第七話:ヨウ君になら勘違いされても、いいんです

 カエデが変わった理由について訊かれても、わからないとしか俺には答えようがない。


 なんだか申し訳なく思って、精一杯気を遣ってその旨を伝えたところ、「そうですよね。じゃあ、ヨウ君への宿題です」とのことであった。


 提出期限は無く、俺が気づいた時、思い出した時に答えればよいと、カエデはきれいなウインクを俺に見せながら言った。

 宿題の定義が壊れている、とは思ったものの、敢えて突っ込んでカエデに嫌な思いをさせることもない。


 俺は素直に「わかった」とだけ答えた。


 その後、予定通りショッピングモールをぶらぶらとした。


 宿題・・についての話題は以降出ることはなく、他愛もない話をしながら建物をぐるりと回る。


 行きたいところが特に思いつかない、と最初に言っていた通りで、カエデはどの店にも大きく興味を示さなかった。


 せっかくショッピングモールに来たのにどこにも寄らないのは流石にもったいない。

 そう思って、「あの店とか、どうだ?」と服屋などを指さしながら俺が言うと、カエデはにこりと笑って「入りましょうか?」と答える。


 とは言え、やっぱり特に買いたい物などはないらしく、二人で冷やかすだけ冷やかして、大きく時間をかけることもなく店を出る。


 流石に気になって、「つまらなかった?」と尋ねる。


 我ながら馬鹿みたいな質問である。


 何しろカエデは、満面の笑みで「とんでもないです。すごく楽しいですよ」と返してくれたのだから。

 表情に嘘はない。これが嘘だったら将来女優にでもなれるだろう。


 その後、何度目かで立ち寄った服屋でカエデに似合いそうなブラウスを見つけ、俺が「どう?」と訊いたところ、「ヨウ君はこういう服装の女の子が好きなんですか?」と聞き返された。


「いや、そういうわけじゃないんだけど、カエデに似合いそうだな、と」

「ありがとうございます」


 カエデは嬉しそうにその服を手に取り、身体に当てた。


「どうですか?」


 俺は女性向けのファッションなんかは全然わからないが、華美過ぎず、地味すぎず、カエデの清楚な魅力を引き立てる、そんな服だと思った。


「似合ってるよ」

「ありがとうございます」


 カエデがそう言って、にこにこしながら、服をもとに戻す。


「買わないのか?」

「はい。今は買いません」


 今は・・、というのはどういうことだろうか、と首を傾げる。

 そんな俺を見て、カエデが可笑しそうに笑った。


「ヨウ君の好みがちょっとだけわかったので、今はいいんです」

「どういうことだよ」

「え? それ、訊いちゃいます?」

「いや、そりゃわからないから訊くだろ」


 顔中にクエスチョンマークを貼り付けたような表情をしていた俺に向かって、少しだけ妖艶にカエデが笑った。


「今度、お休みの日に遊ぶ時、ヨウ君が思わず見惚れちゃいそうな服装を選ぶ余地ができた、ってことですよ」

「は?」


 カエデの艶笑と共に飛び出てきた言葉に、思わず素っ頓狂な声をだした。


 いきなりカエデは何を言い出すんだ。


「え? 見たくないですか?」


 普段とは違う俺の様子を窺うような表情でカエデが俺を見る。

 カエデの様子に、俺はなんとなくドギマギしてしまった。


「いや、それは……」


 見たくないか、と言われれば嘘になる。

 積極的に「どうしても見たい」というわけでもないが、カエデのような美少女が着飾った姿はさぞかしきれいなんだろうと思った。


 制服姿のカエデが魅力的じゃないということでは断じてないのだけれど。


「今度、見せてあげます」


 ふふ、とからかうように笑ったカエデは「行きましょう」と、くるりと俺に背を向ける。


 なんだか、さっきから良いようにしてやられている気がする。

 普段よりも大きく感じる心臓の拍動に、思わず右手を胸に当てた。


 そんなこんなで、建物を歩き終わったので、当初の予定通り街でもよく見かけるチェーンのコーヒーショップに入った。


 平日だけあって、客足はまばらだ。

 特段長蛇の列に並ぶこともなく、注文カウンターまでたどり着く。


「カエデは?」

「あ、私は、アイスカフェラテを」


 カエデに短く「了解」と返してから、店員の顔を見て、カウンターに置かれているメニューを指差す。


「アイスカフェラテのMサイズを一つと、アイスコーヒーのMサイズを一つ、お願いします」


 定型句で対応を進める店員が会計金額を告げる。

 それを受けて、まとめて支払おうと財布を取り出した手が、真っ白なカエデの腕とぶつかった。


 どうやら、カエデもとっさに自分の財布を取り出したらしい。


 痛みはなかったが、結構な勢いでぶつかったのでとっさに謝った。しかし、その声もカエデと被った。

 偶然が同時に重なったことに、顔を見合わせて、小さく笑い合う。


「ここは俺が払うよ」

「いえ、自分の分は自分で」

「いやいや、美人の隣を歩いてるだけで、俺は少し得をしてるんだから、そのお返しをしないとな」


 何と無く、カエデが譲る気がなさそうな様子だったので、つい迂闊に少し踏み込んだ冗談を口走ってしまった。


「びっ……」


 瞬間、しまった、と思った。冗談にしても、言い過ぎた。

 俺の言葉を浴びたカエデが、顔を真っ赤にして固まったのを見て、背中からぶわっと汗がにじみ出る感触がする。


「あ、わ、悪い。じょ、冗談だから」


 リカバリーが情けないことこの上ない。


 しかし、カエデは耳まで真っ赤になった状態で、嬉しそうに笑う。


「ありがとうございます。嬉しいです」

「お、おう」


 本当に、今日はしてやられてばかりだ。

 こんな反応ばかりされると、調子が狂う。


 カエデと一緒にいるだけでどんどんと心が風船みたいに浮き上がっていく。


 こうじゃなかったはずだ。俺は。


 ユリカさんはどうした。

 いや、もうとっくに完膚なきまでに失恋したんだけどさ。


 ちょっとばかし美人な同年代の女子が自分に向ける表情に一喜一憂した経験はない。そんな記憶はない。


 いや、カエデを「ちょっとばかし美人」と形容するのは、いかがなものかとは思うが、そこが本質ではない。


 他人とのつながりを不要なものと切り捨てていた頃に比べれば、今の俺はまだマシだとは思う。


 友人も多くはないがいる。

 他者への気遣いも覚えた。


 しかし、思春期に入ってからユリカさん以外の人間が、俺の感情を激しく揺さぶることはなかった。と思う。

 唯一の例外は、先月のヒマワリなのかもしれない。だが、今日のカエデとは性質が違う。


 ヒマワリによって動かされた俺の感情は、義憤と同情、そして共感だ。

 あいつが感じた、やるせない思いや憤りを、共に感じ、奮起した。


 一方のカエデはどうだろうか。


 この際はっきり言おう。ドキドキしている。


 この感情が、「春夏冬カエデに恋をしている」のか、「シンプルに美少女といっしょにいるからドキドキしているのか」は、わからない。

 しかし、事実だけを客観的に述べるなら、今日ショッピングモールに来てからずっと、俺はカエデを意識し続けている。


「ヨウ君?」


 カエデからかけられた声に、思考の海に深く沈んでいた意識が浮上する。


 自分がぼうっと馬鹿みたいに突っ立っていたことに気づいて、はっとする。


「どうしました? 飲み物、できたみたいですよ」


 気づけば、店員が飲み物の乗ったトレーを差し出しながら、困ったように俺を見ていた。

 小さく「すみません」と言って、慌てて受け取る。


「あそこの席空いてます。座りましょう」


 まだ僅かに意識が明後日の方向に飛んでいた俺の鼓膜を、カエデの声が震わせる。

 ふわふわする身体に辟易としながら、俺はカエデを見て頷いた。


「うん」


 自分でも、心ここにあらず、といった様子を隠しきれていないことを自覚できるほど、ふにゃふにゃの返事をして、俺はカエデの背中を追いかける。


 俺はカエデとどうなりたいのだろうか。

 俺はカエデのことをどう思っているのだろうか。


 カエデのことを意識している。そんなシンプルな自身の心の動きにようやく気づいて、途端にいつも自分がどう振る舞っていたのかわからなくなる。


「ヨウ君、どうぞ」


 気づけば、カエデが空席までたどり着き、俺のために椅子を引いてくれていた。


「ありがとう」

「いえいえ、どういたしまして」


 促されるままに座った俺を見て、カエデがまた嬉しそうに微笑む。

 その笑顔に高鳴る胸を、なるべく意識しないようにして、俺は自分のコーヒーのストローに口をつけた。


「ヨウ君は、コーヒー、ブラックで飲むんですね」


 口の中がコーヒーの香りでいっぱいになった俺に、カエデが柔らかく言う。


「あー、そうだな」

「昔からコーヒーはブラックだったんですか?」

「いや、飲むようになったのは高校受験の頃かな。最初は強い苦みが良い眠気覚ましになると思って飲み始めたんだけど――」

「だけど?」

「気づいたら、『甘いコーヒーなんてコーヒーじゃない』なんて思うようになって」


 そこまで言うと、カエデが「へえ」と感心したような声を上げた。


「大人の男の人って感じで素敵ですね」


 微笑むカエデを見て、もうだめだ、と思った。


 いくら鈍い俺でも、感じ始める。正確には、さっきから感じていた。

 自分のうぬぼれではないか、という心の声に抗えず、目を背けていたけれど。


 ――カエデは俺のことが好きなのではないか?


 そんな考えるのもおこがましい思い上がり。


 だった、こんな美少女が、至って平凡な俺に好意を向けてくるなんてありえないだろ。

 そう思う。


 しかし、茹だった頭の中で笑う無責任な俺が「カエデは絶対俺に気があるぞ。押せばイけるぞ」なんて言う。


 これはまずい。なにがまずいかはわからないがまずい。

 少なくとも、後から顔から火が出るほど恥ずかしい状況になる可能性が大だ。


 だから、早めに自分の思い上がりにきっぱりとおさらばするために、決定的な言葉を考える。


「カエデ」

「なんですか?」


 頭に浮かんだ言葉を、早口でまくしたてる。


「男と一緒にいて、そんな顔したり、そんなこと言うと、勘違いされるぞ。ちょっと気をつけた方が良い」


 コーヒーを口に含んだばかりだと言うのに、何故か舌が干上がっていて、少し言葉がもつれそうになったが、それでも言い切った。


 ショッピングモールの喧騒はそのままに、全てが遠くなり、俺とカエデ、二人の間だけの静寂が訪れた。

 カエデは、数秒ほどきょとんとした表情で俺を見る。


 その後、カエデの瞳が僅かに揺れた。

 同時に、顔がさっき以上に真っ赤になっていく。


「あ、あの……。そのっ!」


 数秒ほど、カエデが意味を持たない、場繋ぎの言葉を口にしながら目を泳がせる。

 え? これ、どういう反応? 怒らせたか? いや、そういう感じじゃない。


「えっと……あの、ですね」


 頬と耳を真っ赤にしたまま、目を全力で泳がせていたカエデは、時間とともに少しずつ落ち着き始め、やがて俺をまっすぐ見つめた。

 何かの覚悟を決めたような、それでいて今にも不安で泣きそうな、そんな目で。


「ヨウ君になら勘違いされても、いいんです」


 聞き間違いかと思った。

 もう一度聞き返そうと勝手に動こうとする口を止めるのに非常に苦労した。


 痛いほどに全身が脈動する。

 汗に塗れた背中が、脇の下が、尻が、ぬるりと冷たく、気持ちが悪い。


「それに、勘違いじゃ、ないです」


 頬をひきつらせながら、まるで世界に一人だけ取り残されてしまったかのような心細さを感じさせる表情で。


 それでも、なんとか微笑みながら、カエデは震える声で、俺に告げる。


「私は、ヨウ君が、好きです」


 今、俺はどんな顔をしているだろうか。

 きっと、心底唖然とした顔をしているだろう。


 なにしろ、カエデの言葉を聞いて出てきた言葉は、ただ一言。


「……は?」


 それだけだったのだから。


「わかってくださらないのなら、もう一度言います。ヨウ君。あなたのことが、好きです」


 人生で初めて、直接的に好意を明言された。


 俺はもう混乱しっぱなしで、とりあえず手元のコーヒーに刺さっているストローを吸う。


 そんな俺を見て、カエデが少しだけ俯いた。


「すみません。驚かせてしまいましたよね。でも、もう、そんなこと言われたら、私だって我慢できません」


 カエデが今度は、心細さを感じさせない凛とした表情で俺を見据える。

 そして、三度目となる同じ意味のセリフを言った。


「私は、ヨウ君に恋をしています」


 晴天の霹靂とはこのことだろうか。

 いや、全然予想していなかったかと言えば嘘になるので、違うのかもしれない。


 なにしろ、さっきから俺は「カエデは俺のことが好きなのか?」なんて阿呆みたいなことを考えてしまっていたが、それが「阿呆みたいなこと」じゃなかっただけなのだから。


「今すぐ『お付き合いしてください』とかは言いません。ですが、私があなたを好きだということだけは、疑わないでください」


 長い髪の毛を指で弄びながら、カエデがようやく俺から視線をそらし、そしてゆっくりと頭を下げる。


「お願いします」


 心臓の拍動が、痛いほど全身を揺らす。

 カエデの潤んだ瞳が、俺をじっと見ていた。

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