第九話:ようやく、色々整理できたかも

「いい天気で良かったわねぇ」


 空を見上げながら母さんが呟いた。


「そうさなぁ。ユリカちゃんの晴れ舞台をお天道様も祝ってんだろうなぁ」


 誰に向けたわけでもない母さんの言葉に、父さんが返事をする。


「色々あったけど、喉元すぎればなんとやら、ねぇ」

「だなぁ」


 しみじみと語り合う両親を尻目に、俺は結婚式場を見上げて嘆息した。


 市内の小さな結婚式場に、多すぎない程度の参列客が集まっている。

 なんでも、結婚式も披露宴もそこまで大勢の人間を集めず、最低限の人数でこじんまりとやるのだという。


 建物は豪華すぎもせず、質素すぎもせず、ユリカさんの飾らない人柄を想起させるような佇まいだった。


 真っ白な外壁に反射した陽の光に目を細める。

 木でできた大きな扉からは、外壁と同じくらい真っ白な階段が長く長く延びていて、今まで隣に住んでいて身近だったユリカさんが遠くに行ってしまったような感覚に陥った。


 まだ結婚式は始まってもいないのに。


 カンカン照りの日差しが肌に痛い。

 予想最高気温は三十二度。六月上旬と考えれば相当暑い。


 午前十時の今、体感で二十六度くらいだ。

 日が出ているから余計暑く感じるとは言え、気温自体は我慢できないほどじゃない。最近じゃ過ごしやすい方だろう。


 しばらくすると、式場の扉が開け放たれ、中から鈴川にどこか似ている若い男性が現れた。


「ご列席の皆様、お待たせいたしました。式場へご入場ください」


 階段前の広場で、思い思いに話し込んでいた参列者がめいめいに階段を昇り、式場へ入り始める。

 俺も、父さん母さんの背中を追いかけて長い長い階段を昇り、やがて神秘的な装いのチャペルに入り込んだ。


 パイプオルガンの音色が複雑な反響をもって鼓膜を震わせる。


 映画やドラマとかでみたそのまんまだ、と少し感心する。

 何を隠そう、俺にとって初めての結婚式への参列である。


 父さん母さんを追いかけるままに、入って中程、左側の席に腰を下ろす。


 しばらくすると、おばさんとヒマワリ、そして鈴川の両親らしき二人がそそくさと歩いてきた。

 それぞれ、左右に分かれ、最前列に座る。


 やがて、パイプオルガンが奏でていた曲が止まった。


 牧師、と呼べばいいのかわからないが、それらしき人物がしずしずと入場し、祭壇の奥に立つ。

 明らかに日本人ではなさそうな背の高い中年男性が、これから結婚式を始める旨を、拙くも真摯な日本語で語り、参列者に起立を促した。


 パイプオルガンの音色が再び響く。


 どこかで聞き覚えのある曲と共に、新郎である鈴川が、牧師の新郎入場の合図でゆっくりと歩いてくる。

 そして、牧師となにやら目配せをしてから祭壇の前に立つ。


 よく見ると、真っ白なタキシードに身を包んだ鈴川の顔は僅かにこわばっている。

 鈴川という男も緊張するのか、と場違いな感想を抱いた。


 しかし、それでも鈴川という人間は立っているだけで絵になる男だった。

 悔しいが、俺はあそこまでスマートな人間にはなれないだろう。


 次は新婦入場だ。


 扉が開く。


 目に飛び込んだのは、真っ白なウエディングドレスだ。

 胸から上が大きく露出していて、ベールで覆われていてもわかる柔らかな白い肩が、細い腕が、目に眩しい。


 ほう、とため息を吐いていると、秋野のおじさんに腕を引かれたユリカさんがゆっくりとバージンロードを歩き始めた。


 ベール越しに見えるユリカさんの表情は僅かに微笑みを浮かべている。

 一方の隣のおじさんは、緊張でガチガチになっていた。


 不意に隣から、ぐずっ、と鼻をすする音が聞こえた。

 ちらりと見やれば、母さんと父さんが涙ぐんでいる。


 自分の娘といっても過言ではない、なんて過ぎた言葉を言ってはいたが、気持ち的にはその通りなのだろう。

 春原家は男の俺だけ。兄弟はいない。


 遠い昔、父さんが「娘も欲しかった」なんて酔っ払った拍子に呟いていたことを思い出す。


 娘のいない父さん母さんにとっては、まさにユリカさんは娘のようなもの、だったのかもしれない。


 おじさんとユリカさんが、祭壇前までたどり着き、おじさんから鈴川に、新婦であるユリカさんの手が渡される。


 その後は促されるがままに、知りもしない賛美歌を歌い、牧師が聖書の一説を朗読した。


 そして誓約。


「新郎トウジ、あなたはユリカを妻とし、健やかなる時も病める時も、喜びの時も悲しみの時も、富める時も貧しい時も、これを愛し敬い、慰めあい、ともに助け合い、その命ある限り真心を尽くすことを誓いますか?」

「誓います」


 鈴川のしゃんとした声が、チャペルにわぁんと響いた。


「新婦ユリカ、あなたはトウジを夫とし、健やかなる時も病める時も、喜びの時も悲しみの時も、富める時も貧しい時も、これを愛し敬い、慰めあい、ともに助け合い、その命ある限り真心を尽くすことを誓いますか?」

「誓います」


 ユリカさんのたおやかな声が、チャペルにふわりと響いた。


 牧師が満足そうに微笑んで、二人に指輪を渡す。

 鈴川がユリカさんの指に指輪をはめ、そしてユリカさんが鈴川の指に指輪をはめた。


「誓いのキスを」


 牧師の言葉に小さく頷いた鈴川が、ゆっくりとユリカさんのベールを上げる。

 ベールの下から現れたユリカさんの素顔は、いつも以上に綺麗だった。


 二人が手を合わせ、数秒見つめ合う。


 そして、ゆっくりと鈴川の唇がユリカさんのそれに重ねられた。


 既に終わり、灰になった俺の初恋が、パイプオルガンで奏でられる荘厳な曲の巻き起こす風によって、綺麗さっぱり吹き飛ばされた。



 §



 結婚式はその後、滞り無く進み、終わりを迎えた。


 退場を促された俺たちは、階段の両端に立たせられ、花びらを渡された。

 もうすぐチャペルから出てくる鈴川とユリカさんに向かって、この花びらをまくのだという。


 母さんが「フラワーシャワーっていうのよ」と教えてくれた。


 ふと階段の上の方を見遣ると、ヒマワリの横顔が見えた。

 薄くアイラインの引かれた目が少しだけ赤いように見えた。


 あいつは今どういう気分なんだろうか。

 ごっこ遊びの恋だと、ヒマワリは言った。しかし、感じている当人としては、それは紛れもないなのではないだろうか。


 いくら大人からみて、「子どもの恋愛だ」だとか「まやかしだ」だとか言われたとしても。

 それが、経験の少ない幼稚な感情だったとしても。


 体験している当人にとっては、間違いなく本物なのだ。


 チャペルの扉が開く。


 鈴川とユリカさんが腕を組みながら出てきた。


 二人の姿に、おめでとう、おめでとう、と参列者が祝福の言葉を投げかけながら、花びらを放り投げる。

 赤、白、桃色、様々な色の花びらが宙に舞い、誰が見ても「幸せの絶頂」と表現できそうな光景が作り上げられた。


 祝福の言葉を受けて、にこにこと「ありがとう」と言いながら、ゆっくりと階段を降りる二人が、ついに俺の前にやってきた。


 父さん母さんが「おめでとう、ユリカちゃん」と言いながら花びらを放る。


「ありがとうございます」


 ユリカさんが嬉しそうに微笑んだ。


 そして、俺を見る。鈴川も一緒に。


「ユリカさん、おめでとう」

「ヨウ君。ありがとう」


 花びらを投げる。

 真っ白なドレスを着たユリカさんは幸せそうだった。


「鈴川さんも」

「ああ、ヨウ君。今日は来てくれてありがとう」


 式が始まった頃は、顔をこわばらせていた鈴川が、柔らかく微笑んだ。いつの間にやら、緊張はほぐれたらしい。


 二人は俺に礼を言って、また階段を降りていった。


 フラワーシャワーも無事終わり、司会役からこれからの予定について周知される。


 この後は併設されたホールに移動し、披露宴だ。


 階段を降り、父さん母さんといっしょにホールに向かう。


「こんにちは、おじさん、おばさん」


 階段前の広場には同じようにホールに向かうヒマワリがいた。

 ユリカさんばかり気になっていて、横顔しか見ていなかったが、改めて見るとキリジョの制服ではなく、黒いフォーマルなワンピースドレスに身を包んでいた。


 目元については先ほども確認したが、近くで改めて見れば、普段とは違い全体的に薄く化粧をしている。

 そして、やっぱり目は少しだけ充血していた。


 しかし、こうして見ると、ヒマワリもユリカさんの妹なのだとなんとなく実感する。

 近所で「美人姉妹」と呼ばれているのは伊達じゃない。


「こんにちは、ヒマワリちゃん」

「今日はお姉ちゃんの結婚式に来てくださって、ありがとうございます」

「こちらこそ、呼んでくれてありがとう、ってユリカちゃんに伝えておいてね」

「はい。後でお姉ちゃんも顔を見せると思います」

「きれいだったわねぇ」


 ヒマワリが父さん母さんに向かって、頭を下げ、母さんが返礼する。


 その後で、ヒマワリが俺を見た。


「よっ」

「おう」

「ヨウは二次会参加すんの?」

「二次会?」


 二次会なんてものもあるのか。

 俺は父さん母さんを見る。


「私達は、二次会まではいないけど、ヨウが行きたかったら参加させてもらったら?」


 母さんが俺の視線の意味を汲み取ってくれたようで、許可がおりた。


「そういうことらしい」

「え? 結局参加するの? しないの?」

「する」

「りょ。じゃあ、後でね」


 そう言ったヒマワリがもう一度父さんと母さんに会釈をし、ぱたぱたと駆けていった。


「ヒマワリちゃんも、きれいになったわねぇ」


 ヒマワリを見送ってから、またホールへ向かって歩きながら、母さんがしみじみと言った。


「ヨウ? ヒマワリちゃんと仲良くね?」


 そして、にやにやとしながら、母さんが俺の方を振り返った。


「は?」

「しっかりね。逃がすんじゃないわよ」

「ヒマワリとはそういうんじゃねぇよ」

「あら、そう? でも、ヒマワリちゃんがヨウのお嫁さんになってくれたら、私も嬉しいわあ」


 無責任なことを言うんじゃねぇよ。とは思ったが、いちいち否定するのも疲れるので黙る。


 ヒマワリとそういう関係とか、全然想像つかないっての。






 その後披露宴も滞り無く終わり、父さん母さんはタクシーに乗って帰っていった。


 二人とも、別にそこまで強いわけでもないのに、たらふく酒を飲んだからか、顔を真っ赤にして、フラフラだ。


「じゃ、ユリカちゃんによろしくねぇ」


 タクシーに乗り込む直前、そう言って笑った母さんが、俺に三万円ほど握らせてくれた。

 二次会の会費代と帰りのタクシー代諸々に使え、とそういうことらしかった。


 また、ヒマワリが二次会に参加することも聞いていたようで、帰ってくるときはヒマワリと一緒に、と念を押された。


 二人が乗ったタクシーを見送ってから、披露宴の最中に渡された二次会の案内用紙を見る。

 会場は、ここからそう遠くない商業施設内にあるレストランのようだ。


 さて、行くか、と歩き出したところ、後ろから肩を叩かれた。


「ヨーウっ」

「ヒマワリか」

「二次会、行くんでしょ? 一緒に行こ」


 ヒマワリの言葉に頷き、会場のレストランに向かって歩き出す。


「おじさんとおばさんは?」

「二次会とは別で親戚がウチに集まるから、先に帰るって」


 他愛もない話をしながら、歩道で脚を動かす。


「そういえば、岡平さんもいたよ」

「気づかなかったが、まぁいるだろうな」

「うん、二次会にも参加するって」

「ほー」

「『知り合いの結婚式ってのは、絶好の出会いの場なんです』って言ってた」

「そういうもんなのかねぇ」

「そういうもんらしーねー」


 披露宴が終わったのが正午前。太陽は南中し、汗が吹き出る。

 暑い。


「お姉ちゃん、幸せそうだったね」

「そうだな」

「ヨウ、泣かなかった?」

「馬鹿言え」

「あはは」


 ヒマワリが乾いた笑い声を出す。


「お父さんもお母さんも、ボロ泣き。もー参っちゃうよね」

「そりゃ、娘の晴れ舞台だからな、そういうもんだろ」

「そういうもんなんだろーねー」


 そう言いながら、ヒマワリが雲一つない真っ青な空を仰いだ。


「アタシも、泣きそうになった」

「あー」


 少しだけ、なんと反応してよいのか迷う。

 迷った挙げ句、俺は一言だけ「見えてた」、と言った。


「そう? ヨウにはわかっちゃうか」

「俺じゃなくても、わかるだろ」

「そうかなぁ?」

「そうだろ」


 ヒマワリが、俺を見て苦笑いを浮かべる。


「理由はヨウ以外には言えないね」

「言う必要もないだろ」

「そだね。でも、なんかさ」


 ノースリーブのドレスから伸びる真っ白く細い腕をぐいと上げて、ヒマワリが伸びをした。


「ようやく、色々整理できたかも」

「それは……」


 鈴川への想いについてか? と問うのはためらわれた。

 だから俺は、一言だけ「俺もだ」と返した。


 ヒマワリが、なんだかよくわからない顔で俺を見て、よくわからない声で小さく笑った。

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