第五話:私はあれから変わりました。自分でも変わったと思っています。理由はなんでしょう?
一夜明け、人生で一度きりである高校ニ年生の二日目も、学力テストの終了と共に無事終わった。
学力テストの結果はそこそこといったところだ。飽くまで俺の体感だけれど。
春休み中、色々あったせいで勉強時間が足りなかったものの、出てくる問題は結局昨年までの総復習だ。
普段から授業を真面目に受けていた身としては、大きく落ちることもなければ上がることもないだろ、というのが率直な感想である。
浜口の「テストどうだったよ」という、詰問じみた問いかけに苦笑いを返しながらも、俺は早々に学校を後にした。カエデとの約束がある。
勿論、誰にも気取られないよう、普段通りを装って。
場所は決まっているものの、待ち合わせの時間は指定していない。
だからというわけではないが、カエデとは終業チャイムが鳴った後から絶えずスマートフォンで連絡を交わしている。
『今、学校を出ました』
『こっちは今電車に乗ったところだ』
『ヨウ君、早いですね。待たせないように急ぎます』
『あんまり急がなくてもいいよ』
目的地は電車も使って三十分くらいのところにある、小さめのショッピングモールだ。
浦園学園の生徒はまず来ないであろう場所を敢えて選択した。
というのも、学園の近くには更に大きいショッピングモールがあり、大多数はそこに集まるのだ。
だから、同じ学園の生徒に遭遇することはまずない、はずだ。
カエデは、俺が何故こそこそしているのか理解し難い、といった様子だったが、俺から言わせればもう少し自分の容姿や人気を自覚したほうが良い。
俺とカエデが二人で連れ歩いているところを目撃されれば、例えデートとかではなくても、次の日には学園中の噂になっているに違いないのだ。
そんな面倒な状況は御免被る。勿論、カエデにそんなことを直接言うわけにもいかないので、オブラートに包みながら説明するのに少しだけ苦労したものだ。
最後には、なんとなく不思議そうに「わかりました」というお答えをいただいたのは、俺の努力のたまものだろう。
電車の中程で、つり革に左腕をぶら下げながらスマートフォンを眺める。
『日本のショッピングモールは久しぶりなので、楽しみです』
『香港だっけ? はどうだったの?』
『あんまり行かなかったんですよね。人が多くて窮屈に感じてしまって』
『それは日本もあんまり変わらないと思うけど』
数分おきに送られてくるメッセージに、他愛もない返事をする。
三十分は思ったよりもあっという間に過ぎた。
『駅に着いたから改札を出たところで待ってる』
『はい。すみません、お待たせしてしまって。私も後十分くらいで着くと思います』
了解した旨をスタンプで伝え、電車のドアが開くのを待つ。
ドアが開いたら、電車を降りて、通路や階段を通って改札へ。
まばらな人波の流れに乗って改札を抜け、おあつらえむきに改札のすぐ前に立っている大きな柱にもたれかかる。
この駅の改札は一つだ。迷わずに合流できるだろう。
右手のスマートフォンに視線を落とすと、メッセージアプリの通知が二つ並んでいた。
一つはカエデ。
もう一つはヒマワリだった。
カエデからのメッセージはシンプルに、謝意を示すスタンプが一つだけ。
ヒマワリからは『もうカエデちゃんとデート中?』、とだけ。
脊髄反射的にヒマワリのメッセージに返事を打つ。
『デートじゃねぇよ』
メッセージを送った直後に既読マークが付く。
すぐに返事がくるかと思ったが、しばらく待っても、返事はない。
いきなりメッセージを送ってきて、返事をしたにも関わらず、突然向こうからの返信がなくなる。
まぁ、いつものヒマワリっちゃ、いつものヒマワリだ。
ったく、あいつめ、と思い始めたとき、俺の名前を呼ぶ声が聞こえた。
「ヨウ君!」
親猫に甘える時の子猫の鳴き声のような甘やかな響きと、燕の空を切る鳴き声のような凛とした響きが同居する声色が耳朶を打つ。
スマートフォンから顔をあげるとカエデがいた。
僅かに上気した頬と、呼吸の度に上がり下がりする肩から、相当急いだのだろう。
「急がなくていいって言ったんだけどな」
「急ぎたかったんです、私が」
カエデが汗ばんだ首元をハンカチで拭きながら笑う。
額に張り付いた数本の前髪が艶めかしい。
そんな髪をまとめてかきあげる様子に、俺は、う、と言葉を詰まらせた。
何度も言おう。
カエデは掛け値なしの美少女だ。流石の俺だってその事実に異を唱えるほど、感性がねじ曲がってはいない。
そんな美少女に、心からの笑顔を向けられてなんとも思わない男がいるだろうか。
俺だって、高校生男子だ。そういった欲みたいなものは、確かに俺の中にも存在する。
今まで
ずっと考えないようにしていた。
ずっと可能性を排除し続けてきた。
同世代の女子と楽しく過ごす、そんな青春を謳歌することから目を背け続けてきたのだ。
ユリカさんがいたから。
ユリカさんの隣にいたかったから。
けれど、結局それはありふれた失恋で終わった。
初恋は実らない、なんてよく聞くけど、今になって本質に近い言葉だと思う。
恋とは執着だ。
鈴川に対してリカが抱く感情がまさにそうだった。
多かれ少なかれ、「恋」という感情の動きには多少のエゴイズムが伴う。
そして、いくつかの例外を除いた大多数の人間は、そういったエゴとうまく折り合いをつけて恋をしていくのかもしれない。そう思う。
だからこそ、「初恋とはエゴイズムの顕現である」と、そう思った。
俺がユリカさんに抱いていた感情も執着だった。
俺はただの子供だった。
自分には絶対に手に入らないおもちゃを、駄々をこねて欲しがる幼児のように、ユリカさんを求めた。
大人である鈴川に敵わなくて当然だ。
だから、俺の失恋なんてものは、約束された必然だったのかもしれない。
あ、だめだ。なんか泣きそうになってきた。
「どうしました? ヨウ君」
「いや、ごめん。なんでもない」
熱くなる目頭に必死で「涙よこぼれるな」と念じる。
俺の涙腺は優秀だ。ちょっと念じるだけで、むしろ念じなくても、涙は引っ込んでくれる。
長年男らしく有り続けろ、と頑張ってきた成果なのだろう。
俺を心配そうに見つめるカエデを見返す。
こんな可愛い女の子と、デートとは言えないものの、遊びに誘われたのだ。
今の俺に楽しまない理由はない。
勿論、学校で悪目立ちしたりとか、そういった事態は御免被るところではあるのだが。
今は目一杯楽しもうではないか。
浮ついた感情も、直視しないようにしていた「あわよくば」なんていう邪な感情も。
全部、自分のものだと肯定して。
「じゃ、行くか」
「はい!」
心底嬉しそうなカエデに、驚くほど自然に笑顔になる俺がいた。
§
「どこか寄りたいところはあるか?」
「うーん……。すみません、あんまり思いつかないです」
遊ぶ場所として、相談しつつ無難にショッピングモールを選んだものの、カエデは特にやりたいことがあるわけでもないようだった。
ただ、日本のショッピングモールが楽しみ、と言っていたのは嘘ではないようで、建物の中をキョロキョロと見回しながら目を輝かせている。
「じゃあ、適当にぶらぶらして、気になった店があったら寄る、でいい?」
「はい、構いません」
「一回りしたら、適当にコーヒーショップにでも入ろう」
「はい!」
ショッピングモールのエントランスで、カエデと話し合い、方針を決める。
決めた後はそれに従うだけだ。
このモールはニ階建てで、そこまでだだっ広いわけでもない。
ゆっくり歩いたとしても、一回りするのに三十分くらいだろうか。
途中で興味のある店を見つけて、あれこれ眺めたとしても、せいぜい一時間程度。
散歩と考えたら、少々長いけれど、無茶な距離ではない。丁度良い塩梅だ。
とりあえず一階から。俺とカエデは店内をゆっくりと歩き出した。
「私が転校してからのヨウ君のお話を聞きたいです」
歩き始めてしばらくしたところで、カエデが唐突にそんなことを言い出した。
「俺の?」
「はい。中学の時はどんなでしたか?」
中学の時の俺、か。
「あんまり面白い話は出てこないけど」
「いいですいいです。私が聞きたいんです」
「基本的には毎日勉強、部活って感じかな。多分、カエデが知ってる俺とそこまで変わらないよ」
「そうですか? ヨウ君はずいぶん変わったように思えますが」
変わった、と言われれば変わったのかもしれない。
中学の頃の俺は――特にカエデと一緒にいたはずの中学一年生のころは――とにかく他者とのつながりを軽視していた。
ユリカさんに諭されるまでは。
いや、諭されてしばらくしてからも、結構軽視するクセは抜けなかったかもしれない。
「そうかも」
「そうですよ」
ふふ、とカエデが笑い声を出す。
「昔のヨウ君も素敵でしたが、今のヨウ君も素敵です」
さらりと「素敵」と聞き慣れない言葉で褒めてくるカエデに、少しだけ顔が熱くなった。
さとられないように、声のトーンをおさえながら返す。
「あー、お世辞でも嬉しい、って言えばいいか?」
「お世辞じゃないです、失礼な」
むすっとした声色に、カエデの顔を見ると、頬を膨らませていた。
たおやかな仕草に、それでありながらもひたむきで芯の強さを感じさせる仕草に。
正直に言おう。ぐっときた。
思わず顔をそらす。
このままカエデの方を見続けていたら、心底だらしがない顔をしているのがバレてしまう。
頬が緩み切っていて、自分の顔じゃないみたいだ。
「どうしました?」
「いや、なんでもない」
なんとかだらしない顔を右手でもみほぐしてなおし、カエデに向き直る。
大丈夫なはずだ。
向き直った俺に、カエデが微笑みながら言う。
「ヨウ君から見て、私は変わりましたか?」
さて、どう答えればよいものか。
変わったも、変わっていないも、正直に言うとわからない。
何しろ、俺には中学の頃のカエデの記憶はほとんどないのだから。
ただ、ヒマワリの言葉を信じるのなら。
「変わった……のかな?」
「なんですかそれ」
煮えきらない俺の返事に、カエデがころころと笑う。
「嘘、吐かなくてもよいですよ?」
「え?」
笑うカエデから出てきた予想外のセリフに、思わず間抜けな返答をした。
「ヨウ君、私のことほとんど覚えてませんよね?」
「それは……」
「ふふ。大丈夫です。自覚してますし、昨日の様子と今の反応で確信しましたから」
バツが悪くなり、俺は肩をすぼめた。
「……悪い」
「謝る必要ないです」
「いや、でも」
「私自身がよくわかってます。中学の頃の私は、あまり積極的に周囲と交流を持とうとはしてませんでしたから」
カエデは柔和な笑顔を浮かべながら、「開いてもらったお別れ会が、一番のクラスの方々との交流だったまであります」と言う。
「私、友達なんて要らないと思ってたんです」
その考え方は、ユリカさんに諭されるまでの俺とよく似ている。
「だって、私、父の仕事柄、三年と同じ場所にとどまれなかったものですから」
そう告げるカエデは、裏腹に寂しそうな様子は一切見せない。
「親しいお友達なんて、作れば作るだけ、別れる時悲しくなるじゃないですか」
「……わかるよ、なんて軽々しくは言えないな」
「特殊なほうですからね、私の家」
カエデの瞳が、懐かしいものを思い出すように、遠くを見る。
「ヨウ君も、最初は私と同じだと思ってました」
「それは、そう」
嘘を吐いても仕方がないから正直に答えた。
「でも、私とは理由が違うんだろうな、ってこともわかってました」
「どういう理由だと思ったんだ?」
「なんというか……。うまく言えませんけど、生き急いでるのかもな、と。そう思っていました」
生き急いでいる。
あの頃の俺を表すのに、ぴったりな表現かもしれない。
ユリカさんに追いつくために。
それだけの力を手にするために。
俺はひたすらにがむしゃらだった。
そう思われても仕方がない。
「さて、問題です!」
ぐい、と俺の腕を引っ張って、やおらカエデが楽しそうな声を出す。
「私はあれから変わりました。自分でも変わったと思っています」
俺を見つめる表情は自信満々で。「友達なんて要らない」なんて言ってしまうような人間とは到底思えないほどに、堂々としていて。
「理由はなんでしょう?」
見る人間、誰しもを魅了するような笑顔で。
カエデは俺に問いかけた。
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