第三話:中学の頃は『カエデ』って呼んでくれてたじゃないですか
「こっちに行くと、図書室があって――」
「はい」
今俺は、満面の笑みを浮かべる
正直「案内してほしい」と言われても、どこをどう案内すればよいのかさっぱりである。
と言うか案内なんて必要なんだろうか、というそもそもの疑問も湧き上がってきた。
とは言え、お願いされ、受け入れた以上、ちゃんとしなければならない。
ので、なんとなく学内を一回りすることを目標に、どこに何があるのかをただただ説明する。
はっきり言おう。気まずい。
おまけに、高校三年間で出会える確率なんてほぼゼロに等しい転入生という事象。そんな春夏冬の噂は、同学年の生徒にとどまらず学校中にとどろいているらしい。
証拠とでも言わんばかりに、すれ違う人間全てが、俺達に珍妙な視線を向けてくる。
気持ちはわかる。
高校という閉鎖的なコミュニティに突如入り込んだ、転入生という異物。新しく入学してきた一年生なんて比にならない。どうやったって注目してしまうだろう。
そして、その転入生が超絶美少女ともなれば、注目度はうなぎ登りである。
もしこれが、美少女は美少女でも、ツンとしたいわゆるお高く止まったお嬢様であったり、近づくのに少し勇気が要りそうなギャルだったりしたら。
俺達が並んで歩いていても、ここまで注目を集めなかっただろう。
しかし、春夏冬は美少女ながらも、非常に感じの良い雰囲気をかもしだしている。
何しろ俺の隣を、たおやかに微笑みながら歩いているのだ。
高嶺の花ではあれども、決して近寄りがたい雰囲気は出さない。
絶妙なバランスに、校内の男子どもはメロメロだ。
だからこそ、気まずい。
そして、胃が痛い。別に、胃腸が弱い体質ではないし、ストレスが腹痛に来るタイプでもないはずなのだが。
通り過ぎる人間、特に野郎どもは、まず春夏冬を見てまるで美しい芸術品でも目にしたかのように瞠目する。
その後で俺を見て、ゲジゲジやゴキブリなどの不快害虫を見てしまったかのような表情を浮かべる。
そんな顔でみるなよ。俺だって不本意なんだよ。
そう叫び出したくなるのをぐっと堪えた。
この感覚、ここ最近で覚えがある。
ああそうだ。先月ヒマワリが浦園学園まで俺を迎えに来た次の日、クラスメイトに散々問い詰められた時の感覚だ。
「え……っと、ここが被服室」
「はい」
そして、春夏冬と俺の会話はさっきからこのようなものである。
俺が「ここが~~で」と言って、春夏冬が「はい」と返事をする。
なんでもない非常に事務的な会話だ。
それでも、春夏冬はニコニコとし続けている。
(何がそんなに楽しいんだろう……)
心の底からそう思う。
なんて色々思いはしたが、ストレスを感じる時間も過ぎてみればあっという間だ。
各学年の教室以外は大方案内を終えた。
「うん。これくらいかな。大体案内した。別に各学年の教室は案内しなくてもいいだろうし、終わりだな」
そう言って、「帰ろう」と教室の方へ向かおうとした。
そんな俺の言葉に、春夏冬がクエスチョンマークをたっぷりと浮かべたような表情を向ける。
「あら? この学校には、屋上はないんですか?」
「春夏冬さん。中学の時を思い出して。屋上は立入禁止だっただろ?」
アニメやら漫画やらでは、屋上は青春を謳歌する場所と相場が決まっている。
しかし、現実は違う。
屋上は基本的には立入禁止。
小学校でも、中学校でも、屋上自体はあったが、基本的には生徒が入ってはならない禁断の区画だった。他の学校も似たようなもののはずだ。
そもそも鍵がかかっていて自由に入ることなんてできない。
「そうなんですか……」
春夏冬が残念そうな顔をする。
「日本のアニメや漫画では、皆屋上で昼食を食べていたのに」
「あれはフィクションだから……。って、春夏冬さん、海外に住んでたって言っても、中学からだろ?」
十年も日本に住んでれば、そんなことわかりそうなものなのに。
「いえ。父の仕事で、結構世界中を転々としてまして」
「あ、そうなのか」
「はい。日本にいたのは、小学校に上がる前までと、ヨウ君とクラスメイトだった中学一年生のときだけです」
そうだったっけか……。記憶を手繰り寄せる。
しかし、手繰っても手繰っても、そんな記憶はない。なさすぎて、自分が恐ろしくなる。
――どんだけあの頃の俺、他人に興味がなかったんだよ。
「香港以外だとどこに住んでたんだ?」
「えーっと……。シンガポールとタイ、インドネシアですね」
「ほー」
礼儀として訊いてみたものの、あまりピンと来ないラインナップ過ぎて反応に困る。
そんな思いが顔に出ていたのだろう。
「あはは。私は確かに帰国子女ではありますけど、そんな大層なものじゃないですよ」
おおう。気を使わせてしまった。
「いやいや。ずっと日本で住んでた俺からすりゃ、人生経験豊富なんだなー、とか思うけど?」
「結局通ってたのは日本人学校ですから。皆さんとあんまり変わりません」
「でも、英語喋れるって」
「そりゃ、英語だけが唯一なんとか通じる言語でしたから。誰でも私と同じ環境だったら、英語くらい話せるようになりますよ」
なんだろうな。別に偏見を持っていたわけではないのだが、「帰国子女」という人間に対するイメージがガラガラと音を立てて崩れていく気がする。
というか、春夏冬……。
――人ができすぎだろ。
シンプルにそう思った。
美人で、スタイルも良くて、性格も良くて、頭も良いって、どんな完璧超人だよ。
そんな人間見たことが……。
あ、見たことあるわ。鈴川だわ。
俺の中で、「春夏冬イコール女版鈴川」という図式が出来上がった瞬間である。
いや、あいつと同格に語られるのは、春夏冬に失礼か?
でも思っちゃったもんは仕方がない。
首を振って、頭の中から鈴川を追い返す。どっかいけ。
そんなことをしていると、春夏冬がなにやら興奮した様子で静かにはしゃいでいた。
「ヨウ君、ヨウ君」
「ん?」
「この階段!」
何事かとさした指の先を見ると、屋上へ続く階段を指さしている。
「この階段、屋上に行ける階段ですよね!」
「いや、そうだけど」
「行ってみてもいいですか!?」
「屋上には行けないぞ? 鍵かかってるし」
「いいんですっ!」
屋上の何が春夏冬をそこまで惹きつけるのか、俺には理解しがたい。
中学の時だって、屋上はあったはずだろうに。何故屋上?
だがここまでわくわくしている春夏冬に「ダメだ」というのも、心が痛む。
「じゃあ、行ってみるか」
「はいっ!」
階段を昇り切ると、屋上へ続く扉が現れた。
扉の前はちょっとした踊り場のようなスペースになっていて、古くなった机や椅子がいくつか乱雑に置かれている。
正直俺もここに足を踏み入れたことはない。
へぇ、こうなってたのか、と嘆息する。
一方の春夏冬は屋上へ続く扉のドアノブをがちゃがちゃとひねり、確かに鍵がかかっていることを確認してから少しだけ残念そうな顔をした。
それから、扉のすりガラスに顔を近づけて「むむむ~」と唸った。
「全然屋上の様子が見えないです」
「そりゃそう」
「むうう~」
可愛らしく、口を尖らせて、再度春夏冬が唸り声を上げる。
唸り声と言うには、あまりにも庇護欲を掻き立てられるものではあったが、まぁそれはどうでも良い。
「満足したか?」
「ええ、ありがとうございます」
くるりと振り返って、春夏冬が俺に笑顔を向ける。
「じゃあ、帰るぞ」
スマートフォンを取り出して、時計を確認する。
結構歩いたな。昼休みは残すところあと五分だ。
「学力テストが始まる」
「あ、ちょっと待ってください」
「ん?」
踵を返して、階段を降りようとした俺に、春夏冬が待ったをかける。
「あの、ヨウ君?」
「なんだ? 春夏冬さん」
「その『春夏冬さん』っていうの、やめてくれませんか?」
「は?」
どこか拗ねたような目つきで俺を見つめる春夏冬がそう言った。
「中学の頃は『カエデ』って呼んでくれてたじゃないですか」
「そうだったっけか」
「そうですよ」
春夏冬が「他人行儀過ぎて、距離を感じちゃいます」と俺を軽く睨みつけた。
他人行儀も、距離を感じるもない。俺はつい今朝まで、春夏冬という人間を忘れていたのだ。
「昔みたいに呼んでください」
「ってもなぁ」
要らぬ誤解を受けそうであるから、遠慮したい気持ちでいっぱいだ。
誰から? そりゃ、この高校の男子生徒全員からだ。
不要な恨みを買う。間違いなく。
しかし、真剣な瞳でじっと俺を見る春夏冬には、どんな言い訳も通用しそうになかった。
ため息を押し殺す。
まぁ、良いか。
別に女子をどのように呼ぶのか、という点に対して、特別なポリシーを持っているわけでもない。
「あー、わかった。カエデ。これで良いか?」
俺が「カエデ」と口にした瞬間、春夏冬……いや、カエデの大きな目が目一杯細められた。
その後で、ゆっくりと口角が上がる。
「はい、ヨウ君」
カエデから向けられた掛け値なしの笑顔に、不覚にも少しだけ見とれた。
女版鈴川、なんて考えていたのにな。
カエデのその笑顔はあまりにもそっくりだった。
いや、そっくりと言うと語弊がある。似ても似つかないことは間違いない。
しかし、何故か俺はその笑顔にあの人の笑顔が重なって見えた。
誰にって?
(ユリカさんみたいに笑うんだな……)
顔の造形や、仕草は、ユリカさんとは全然違う。それだけははっきり言っておきたい。
しかし、その笑顔は、どこか俺が好きだったユリカさんのそれに似ていて。
少しだけ。ほんの少しだけ、泣きそうになった。
「……どうしたんですか? ヨウ君?」
「いや、なんでもない」
思えば、失恋して一ヶ月も経っていないのだ。
吹っ切れているはずがない。
何年片思いを続けていただろうか。
何年恋い焦がれ続けてきたのだろうか。
ユリカさんの笑顔は、声は、幼い頃抱きしめられたぬくもりは。
――そう簡単には忘れられねぇよなぁ。
「ヨウ君?」
「あ、悪い悪い」
泣きそうにはなったが、人前で涙を流すほど男を捨ててはいない。
「そう言えば訊きそびれていたんですけど」
「ん?」
唐突にカエデが不思議そうに俺を見る。
正確には俺の右腕を、だ。
「右腕、どうしたんですか?」
「あー」
そう言えば、全然説明してなかったな。
つっても、一から説明すると長くなるし、端的に面倒臭い。
「ちょっと、転んで切った」
「え……と。それは大変でしたね?」
大変といえば、大変だった。
その大変さをカエデに説明する気はさらさらないが。
「じゃ、帰るぞ」
「あ、あ、待ってください」
「え? まだなにかあんのか?」
振り返ってカエデの顔を見る。
「あの、その……」
「ん?」
「あー、もう。ヨウ君、恥ずかしくて、言い出しにくいので私の顔そんなに見ないでください」
どういうこと?
「えっと、ですね」
「おう」
「学力テストって、明日まででしたよね?」
「そうだな」
カエデの言う通り、学力テストは明日まで。
五科目を二日かけて終わらせる。なかなかにハードなスケジュールだ。
「あの、明日学力テストが終わってからで良いので」
「うん」
「どこかに遊びに行きませんか?」
予想外の提案に、思考が停止する。
え? なして?
「あっ! あのっ! せっかく、数年ぶりに再会したわけですしっ! そのっ! そんな深い意味はなくてっ!」
「おー」
「ちょっと思い出話に花を咲かせたいというか、なんというかっ!」
あー、そういうことね。
明日は、確か……。
何もなかったはず。
「まぁ、特に用事はないな」
「じゃあ」
「断る理由もないな」
気晴らしには丁度よいかもしれない。
ユリカさんへの恋が終わった俺にとって、カエデみたいな美少女と出かけること自体は嬉しいお誘いだ。
ただ一つ。
「あー、一つ」
「なんでしょうか?」
「学校は別々に出て、現地集合にしよう」
カエデと一緒に帰るという、全校の男子生徒から恨みを買いかねない危ない橋を俺は渡りたくはなかった。
「え……と。はい?」
「うん。それでよろしく」
気づけば俺の中にあった、カエデに対する気まずさは全く無くなっていた。
自分でも気づかないほど、綺麗さっぱりと。
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