第七話:お前と鈴川ってどう知り合ったんだ?

「よく、あんなにデタラメがすらすら出てくるね、ヨウってば」


 鈴川の勤めるオフィスビルからの帰り道。電車を降りて、家に帰る途中のこと。

 しばらく黙り込んでいたヒマワリがやおら口を開いた。


 まったく、何を言い出すと思えば。


「俺は本番に強いんだよ」

「あー、昔っからそういうとこあったよね」

「その言い方、含みがあって、腹立たしいんだけど?」


 大体、俺に助けを求めてきたのは誰だよ。その俺のアシストでうまく岡平さんから色々聞き出せたんだから、感謝してほしいものだ。


「岡平さん良い人だったね」

「あぁ」


 岡平さんは本当にできた人だ。そんな彼女が尊敬の念を隠さない鈴川はきっとそれ以上にできた人間なのだろう。


「……でも、鈴川さんの普段の様子聞けて良かった」


 そのつぶやきには答えない。俺は暗澹あんたんたる思いでいっぱいだ。

 勿論元々予測はしていた。しかし、こうも鈴川という男が完璧超人であることを突きつけられるとどうしようもなくなる。


 ため息を押し殺した。


 昼過ぎ、夕方よりも少し手前。俺達二人の家が見えてくる。


 そして、同時に見えてきたそこに立っている人影が視界に入った。

 人影が誰であるのか理解する前から、俺の脳は危険信号を発していた。


「逃げろ」と。


「げ……。お姉ちゃん……」


 ヒマワリが絶望的ともとれる声を出す。


 立っていたのはユリカさんだった。ユリカさんを知らないヤツが見ると、満面の笑みでしかないだろう。


 しかし、俺もヒマワリも知っている。


 ユリカさんが最も腹を立てている時、このような絶対零度の笑顔を浮かべることを。


「……二人共?」


 かけられた言葉に、俺達は返事すら返せなかった。


「お姉ちゃんに、話さないといけないこと、あるよね?」


 俺には見える。笑顔でありながらも、背中から何か怒気のようなものを噴出しているユリカさんが。

 ヒマワリも同様なようで、隣でわなわなと震えるような気配が感じ取れた。


「とりあえず、お家入ろっか。ヨウ君も、だよ?」


 間髪を入れず、「はい」と二人分の声が上がったのは、当然の帰結であった。



 §



「で? 二人が何をしていたのか、何をしようとしていたのか、お姉ちゃんにちゃんと教えてくれるかしら?」


 秋野宅リビングのソファに俺とヒマワリが隣り合い、ユリカさんが向かい合って座った。


 その後でユリカさんが、人を殺せんばかりの笑顔のまま発した第一声がそれだった。


「そ、そ、そ、それよりもお姉ちゃん。今日はお仕事――」

「今日は元々午後お休みを取っていたの。でも、ヒマワリ? それ今関係あるかしら?」

「ひ、ひゃいっ! な、無いです!」

「そうよね? 関係ないわよね? お姉ちゃんが真剣なお話してる時に話を逸らす人、お姉ちゃんは好きじゃないわ」


 おおう。過去最高、史上最高にご立腹のご様子だ。どうしようか。

 俺は気まずそうに目を逸らす。


「ヨウ君? ヨウ君でも良いのよ?」

「い、いや。ユリカさん。あの、ちゃんと説明するから……じゃなくて、しますので、その圧を引っ込めていただけると……」

「あらあ? 私圧なんてかけてないわよ。やましいことがあるからそう感じるんじゃないかしら?」


 嘘だ。ビンビンに圧を感じている。

 やましいことがなくても、ユリカさんを少しでも知っている人間であれば、この笑顔を見るだけで心臓を握りつぶされたかのような恐怖感を感じるはずだ。


「え、ええっと……」


 岡平さんには、「ヒマワリがしょうもないやつですみません」という語り口で話し始めたが、ここでそれを使うのは愚策も愚策だ。


 なんと答えるべきか。俺が泥を被るべきだろう。しかし、ユリカさんに失望されるようなことは言いたくない。ジレンマだ。

 答えあぐねていると、ヒマワリが口火を切った。


「ごめん。お姉ちゃん、ヨウは関係ないの」

「ヒマワリ?」

「アタシ、ちょっとお姉ちゃんの婚約に思うところあって……」

「思うところ?」


 ヒマワリが苦々しく笑う。


「ちょっとお姉ちゃんが心配になっちゃって。それで、鈴川さんってどういう人なんだろ、って」


 ユリカさんが笑顔を引っ込めて、真剣な表情でヒマワリの独白を聞いている。


「で、この間、ヨウとマック行ってた時、鈴川さんと一緒にいた同僚の人、覚えてたからさ……。話聞いてみよう、って」


 ヒマワリの独白が尻すぼみになる。ユリカさんの顔を盗み見ながら話していたからだろう。

 ユリカさんの表情は、笑顔だった。しかし、先ほどとは打って変わって、柔らかい、温もりの感じられる微笑みだ。


「バカね、ヒマワリは……」


 額面通りに受け取れない言葉をユリカさんが返す。

 その顔からは、先程までの穏やかながらも激しい、沸々とした怒りは感じられない。


「私、人を見る目はあるつもりよ」

「でも、お姉ちゃん……。なんか不安そうだったじゃん……」

「ごめんね。ヒマワリにも心配かけたね。ありがとう。でも大丈夫」


 ユリカさんが立ち上がって、ヒマワリの隣に腰掛ける。


「不安そう、って思わせちゃったのはね、『私こんなに幸せになれちゃって良いのかな?』って思っちゃったからなのよ。だから大丈夫」

「……お姉ちゃん」


 ユリカさんがヒマワリをぎゅうっと抱きしめた。


「ヒマワリはお姉ちゃんを心配してくれたんだね」

「……う……ん」


 ヒマワリが鼻声になりながら返事をする。しかし俺は知っている。あれは嘘泣きだ。ってか泣いてない、多分。ただ顔を俯かせて、鼻声を心がけているだけだ。


 そして、返事が途中で詰まったのも、嘘を吐き続けているにも関わらず、ユリカさんに変に感謝されはじめて戸惑った、とかそういう感じだろう。


 更に思う。「私こんなに幸せになれちゃって良いのかな?」なんてとんでもない。

 ユリカさんは幸せになるべきだ。心の底からそう思う。


 彼女が幸せになれないなら、この世界の誰が幸せになれば良いのか、俺には答えようがない。


「でも、ヒマワリ? まずは一つ。ヨウ君を巻き込んじゃだめ」

「うん」

「あとは百歩譲って、鈴川さんはヒマワリにとってもこれから家族になる人だからともかく、鈴川さんの会社の方にご迷惑をおかけするのは違うでしょ?」

「うん」


 諭すように、ユリカさんがぽつぽつと語る。


「それと、いきなり全然知らない人と話そうなんて、何かあったらどうするの?」

「で、でも、岡平さんは、鈴川さんと近しい人っぽかったし……」

「人違いだったら? ヒマワリはもう高校生だからお姉ちゃんが心配しすぎなのかもしれない。でも、万が一なにかあったらって考えなかったの?」

「そ、それは……」


 考えちゃいないだろう。むしろこいつは危険なことにも進んで首を突っ込んでいくタイプだ。少なくとも小学校の頃のヒマワリはそうだった。

 良くユリカさんに二人揃って絞られたものだ。


「さ、まずは誰に謝らないといけないかわかるわね?」

「うん」


 ユリカさんがゆっくりとヒマワリを解放し、俺を見た。


 一方のヒマワリだが、声は反省しているように聞こえるが、顔は全然反省していない。

 ユリカさんに見えないように舌をぺろっと出してから、頭を下げた。


「ごめん、ヨウ」

「い、いや、俺は」


 とりあえずユリカさんを蚊帳の外に置いた茶番に、俺は付き合ってやることにした。この場合こんな感じが正解だろう。


「ヨウ君? ヒマワリがごめんなさいね」

「あ、謝られるようなことはなにも」

「それでも、よ」

「……でもユリカさんが心配だったってのは、俺も一緒だから」


 最後のだけはちょっとだけ本心だ。


「そっか。ヨウ君もありがとう。でも、ヨウ君ももう高校生なのよ? ヒマワリは暴走しがちなんだから止めてもらわなきゃね」


 私怒ってます、と言いたげな顔を取り繕ったユリカさんが、厳しそうに聞こえる声を出す。


 ってか「暴走しがち」って……。ヒマワリのそういった部分は小学校の頃からまるで変わっていないらしい。

 高校生にもなった女子が身内に言われないだろ。「暴走しがち」って。普通。俺の普通・・が間違ってるのだろうか?


 にこりと微笑むユリカさんが、俺とヒマワリを交互に見遣る

 十秒ほど、俺の顔を見、ヒマワリの顔を見、していただろうか。


「それにしても……」


 ユリカさんがどこか嬉しそうな声を出した。


「二人ともまた仲良くなったのねえ」


 俺とヒマワリの時が止まった。


「しばらく疎遠になってたみたいで、心配してたのよねえ。あんなに仲が良かったのに」


 ぶつぶつと早口で独り言を喋り始めるユリカさんに、俺とヒマワリは顔を見合わせる。

 俺もそうだろうが、ヒマワリも見事に目が点になっている。


 間違っちゃいないし、まったくもって正しい。確かにそうだ。しかし、声色から察するに、ユリカさんの認識は誤解まみれであることは明らかだった。


 勿論、ユリカさんの間違った認識を正す必要はない。むしろ、そうやって誤解してくれていたほうがもしかしたら良いのかもしれない。

 しかし、理性ではそう理解していても、俺とヒマワリの想いはどうしようもなく一致していた。


「そっ! そんなんじゃなくてっ!」

「そう! 別にヒマワリとはなんでもなくてっ!」


「あらあら。そんな必死に否定しなくてもいいのに」


 頬に手を当てて、ユリカさんが困ったように微笑む。


 しかし、俺もヒマワリも、その誤解だけは御免被るところだ。


 何しろ俺はユリカさんが好きで、ヒマワリは鈴川が好きなのだから。


 幼馴染というだけで色恋に発展させようとする世の中の流れにはうんざりだ。俺とヒマワリはそんな関係ではない。

 確かにヒマワリは美人の類に入るだろうし、性格も悪くはない。


 だが、ほかでもないユリカさんに、「ヒマワリと好い仲である」と思われるなんてとんでもない話だ。


「よ、ヨウとは、ただ最近たまたままた一緒に話すようになっただけでっ!」

「そ、そう! 別に仲が良いわけでもなんでもっ!」


「そう? とっても仲良しさんに見えるけどねぇ。お姉ちゃんには」


 あー、もうだめっぽい。

 俺とヒマワリはもう一度顔を見合わせる羽目になった。


 そんな具合にわちゃわちゃし始めた雰囲気の中、ユリカさんが、ぱんっ、と手を叩いた。


「ま、そのへんは良いわ。二人の仲を邪魔するほど、野暮じゃないもの、私」


 だから違うってば。そんな俺達二人の言葉が声になる前に、ユリカさんが続ける。


「とにかく、話を戻すわ。鈴川さんから連絡が来てびっくりしたんだからね。もう、他人ひとに迷惑をかけるようなことはしないでね」


 ニッコリと笑って、そう締めるユリカさんに、俺もヒマワリも「はい」と返事をするのがやっとだった。



 §



 その後、元々あった用事を果たすためにユリカさんが出かけ、俺達はヒマワリの部屋でぐったりとしていた。


 一週間は張り込む。そう意気込んだのはヒマワリだけれど、ヒマワリも今日ユリカさんに全部バレたせいで氣勢をそがれてしまったようだった。


「どうするよ?」

「んー。こうあっさりバレちゃったらね……」

「まぁ、可能性としては高かったと思うけどな」

「あー! そういう事言う!?」


 ヒマワリが目を三角にして俺に詰め寄る。


「近い近い」

「そんなこと考えてたなら、言ってくれてもいいじゃん」

「だから近いって」


 そうは言ってもなぁ。


「お前、俺が何言っても聞かないだろ」

「それは……そうかも」


 俺に詰め寄っていたヒマワリがへなへなとまた座り込んだ。


「で? どうすんだ?」

「うん……。まぁ、ここまで、かなあ……」


 ヒマワリの顔が少しだけ悲しげに歪む。

 まぁ、そうなるだろうな。


 最初から分の悪い賭け。ダメで元々。そもそも目的と手段が入れ替わっていたし。

 もう、引き際だ。


「うん。まぁ、得られたものはあったし?」

「なんで疑問形なんだよ」

「鈴川さんのこと、ちょっとだけ知れたし?」

「それくらいだろうなぁ」

「ぶっちゃけ、ちょっとだけ楽しかったし……」

「お前はそうだろうな」


 ぽつりぽつりと、力なく二人分の会話が、部屋に虚しく木霊する。


 その後で、会話が、途切れた。


 なにとなく、ぼうっと天井を見上げていたら、ふとヒマワリが言った言葉を思い出した。


 ――だって、鈴川さんと先に知り合ったのアタシなんだよっ!?


 そう言えば聞いてなかった。


「なあ」

「なあによお」

「お前と鈴川ってどう知り合ったんだ? ユリカさんよりも先に知り合ったって言ってたよな」


 ヒマワリを見る。


「あー、そうね」

「聞いていいか?」

「うん」


 その返事を皮切りに、ヒマワリがゆっくりと語り始めた。

 鈴川トウジとヒマワリとの出会いを。

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