第二話:よろしければ、学校を簡単に案内してほしいんですけれども

 校長のありがたくも長々としたスピーチに全校生徒が欠伸を噛みしめたくなる進級式と、委員会やらの担当ぎめに多少紛糾を発生させたホームルームも滞り無く進んだ。


 ホームルームの残り時間、担任の女性教師による「大学受験は今年から既に始まっている」旨の激励の途中で、終業を知らせるチャイムが鳴り昼休みが始まる。


 午前中について述べるならば、学校行事として特筆すべきところなどない。他の高校を体験したことはないが、どこも大体こんな感じだろう、と思う。


 しかし、一点だけ非常に気になった点を挙げるなら。


 ――めっちゃ見てくるじゃん……。


 今朝転入してきたばかりの春夏冬あきなしカエデの方からちらちらと感じる視線であった。


 進級のタイミングでの転入だったので、教室の後ろの方だとか特別な席になるわけでもなく、彼女はあらかじめ用意されていた席に座ることとなった。


 その席というのが、俺の視界の右端にちらりと映る場所なのだ。


 だからなのだろう。彼女が俺を何度もちらちらと見ていることに俺は気付いた。気づいてしまった、というのが正しいだろうか。


 まあ、理解できなくもない。


 何について俺が理解を示しているのかについては、彼女と俺の関係性を説明せねばなるまい。


 春夏冬カエデ。


 中学三年間のうちの一年、俺は彼女とクラスメイトだった。

 仲が良かったかと言われれば、別にそういうわけではない。


 クラスメイトとして、不自然にならない程度の会話をした記憶はうっすらとあるが、それ以上でも以下でもないはずだ。


 一年一緒の教室で過ごし、春夏冬カエデは家庭の事情で転校していった記憶がある。


 確か、彼女のお別れカラオケ会を、クラスの誰かが企画していたような気がする。

 俺? 行くわけがない。


 つまるところその程度の仲なのだが……。


 とは言え、だ。


 一つの事実を述べるならば、俺と春夏冬の母校を卒業した人間は、この浦園学園には一人もいない。


 であるからして、彼女が俺のことを「中学の時のクラスメイトである春原すのはらヨウ」であると認識しているのであれば、俺を五分に一度穴が空くほど見つめるのにも大いに理解できる。


 完全に新しい環境。知り合いは誰もいない、そのはずだった。

 そんな中に紛れ込んでいた懐かしい顔。


 普通そんな状況で、そんなヤツがいたら、これ幸いとばかりに眺めまくるだろう。


 新しい環境なんて、誰だって不安だ。すがることのできる藁があるなら、なにであろうとすがる。人間の性だ。


 しかしながら、正直に言おう。そんなに熱視線を送ってこられても、俺としてはどう反応すればよいかわからない。


 俺と彼女の接点はほとんどなく、名前を聞くまで思い出せないほどだったのだ。

 きっと、彼女は「まず春原に話しかけて、その後で交友の輪を広げよう」とでも思っているのだろう。


 だろうが、期待に応えられる気は全くしない。


 彼女の視線に気づきながらも俺が知らぬ存ぜぬを貫いているのは、つまるところそういうことなのである。

 なので、当然ながら俺から何かしらのアクションを起こすこともありえない。


 少しばかり面倒なことになったな、と心中で特大のため息を吐きながらカバンの中から弁当を取り出す。


「春原ぁ、昼飯一緒に食おうぜ」

「おー」


 浜口が自分の弁当を手にぶらさげながら現れた。


「お前、他に友達いねぇのかよ」

「お前と違って友達なんてたくさんいるわ。でも、春原はレアだからなぁ」

「レアってなんだよ」


 俺のツッコミに、にひひ、と浜口が笑う。


 学食にでも行ったのであろう丁度空いていた前の席を拝借して、浜口が自分の弁当を広げる。

 広げながら浜口が口を開いた。


「そういや、春原。午後の学力テスト……は――」


 そして、そこで固まった。


 丁度自分の弁当に向き合っていたので、必然的に下を向いていた俺だったが、突然おかしくなった浜口の様子に何事かと顔をあげると、ヤツは隣を見て口をぱかりと開けていた。


 そして、ヤツの視線の先には、春夏冬カエデがいた。


「違ってたらごめんなさい。ヨウ君、春原ヨウ君、ですよね?」


 控えめに、しかしながら逃げる余地を与えない笑顔を湛えた美少女が、俺の名前を呼んでいた。


 おおう、そう来たか。


 頭の中に浮かんでは消し・・、浮かんでは消し・・を繰り返していた、「こうなるだろうな」の一つが実際に起こった。


 直接的な手段に出られたら、もう人道として知らぬ存ぜぬは貫き通せない。

 流石の俺も、そこまで人でなしじゃない。


 本日何度目かのため息を、心の中だけで吐き散らかして、俺はとうとう観念して重い口を開く。


「うん。久しぶり、春夏冬さん」


 浜口が春夏冬カエデと俺の顔を交互に見てから小さく「マジか」と呟いた。



 §



「へぇ、じゃあ二人は中学の同級生だったんか」

「ええ。私がニ年生に上がる前に転校しちゃったので、一年間だけですけど」


 ね、ヨウ君、とでも言いたげに、春夏冬が俺を見たので、俺は口の中のハンバーグを咀嚼しながらもごもごと返答した。


 何を話すべきかとんとわからなかったものだが、浜口がいい感じに場をつなげてくれている。

 いいぞ、浜口。ありがとう、浜口。ナイスだ、浜口。


 願わくば、このまま浜口と春夏冬で会話が盛り上がって、俺を蚊帳の外にしてほしい。


 別に午後の学力テストのために、復習をしたいとか、そういうのではない。

 そういった気持ちがまったくないかと言われたら嘘になるが、事実それがメインではない。


 ただ、ひたすらに、彼女と話す話題が、俺にはない。

 正直今この瞬間も、気まずさでいっぱいだ。


 俺は自分自身をコミュニケーション強者だとは思っていない。どちらかというと、コミュ障というカテゴライズをされる人間だろう。


 それは、特段他者とのコミュニケーションに飢えているわけではないからだ。正確には、「からだった」と言うべきかもしれない。


 だいたい一ヶ月前までの俺は、ユリカさんのことしか頭になかった。

 ユリカさんにふさわしい男になるための経験値稼ぎに忙しかったのだ。


 毎日の授業に加え、予習復習を三時間。テスト前ともなれば、その倍は勉強しただろうか。

 頭脳だけでは足りないということも理解していたので、早朝トレーニングも欠かさず行っていた。


 他人と楽しくおしゃべりする必要性なんて感じなかったし、わざわざ仲良くしようとも思わなかった。


 さらに付け加えると、春夏冬と接点のあったタイミングのほとんどは、俺が最も尖っていた時期だ。

 ユリカさんに諭され、人付き合いの重要性を多少認識する前の時期なのだ。


 故に、春夏冬がどういう人となりなのかなんてはっきり言って覚えていない。

 彼女と何を話したのか、彼女が何を好むのか。


 まーったく、なーんにも、覚えてないのだ。


 非常に由々しき事態である。


 覚えはないだろうか。


 初対面の相手と話すときはすらすらと言葉が出てくるのに、その相手とニ回目に会った時に何を話せばよいかわからなくなる、といった経験に。


 結果訪れるのは気まずい沈黙になることが多い。

 今、まさに、それだ。


 勿論浜口が色々と喋ってくれているから、俺自身はただ頷いたり相槌を打つだけで良い。

 しかし、時たまこちらへ向けられる春夏冬の「積もる話があります」とでも言いたげなキラキラとした視線が痛い。


 やめてくれ。もう俺のHPはゼロだ。これ以上なぶらないでくれ。頼む。


 そんなキラキラした瞳で俺を見られても、何も出てこないから。マジで。


 ごまかすように、弁当を黙々と食べ続けていたものだが、それにも限界がある。


 母さんが丹精込めて作ってくれた弁当は、無くなってしまった。食べ終わるまでのスピードは一・五倍くらいだ。当社比で。


「あ、ヨウ君、食べ終わったんですか?」

「うん」

「早いですね」


 口に手をそえて、ふふ、と可愛らしく笑う春夏冬に、「逃げられない現実」を突きつけられたようで冷や汗が流れる。


 どう返せばよいものか答えあぐねていると、春夏冬が、ぱあっと花が咲くように微笑んだ。


「でも、転入してきた高校に、しかも同じクラスに、ヨウ君がいるなんて、びっくりです」


 手を合わせて、「こんな偶然ってあるんでしょうか」と春夏冬が言う。


「っとーだよなぁ。中学の時に離れ離れになった同級生と同じ高校で再会だもんな。世間ってのはせまいっつーかなんっつーか」


 そんな春夏冬の言葉を受けて、浜口が箸を咥えながら感慨深げに言う。


 ナイスアシストだ、浜口。そのまま、春夏冬との会話を続けていてくれ。


「そう思いますよね。浜口君。本当は、私、今日すごく不安だったんです」

「そうだよなー。それに、高校で転校ってあんまり聞かないし」

「父が昨年まで海外赴任してまして、今年度からまた日本に戻って来たんです。丁度よいタイミングで浦園学園が欠員募集してたので」


 春夏冬の口から出る言葉に、古い記憶が蘇る。


 そういやそうだった。春夏冬は両親の都合で海外に行ったんだった。


「え!? ってことは帰国子女ってやつ!?」

「えぇ、まぁ、一応」


 人生で初めてお目にかかったのだろう、生帰国子女に浜口が鼻息を荒くした。


「おお! すげぇ! 英語とか喋れんの!?」

「日常会話程度は」


 非常に良い働きをしてくれてる浜口だから、俺は何も言わない。

 だが、浜口。お前の勢いに春夏冬がだいぶ引いてるぞ。俺は何も言わないけどなっ!


「帰国子女と言っても、アメリカとかじゃないんですけどね」

「ほー。じゃあどこどこ?」

「香港です」

「ほへー」


 最後に残しておいたのであろうウィンナーを口に放り込みながら、浜口が間抜けな声を出した。


「すげぇー」


 お前、進学校に通ってるとは思えないほどに、普段は馬鹿っぽいよな。

 と、口が裂けても浜口には直接伝えられない感想を抱きながらも、教室前方の中央上に備え付けられた壁掛け時計を見る。


 昼休みが始まっておおよそ十五分。残りだいたい三十五分。


 俺も浜口も弁当は食べ終えた。春夏冬は、あと二、三分ってところだろう。

 よしよし。いい塩梅だ。


 なにやら、香港での生活について春夏冬に訊きまくっている浜口を意識の外に追いやって、この後の行動を考える。


 まずは、全員が昼食を食べ終えたタイミングで、「あ、ごめん、俺ちょっとトイレに」と言おう。

 少しばかり自身の名誉が損なわれる危険性はあるが背に腹は代えられない。「ちょっと長くなると思う、腹が痛くて」、とでも付け足そう。


 その後は、そのまま便所に向かうふりをしてフェードアウトだ。


 よし、これだ!


 春夏冬が小さな弁当箱に詰め込まれた、女子らしい量の弁当を片付け、「ごちそうさまでした」と言った。


 ――いまだ!


「あ、ごめん。俺、ちょっと、ト――」

「あ、ヨウ君。お願いがあるんですけど聞いてくれますか?」

「はい」


 出鼻をくじかれました。


「よろしければ、学校を簡単に案内してほしいんですけれども」


 大変申し訳無いが御免被る。

 そう思って、「ちょっとトイレに行きたい」とか言おうとしたのだ。俺も。


 ただ。


「あ、カエデちゃん! なら、俺も一緒に行くぜ!」

「ありがとうございます、浜口君。ですが、出会って初日ということもありますし、お互い気が休まらないと思うんです。ヨウ君は、私のことをよく知ってくださってるので」

「そ、そうだな!」


 気づけば浜口がバッサリやられていた。

 やめろ。ちょっとしょんぼりした後で、俺を睨みつけるのは。


 それに、春夏冬。俺はお前のことなど「よく知って」はいないから。

 並々ならぬ勘違いだから。


「じゃあ、お願いしてもよろしいでしょうか? ヨウ君」


 あー、もう。ほらあ。

 しっちゃかめっちゃかだ……。


「あー……うん。良いよ」


 俺も春夏冬くらい、バッサリ言えたらいいんだけどな。うん。


 両手を合わせて喜ぶ春夏冬と、俺を恨みがましそうに見る浜口の顔を交互に見て。


 今、この状況でそれができるほど、自分が器用じゃないということを大いに痛感して。


 俺は、全てを諦めた。


「学校、案内するよ」


 辛い。泣きたい。

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