど、カエデちゃんからしたら、アタシ邪魔じゃない?」
「いや、カエデが言い始めたことだし、そうはならないんじゃね?」
「そっか~」
ヒマワリが少しだけ考える素振りを見せる。
「『ぜひ』って返しといて~」
「わかった」
俺はカエデに、ヒマワリの意思をメッセージで送る。
すぐに、喜びの感情を表すスタンプが送られてきた。
スタンプの後で、カエデからのメッセージが届く。
『では、来週の土曜日とか、いかがでしょうか?』
カエデは、気遣いができるし、性格も良いが、一方でこういう時の行動力が半端ない。
彼女が「一緒に今度遊びに行きましょう」と告げるとき、社交辞令である可能性はほとんどゼロだ。
こういう部分に、海外暮らしの長さを感じる。それが原因なのかどうか、シンプルにカエデの性格に起因しているのか、どちらとも言えないが。
俺は顔を上げて、ヒマワリに視線を遣る。
「来週の土曜日、どうだ? ってさ」
「来週? えーっと……」
ヒマワリが自身のスマートフォンを手提げバッグから取り出す。
スケジュールを確認しているらしい。
「部活だけど……ま、休んじゃっていっか。大丈夫~」
「了解」
カエデに、大丈夫だという旨のメッセージを送る。
『楽しみにしていますね』
カエデからの返事は早かった。
「楽しみにしてるってよ」
「なら良かった」
ヒマワリが微笑んでから、「今日は疲れたぁー」と狭い車内で伸びをする。
「これから、更に疲れる予定なんだろ?」
「そだね、帰ったら親戚一同がいるから」
苦笑いをしてから、ヒマワリが「別に嫌じゃないんだけどね」と付け加えた。
「でも、カエデちゃんさあ」
「ん?」
「ヨウから、色々聞いて、なんとなく感じてはいたけどさ」
「おう」
「変わったね」
変わった、のだろうか。
まぁ、中学の頃のカエデを良く覚えていない俺としては、理解できない感覚だ。
「きっと、あの頃のカエデちゃんなら、アタシと会いたいなんて言わなかったよ」
「そんなもんか?」
「うん。わかんないけどね」
ヒマワリが頬をぽりぽりと掻く。
「でも、久々にカエデちゃんと会えるのは、アタシも楽しみだな」
そりゃ良かった。とは口に出さなかった。
丁度運転手が、「お客さん、着きました」と言って、車を止めたからだ。
いつの間にか、家の前まで来ていたらしい。
母さんからもらっていた一万円札を運転手に渡し、お釣りを受け取る。
事務的に「ありがとうございました」と言う運転手に、「どうも」と返し、ヒマワリと共に車から降りた。
ヒマワリの家から、かすかに酔っ払った大人たちの話し声が聞こえてくる。
木造の一軒家とは言え、音漏れが気になったことはないのだが……。
鑑みるに、相当盛り上がっているようだ。
「大変そうだな」
そう言ってちらりと見ると、ヒマワリが苦笑いを返した。
「ここまでとは思わなかったよ」
「ユリカさん達は?」
「お姉ちゃんと鈴川さんは、夜の八時ごろに来るって」
今が午後四時過ぎだから、後三時間強くらいか。
「新郎新婦が到着すると、更に盛り上がるだろうね」
少しだけげんなりした様子でヒマワリが呟く。
それまで、おじさんとおばさんに加えて、へべれけになった親戚一同に揉まれるとなると。
「なんっつーか、お疲れさん」
「うん……。多分今日は夜ふかしだ。明日学校休もっかな?」
「それも良いんじゃないか?」
「あら、真面目くんのヨウにしては珍しい」
真面目くんって。別に自分を真面目だと思ったことはないんだけどな。
「疲れきってるなら、休んでもバチは当たらんだろ」
「そうねぇ。仮病も視野に入れて、だね」
「別に仮病使う必要もねぇだろ。おじさんおばさんも、言えばわかってくれる」
「だと良いけどねえ」
ヒマワリが再び、腕を上げて、ぐいと伸びをする。
俺は制服だが、ヒマワリはドレスだ。
高校生からしてみれば着慣れない格好だし、疲労感も違うだろう。
うー、と唸り声を上げたヒマワリが、大きく深呼吸をした。
「じゃね。ヨウ」
「おう」
「来週の土曜日、だっけ?」
「そうだな」
ヒマワリが俺に向かって軽く手を挙げる。
「連絡待ってるね」
そう言って、ヒマワリは自分の家に入っていった。
ドアを開けた瞬間、聞き覚えのない大人たちのヒマワリ到着に湧く声が聞こえたのは御愛嬌だろう。
難儀なもんだ。とは言え、おじさんおばさんにとっては、ユリカさんとヒマワリを合わせて、最大でも生涯二度しかないハレの日だ。
ヒマワリの無事を祈りながら、俺も自宅のドアをくぐる。
「ただいま」
靴を脱いで、リビングに入ると、午前中からアルコールを入れたせいで、グロッキーになった父さんがソファーで横になって、大きくいびきをかいていた。
母さんはそれほどでもなさそうだが、それでも完全に無事とは言い難く、テーブルに頬杖をついて、ぼうっとしていた。
「おかえり」
母さんがぼけっとしたままで言う。
「二次会、どうだった?」
どうだったか、と問われてもなぁ、と思う。
ただ、快く送り出してくれたのだから、それなりの感想を告げねばなるまい。
「ユリカさんが、幸せそうだった」
「……そうねぇ」
母さんが、疲れ切っていつつも、感慨深げな声をだした。
「そういえば、ヨウ。アンタ、ちっちゃいころ『ユリカ姉と結婚するんだ』って、ずっと言ってたわよね」
「うん」
「懐かしいわねえ」
俺にとっては懐かしくもなんともない。
つい数ヶ月前まで、ずっと抱いていた願いだった。
ただ、「ユリカ姉」という呼び方が「ユリカさん」に変わった頃から、父さんにも母さんにも胸中の想いは話さなくなった。
だから、母さんは知らなくて当然だ。
「そうだな、懐かしいな」
素知らぬ顔で、俺は母さんに返事をした。
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