第八話:ヨウはそうは思ってなくても、きっとカエデちゃんはデートのつもりで誘ったんだと思うよ
頭を上げたカエデは、淡くピンクに色づいた頬へ両手を当てて、大きくため息を吐いた。
「言っちゃいました」
顔を俯かせ、目線をテーブルの上に向け、
カエデの言葉を文字に起こし、文字面だけ追えば、言うべきではないことを言ってしまい、後悔しているように見えるだろう。
だが、裏腹に声色からネガティブな感情は感じ取れなかった。
むしろ、自らに対して「よくやった」と褒めるような、少しだけ弾んだ声だ。
俯いた顔はそのままで、呆然としている俺に上目遣いで視線をよこす。
「ヨウ君?」
「うえっ! あー、うん。え……っと」
「さっきも言ったように、今すぐヨウ君とそういった関係になりたいわけではないんです」
「お、おう」
「だから、今すぐに答えを出さなくても良いです」
答えは不要。カエデはそう言い切った。
「ヨウ君が、私と同じ気持ちだなんて思うほど、私は思い上がっていません」
それは、どうなんだろうか。
俺はカエデをどう思っているのだろうか。
「だから、答えは保留で大丈夫です。ただ、わかってください。覚えていてください」
カエデが両の頬から手を離して、顔を上げる。
まっすぐ俺を見る瞳は、不安そうに揺れてはいたものの、それでもカエデはふわりと微笑んだ。
「しばらく。そう、しばらく私と過ごしてから、それから、ゆっくりとお返事をいただけますか?」
§
すっかり、ショッピングモールで何かするという雰囲気ではなくなってしまったので、俺たちはその後すぐに帰ることとした。
帰りの電車は逆方向だったので、カエデとは駅で別れた。
駅の改札前で帰り際、カエデが見せた晴れ晴れしい笑顔がまぶたの裏でちらつく。
――今日はありがとうございました。楽しかったです
その後でカエデは少し名残惜しそうな目で俺を見てから、「じゃあ、また明日、学校で」と言って手を振り、帰っていった。
ちなみに俺の口からは「ああ、また」という、なんとも気の利かない返事だけしか出てこなかったのだが、ご愛嬌と思ってほしい。
そして、ぼんやりと、もはやどんなルートで帰ってきたのかさえ判然としないままに俺は自宅の玄関をくぐり抜けた。
「ただいま」
時刻は午後七時。母さんにはあらかじめ、友人と遊びに行ってくる旨を伝えていたので、特段何を言われることもなくあっさりとした「おかえり」の声がリビングから届いた。
カバンを片付け、着替えを済ませようと、階段に脚をかけたその時だった。
「ヒマワリちゃん来てるわよ」
母さんがリビングから廊下に顔だけ出して、俺に言った。
なんで、あいつ、今日も来てんだよ。
なんて思いもしたが、母さんに「わかった」と返してから、階段を昇り部屋へ向かう。
部屋の扉を開けると、ここ数日ですっかり見慣れた、携帯ゲーム機でゲームをするヒマワリの姿が目に飛び込んでくる。
ヒマワリは帰ってきた俺をちらりと一瞥して、すぐにゲーム機に視線を戻した。
「よっ」
幼馴染とは言え、なんというか不遜なやつだ。
俺は少しばかりむっとしながら「おう」と返した。
「どうだった~? カエデちゃんとのデートは」
「だから、デートじゃ――」
言いかけて辞める。
確かに最初、俺はデートじゃないと思っていた。
しかし、俺のことを好きだと言ったカエデにとっては、今日の出来事は全てデートだったのだと思う。
「いや、デートでしょ」
言葉を詰まらせた俺に、ヒマワリが呆れたような声を出す。
「デートじゃないのに、クラスの男子と二人っきりで遊びになんていかないよ」
ヒマワリはゲーム機から決して目を離さない。
「ヨウはそうは思ってなくても、きっとカエデちゃんはデートのつもりで誘ったんだと思うよ」
もう、一言一句ヒマワリの言うとおりだ。カエデは間違いなく
「ちゃんと、カエデちゃんと向き合ってあげなよ」
正論過ぎるヒマワリの言葉に、俺は押し黙ったまま、カバンを壁にかけ、その後ベッドに横になった。
「あ、今日お父さんもお母さんもお姉ちゃんも遅くてさ。おばさんに、『ご飯食べて行きなさい』って言われた」
「そうか」
「ん? ヨウ、アンタ……」
ヒマワリが訝しげな声を出して、ゲーム機を置いてこちらを見る。
「なんかあった?」
「いや、なんも――」
ねえよ、と続けようとしたが、続けるべき言葉が出てこない。
「当ててあげよう」
ヒマワリが自身の顎を親指と人差指で挟んで、にやにやとする。
「カエデちゃんに告白でもされた?」
「っ……!?」
なんでこいつんなことわかるんだ、とヒマワリの顔を見る。
「まじか。当てずっぽだったのに」
「当てずっぽだったのかよ」
先程までとは打って変わって、驚いたようにヒマワリは瞠目している。
「わかりやすすぎ。こういうのは、隠すもんじゃないの?」
「うるせぇよ」
「で? どう返事したの?」
ヒマワリが興味津々といった面持ちで質問をする。
「『まだ返事は要らない』って言われた」
「返事は要らない、ねぇ」
「なんだよ」
何か含みを持たせたような、ヒマワリの相槌に思わず突っかかる。
「なんでもなーい」
茶化すように軽い調子でそう言って、ヒマワリがまたゲーム機をいじりはじめる。
なんとなく気まずさを感じさせる沈黙に、俺はスマートフォンを取り出した。
全然気づいていなかなかったが、メッセージが届いていた。カエデからだ。
『今日はありがとうございました。また、遊びに行きましょう。今度はお休みの日に』
既読をつけてしまった。返さなければと思うが、なんと返せばよいかわからない。
後でゆっくり考えてから返事をしようと、俺はメッセージアプリを閉じる。
「どうするつもりなの?」
不意にヒマワリが俺に問いかけた。
「……わからん」
「わからん、って何よ」
「わからんもんは、わからん」
「ま、お姉ちゃん一筋だったヨウらしいね」
スマートフォンを枕元に置く。
俺はどうするべきなのだろうか。
カエデのことは嫌いではない。しかし「好きなのか?」と問われたらそれは違う気がする。
ユリカさんに向けていた、静かでありながらも激しく燃える感情を思い出す。カエデにそういった激情が向けられているかと言ったら、そうではない。
「良かったじゃん」
ヒマワリがボソリと、しかしながら軽い調子で呟いた。
「良かったって、どういうことだよ」
「えー? だって、ヨウのことを好きになってくれる女の子なんて、そうそういないじゃんねえ」
「それは……」
そんなことはないと反論しようとしたが、反論できる材料が何一つ無かったので、黙る。
「付き合っちゃったら?」
「軽々しく言うなよ」
「いいじゃん。どうせ、高校生の恋愛なんて、ごっこ遊びだよ」
「んなこと――」
「アタシがそうだったもん」
ヒマワリが言い放った。
「アタシがしてた鈴川さんへの恋なんて、ただのごっこ遊びだった」
前にもヒマワリは似たようなことを言っていた気がする。
「気楽に考えたら?」
ニコリと微笑んで俺をちらりと見てから、またゲーム機に向き合ったヒマワリが押し黙る。
十分ほどだろうか。お互い声を出さない沈黙の時間が流れた。
母さんの、「晩ごはんできたわよ」と、リビングから叫ぶ声が、静かな部屋を切り裂くように反響した。
「行こっか」
ヒマワリがゲーム機を置いて立ち上がる。
俺も、ベッドから起き上がった。ヒマワリがいたもんで、カバンは片付けられたものの、結局着替えはできなかった。
部屋を出ようとした時、ヒマワリがふと思い出したように俺の方を振り返った。
「あ、そういえば、大事なこと言うの忘れてた」
「あん?」
「お姉ちゃんの結婚式」
ああ、そう言えば、結婚式に向けて色々と準備してたんだっけか。
「六月九日の日曜日だって」
おおよそ二ヶ月後だ。
「今日のアタシの要件はそれ」
つまり、ユリカさんの結婚式の日程を伝えに来た、ということなのだろうか。
「あ、そうそう。ヨウがあんまり『俺は大丈夫』って言うからさ~。明日から部活することにした」
「おー」
「久々の練習だから、ちょっと憂鬱」
「それな」
そんなことを話しながら、二人揃って一階に降りる
その後、ヒマワリはいつも通り、我が家で夕飯を食べ帰っていった。
宣言通りといえば宣言通りなのだが、毎日顔を見せていたのが嘘のように、次の日からヒマワリはうちに来なくなった。
§
それからの二ヶ月はあっという間だったように思う。
まず、四月の中旬。抜糸も済み、俺の右腕が無事完治を迎えた。
抜糸を済ませて改めて見ると、結構な傷だったのだと再認識した。
傷跡はケロイド状になり、触れても感触は無く、周辺の皮膚が引きつったような感じがした。
一生跡が残る、と医者に言われた。
ヒマワリに関しては、少しだけ寂しい気もする。
元々右腕が不自由な俺を介護するために来ていたのだ。その理由がなくなったのだから当然っちゃ当然なのだが。
おまけにあいつは陸上部だ。部活があるから必然的に帰りは遅くなる。
毎日練習をしているわけではないのだろうが、俺と顔を合わせる頻度は当然減る。
勿論、交流が全くなくなったわけではない。
たまに家の前で顔を合わせると、他愛もない立ち話をする。
主にユリカさんや鈴川のことについての会話だ。
聞けば、結婚式の準備や、新婚生活の準備は、慌ただしくも順調に進んでいるらしい。
学校では、カエデと少しぎくしゃくした。
直接好意を伝えられてからなんとなく気まずい感じがして、俺から話しかけることがなかったからだ。
気まずさの原因はきっと「今すぐに答えを出さなくても良い」という、彼女の言葉に甘えきっていることに対する罪悪感だ。
抜糸を済ませた次の日、カエデが「右腕、治ったんですね」と声をかけてくれるまでそれが続いた。
一度話しかけられてからは、たまにクラスメイトとして不自然ではない程度に話すようにはなった。
また、ゴールデンウィークの大型連休は、カエデに強く誘われて一度だけデートに出かけた。
真っ白なノースリーブのブラウスと、紺青のスカートで着飾ったカエデは、それはもう周囲の人間の視線を集めた。
隣で歩く俺に、通りすがる男たちのなんとも言えない視線が突き刺さり、肩をすぼめたのが記憶に新しい。
学校でぎくしゃくしていたのが嘘のように、カエデと二人でのデートは楽しかった。
五月も中旬になり、もうすぐ中間テスト、といった頃。
ユリカさんと鈴川が、少し離れたマンションに引っ越していった。
引っ越し作業は、
全ての引っ越しが終わり、改めてユリカさんと鈴川がこれから生活するまっさらなマンションを見て、少しだけ寂しさを感じた。
入籍は結婚式を済ませてからするのだと、ユリカさんが柔らかく微笑みながら俺に教えてくれた。
結婚記念日は入籍日にしたいという二人の意見が一致していて、結婚記念日は覚えやすい日が良い、との鈴川の提案なのだという。
鈴川はああ見えて、記念日だとかそういうのを覚えるのが苦手らしい。本人の自己申告に基づくユリカさんの評価であったが、彼女から見てもそれは確かなのだという。
そう言って笑うユリカさんは、ものすごく綺麗だった。
ちなみにその覚えやすい日というのは、七月七日の七夕なのだそうだ。
実にロマンチックな入籍日だな、と感心したのもつかの間。別に七夕であることに意味はなく、シンプルにゾロ目だからという、なんともアレな理由だった。
引っ越しが終わり、中間テストも終わり、六月に入った。
その頃には、カエデと学校でぎくしゃくすることもなくなって、なんとも自然に話すことができるようになっていた。
カエデと話すのは楽しいし、一緒にいるのも楽しい。
そして、カエデは俺のことを好きなのだという。
自分に好意を寄せてくれている美少女がいる。
それだけで、なんとも不思議な心地がしてくるものだが、その感情が「恋」と呼べるものなのかはわからなかった。
俺はまだカエデに返事をしていない。
そして、六月九日。
「ヨウ? 準備できた? タクシー来たわよ」
母さんがそう言ってノックもなしに俺の部屋のドアを開ける。
ユリカさんと鈴川の結婚式。
昨日クリーニングから帰ってきた浦園学園の制服に身を包んだ俺は母さんを睨みつける。
「ノックくらいしてくれよ」
「アンタが早く降りてこないからじゃないの。準備は?」
「できてる」
「そう。じゃあ行くわよ。お父さん! おとうさーん!」
なんとも慌ただしい。
三月末に終わった恋が、今日改めて俺に突きつけられる。
なんとなく憂鬱な気分もあるが、少しだけユリカさんの晴れ着姿が楽しみでもあった。
俺は母さんに促されるままにタクシーに乗り込んだ。
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