第十一話:決まってるじゃないですか。今日の主役、新郎新婦ですよ

「――ということがありまして」


 ひとしきり、春夏冬カエデという少女について岡平さんに話し終える。


 都度都度相槌を挟みながら聞いてくれていた岡平さんは俺が話し終えると、眉間に縦皺を作って小さくうつむき、難しそうな顔をした。


「なるほど……。つまり、中学の時離れ離れになった同級生がヨウ君のことを好いていた、と」


 もっといろいろ仔細を話したのだけれど、まぁ要約するとそうなる。


「モテモテですね。良かったじゃないですか」


 全然「良かった」なんて思ってなさそうな顔で、岡平さんが吐き捨てるように言う。


「思ってないですよね?」

「バレました?」


 難しい顔から、一転、「てへ」とでも言わんばかりの笑みを岡平さんが浮かべた。

 しかし、それもつかの間。すぐに真顔に戻る。


「で、ヨウ君はどうなりたいんですか? その、春夏冬あきなしカエデさんと」

「いや、どうなりたいもなにも――」


 少し考える。


「どうしたいんでしょうね」


 考えた結果出てきた答えがそれだった。

 我ながらなんとも煮えきらない。


 そんな俺を見て、岡平さんが大きなため息を吐いた。


「ヨウ君?」

「はい」

「あなた、最低までいかずとも、すこーしクズに足を踏み入れるような真似をしている自覚はあります?」

「……え?」


 予想外の鋭く棘のある指摘に、言葉を失った。

 クズ? 俺が?


 確かになんとなく罪悪感は抱いていたけど……。


「いいですか? ヨウ君。あなたのやっていることを端的に言い表します」

「はい」

「『こいつ、俺のこと好きだって言ってたし、しばらくはちやほやしてくれそうだから、キープしーとこ』ですよ?」


 岡平さんが、おどけたような口調で言ってのけた。しかし、顔は全くおどけた様子ではない。

 彼女の表情が、今まで気づいていなかった自分の業の深さを、まざまざと見せつけてくるようで、元々あった罪悪感が更に膨れ上がる。


「そ、そんなつもりは」

「ヨウ君にそんなつもりが無くても、です。私から言わせればクソ喰らえ、ですね。まぁ、手を出していないだけまだマシですが」


 手を出す。つまるところ、カエデと正式な恋人としてではなくそういう・・・・関係になるということだろう。


「でも、カエデはそれで良いって」

「ヨウ君は彼女の言葉にいつまで甘えるつもりですか?」


 ぐうの音も出ない正論だ。


「春夏冬さんが、本心から、心の底から、『答えはまだ要らない』と言ったなんて思っているんですか? であれば、ヨウ君は罪深いまでににぶちんです」

「にぶちん……」

「そうです。罪深いです。悔い改めてください」


 岡平さんの俺に向ける言葉は殺傷能力が非常に高い。

 それだけ、彼女は煮えきらない俺を見て業腹なのだろう。


 少しだけ気分が落ちる。

 確かに、自分がカエデの言葉に甘えている自覚はあった。罪悪感もあった。


 ただ、ここまではっきりと「クズ」やら「罪深い」やら「にぶちん」やら言われると、落ち込む。

 誰だってそうだろ?


「あ、あ、あ。ヨウ君、すみません。そこまでしょんぼりしないでください、言い過ぎました」


 俺の顔を見た岡平さんが、一転して慌てたような声を出した。


「いえ、岡平さんの仰るとおりです」

「いやいやいや。すみません。大人の物差しでヨウ君を見ちゃいました。ほら、ヨウ君って結構大人びてるじゃないですか、だから私もちょっと言葉が過ぎたというか……。高校生ならそういう、甘酸っぱい感じもアリだと思います」

「ですが……」


 高校生ということを免罪符にしてはいけない気がする。


「いいんですよ。それも含めて、経験です。お姉さんはヨウ君を応援してますよ」


 さっきまであんなに手厳しいことを言われていたのに、すぐに手のひらを返したように「応援している」と言われても、気分は浮き上がらない。

 意気消沈している様があまりにも表情に出ていたのだろう。岡平さんが、俺の肩を優しく叩いた。


「じゃあ、お手伝いしてあげましょうか」

「お手伝いですか?」


 唐突に岡平さんからなされた提案に、顔を上げる。


「ただ恋バナ聞きたかっただけなんですけどね。結構悩ませちゃったみたいなので、お詫びも兼ねて」

「はぁ」


 こほん、と岡平さんが咳払いをし、俺をじっと見つめる。

 何を言われるのだろうか、と少しだけドキドキした。


「ヨウ君は、今まで恋人がいたことはないですよね?」


 岡平さんから出てきたのは、俺のドキドキとは裏腹に、酷くシンプルなものだった。


「はい」

「じゃあ、想像してみてください。恋人と過ごす日常を」

「わかりました、想像するようにしてみます」


 想像してみろ、というアドバイスが「岡平さんのお手伝い」なのだとしたら、ちゃんと普段から実践してみようと思う。


 しかし、俺の返事を聞いた岡平さんが「違う違う」と手を振った。


「今です。まさに、今、想像して、話してください」

「今ですか?」

「はい」


 と言われても。

 俺の女性経験なんて皆無に等しい。何から想像すればよいのかなんてわからない。

 ただの妄想じゃないか。


 いやまぁ。けれど、言われたとおりに想像しよう。

 目を閉じる。


 恋人、恋人……。一緒に過ごす……。


 恋人と一緒に過ごす様を想像しろ、というオーダーで俺がイメージした相手はユリカさんだった。


 まずはデートに行くだろ? きっと、定期的にだ。

 デートの最中は手をつなぐだろうな。


 付き合って一ヶ月だとか、そういう記念日はお祝いするのだと知っている。

 今日が何日なのかなんて常に意識しているわけではないから、忘れてしまいそうだが、そこは頑張るのだろう。


 しばらく恋人として過ごしたら、キス、なんかもするかもしれない。

 勿論その後も。いや、それは早いか? 責任の持てないことはするもんじゃない。


 だけれど、興味がないわけでもない。


 それから……それから……。


 想像しながら、俺は恋人と過ごす日常を、岡平さんにぽつりぽつりと話す。


 話し終えて目を開くと、岡平さんがにやにやしていた。


「予想通りです」

「なにがですか?」

「解像度が低すぎますね」

「低いですかね?」


 恋人と一緒に過ごす、なんてそんなもんだろう、と思うのだけれど。


「ヨウ君が今言ったのは、『恋人と何をするか』です。『恋人とどう過ごすか』ではありません」

「はぁ」

「もう一度具体的に想像してください。最初の『デートに行く』だけで良いです。デートの最中、じゃあ相手が春夏冬さんだったとして」


 ――どんな会話をしますか?


 ――どんな態度で接しますか?


 岡平さんの言葉が、頭の中で、わんわんと反響する。


 カエデが相手だとして。


 俺はどういう会話をするだろうか?

 カエデはどう返すだろうか。


 俺はどういう態度で、表情で接するだろうか。

 カエデはどういう態度で、表情で接するだろうか。


 考える。


 しかし、一向に想像が追いつかない。

 カエデがどのように俺に接してくれるのかは、なんとなく想像がつくのだ。それが正解なのかは知らないけど。


 しかし、一方で「自身の恋人であるカエデ」に俺がどう相対するのか、全く想像がつかない。


 気づけば眉間に力が入っていた。


「想像できないですか?」


 岡平さんが思いあぐねている俺を見かねたのか、柔らかい微笑みを浮かべた。


「つまり、そういうことです」

「そういうこと、って、どういうことですか」


 岡平さんが自信たっぷりな顔で言う。


「じゃあ、次はヒマワリちゃんで想像してください」


 え? なんで?


「なんで、ここでヒマワリが出てくるんですか?」

「いいから、いいから」


 岡平さんに促されて、俺は再び目を閉じる。


 ヒマワリとデートに行く。


 ヒマワリは、いつも通り俺を振り回すだろう。

 あいつはやりたいことに全力だ。


 ――ヨウ! あそこの服屋に寄りたい! 見て良い!?


 ――映画見に行こうよ! 怖いやつ! え~? ヨウに拒否権はありませーん!


 ――今日、この後ヨウの家行くね。一緒にゲームしよ。


 ――ヨウったら、そんなにアタシと手をつなぎたいのか~? ま、恋人だしね。ほれ、手、つなぎなさいよ。


 ――ヨウ! ヨウ! あそこで芸人さんがショーやってるよ! ちょっと見ていこうよ!


 不思議なことに、デートが始まってから、終わるまで、詳細に想像することができた。


 ヒマワリとどんな会話をするのか。

 俺がどんな話を振るのか。


 ヒマワリがどんな表情をするのか。

 そして、俺がそれに対してどういう顔を向けるのか。


 目を開いて、岡平さんを見ると、ふふん、と自慢気に胸を張っていた。


「春夏冬さんと、ヒマワリちゃんじゃ、全然違ったんじゃないでしょうか?」


 確かに違った。

 カエデと恋人として過ごす自分はさっぱり想像できないのに、ヒマワリとであればなんとなく想像がついた。


 だが、これはシンプルに説明できる。俺だって馬鹿じゃない。


「これ、単純に相手に対する理解がどれだけ深いか、だと思うんですが」

「そうですよ?」


 あっけらかんと、言い放つ岡平さんに、俺は疑問を投げかける。


「つまり、どういうことなんですか?」

「まぁまぁ、この話には続きがあります」


 結論を急かす俺に、岡平さんが「どうどう」と言わんばかりの様子を見せた。


「ヨウ君は恋人という存在に何を求めますか?」

「え?」


 いや、そんなこと。


「……考えたことありません」


 考えたことなかった。


 今までユリカさんが好きだった。

 でも、もしもユリカさんが俺の恋人になったとして、俺は何を求めたのだろうか。


「ユリカさんが好きだったんですよね?」


 俺の考えを見透かしたように、岡平さんが言う。


「はい」

「ユリカさんと、どうなりたかったんですか?」


 それは――


「ただ、ずっと一緒にいられたら、と思っていました。隣に」


 考えが全然まとまっていないにも関わらず、岡平さんの問いに俺はすらすらと答えていた。


「つまり、ヨウ君はそういうタイプだということです」

「どういうことですか?」


 聞き返す。


「恋愛という営みに、何を求めるのか。大体の人間は二つに分かれます」

「はぁ」

「一つは、ときめきやわくわく、ドキドキ、つまり刹那的な快楽を求めるタイプ」


 岡平さんが左手の人差し指を立てて俺に見せた。


「もう一つは、大きく変わらずとも大切な日常を共に過ごすことを求めるタイプです」


 そして、続けて岡平さんは右手の人差し指を立てて俺に見せる。


 なるほど。確かに恋愛をテーマにした漫画は前者の側面が強調されている。

 一方で、父さんや母さんを見れば、とっくの昔に後者の域に入り始めているのだろう。


「今の話を聞く限りだと、ヨウくんはこちらです」


 そう言って、岡平さんが左手を下げ、右手を上に上げた。


「刹那的な快楽を求めるかたは、まったく想像つかない相手と付き合ったほうがうまくいくでしょう」

「はい」

「ですが、えてして長続きしにくいです。なにしろ、付き合えば相手に対する理解が深まって、想像どおりになっていってしまいますから」


 確かに岡平さんの言うとおりなのかもしれない。

 いや、彼女がいたことなんてないから、全然わからないけれど。


「一方で、共に過ごすことを求めるかたは、よく知っている相手と付き合ったほうがうまくいきます」

「それは、わからないんじゃないですか?」

「飽くまで、そういう傾向だというだけです」

「はぁ」

「考えてみてください。気心のしれた仲であればあるほど、お互い気兼ねなく過ごせます。穏やかに、波乱なく」


 飽くまで傾向がある、という話であれば、まぁわかる。


「で、まだ話には続きがあります」

「はい」

「全てのカップルは、遅かれ早かれ、互いが望むとも望まずとも、後者に移行していきます」


 ご尤もだ。岡平さんの言うことは理路整然としていて、納得しやすい。


「その時、ときめきだとか、そういうのを求める方は、つまらなさを感じます。だから長続きしないんですね」

「わかる気がします」

「良かったです」


 そう言って、岡平さんがにこりと微笑む。


「ただ、今私はかなーり単純化して話しましたが、両者はゼロイチじゃないです。もっとグラデーションに富んでいます。言ってる意味わかりますかね?」

「はい、わかります」


 俺の返事に岡平さんが、よしよし、と言わんばかりの得意げな顔をする。


「ちなみに、鈴川さんとユリカさんは二人共後者のタイプに寄っているかただと、私は睨んでいます」

「そうなんですか?」


 聞き返したものの、少なくともユリカさんに関して言えば、岡平さんの言う通りだと思う。


 鈴川は……。どうだろうか。

 しかし、奴も恋愛で色々とあった人間だ。大きな波乱、みたいなものは望んではいないだろう。


 なにしろ、メンヘラ束縛クソ女である元カノに苦しんでいただろうからな。

 恋人や妻には癒やしを求めそうなタイプだ。


 うーん、少しだけ納得。


「ま、ヨウ君が刹那的な快楽を求めるタイプじゃなくて良かったです」


 岡平さんが感慨深げに呟いた。


「なんでですか?」

「刹那的な快楽を追い求めると、クズが出来上がりますから」

「え?」

「ドキドキ、ワクワク、ときめき。それってつまりスリルなんですよ。行き着くところは、浮気、二股、取っ替え引っ替え、ワンナイト、です」


 まぁ、私の完全なる独断と偏見ですけれど、と岡平さんが苦笑いした。


「じゃあ、話を戻して。ヨウ君が欲しがってるものを体現している、最も身近なカップルを見に行きましょうか?」

「え? それって誰ですか?」


 岡平さんが「しょうがないなぁ」とでも言いたげな表情で俺を見た。


「決まってるじゃないですか。今日の主役、新郎新婦ですよ」


 右手の人差し指を魔法を唱えるかのように振りながらウインクする岡平さんは、なんとも頼もしい。

 俺は、岡平さんに向かって大きく頷いた。

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