第十話:丁度良いので、酔っ払っているお姉さんに、ヨウ君の恋バナを聞かせてくださいな
「こんにちは、ヨウ君、ヒマワリちゃん」
ヒマワリと二人で、二次会会場のレストランに入ると、せっせと受付をしていた岡平さんが挨拶をしてくれた。
「こんにちは、岡平さん。」
挨拶を返して俺は財布を取り出す。
「二次会の会費ですよね……」
「あ、鈴川さんとユリカさんからヨウ君の会費は不要と聞いてます。そのまま入っちゃってください。ヒマワリちゃんは言わずもがなです」
「あ、そうなんですか」
岡平さんが笑顔で「では後ほど」と手を振り、俺達の背中側を見てまた挨拶をする。
見ると後ろがつかえていたので、ヒマワリとアイコンタクトをし、小さく会釈をしたのち奥へ進む。
二次会は立食形式のようで、各所におかれたテーブルに軽食が所狭しと並んでいる。
それぞれのテーブルの周りでは、紙皿を持った新郎新婦の関係者なのであろう、二十代後半から三十代前半くらいの大人がグラスを片手に談笑していた。
俺は「さて、どこに居座ろう」とヒマワリの方を見る。
ヒマワリも同じ気持ちだったのか、目が合った。
目線だけで「どうする?」と会話していると、大人たちの中の数人が、俺たち――正確にはヒマワリを見つけ、声を上げた。
「あ、ヒマワリちゃんじゃない!?」
アルコールに浸ってはいないものの、酔っ払って陽気になった女性の声だ。
声の主を見て、ヒマワリの顔がパァ、と明るくなる。
「後藤さん、木村さん!」
「ひっさしぶりー! ヒマワリちゃん!」
「ごぶさた~」
男女五人くらいのグループから、女性二人だけがこちらへやってくる。
「ヒマワリちゃーん、教えてよ! ユリカったら、いつのまにあんなイケメンと知り合ったの!? 私、全然聞いてなかったよ!」
「一抜けされちゃったよね~」
「あ、あはは。鈴川さんは――」
どうやら、ユリカさんのご友人らしい。どちらもタイプは違えど、十二分に美人なお姉さんといった感じだ。
ユリカさんの友人、というイメージからややかけ離れた二人に少しだけ面食らうが、全ての全てに「類は友を呼ぶ」が当てはまるわけではない。
二人はそのまま、ヒマワリとやいのやいのと話し始めた。
話し込み始める三人を見て、突然アウェー感を感じ始めた。
まいった。ヒマワリがいなけりゃ、俺はぼっちだ。
まぁ、こういうアウェー感は別に慣れていないわけじゃないから、いいんだけどさ。
そう思いながら、皿を取って、テーブルに乗ったサンドイッチをいくつか乗せる。
ヒマワリの分は……と少し迷って、ちらりと見るが、いつの間にか、ヒマワリの左手には紙皿が握られていた。上にいくつかの食事も乗っている。
自分で用意したか、お姉様がたからもらったか、だろう。どちらにせよ、わざわざ俺が用意する必要もなさそうだ。
そのままテーブルの近くでサンドイッチをぱくつくきながら、会場を目だけで見回す。
全部で三十人くらい、だろうか。男女比は女性のほうが少しだけ多い。
ずっと女子校に通っていたユリカさんの友人はほとんど女性で、鈴川の友人は男女同じくらいなのかな、と当たりをつける。
大きく間違ってはいないと思う。妥当っちゃ妥当だ。
また、鈴川とユリカさんの人柄からかは知らないが、全体的に落ち着いた人が多いような気がする。
こういう場ってのはもっと、はしゃいだりする人間がいそうなものだという偏見があったのだが、そうではない。
勿論、「ちょっとお調子者っぽいぞ」と感じる男だったり、「格好が派手目だな」と感じる女性はいる。
ヒマワリと未だ話し込んでいる二人は後者だろうか。
しかし、その騒ぎ方にはある一定の節度が受け取れた。
つまるところ、馬鹿騒ぎはせず、静かで常識的な態度で楽しんでいる様子である。
男性の参加者のほとんどは鈴川の友人なのだろう。働き盛りといった年齢の人が多い気がする。
女性については細かく判別できないし、目立って年齢がばらけている風でもないので、わからない。
サンドイッチを食べながら会場を観察していたら、ふと口の中がカラカラだということに気づく。
会場の隅にあるドリンクコーナーを見つけて、ウーロン茶を一杯注文した。
店員のウーロン茶を注いだグラスが俺に渡された瞬間、朝の結婚式場でも案内をしていた、鈴川に少し似た男性が現れて、マイク越しに声を上げた。
「二次会にご参加の皆様。大変お待たせいたしました。本日の主役、新郎新婦の登場です!」
節度のある楽しみ方をしているとは言え、それなりに騒がしかった会場が、一瞬静かになる。
そして数秒後、ややカジュアルな格好に着替えた鈴川とユリカさんが入場した。
満面の笑みで入場した二人が、深くお辞儀をする。
その後で、鈴川に男性がマイクを渡した。
マイクを受け取った鈴川が、二次会参加者へのお礼のスピーチをし始める。
鈴川トウジ・ユリカ夫妻の結婚式二次会が正式に始まった。
鈴川のスピーチや、ユリカさんのスピーチなどが一通り終わると、その後は「しばしご歓談ください」といった形となる。
会場は鈴川とユリカの結婚式や披露宴を肴に静かに、しかしながら大いに盛り上がっている。
一方の俺は、会場内に知り合いがいないので、少しだけ参加したことを後悔し始めていた。
ヒマワリは、ユリカさんの友人らしき女性らにひっきりなしに話しかけられていて戻ってこない。
要はぼっちなのだ。
とは言え、俺が二次会に参加した目的は、別に知らない誰かと会話をしたかったということではない。
純粋に、ユリカさんに改めて祝福の言葉をかけたかった。
あとは、鈴川に恨み言の一つでも、と。
しかし、鈴川もユリカさんも、参加者のグループに話しかけるのに忙しそうだ。
二人が俺のところまで来るのは、相当後になるだろう。
披露宴でも食べ、二次会でも食べ、満腹になり暇になったので、会場を見回していると、岡平さんを見つけた。
何やら少しばかりテンションの高い男性に話しかけられている。
楽しそうだな、と眺めていたのだが、にこやかに微笑んでいるようで、岡平さんの頬が少しだけひくついていることに気づく。
――あー、あれ……岡平さん、ちょっと嫌がってるな。
俺の中の岡平さんのイメージだと、ああいった状況には毅然と対応しそうなものだけれど、と少しばかり思った。
ただどうだろう。岡平さんと初めて話したときは、彼女に小動物的なイメージを抱いていたものだ。
今となっては、その見立ては完全に間違っていると断言できるのだが……。
もしかしたら、話しかけている男性も、岡平さんをか弱い女性だと思っているのかもしれないな。
どちらが本当の岡平さんなのか、という無意味なことは考えない。
どちらも本当の岡平さんなのだろう。
ただ、今の岡平さんは、小動物的な彼女であるらしい。
俺は何とはなしに、岡平さんの近くまでそろそろと歩み寄る。
「――そうなんですか? 知りませんでした、すごいですね。尊敬します」
「岡平さん」
近くに寄ってみると、やはりというか、岡平さんは少し辟易としている様子だった。
その証拠に、いわゆる「相づちのさしすせそ」をひたすらに繰り返している。棒読みで。
これで気付かないとは、相手の男の目は節穴か何かだろうか。
意を決して声をかける。
振り返った岡平さんが、少しだけ瞠目した後、嬉しそうに目を細めた。
「あら、ヨウ君じゃありませんか」
「さっきぶりです。岡平さん。受付のときは、忙しそうで話しかけられなかったので」
「あ、確かにそうですね」
岡平さんの目が、「早く私をここから連れ出してください」と言っているような気がした。
気がするだけなのだが、大きく間違っていないだろう。そんな確信がある。
「お? 坊主は、鈴川の親戚とかか?」
岡平さんと話していた男が、赤ら顔を俺に向けた。
おおう、酒臭い。こりゃ、相当酔ってるな。
「あ、俺は、ユリカさんに小さい頃からお世話になっている、
「へえ、鈴川の知り合いだと思ったんだけどな。ま、よろしく!」
何故か握手を求められた。苦笑いしながら差し出された手を握り返す。
さて、岡平さんをここから連れ出す言い訳は……と。
「……っと、すみません。岡平さん。ちょっと、トイレに行きたくなったんですけど、場所わかります?」
「トイレですか?」
岡平さんが少しだけ訝しげな表情をした。
当然だ、トイレの場所は、レストランの壁に大きく張り出されている。
常人なら、場所なんてすぐにわかるだろう。
しかし、流石の岡平さんだ。俺の真意に一秒と経たず気づいた。
表情が「我が意を得たり」といったものになる。
「しょうがないですね、ヨウ君は。すみません。ちょっと私、ヨウ君の案内をしてきます」
「お手数かけます」
「じゃ、ヨウ君、行きましょう。トイレは会場の外です」
「キョウコさん、また後で」と手を振っている男性を振り返りもせず、岡平さんがずかずかとレストランの出入り口に向かった。
会場を出て、商業施設の廊下をしばらく歩くと、岡平さんが不意に振り返った。
「っはー! ヨウ君! ナイスアシストです! 助かりました!」
「いえ、ちょっと困ってそうだったので」
「気づかれてしまいました? 悪いお方ではないんですけど、ちょっと苦手なタイプでしてね」
岡平さんが困ったように微笑んだ。
「トイレ、行きましょうか?」
岡平さんが、悪戯っ子みたいな顔をする。
「いえ、別に催してはないです」
「わかってますよ。ありがとうございます」
二人で顔を見合わせて笑い合う。
「ところで、ヒマワリちゃんは?」
一緒ではないのか? という意をふんだんに込めて岡平さんが尋ねてきた。
「ヒマワリは、ユリカさんのご友人とも面識があるみたいで」
「あー、そうなると、ヨウ君、ちょっと居づらかったですかね?」
「いえ、それほどでも」
僅かな後悔は感じていたが、慣れていることも事実だ。
俺の答えを聞いて微笑んだ岡平さんが、一転して難しそうな顔で、ふーっ、と深呼吸をした。
「鈴川さんも、ユリカさんも、まだまだ忙しそうですし、ちょっとここで時間つぶしちゃいます?」
「出会いはいいんですか?」
「私のお眼鏡にかなう男性はいませんでしたので」
岡平さんが茶目っ気たっぷりににやりと唇を歪めた。
「最近、ヒマワリちゃんとはどうですか?」
唐突にそんな質問が岡平さんの口から飛び出た。
「ヒマワリと?」
「はい、幼馴染でしょう?」
「どう、と言われても……」
何を問われているのかわからない。
「じゃあ、質問を変えます。ヒマワリちゃんの様子はどうです? 彼女、鈴川さんのこと好きだったじゃないですか。落ち込んだりとか、してませんか?」
あれ? と思った。
岡平さんに、「ヒマワリが鈴川を好いている」という話をした覚えはない。
俺は相当不思議そうな顔をしていたのだろう。岡平さんが、訳知り顔で人差し指を顔の横に立てた。
「これでも、あなたたちより、人生経験積んでるお姉さんですよ? 少し見ればわかります」
おおう。流石の岡平さんだ。
素直に驚く。
「勿論、ヨウ君? あなたがユリカさんを好きだったってことも、わかってますよ」
岡平さんが「どうですか? あってます?」と言わんばかりの顔をした。
「流石ですね」
「ふふん」
そう言って胸を張る岡平さんに、空恐ろしさを感じる。
本当にこの人は怖い。
なんでも見通されていそうで、口を閉ざしたくなる。
しかし、それすらも許さないのが、岡平さんという女性だ。
「複雑ですか?」
何に対してだとか、何についてだとかは全くなく、ただそれだけを岡平さんが訊く。
「どうなんでしょうね」
一方の俺はそれくらいしか答えられない。
自分でもどう感じているか、はっきりとはわからないのだ。
言葉を選びながらゆっくりと話す。
周りに、会場にいた人間がいないことを確認してから。
「二人を祝福する気持ちは本当です。なんというか、ユリカさんから婚約の話を聞いた時に比べたら、すっきりしている、というか。でも、鈴川さんに対して思うところがないかと言われれば嘘になります」
知らず知らずのうちに、俺は下を向いていた。
「ヨウ君、ヨウ君」
岡平さんの声が頭の上から飛んできて、顔を上げる。
「それを『複雑』って言うんですよ」
「あー」
確かにそうだ。
「ヒマワリちゃんも、似たように思ってるかもですね」
「どうですかね」
俺はヒマワリじゃないからわからない。
「岡平さんはどうなんですか?」
してやられてばかりじゃ、癪なので少しばかり意趣返しを、と問いかけた。
「私ですか?」
「はい、だって、岡平さんは鈴川さんのこと」
「ヨウ君はまだまだですね」
「え?」
「私は、鈴川さんのこと好きだとか嫌いだとか、一言も言ってないです」
「でも」
でも、数ヶ月前の岡平さんの態度を鑑みれば、鈴川に対して何かしらの特別な感情を抱いていたのではないか。
そう思った俺の感覚は、間違っていたのだろうか。
「ヨウ君?」
「はい」
「大人っていうのは面倒くさいです」
「えーっと?」
「
どういうことだろうか。俺は岡平さんが続ける言葉を待つ。
「高校生はいいですよね。純粋にその相手を好きなのか、嫌いなのか。それだけですから」
「そう、ですかね?」
そういうわけでもない気がする。
「私たちに比べたら、十二分にシンプルですよ」
「シンプルですか?」
結構複雑だと、反論したくなるが、もう少し黙って聞いておく。
「大人になると、『打算』が加わります。好きだとか、愛してるだとか、そういうのだけじゃなくなるんです」
「どういうことですか?」
「例えばですね。仮にですよ? ヨウ君が高校生ながら、私のド直球ストレートの男の子だったとしましょう」
「はい」
「そして、私がヨウ君に一目惚れに近い好意を抱いたとしましょう」
あまり想像できないが、とりあえず「はい」と返事をする。
「でも、私は、ヨウ君と付き合おうとは思いません。絶対に」
「それは……」
そうかもしれない。
しかし、何故なのかはわからない。
「ヨウ君には収入がありません。私くらいの年齢になると、恋愛の先に必ず結婚があります」
「はぁ」
ただ、それは高校生の俺達も同じじゃ――
「『俺達も同じじゃ』とか思いました?」
「なんでわかったんですか?」
「ヨウ君はわかりやすいですね」
にこりと、岡平さんが底冷えするような微笑みを浮かべた。
「実感が違います。『結婚』というものに対しての。だから、基本的に大人というのは、相手に夢中になったり、本気になったりはできないんですよ」
そう言われてしまうと、そうなのだろう、としか思えないが。
「それと、人間関係のしがらみもあります。ヨウ君が思っている以上に、ずっと大人の恋愛ってのは面倒なんです」
「そうなんですか」
「だから、鈴川さんとユリカさんの、あの関係性は憧れますね」
憧れると口にした岡平さんの表情は嘘を言っていなかった。
「さて、ヨウ君?」
「はい?」
「丁度良いので、酔っ払っているお姉さんに、ヨウ君の恋バナを聞かせてくださいな」
「ええ?」
「良いじゃありませんか。他人の恋バナなんて、女は何歳になっても好きなものなのですよ」
岡平さんの視線に射すくめられる。
どうやら、「話さない」という選択肢を俺は取れないらしい。
「えっと……じゃあ」
何を話せばよいだろうか。
まぁ、いいか。
俺は思いつくままに口を開いた。
直近のカエデの話を。
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