第四話:懐かしいな~、カエデちゃん

 学力テストも無事終わり、家に帰った俺は、自室のベッドに寝そべりながら今日のことを振り返る。


 本当に今日は色々あった。


 色々の中の大部分を占めるのは、春夏冬あきなしカエデとの再会だ。


 あとは、カエデに校内を案内し終えて帰った後の、浜口の恨みがましい視線もあったが、些末なことだろう。


 いや、でもしかし、浜口め。

 あいつ絶対にカエデに気があるな。


 なんとかしてお近づきになりたいという意思をビンビンに感じる。

 別にお近づきになりたいなら、勝手にしてくれとは思うが、俺とは関係ないところでやってほしいものだ。


 とは言え、「お近づきになりたい」なんて考えること自体には、無理もないよなあ、と思う。


 カエデは、誰が見ても異口同音に「可愛い」だとか「綺麗」と評する程度には美少女なのだ。

 勿論、人によって好みの違いはあるに決まっている。


 しかし、彼女を美少女・・・と呼ばずして、誰を美少女と呼ぶのだろうか。


 多少美的感覚に難のある人間が何を言ったとしても、一般論として「春夏冬カエデは美しい」、という確固たる事実を覆すことはできない。


 奇妙な縁もあったもんだ。そう思う。

 今一度遠く遠くに見え隠れしている記憶を引っ張りだそうとしてみた。


 けれど、今日会ったばかりの姿はともかくとして、記憶の中のカエデの姿はおぼろげだ。


 どんな顔をしていたのか。どんな髪型をしていたのか。どんな表情で笑っていたのか。どんな声をしていたのか。


 どんなに頑張っても、全部が全部もやがかかったようで、思い出せない。


 普通こういう時であれば、卒業アルバムなんかを取り出して、「あーそうだったそうだった」なんてするのだろう。


 だが、あいにくと春夏冬カエデの写真が掲載されている卒業アルバムは、おそらくこの世界には存在しない。

 ……いや、それは過言だな。


 カエデがどこの国の小学校――カエデが住んでいた国で「小学校」というくくりがあるのかどうかすらわからないが――を卒業したのかわからないが、もしかしたらその国にも「卒業アルバム」という風習があるかもしれない。

 だから、カエデの家には彼女の卒業アルバムがあるかもしれない。


 しかし、全てが全て「かもしれない」だ。


 もはや、「春夏冬カエデ」という少女の存在すら怪しくなってきた。

 本当に俺は中学の時、彼女のクラスメイトだったのだろうか。


「よっすー!」


 そんな風に頭を悩ませていると、ノックもなしにずけずけと俺の部屋に入り込んできたヤツがいた。


 ヒマワリだ。


「お前……」

「なあによお」

「ノックくらいしろよ」

「えー? アタシがいきなり入って困るようなことしてたのかあ?」


 口に軽く右手を当てて、悪戯っ子みたいな笑みをヒマワリが浮かべる。


「馬鹿言うな」


 していたとしても、普段しているとしても、正直に言うわけがないだろうが。


「ま? 別にアタシは? そういうのに? 理解もありますので? お好きに? って感じですけど?」

「その喋り方ムカつくからやめろ」

「別に? 『キャー』とか言って? 騒いだりとかも? しませんけど?」


 マジで腹立つなこいつ。

 俺はヒマワリをじとりと睨めつけた。


「はいはい、ごめんごめん」


 俺の視線を受けて、半笑いでヒマワリが両手を上げた。降参のポーズだ。


「ってか、ヒマワリ。お前、部活は?」

「え? しばらく休むって伝えてるよ?」


 ヒマワリが、不思議そうに答える。「え? なんでそんな当たり前のこと訊くの?」とでも言わんばかりの顔で。


 いやいやいや。そんな顔をしたいのは俺だ。


「だーって、ヨウ、右腕まだ不自由でしょ?」

「あのなぁ……」


 ご厚意はありがたい。

 しかし、俺が欲しているかどうかは別だ。


 というよりも、もう全然右腕に不自由はしていないのだ。

 今日もしっかり学力テストで右手を酷使してきた。


 たまーにぴりっと痛みが走る程度で、日常生活に支障はない。


 いや、本当に気持ちはありがたくはある。あるのだが。


「実が伴っていないことにお前気づいてるか?」

「ギクッ」


 声に出して言うなよ。「ギクッ」って。


「もはや、お前ただ俺の部屋でひたすらゲームするだけで、別に何をするわけでもねぇじゃねぇか」

「ギクギクッ」


 だから、それは声に出さなくていいやつだって。


「ま、まぁ、いいじゃんいいじゃん」


 舌を出しながら、ヒマワリが笑う。


「まぁ、別にいいっちゃいいけどよ」

「でしょ~? 細かいこと言いっこなしだよ」


 言いながら、ヒマワリがカバンの中からゲーム機を取り出し、ベッドの側面に背中をもたれさせて座り込む。


 携帯ゲーム機の起動音の後、ヒマワリが最近やっているゲームのBGMが部屋の中で静かに響いた。


 その横で、俺はスマートフォンを手に持ち、雑学系の動画を眺める。


 しばらく、俺のスマートフォンが発する音と、ヒマワリのゲーム機が発する音が、不協和音にならない程度の絶妙なハーモニーを奏でるだけの時間が過ぎた。


 奇妙な縁といえば、こいつもそうだ。

 幼馴染とは言え、三年近く交流を絶っていたはずなのに、何故か今こうして昔のように付き合っている。


 人生というのは実に複雑怪奇なものである。


 三十分くらいだろうか。

 俺もヒマワリもそれぞれの趣味に没頭し、会話はないものの不快ではない、そんな空気が部屋の中に漂った。


 見ていた動画も、最新のモノに追いつき、手持ち無沙汰になった俺は、ふとヒマワリに声をかけた。


「なぁ、ヒマワリ」

「なあに~?」


 ヒマワリがゲーム機から目を離さずに返事をする。


「春夏冬カエデって覚えてるか?」


 俺がそう言った瞬間、それまでゲーム機を操作するのに合わせて小刻みに動いていたヒマワリの動きがぴたりと止まった。


 十秒ほど経ち、ゲーム機からゲームオーバーの時のSEが流れる。

 そして、ヒマワリがゲーム機の電源を落として、こっちを見た。


「カエデちゃん?」


 少しばかり訝しげな表情で聞き返されたので、俺が頷くと、思い出すようにヒマワリが天井を見る。


「えーっと、うん。覚えてるよ~? なんで?」

「いや、ウチの高校に転入してきて」

「カエデちゃんが?」

「おう」

「まじか!」


 そう言って、ヒマワリがゲーム機をテーブルに置き、俺の方に向き直った。


「懐かしいな~、カエデちゃん。お別れ会は私も行ったなあ。そっか、こっち帰ってきてたんだ」


 目を細めながら、ヒマワリが当時の思い出を振り返るように、目を閉じ何度も頭を上下に小さく揺らした。


「しかし、ヨウ。よく覚えてたね?」

「いや、ほとんど覚えてなかったわ」

「あ、やっぱり?」


 にへへ、とヒマワリがからかうように俺を見る。


「いや、中学の頃のカエデって――」

「『カエデ』!?」

「なんだよ」

「いきなりメチャクチャ仲良くなってるじゃん、って思っただけ」

「いや、別に。中学の頃と同じように『カエデ』って呼べって言われたからさ。覚えてないけど、そうだったんだろ」

「そうだったかなあ? ま、いいや」


 首を傾げながらも「続けろ」と言われたから続ける。


「いや、どんな感じだったかな、って」

「どんな感じって……」


 ヒマワリが不可解そうな顔をしている。

 しかし、すぐに「あー、なるほど」という、納得したような表情を浮かべた。


「ほんっとーに覚えてないのね。中学の頃のカエデちゃん」


 俺が頷くと、ヒマワリが「しょうがないなぁ、ヨウは」と言わんばかりに首を横に振った。


「まー、そーだよねー。ヨウはお姉ちゃんに夢中だったもんねー」

「まぁ、そうだけど」

「しょーがないなー」


 ニヤニヤと笑ってから、ヒマワリがその顎に手を当てて考え込む。


「うーん。カエデちゃんがどんな感じだったか、ね」


 考え始めたヒマワリが目を閉じ、難しそうな顔で「うーん、うーん」と呟く。

 しばらくしてから、まぶたを開いて、ゆっくりと口を開いた。


「なんっていうか、アタシ的には、壁を感じたなぁ。や、別に険悪な仲ってわけじゃなかったんだけどね?」

「壁?」

「うん、壁」


 中学の頃のヒマワリをふと思い出す。

 こいつは、持ち前の性格の明るさもあってか、いつだってクラスの中心人物だったように思う。


 俺は少し離れたところからそんなヒマワリをたまーに見ていたわけなのだが。


 贔屓目に見ても、ヒマワリは他人が少しばかり距離をとろうとしても、ぐいぐいと行くタイプだ。

 そんなヒマワリが「壁」を感じたのだという。


「カエデちゃんって、ずっと海外にいたんだよね~」

「おー」

「だからかわかんないけどね。あんまり仲の良い友達とかを作らないようにしてたのかな……って。話してて楽しそうにしてても、どっか距離を保たれてるっていうか……」

「ほー」

「そんな感じだったかなぁ。悪い子じゃないんだけどね」


 今日話したカエデからは、そういった雰囲気は感じられなかった。


「アタシも、何度かカエデちゃんとは話したりしたんだけどね……。結局、一緒にどこかに行ったのも数える程度でさ」

「ほお」

「だから、結局壁を崩しきれないまま、カエデちゃん海外に行っちゃったんだよね。そんな感じかなぁ」


 か。

 今日のカエデに、壁なんてあっただろうか。


 どちらかというと、俺が壁を作っていて、その壁をカエデがぶっ壊してくれやがった気がする。


「で? カエデちゃんが、浦園に転入してきたんだ」

「おう」

「どうだった?」

「どうだったって……」

「いや、久々に再会した中学の頃のクラスメイトじゃん。成長して、ちょっと変わったとかさ、ほら、そういう」


 そんなん聞かれても。とは思ったが、天井を見上げて今日のできごとを思い出す。


「まぁ、美人だなぁ、とは思ったけどな」

「美人?」


 なんで聞き返した?

 俺が不思議に思って、ヒマワリを見ると、何故かうんうん唸っていた。


「あー、確かに、あれを、こうして……。こうすれば……」

「どうした?」

「いや、中学の頃のイメージからは『美人』って想像もつかなかったから、色々試行錯誤中」


 ヒマワリが、あはは、と笑う。


「でも、確かに美人だったかもねぇ」

「うん?」

「いや、そんなに目立つような、派手な見た目してるわけじゃなかったからさ。いや、悪い意味じゃなくてね?」

「そうだったかなぁ」


 これだけヒマワリから話を聞いても、マジで全く思い出せないから、俺は相当重症なのではないだろうか。


「ヨウは全然カエデちゃんとは話してなかったしね。覚えて無くても無理はないかも」

「まー、今日も名前聞くまで、全然気づかなかったわけだしな」

「そうか~。カエデちゃん、大変身してたんだ」


 感慨深げにヒマワリが言うが、俺としては中学の頃のカエデを覚えていないから、「大変身」と言われてもピンとこない。


「で? そんな美人のカエデちゃんと再会して、ヨウはどう思ったの?」

「どう思った、って言われても……。まー、ありゃ、浦園のアイドルになりかねないな」

「え?」


 ヒマワリが少し驚いたような声を出した。


「俺が言うのもあれだけど、顔は良いし、性格も悪くない。美人なのに、それを鼻にかけてないっていうか、お高く止まってないっていうか」

「ヨウがそこまで言うのって珍しいね」

「今日、頼まれたから、学校の中を案内したんだが。まー、野郎どもの怨嗟の目が刺さる刺さる」

「そりゃ針のむしろだ。お疲れさん」


 ヒマワリが、その時の俺の様子を想像しているのか、楽しげに目を細める。


「だから、明日学校終わりに遊びに誘われたんだけど、流石に現地集合にしたよな」

「え? 遊びにいくの?」

「おう。なんでも、思い出話とかしたいから、って……どうした?」


 気づくとヒマワリが楽しげな笑顔のまま固まっていた。


「そっか。カエデちゃんと、遊びに行くんだ」

「いや、そうだけど」


 ヒマワリが呟いて、顔を俯かせる。そして、そのまましばらく黙りこくった。

 いきなり雰囲気が変わったヒマワリに、何かまずいことでも言ったか、と内心焦り始めた頃、ヒマワリがニヤニヤしながら、ばっ、と顔を上げた。


「この、ヒマワリちゃんというものがいながら、他の女の子にも手を出すなんて!」

「いや、そんなんじゃねぇだろ」

「どーかなー? どーだろーねー。とりあえず、報告待ってます!」


 俺に向かって敬礼をしてから、ヒマワリが時計を見た。気づけば時間は十八時に迫っている。

 傍らのカバンを手にとり、ヒマワリは帰り支度を始める。


「そろそろ帰るね」

「おー」


 ヒマワリが「じゃねー」と俺の部屋を出ていく。「明日、カエデちゃんによろしく言っといて~。デート楽しんでね」なんて言い残して。


「いや、デートじゃねぇよ」と言う間もなく扉が閉まる。

 そして十秒もしないうちに、一階から「おばさん、お邪魔しましたー」というヒマワリの声が聞こえた。


「あいつ、なんであんなバタバタと帰ってったんだ?」


 なんか、用事でもあったのだろうか。

 いつもよりも、「帰るね」と言ってからの行動のスピードが速かった気がする。


 そして、何とはなしに、部屋のテーブルを見遣ると。


「あー」


 ヒマワリのゲーム機がぽつりと置かれていた。

 あいつめ。がっつり忘れていきやがった。


 まー、ヒマワリだしなぁ。

 気づいたら取りに来るだろうし、放っておいても大丈夫だろう。


「……学力テストの勉強するか」


 時間はまだ十八時。今から勉強しても、三時間くらいはテスト勉強に当てられる。


 俺は机に向かい、教科書やら参考書なんかを広げた。


 しかし、何故かわからないが、いつもよりも集中することはできなかった。

 原因かどうかはわからないが、「帰るね」と言った時のヒマワリの声色に、引っ掛かりを覚えた。

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