第六話:鈴川さんのこと、好き……ですよね?
桜が満開を迎え、特に思い入れのない卒業生が旅立っていった。
そして、在校生は修了式を済ませ、春休みが始まった。
今までの春休みであれば、新学期・新学年に備えて必死で予習復習に励んでいたものだが、今年の春休みは一味違う。
「ほれ、あんぱんと牛乳」
「あ、ヨウ、ありがとー」
都内のオフィス街。小綺麗で想像以上に大きなビル。その前のベンチに座り、俺達はひたすら行き交う人々を眺めていた。
鈴川の職場はこのビルの九階らしい。当然、ビルの中に入ることができるわけでもないので、遠目で食らいつくように確認するしか無い。
正直に言おう。徒労感が半端ない。
ヒマワリが言うには、少なくとも一週間程度は張り込むらしい。のだが、監視を始めて数時間、早くも俺は投げ出したくなってきていた。
「ところで」
「ん~?」
「なんで、あんぱんと牛乳?」
双眼鏡を覗きこむのをやめたヒマワリが、「こいつ何もわかってねぇな」という顔を俺に向ける。
「ヨウ、刑事モノのドラマ見ないの?」
「見ないな」
「なら、貴様には理解できん! 出直してきなさい!」
お話にならないし、答えになっていない。
つまり、刑事ドラマとかでは定番なのだろうが、なぜ定番に従う必要がある?
もしかしなくても、こいつ楽しんでやがるな。顔が雄弁に語っている。
勿論、ヒマワリの言を信じるなら、この行動自体が「ダメで元々」、「鈴川という男をよく知りたい」、というものである。
大きな意味はなく、実入りも期待できない。となれば、楽しまねば損である、という理屈も大いに理解はできる。
子供の頃、こういったいわゆる「非日常」な「冒険」がヒマワリは大好きだったな、と諦念の意がわずかに含まれたため息をこぼした。
母さんには、「久しぶりにヒマワリと出かけてくる」と伝えてある。非常に無頓着な「あら、まぁ」という返事を賜った。
この間驚かれたように、しばらく俺の口から出てこなかったはずのヒマワリの話題に色々と思うところはあるかもしれない。
仮にそうだったとして、色々と聞きたいだろうのに顔や口に出さない母さんの気配りの細やかさには感嘆を禁じえない。
「むー」
ヒマワリが、難しそうな声を出す。
「人が多すぎるう」
それはそう。
俺達は都内中心のオフィスビルというものを舐めていた。それはもう、べろんべろんに、ツバでべたべたになるほどに。
専用の本社ビルというものを持つ会社ばかりではないということを、俺達は初めて知った。
今ヒマワリが双眼鏡で睨めつけているビルの情報をネットで調べたところ、ざっと五社程度の会社が居を構えているらしい。
この高い高いビルの中に、ウン千人という人間がひしめき合っているのだろうか。そう考えると、なんだか奇妙な心地がしてくるから不思議なものだ。
つまり、何が言いたいかというと、人の往来が半端じゃない。
おまけに、ビルの中にはコンビニや、ちょっとしたコーヒーショップなんかもあって、どこから現れたのか子連れの奥様なんかもいる始末だ。
隣のビルはさらに大きく、出入り口が三つほどあったので、このビルはまだマシなのだろう。
エントランスが一つしかないからだ。そのため、目を皿にして見続けていれば、出入りする人間を見落とすことは無い。はずだ。裏口や勝手口みたいなものが無いと信じたい。
まぁ、そういったなんやかんやで俺は早々に集中力を失い、今なお熱心に監視し続けているのはヒマワリだけだ。
時たま「ヨウ? ちゃんと見てる」とじろりと見られ、二十分ほど頑張りはするが、どうしてもそれ以上は限界だ。
ちらりとヒマワリを見る。ってかこいつガチ過ぎるだろ。
俺も比較的目立たないようにと思って服装を選んだ。しかし目深に帽子を被り、マスクをつけ、どこにでもいそうなシンプルイズベスト、といった出で立ち。
格好だけ見れば、こいつがヒマワリだなんて、知り合いでさえ思わないだろう。
しかし、両手で持つ双眼鏡が、何もかもを台無しにしている。
確かに「この女がヒマワリである」という情報は外部に伝わらないかもしれないが、これでは「私は不審者です」と喧伝して回っているようなものだ。
証拠に、何度か歩く子供にヒソヒソされた。手を繋ぐ母親に「しっ、見ちゃいけません」みたいなことを言われた。
あの時ばかりは、この世の無情さに涙がちょちょぎれそうになった。
「ヨウ?」
「あんだ?」
「今何時?」
言われてスマートフォンを取り出し、時間を確認する。
もうすぐ正午だ。
なるほど。
「十二時の二十分前だ」
「りょ。気合いいれるよっ」
未だに気合いを入れ直すことができるほどに元気の残っている隣の幼馴染に、密かに尊敬の念を抱きながらも「わかった」と返す。
もうそろそろ、ランチで大勢の人間が出てくる頃合いだ。一般的にはそうなるはず。そうであってくれ。
なけなしの集中力を絞り出して、ビルのエントランスを睨みつける。
しかし、人の数が多すぎて目が回る。
五分ほどそうしていただろうか。目の奥が、鈍く痛み始めてきた。
俺はもうだめっぽい。
疲れ切った目を癒すため、右手でもみほぐそうとしたその時だった。
俺の目に見覚えのある人影が映った。
「お、おい」
慌ててヒマワリに声をかける。
「え? 何?」
双眼鏡を降ろしてヒマワリが俺を見る。
何も言わずに、俺はある一点を指さした。
「あっ!」
先日鈴川と一緒にファーストフード店にいた女性がいた。財布を片手に一人で歩いている。
ってか、自分でも思うが、良く思い出せたな。ついさっきまであの人の顔なんて全然記憶になかったぞ。
「でかしたっ! ヨウっ!」
ヒマワリが双眼鏡をバッグにしまい込み、駆け出す。
おい、ちょっと待て。
近くに鈴川がいたら元の木阿弥だぞ。
そんな注意を口に出す間もなく、ヒマワリが女性の元へ向かっていく。その姿は猪突猛進という言葉が似合っている。
俺も慌ててその後を追った。
さて、どうなることやら。不安しか無い。
女性は、
「えー……と。それで、私に聞きたいことって……?」
少し離れた軽食喫茶。ランチタイムのピーク前に滑り込めたのは運が良かった。
俺達を、岡平さんが怯えたような目で見る。
気持ちはわかる。
鈴川が彼女にとって同僚なのか上司なのか知らないが、同僚である鈴川の知り合いっぽそうな俺達に、いきなり話しかけられたのだ。
逆の立場なら恐怖で死ねる。
ヒマワリの声のかけ方もひどかった。
後ろから忍び寄り「すみません。先日鈴川さんと一緒にいた人ですよね?」、だ。
考えても見ろ、帽子とマスクの女が突然自分の背後から話しかけてくる状況を。
恐怖でしか無い。
そんな感じで、散々「突然話しかけてきた不審者感」を植え付けた後で、ヒマワリがマスクを取って、「私のこと、覚えてますか?」と言った。
それに対する、岡平さんの回答は「えー、っと……」だった。当然だろう。
色々と説明し、ヒマワリが鈴川の婚約者の妹であることも理解されて。
有無を言わさない「ちょっとお話させていただきたいんですけど」というヒマワリの言葉によって、岡平さんは残念ながら捕獲されることと相成った。
で、現在につながるわけだが……。
岡平さんの怯えっぷりが半端じゃない。
ファーストフード店で見たときは特段印象に残っていなかったが、こうあらためてみると小動物みたいな印象の女性だ。
人となりも、この様子じゃ外見のイメージからさほど遠くはないのだろう。
一方でヒマワリはさっきから黙ったままだ。店員に注文を答えたくらいで、以降ほとんど話していない。
時間が経過するごとに、どんどんと岡平さんの顔が青白く変色していく。
ヘビに睨まれたカエルと表現すべきなのだろうか。猫に追い詰められたネズミと表現するべきなのだろうか。飾らずに言って、非常に気の毒だ。
「おい、ヒマワリ」
業を煮やして、俺はヒマワリを見た。
俺の声に、ヒマワリが、ぎ・ぎ・ぎ、とまるで油をさし忘れたブリキのおもちゃみたいにゆっくりとこちらを見る。
あ、まずい。
しばらく疎遠になっていてもわかる。
これは、「勢いでやっちまったけど、こっから先どうすればいいかわかんないよお」の顔だ。
ため息を吐く。
「ええっと、岡平さん、でしたよね?」
仕方がないので、俺が話を進めることにする。
「は、はい」
「申し訳ございません。突然お声がけしてしまって」
「え……っと、なんの御用でしょうか?」
岡平さんが気まずそうに「心当たりが無くて……」と続けた。
「先日、鈴川トウジさんと一緒にいらっしゃいましたよね?」
「え?」
彼女の瞳がわずかに揺れた。これはきっと、答えて良いものか迷っているのだろう。
「隣のこいつですが、鈴川さんの婚約者の妹でして」
「あ、鈴川さんの……」
「はい。そうなんです。で、こいつも心配性でして……。こないだ、岡平さんが鈴川さんと一緒にいらっしゃったじゃないですか。俺は『ただの同僚の方だろう』と言ったんですけど……、あの、結構思い込みが激しいやつでして」
「……ああ! そういうことですか!」
岡平さんもなんとか納得してくれたようだ。ようやく顔から怯えた色が払拭された。
一方で、隣のヒマワリから厳しい視線が注がれている気配をひしひしと感じているが、無視無視。
「で、ですね。こうやってお時間を取らせてしまった以上、大変心苦しいんですが、ちょっと鈴川さんの普段の様子とかを話していただくことってできますかね? いくら心配性なこいつでも、鈴川さんの人となりがわかれば色々納得すると思うんです。お昼休みの時間だけで大丈夫です。お付き合いいただけますか?」
「あっ! いえいえっ! 全然大丈夫ですっ!」
「ありがとうございます。ほれ、ヒマワリ」
未だに目を三角にしてこちらをにらみ続けているヒマワリを俺は一瞥する。
この顔は「なに、ありもしないことをペラペラと喋ってるの! それに、なんでアタシが悪者みたいになってるのよ!」って感じだろう。
俺の視線を受けたヒマワリが、「あっ!」という顔をしてから、岡平さんに向き直る。
「す、すみません。秋野ヒマワリといいます。いきなり声をかけてしまって、本当にごめんなさい」
「はい、鈴川さんからお話は伺っています」
「そ、そうなんですか。えへへ」
「鈴川さんには、私が入社した頃からお世話になっていて――」
ヒマワリの自己紹介を皮切りに二人はゆっくりとではあるが、鈴川について話し始める。
部下に優しい人格者っぷり。熱心な教育方針と、手厚いフォロー。同僚への気配り。スマートな立ち居振る舞い。回転の早い頭脳。優秀な成績。
ヒマワリの質問によって、普段仕事をしている時の鈴川の様子が岡平さんの口からとうとうと語られる。
しかしまぁ。岡平さんもできた人だ。いきなり不審者に声をかけられて、半ば拉致されるみたいに連れてこられて、それでいて快くこうやって話をしてくれるのだから。
そして、ヒマワリが「怪しい」と言っていたことにも少しばかり納得できた。
岡平さんが鈴川を尊敬しているだろうことは、ヤツを語っている表情をみればわかる。いくら鈍感な俺でも。
そして、ヤツの婚約者、その妹であるヒマワリに向ける、少しだけ陰のある表情。
推測でしか無いが、岡平さんは鈴川にただの上司以上の感情を抱いているのだろう。
いや、そこまではわからない。ただの俺の邪推だ。
そこから数十分ほど岡平さんと会話しただろうか。そろそろランチタイムも終わりだ。
俺はヒマワリを右肘でこづいた。
「なによ、ヨウ」
「時間だ。岡平さん、ありがとうございました」
まだまだ話し足りないといった様子のヒマワリから、強制的に会話の主導権を奪い、まだまだ岡平さんの口から引っこ抜けば引っこ抜いた分出てきそうな鈴川のエピソードトークを打ち切る。
「あ、いえいえ、とんでもない」
いや、ほんっとーにできた人だ。ユリカさんがいなければ、好きになっていたかもしれない。
「ここの会計は俺達が持ちます。貴重なお昼休みを奪った、せめてものお詫びと思っていただ――」
「いえ。あなた達、見たところまだ高校生くらいですよね? こういうときは大人が払うものです」
せめてランチ代でも出さねばと意気込んだものの、出鼻をくじかれた。
「あの……それは流石に道理が――」
「鈴川さんの義理の妹さんになる方に、ごちそうしてもらったなんて知られたら、怒られちゃいます。子供は黙って大人に甘えていてください」
小動物のような印象を拭い去れなかった岡平さんの有無を言わせぬ笑顔。俺は「す、すみません。ではお言葉に甘えて」と返すしかなかった。
いや、ほんと。マジで。できた人だ。
「あのっ!」
「いえいえ、お気になさらず」と言いながら伝票を持って立ち上がろうとした岡平さんをヒマワリが見る。
「岡平さん。聞いてもいいですか?」
「なんですか? ヒマワリちゃん」
岡平さんが柔らかな笑顔でヒマワリを見た。
ヒマワリは少しだけ逡巡するように俯いた後、意を決したように岡平さんに向き直る。
「岡平さん、鈴川さんのこと、好き……ですよね?」
岡平さんの目が僅かに見開かれた。
昼食を食べ終わり、店を出ていく人々の喧騒が一気に遠くなった気がした。
数秒、だろうか。岡平さんはヒマワリを真剣な瞳でじっと見つめていた。
そして、突然破顔し、「内緒です」と茶目っ気たっぷりに言った。
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