第十二話:カエデちゃんのこと話してたんでしょ?

 岡平さんと共に、二次会会場へ戻る。


 そういえば、口実は「トイレの場所を教えてもらう」だったか。

 にしては、相当時間が経っているし、そもそも場所を教える岡平さんに関しちゃ、教えた後ですぐに戻るのが自然だ。


 不自然に思われていないだろうか、と少し考えるも、相手は酔っ払いのお調子者だったことを思い出す。

 別に気にしなくてもいいか。


 などなど、詮無きことを考えながら、会場であるレストランの入口をくぐった。


 二次会は丁度余興のカラオケ大会の時間になっていたようで、件の岡平さんを困らせていた酔っ払いが、ガタガタな音程で結婚式の定番ソングを歌っていた。


 岡平さんが俺の肩をたたいて、目をあわせる。

 そのまま岡平さんに腕を引かれて、全体を見回すことができる会場の角のほうに移動した。


「見てください」


 そう言って、岡平さんが目で示した方向に、鈴川とユリカさんがいた。

 女性の三人組グループと輪になって、二人がなにやら話している。


「二人の様子を観察してください」


 耳元でささやく岡平さんの声は、なんとも優しげだった。


「もしかしたら、ヨウ君の考えがはっきりするかもしれませんよ」


 言われた通り、今日の主役をじっくりと観察する。


 当然ながら、声は聞こえない。カラオケ大会中だということもあるが、じゃなかったとしても、聞き取れはしなかっただろう。

 祝いの席だ。皆が皆落ち着いた雰囲気の大人であるとは言え、これだけの人数が集まればシンプルにやかましい。


 けれど、二人の様子に関して言えば、視界から得られる情報で十分だった。


 鈴川が何か口を開き、声を発し、相好を崩す。

 隣でユリカさんも、口に手を当てて微笑む。


 ユリカさんの左手は、絶えず鈴川の右腕にかけられている。

 ぴったりと寄り添っているものの、その距離感は他人の目から見て胸焼けするほど近すぎるほどではない。


 二人が付き合い始めたのは、昨年の十二月からのはずだ。

 そこから紆余曲折あって、婚約し、六月。まだ半年しか経っていないのだ。


 比較対象に、クラスメイト同士で付き合って一年くらいで別れたクラスのカップルを思い出す。交際半年くらいの時分は、もっと周囲に砂糖を接種させ続けているような甘ったるい空気を醸し出していたはずだ。


 鈴川とユリカさんにはそれがない。

 変に浮ついた感じも無く、ごくごく自然に、当たり前のように隣り合って立っている。


 たまに鈴川が冗談を言うのだろう。鈴川が何かを話した後で、それを聞いていた女性らが笑う。

 ユリカさんも、くすくす、と小さく笑う。


 その後で、ユリカさんが右手で鈴川の肩を叩いた。軽く、たしなめるように。


 ――もう、トウジさんったら、何言ってるの。おかしい。


 ユリカさんの声が、聞こえていないはずなのに、聞こえた。


 鈴川が左手で、後ろ頭を掻く。

 ユリカさんが、引き続き女性と話す鈴川をじっと見つめる。視線には、激情も熱情もない。


 あるのはただ、信頼と思いやり。


 そして、女性グループと話す合間合間に鈴川もちらりとユリカさんを見遣る。

 その視線の意味もわかった。想像がついてしまった。


 察するに、あの三人組は鈴川の友人だ。鈴川の気安い態度が物語っている。

 そして、ユリカさんとはほぼ初対面なのだろう。


 だから、いちいち奴がユリカさんに向ける視線には「気まずくないか?」だとか、「疲れてないか?」だとか、そんな意味がふんだんに込められている。

 返すユリカさんの視線は、「大丈夫」、「気にかけてくれてありがとう」、「私のことは気にしないで」という、少し嬉しそうなものだ。


 互いを気遣うアイコンタクトを絶えず二人は行っていた。

 まるで、いつかテレビで見た、社交ダンス世界一のペアのように、息がピッタリあっている。


 お互いがお互いを気遣い、思いやり、そして大切な時間を共有している。

 大きなサプライズや、高級なプレゼント、大げさな愛の言葉なんてのは、きっと二人には必要ないのだろう。


 二人一緒にいるだけで、あんなに幸せそうなのだから。


 ああ、そうか。

 わかった気がした。岡平さんの言っていたことの意味が。


「わかりましたか?」


 ジャストタイミングで、岡平さんが俺の耳元で問いかける。

 俺は小さく頷いた。


 熱に浮かされるだとか、激しく相手を求め合うだとか、そういうのじゃない。


 互いが隣にいることが、自然体で、それ以上でも以下でもない。

 一緒にいるだけで、同じ時間を共有するだけで、幸せになれる。


 もはや悔しささえ湧いてこない。


 さとられないように、恨み言の一つでも言ってやろうかと思っていたものだが、そんな気持ちももうさっぱりと消えてしまった。


 清々しいまでに、俺は鈴川に負けているのだ。


 願わくば、鈴川の立ち位置に俺がいたかった。そう思っていた。

 でも、違うのだろう。


 鈴川だから、ユリカさんはああやって幸せに微笑んでいられる。

 俺じゃダメなんだ。


 今なら素直に二人を祝福できる気がする。いや、ちょっと怪しいか?

 でも、今この瞬間だけはそう思う。


 お調子者の歌が終わった。

 まばらな拍手と、陽気に笑いながら、マイクを置いた男性が何度もペコペコとお辞儀をする。


 男性が去った後、「皆様ありがとうございました。余興のカラオケ大会はこれにて終了です」と司会者がマイクに向かって喋った。

 お調子者の酔っぱらいが、最後の参加者だったらしい。


 鈴川もユリカさんも、柔らかい雰囲気で微笑みながら、手を叩いている。


「出会って三ヶ月で、交際、婚約、でしたっけ?」


 岡平さんがぼそりと呟いた。


「そう聞いてます」

「納得しちゃいませんか? あの二人なら」

「ええ」


 心の底からの言葉だ。


「運命って、本当にあるんだなって。鈴川さんとユリカさんを見てれば思っちゃいますよね」

「はい」

「二人は、きっとああなるべくしてなったんですよ」

「今、俺も同じように思いました」


 岡平さんと顔を見合わせて、困ったように笑い合う。


 岡平さんが、鈴川のことを好きだったかどうかなんてわからない。

 でも、今俺と岡平さんはきっと同じ気持ちなのだろう。


 ひとしきり、くすくすと笑いあった後で、二人に視線を戻すと、ユリカさんと目があった。


 鈴川の肩を叩いてユリカさんが耳打ちをする。そして鈴川も俺達に気づいたようだった。


 二人が、女性三人組に会釈をし、手を振ってからこちらにやってくる。


「ヨウ君。今日は来てくれてありがとう」


 鈴川が、人好きのする笑顔で言う。

 披露宴でも、何度か伝えた気がするが、改めて俺は口を開く。


「鈴川さん、ユリカさん。改めて、ご結婚おめでとうございます」


 二人が俺の言葉に「ありがとう」と微笑んだ。


「岡平も、受付大変だったろう。助かった、ありがとうな」

「いえ、鈴川さんにこき使われるのは慣れてますので」


 岡平さんがさらりと棘のある冗談を言う。


「おいおい、人聞きが悪いな」

「こき使ってるのは事実じゃないですか」

「正当に仕事を振ってるだけだ」


 にやにやしながらからかう岡平さんと気のおけないやりとりをする鈴川。

 横で、くすくすと笑っていたユリカさんが口を開いた。


「岡平さん、改めて本日はお越しいただきまして、ありがとうございます」

「いえ、ご招待ありがとうございます。素敵な結婚式で、幸せをおすそわけしてもらった気分になりました」

「ふふ、トウジさんがパワハラとかしたら、いつでも私に相談してくださいね。岡平さんには色々とお世話になりましたし」

「お気遣いありがとうございます。その際は迷いなくユリカさんにご連絡させていただきますね」


 女性二人が、鈴川そっちのけで奇妙な連帯感を出し始める。

 流石の鈴川もこれには少し慌て始めた。


「お、おい。岡平、ユリカっ」

「トウジさん? 慌てるってことは、本当に……」

「ち、違う! ユリカ! パワハラなんて俺はっ!」


 鈴川が慌てるだけ慌てた後で、ユリカさんと岡平さんが顔を見合わせて笑う。


「しょうもないウチの係長を、どうかよろしくお願いします、ユリカさん」

「いえ、岡平さんも。ご自身の負担にならない程度に、トウジさんをよろしくお願いします。ご迷惑をおかけするかもしれませんが」

「その時は、やっぱりユリカさんにご連絡させていただきますね」

「ええ、すぐに相談してください」


 やっぱり、二人の連帯感が凄まじい。

 その横で、鈴川がなんとも情けない顔をしていた。


「ゆ、ユリカぁ~」


 流石に気の毒になってきたので、俺は鈴川に声をかける。


「鈴川さん、諦めましょう」

「ど、どういうことだ? ヨウ君」

「俺の知る限り、ユリカさんに勝てる人間は誰もいません。大人しく尻に敷かれてください」

「よ、ヨウ君まで……」


 おっと、慰めるつもりが追い打ちをかけてしまったようだ。

 はからずも「恨み言のひとつでも」という、ついさっき綺麗に消え去った当初の目的が、思わぬ形で成功したらしい。


「お姉ちゃん、鈴川さん」


 四人で談笑していると、気づけばヒマワリがやってきていた。

 ヒマワリが、ユリカさんと目配せをしてから、岡平さんの顔を見た。


「岡平さん、今日は姉の結婚式にご列席くださいまして、改めてありがとうございます」

「いえ、ヒマワリちゃんとも話せましたし、お姉さんは満足ですよ」


 岡平さんに深くお辞儀をした後で、ヒマワリが俺に視線をよこす。


「ヨウ、しばらく見なかったけど、岡平さんとどこ行ってたの?」


 ずっと俺の姿を見なかったことを疑問に思ったのだろう。

 ヒマワリが不思議そうな顔で訊いてきた。


 ヒマワリの問いに答えようとした時、岡平さんが俺に耳打ちした。


「じゃ、私は行きますね」


 それから、鈴川、ユリカさん、ヒマワリの順番に視線を遣って、「すみません、私お化粧直し、してきます」といってどこかへ去っていった。


 ヒマワリが岡平さんに会釈し見送ってから、また俺を見る。


「で、岡平さんと、どこで何してたの?」


 トイレの場所を案内してもらってた、と上下の歯の間くらいまで出かかってから、それが酔っ払いのお調子者から岡平さんを遠ざけるための言い訳だったことを思い出す。

 ヒマワリになら普通に言って大丈夫か。


「あー、岡平さんが、酔っ払った男の人に絡まれてて、困った顔しててな。適当に口実つけて、しばらく避難してた」

「そうなんだあ」


 なにやら納得したような顔でヒマワリが相槌を打つ。

 相槌を打ちながらきょろきょろした後で、視線を一点に集中させて輝かせた。


「あー! 美味しそうなケーキ!」


 目ざとくケーキを見つけたらしい。「取ってくるっ!」と言って、ヒマワリがいそいそと歩いていく。


 鈴川とユリカさん、俺の三人が後に残された。


「ヨウ君、今日は二次会にまで参加してくれて、ありがとう」


 ユリカさんが俺に言う。


「ううん。ユリカさん。本当におめでとう。幸せにね」

「ええ、ありがとう」


 ユリカさんがニコリと笑って、俺に顔を近づける。


「ヒマワリをよろしくね」


 ふわりと、香水の良い香りがした。

 思わず「うん」と頷いたが、どうよろしくすればよいのかはわからない。


 わからないままに、ユリカさんが満足げに微笑んで、鈴川にアイコンタクトを取る。


「トウジさん」

「ああ、じゃあ、ヨウ君、二次会もあと少しで終わりだけど、最後まで楽しんでいってくれ。しばらくしたら、二人で男同士の熱い話でもしよう」

「ええ、ぜひ」


 俺に小さく手を振って、また次の列席者グループの方に向かって二人は歩いていった。


 入れ替わりでヒマワリがケーキの乗った皿を片手にやってくる。


「あれ? お姉ちゃんと鈴川さんは?」

「ん、まだ挨拶回りが残ってるみたいだ」


 もう次の列席者に挨拶をし始めていた鈴川さんとユリカさんを手で示す。

 ヒマワリが「あー」と言った。


「ねえ」

「なんだ?」

「岡平さんと、なんか話してたみたいだけど……なに話してたの?」

「なに話してた、って……」


 なんでこいつは、そんなに俺と岡平さんが話してた内容を気にしてるんだよ。


「別に」

「あー、アタシに隠さないといけないようなこと話してたんだー」

「そうじゃねぇよ」


 否定しながらも、そのまま一から十まで伝えるには、面倒くさすぎた。

 ので、少し考えてだいぶ端折ることにする。


「あー、端的に言えば」

「言えば?」

「恋バナ?」

「……恋バナ~?」


 訝しげにヒマワリが繰り返す。


「岡平さんと?」

「ああ」

「ふうん」


 ヒマワリが鼻を鳴らして、ケーキを一口食べた。


 丁度そのタイミングで、司会者が締めの言葉っぽい台本をマイク越しに喋りはじめた。


 挨拶回りをしていた鈴川とユリカさんも、気づけば会場の中央に戻っている。


 最初と同様に、鈴川とユリカさんが短めのスピーチをして、今日何度繰り返したかわからない「ありがとうございます」の言葉をまた何度も繰り返して。


 そして、二次会が終わりを告げた。


 周囲の大人たちは、少数のグループに分かれて三次会に向かうようだ。会場のいたるところから、そんな話が聞こえてくる。

 鈴川とユリカさん、それと岡平さんの三人は連れ立ってどこかへ行くらしく、こちらを見てめいめいに手を振ってから出ていった。


 先程までの喧騒が嘘のように、少しずつ静かになっていく会場の隅で、ヒマワリが俺をじっと見つめていた。


「恋バナなら、カエデちゃんのこと話してたんでしょ? 告白されたんだよね? 返事はまだしてないんだっけ?」


 声の調子は軽い。しかし、そんな声の調子を、何故かそのまま受け取ってはいけない気がした。

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