第3話 結ばれた糸

 淡い金髪と綺麗な蒼の瞳をした少女は、銀のショベルを灰に突き立てた。それから、白い花を一輪添える。これは廃墟の国への最後の手向け。


 六枚の花びらと剣のような葉を持つこの花は、灰の上でも凛とした花を咲かせるのだ。


「その花──」


 レキがふと声を上げた。シュノは立ち上がりつつ、黒髪の男の顔を見た。


「名前は知らないけど、とても綺麗で、不思議な花よね」


 しゃがんだレキの指先が花をなぞる。その横顔には憂いが陰を落としていた。


「灰月花。それが花の名前です。この花は、千年前の戦いの後、灰から芽吹きました。そして、灰月花は騎士姫の花」


 シュノはじっと灰月花を見つめた。確かに、可憐でありながら凛と咲く花は騎士姫の姿を幻視させる。花から目を離して何となく隣を見たシュノは、思いもよらない光景に蒼の瞳を大きくした。


「泣いて、いるの?」


 え?、と虚を突かれたような顔が返ってくる。黒い手袋をレキは外し、そっと自身の頰に触れてさらに驚いた顔をした。


「なんで……」


 胸がきゅっと苦しくなる。シュノは自分の胸を押さえて、ゆっくりと呼吸を再開させた。


「泣かないで。どうしてかしら、あなたが哀しむ顔を見ると、わたしの胸は痛くなるの」


「シュノ……」


 レキは灰月花を銀のショベルの隣に刺した。


「すみません」


 なぜ、彼が謝ったのか、シュノには分からなかった。けれど、何も言わずにその黒髪を撫でる。それから手を合わせて、祈りを捧ぐ。風に灰が散った。そして、シュノは微笑んだ。


「レキ、行こう」


「……はい。行きましょう、シュノ」


 黒髪の男の手を取って、シュノは鳥籠を後にする。壊れた教会と、たくさん掘った墓と、瓦礫の山に別れを告げて。振り返ると、灰月花の花が揺れていた。


 灰月花は騎士姫の花。

 そして、灰月花が意味するのは

 ──“おわりとはじまり”


「ねえ、“シュノ”は、英雄だった?」


 問いが口を突いて転がり出た。少女を見下ろす藤色の瞳が優しく細められる。


「はい。姫様は、間違いなく最高の英雄でした」


 はっきりと言い切ったその顔はどこか清々しく、言いたかったことをやっと言えたような、そんな表情を浮かべていた。


「そっか。それならわたしはこの名前を誇りに思うよ」


「ありがとう、ございます」


 はにかむように黒髪の騎士は笑う。その笑顔が温かくて、空っぽだった心が熱を帯びた。


 ──それが、ふたりの短い旅のはじまり。


 灰を踏みしめながら歩くこと、二日ほど。それでも灰の海に変わりはない。本当にこの灰色の大地に果てはあるのだろうか。シュノは黙って足を動かしながら、そう思った。突然レキが被っていた布が揺れる。


「どうしたの?」


 シュノはレキの動きを目で追いかけて尋ねた。


「止まってください」


 ぴたりとシュノは動きを止める。思わず息まで止めてしまって、苦しくなった。レキがくすりと笑い、ぽんと淡い金髪に手を乗せる。


「そこまでしなくて大丈夫ですよ。獣が出ただけです」


 呼吸を再開しつつ、シュノは蒼い瞳を大きくして目を凝らす。何かが灰の中を駆けている。ジグザグと、こちらへと風のように。


 ハイイロの獣が牙を剥いて高く跳んだ。狼という名の獣によく似た姿をした、死んだ大地の王者は美しい毛並みを微かな日の光に躍らせる。


 シュノは手を伸ばした。けれどその手は空を切る。そこでようやく仕事道具を置いてきたことを思い出す。もう、シュノは墓守ではないのだ。


 レキの手がシュノの小さい身体を引き寄せ、流れるような動きで剣を抜く。そして黒い長剣が閃いた。パッと灰が散る花の如く舞う。瞬きの間に獣の姿は灰へと還る。


「レキは強いのね。かっこよかった!」


 剣を鞘に納めたレキにぎゅっと抱きついて、シュノは無邪気に瞳をきらきらさせた。藤色の瞳が居心地悪そうに逃げたのは、きっと照れ臭くなったからだ。


「ありがとうございます。ところで、シュノは獣をどうしていたのですか? 灰の中で過ごしていれば、何度か出会ったのでは?」


 シュノはぱっと手をレキから離して、即答する。


「大丈夫よ。ショベルで殴り飛ばしたもの。獣なんか、怖くないわ」


 レキが噴き出す。シュノはこてりと首を傾げて、金色の髪を揺らした。


「……何か、変だった?」


 きょとんと蒼い瞳を向けると、レキが肩を震わせている姿が目に入る。


「……い、いえ。流石です。シュノは強いのですね」


 褒め言葉だと思っておこう、とシュノは満面の笑みをこぼした。


「でもね、わたしもレキみたいに剣が使えるようになりたい。その方がカッコいいじゃない。ズバッ、て獣を退治するの!」


 くるくる回って、自分が剣を持つ姿を想像してみる。なにいろの剣がいいだろうか。レキの黒にも憧れるけれど、自分に似合うのは白なのかもしれない、なんて。


「シュノっ!」


 レキが慌てた顔で、こちらに向かって手を伸ばす。なに、と尋ねる前に、足場にしていた灰が崩れた。


 ばらばらと崩れる灰の山、無防備に空に投げ出される幼い少女の身体。目を閉じて、口を閉じて、シュノは身体を強張らせる。落ちるのは灰の中だ、痛くない、そう言い聞かせて重力に身を任せた。


 ──そう、痛くはなかった。だがしかし、落ちたのは灰の上ではなかったのだ。


「うーん……」


 もぞりと動いて、シュノは恐る恐る目を開く。そして、妙な温もりを真下から感じ、視線をそろそろと落とす。シュノの下敷きになって潰れているのは、黒い服の誰かさんだ。その綺麗な顔を、惚けたようにシュノはじっと見つめた。


 珍しい黒髪にすっとした鼻筋。こんな美しい顔を見れば生涯忘れることはないだろうが、もちろんシュノが男を見たのは数日前が初めてだ。……けれど、どうしようもなく、懐かしくて愛おしい。


「レキ」


 名前を呟く。黒髪の下の瞼が開いた。


「大丈夫、でしたか?」


 手袋をした手がそっとシュノの頰に添えられる。ぼっとシュノの顔から火が出た。耳まで真っ赤になりながら、慌てて立ち上がる。


「だ、だ、だいじょうぶ。潰してしまって、ごめんなさい。わたし、重かったよね?」


 灰を払いながら立ち上がったレキは緩やかに首を振った。


「いいえ、シュノは軽かったので俺は平気です。むしろ、あなたは軽すぎます。その年頃の子供はもっと大きいですよ」


「む……、わたしは子供じゃないわ。……どちらかと言うと、おばあちゃんよ」


 半分むすっとして、シュノは言う。


「あ、いえ、そんな、つもりでは、なくて、その……」


 完璧な騎士の顔が崩れて、レキは目に見えて慌て出した。何と言ってシュノの機嫌を直そうか、本気で考えている姿が面白くて、笑い出す。


「ふふ、怒ってないわ。レキもそんな風に慌てたりするのね」


「……からかわないでくださいよ」


 今度はむすっとレキが言う。何もかも悟り切ったような達観した顔が、今だけは見た目相応の表情をしていた。


「もう、暗くなりましたし、今日はここで休みましょうか」


「うん」


 そうしてレキの鞄(何でも入っている)から干し肉が出てきて、遅い夕食になる。気がつけば、日はすっかり落ちて、黒い夜が息をしていた。


 呼吸をするように、星が瞬く。こんなに綺麗に星空が見える理由は、空気が澄み切っているからだ。灰は生者を拒む。死者と廃墟が声なく鳴き、獣は空を見上げて遠く吼える。ここは、帰る場所がないものが最後に行き着く果ての果て。


 シュノは瞬きをした。


 ひとつ、ふたつ、みっつ。空を埋め尽くす星を数えるには、きっと永遠の夜が要る。一際強く光った星が、尾を引いて落ちた。


「神さまが死ぬと、あんな風に星が降るの?」


 隣で佇むレキに問いかける。レキは首を横に振った。記憶の中の星降る夜を思い起こしているように空を見上げて、目を細めた。


「いいえ。ずっと、沢山の星が降ります。シュノは見たことがないのですね」


「ええ。わたしの国の神さまが死んだとき、わたしは牢の中だったから」


 神を失くした国は灰に呑まれる。それが世界の理だ。神さまがいなければ、あらゆる命は芽吹かず、栄えることもない。


「──ねえ。わたしね、騎士姫の物語の他にもうひとつ、英雄の物語を知ってるわ」


 夜の空を見つめながら、シュノは囁く。


「魔族がいなくなって、争いを始めた神さまたちをたくさん殺した騎士の話を」


 黒い髪に藤色の瞳の黒い騎士が剣を振るえば、神さまはばらばらに砕け散る。砕けた神さまは星になって降り注ぐのだ。それ故に、数多の神を殺した騎士は──星を刻んだ騎士と呼ばれた。


 星刻みの騎士は神さまを殺し、混沌とした世界に秩序を取り戻した、それが魔女の物語と同じくらい有名な伝説。真実を語っているかどうかは分からないけれど。


「レキ、あなたは──」


 シュノが問いを完全に口にする前に、黒髪に藤色の瞳をした騎士はシュノの唇に人差し指を当てた。


「違います。俺は英雄ではありません」


 そう言って、星刻みの騎士と同じ姿の男は冷たく微笑んだ。


「……そう」


 これ以上言葉を重ねることを拒絶されたような気がして、口をつぐんだ。しんしんとした沈黙が二人の間に落ちる。だが、その静けさは不快ではない。この静寂をシュノは知っている。


「不思議。あなたには初めて会った気がしないの」


 シュノはレキの肩に頭を預ける。微かに聞こえる鼓動は自分のものなのか、それとも。


「そうですね、俺もそう思います」


 落ち着いた低い声の心地良さに目を閉じた。きっと、この人を自分は知っている。なぜか、確信があった。


「それなら、わたしとあなたが灰の中で出会ったのは、運命なのかもしれないわね」


 運命、そう口にして、シュノはやっとレキとの出会いを表すぴったりの言葉を見つけたと思った。けれど、その言葉を聞いたレキの顔が歪む。後悔と絶望を内混ぜにしたような虚ろで苦い顔をした。


「──運命、ですか。ならば俺は、それを呪いたい」


 どろりとした感情が纏わりついているようだった。黒くて痛い、自分を殺したいと願っているような顔。夜の暗がりの中でも、ぱちぱちと爆ぜる火の粉が闇に消えることを許さない。


「……どうしてそんなに哀しそうな顔をするの?」


「俺は、昔、取り返しのつかない過ちを犯しました。この身に代えてでも守り抜くと誓ったのに、あの方を見殺しにしました。何も、後には残らなくて、名誉さえもすべて、守れなかった。……今でもまだ、姫様がなぜ最期に満足そうに笑ったのか、わからない」


「いいえ、きっとあなたはその姫様の心を守ったのよ。だって、そうでなければ笑えない。あなたのことを、大事に思ってたんとだと思う……、なんて何も知らないわたしが言っても──」


 その後の言葉は、息が詰まって言えなかった。レキに抱きすくめられて、小柄なシュノはすっぽりと腕の中に隠れてしまった。


「レキ……、くるしい」


 蚊の鳴くような声でシュノは訴える。


「す、すみません。その……、シュノの言葉が嬉しくて、つい」


 藤色の瞳が右往左往していた。


「──レキは“つい”で抱きつくのね。……もう、レキはかっこいいから、変な勘違いをする子が出るわよ」


 なぜか、シュノの言葉はとても恨みがましく聞こえた。シュノ自身もどうして気に入らないのか、わからない。まるで自分がレキに恋をしているみたいだ。もちろん会ったばかりの人に抱く感情ではない。だから、おかしい。絶対に違うはずなのだ。


「シュノ、それは違います。あなたもきっと、感じているはずです」


 ──この狂おしいほどの熱情を。

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