第十五話:さて、これからどうするかの細かいことと、今日の目的について皆の認識を合わせましょうか?
三人とも――特にヒマワリの――気持ちが昂ぶりきってしまっているため、今結論を出そうとしてもろくなことにならないだろう、という岡平さんの提言によりその場は一旦解散となった。
岡平さんとはその場で別れた。俺たちもこれ以上ショッピングモールで何かをする気にはなれなかったので、示し合わせるわけでもなく帰路につく。
気分のアップダウンが激しすぎたのか、帰り道ヒマワリはほとんど言葉を発しなかった。
「ねぇ……なんでもない」だとか、「あー、うー」だとか、ほとんど意味をなさない声を俺に向かって放ち、その後すぐに黙ってしまう。相当に疲れていたのか、考えるべきことの多さに頭がついていっていなかったのか。
そんなやり取りを幾度か繰り返し、最後は家の前で解散した。
夜は眠れなかった。興奮していたこともあるのだろうが、それ以上にあれこれと考え事が浮かんでくる。
鈴川のこと。リカとかいうメンヘラ女のこと。岡平さんのこと。これからのこと。ユリカさんのこと。
そして、意外なことに最後に鮮明に浮かんだのはヒマワリの泣き顔だった。
「あいつ、ガチ泣きしてたな……」
小さい頃を思い出す。ことあるごとに昔話になってしまうのは勘弁してほしい。何しろ俺の中におけるヒマワリは、まだ幼かった頃の姿なのだ。
別に会っていなかったわけではない。家の前でたまたまエンカウントし、一言二言会話をかわす程度には付き合いはあった。
しかし、どうしても、疎遠になるまでの最も濃密な期間での思い出には敵わない。
最低限、少女という印象を覆さない程度にだけ気遣われた、短く切りそろえた猫っ毛。青い半袖のTシャツに、半ズボン。吊り目が特徴的な勝ち気そうな表情。真っ黒に日焼けした肌。
ヒマワリが初対面の人間に男と間違われたことは両手両足の指を使っても数え切れない。ヒマワリはそんな少女だった。
毎日暗くなるまで、駆け回って遊んだ。ヒマワリはどこに行くにも俺を連れていった。
ヒマワリは、引っ込み思案で、口がうまくない俺を、「しょうがないなぁ」と言いながらもぐいぐいと引っ張っていったものだ。
当時の俺もヒマワリについて回って遊ぶのは嫌いじゃなかった。
だからこそ、めったに泣かないヒマワリの泣き顔は強く記憶に残っている。
ベッドの中、記憶の中のヒマワリの泣き顔が、ここ数週間くらいで何度も見た今のヒマワリの泣き顔とオーバーレイされていく。
面影を残しつつも、立派に女子高生らしくなった見た目。勝ち気な目元はそのままに、活発さと淑やかさを兼ね備え、両者が絶妙なバランスを保っている顔立ち。
ヒマワリの今の姿と、昔の姿が、グラデーションを保ちながら頭の中で再構築されていく。
そして徐々に記憶の中のヒマワリの泣き顔が、今の泣き顔に変わっていった。
俺の見慣れない、しかし面影から懐かしさを感じるヒマワリが眉間に皺を寄せて、顔をぐしゃぐしゃにしながら、涙をボロボロ流す映像が瞼の裏に浮かびあがる。
いつの間にか泣き虫になったものだ、という俺の勝手な感想は正しいのだろうか。少しだけ軽率なようにも思う。
何しろ、俺にしてもヒマワリにしても、この数週間だけでトップレベルにドラマチックな出来事が連続して起きているのだ。そのドラマチックさが、良い意味でのものであればどれだけよかっただろうか。
ただの失恋であればどれだけよかっただろうか。
ただの悲恋であればどれだけよかっただろうか。
状況は高校生の俺やヒマワリには手に余るほど複雑怪奇になってきている。
正直岡平さんが協力してくれる雰囲気を出してくれているのは、非常にありがたい。
ぶっちゃけ、岡平さんの豹変ぶりは少しばかり怖くもある。あるのだが、それでも彼女は最初に抱いたイメージとは裏腹に非常に頭の切れる人間だ。
俺達では手の届かないところまできっと連れて行ってくれる。そんな気がする。
少しだけ不安なことは、帰宅したヒマワリがユリカさんにゲロってないか、ということだ。自分から漏らさなくても、意気消沈した様子のヒマワリを心配したユリカさんが無理やり聞き出す、ということも大いに考えられる。
勿論、ショッピングモールで作られた急ごしらえのグループチャットで、岡平さんからどでかい釘を刺されてはいる。ヒマワリだけじゃなく、俺にも、だ。
『良いですか? すべての真相が明らかになるまで、お姉様には隠し通してくださいね』
文面は柔らかい。しかし、あの時の岡平さんの声色で再生すると、途端に否とは言わせない迫力を感じさせるメッセージに見えてくる。背筋に薄ら寒いものを感じさせる彼女の微笑みが容易に想像できるから不思議なものだ。
と、そんなことを考えながら照明を消した部屋のベッドで横になっていた時。スマートフォンが、ぶるり、と振動し、通知音を鳴らした。手にとって、通知の内容を見る。
岡平さんからのメッセージだ。
『ヨウ君。ヒマワリちゃん。明日、突撃しようと思いますが、ご都合はいかがですか?』
早すぎる提案に飛び上がりそうになるほど驚いた。昨日の今日というレベルですらない。今日の今日だ。その行動の早さには感嘆を禁じ得ない。
誰だ、岡平さんに対して「小動物のような印象」なんてものを感じたやつは。いや、やめよう、現実逃避は。わかっている。言わずもがなだ。ほかでもない俺だ。
『大丈夫です』
そっけない文面のメッセージが、しゅぽっ、という音とともに画面に表示された。ヒマワリだ。
「俺も大丈夫です……っと」
ひとりごちながら、メッセージを送る。その後で、『しかし、決行が早いですね』と追加でメッセージを送信した。
『鉄は熱いうちに打て、と言うじゃないですか。それに、このまま何もせず鈴川さんと月曜日に会って、どんな顔すればいいのかわからなくなって困るのも嫌ですしね』
岡平さんは「どんな顔をすればよいかわからない」と書いているが、恐らくこれを文字通り受け取ってはならない。
きっと他人に見せたらまずい顔を鈴川にしてしまいそうなのだ、岡平さんは。なんとなくそう思った。
『では、二人とも大丈夫とのことですので、ここに明日十時半にいらしてください』
メッセージと共に、位置情報が送られてくる。
そのすぐ後にまた岡平さんからのメッセージ。
『鈴川さんのお宅近くの、ファミリーレストランです』
なんで知っているのかは、あえて聞くまい。きっと飲み会の後送っていったとか、そういう理由だ。きっと。
深く突っ込んではいけない。間違いなくやぶ蛇になるという、確信に近い何かを感じる。
『では二人共おやすみなさい。また明日、です』
岡平さんのメッセージはそう締めくくられた。ヒマワリは『おやすみなさい』と返事をする。俺もならって、軽く挨拶を送った。
展開が急すぎて、若干のついていけなさを感じる。
とは言え、時間は待ってくれない。明日も早い。寝るか。
俺は枕元のワイヤレスイヤホンで耳を塞ぎ、ヒーリング音楽をかける。冴えた頭を、未だ興奮冷めやらぬかがり火が灯ったように熱い全身を、目をつぶって無理やり沈静化させる。
眠れない眠れないと頭の中でぼやいていたものだが、気づいたときには意識が落ちていた。
§
スマートフォンの通知音で目を覚ました。目覚ましのアラームではなく。
布団から飛び出た手足から感じられる室温が、やたらと低いことにまず驚く。
前日の麗らかな春日和と比べて、今日は一気に冷え込み、冬将軍がまた舞い戻って来たのかと錯覚するほどだった。
スマートフォンを取り出し見てみると、ヒマワリからのメッセージが送られてきたことによる通知だった。「先に行ってるから」という飾り気のない連絡事項のみを伝える文章が、画面の中わびしく浮き上がっている。
今は……午前六時半。アラームを掛けたのが七時だったので、予定よりも三十分早く起きてしまったのか。
ヒマワリは更に早く起き、家を出たようだ。
眠れなかったのか、目を覚ますのが早すぎたのかは知らないが、ヒマワリの精神が摩耗していることだけは確かだ。少しだけ心配になるが、今この場でいくら心配しても意味がない。今日会った時、しっかり様子を見てやらねば。
二度寝するにも中途半端な時間だったし、もう一度寝付くにも時間がかかりそうな覚醒具合だったので、ベッドから起き上がり伸びをする。大きめのあくびを一つ。
まだ外が薄暗いので、照明を点ける。暗闇に慣れた目に人工的な光が突き刺さり、その刺激によって脳が急速に覚醒していった。
「……っし!」
頬をパチンと叩いて気合をいれる。ヒマワリがちょっとしんどそうな現状、張り切らなければならないのは俺だ。
既に起きていた母さんが学校のある日と比べても早すぎる俺の起床時間に驚いた。
どうしたのか、と控えめに尋ねてくる母さんに、適当な言い訳をしながら身支度を済ませ、家を出た。
余裕を持って午前八時。指定された集合場所は、家から電車を乗り継ぎ、おおよそニ時間程度の場所にある。
直線距離としては遠くないのだが、電車で向かうとなると、ぐるりと迂回しなければならないため、結構な移動時間だ。時間だけで考えれば、小旅行と言ってもおかしくはない。
しかし、移動しきってみると、体感時間としてはあっという間だった。普段と違って、本を読んだりだとかそういう気分にもなれなかったにもかかわらず。
色々なことに思いを馳せていたから、なのだろうか。原因に心当たりがありすぎて逆にわからない。
待ち合わせ場所の最寄り駅にたどり着いた俺は、改札を抜けてスマートフォンの地図アプリを頼りに、目的地に向かう。
時間まで残り二十分くらい。途中の乗り継ぎに手間取ったのもあり、これくらいに駅に着くだろうと想像していた時間を少しだけ越している。早めに出て正解だった。
ファミレスに着くくらいで、ちょうどよい時間になっていることだろう。
地図アプリの案内に従って十分ほど歩くと、こじんまりとしたファミリーレストランが見えてきた。
あれだ。
グループチャットに到着した旨の連絡をいれる。すぐに岡平さんから、「もうヒマワリちゃんも私も中にいます、入ってきてください」というメッセージが返ってくる。
店のドアをくぐり、客席をぐるりと見回すと、俺に向かって大きく振られる、岡平さんの小さな手が見えた。
キッチンの奥から出てきた店員に「連れが先にいまして」と告げて、岡平さんとヒマワリの座る席へ向かった。
「すみません。遅くなりました。待たせてしまいましたね」
「いえいえ。五分前行動できてて偉いです。私達もさっき入ったところですよ。全然待ってません」
テーブルを見る。飲み物すらそこに無いことから鑑みるに、岡平さんの言葉は本当らしかった。
ついでに、テーブルの上に広げられたメニューをじっと見るヒマワリも目に入る。挨拶もなく、こちらに一瞥もくれない様子に、いよいよ余裕がなさそうだと感じた。
少しばかり心配しながらも、ヒマワリの隣に座る。
「ヨウ君はどうします? 私達はドリンクバーだけ頼みましたが」
「あ、じゃあ、俺もそれで」
「はい、わかりました」
岡平さんがベルを押して、店員を呼び、「ドリンクバーをひとつ追加。お願いします」と言った。店員が「かしこまりました」と返して去っていく。
俺がドリンクを取りに行こうと立ち上がると、岡平さんも微笑みながら同様に立ち上がった。
「ヒマワリちゃん、何飲みますか?」
岡平さんがヒマワリに声をかける。緩慢とした動きで、ヒマワリが顔を上げた。
溌剌としたヒマワリらしくない顔色だった。目は真っ赤に充血しており、その下には濃いクマを作っている。
「……あ、じゃあ、ウーロン茶を」
「わかりました」
にこりと頷いた岡平さんが、俺に目配せをしてから、ドリンクバーへ向かう。俺も後に続いた。
「ヒマワリちゃん。ちょっと、まずいですね」
岡平さんが視線を動かさずにボソリと言った。
「そう見えますか?」
自明のことであるのに、俺は阿呆みたいな返事をする。
「はい。結婚前ゴタゴタしていた頃の妹がよくあんな顔をしていました」
「……ですよね」
「まぁ、今日鈴川さんにはっきりしてもらって、それから考えましょう」
「はぁ」
ドリンクバーで各々の飲み物をグラスに注ぎ入れる。
「そう言えば、どうして岡平さんは、鈴川……さん、が今日家にいると知ってるんですか?」
「あ、聞いちゃいます?」
岡平さんが自慢げにはずんだ声を出す。
「鈴川さん、素直なんで、ちょーっと
なんだ? この人。マジで怖い。
その「手練手管」の内容をはっきり言わないあたりが、怖すぎる。
ドリンクを注ぎ、席へ戻る。
それぞれ飲み物を一口含み、口の中を潤したことを確認してから、岡平さんが言った。
「さて、これからどうするかの細かいことと、今日の目的について皆の認識を合わせましょうか?」
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