創作の衝動




物を作りたい、という人は多い。

DIYで何でもやってしまう人も多いし、YouTubeを見ると、ナントカの作り方の動画があふれている。


動画内容はまちまちで、正反対のことを言う動画も多い。

動画を作っている人達の多くは、自分の動画、そして造っているものを見てほしいからやっているわけだ。


もちろんうまく行ったらお小遣い稼ぎになるが、なかなか収益化は厳しい。い。


それでも動画を上げるのなら、多くの人に見てほしいから。い。


。見てもらうことが承認欲求を満たしたい。だ。 収益になるかは後回しだ



…あれ?

カクヨムも同じじゃん。


読んでもらうことが承認欲求を満たす。





でも、ちょっと待ってみよう。

自分以外誰もも読まなくても日記を書く人は書く。


で、なぜ書くのか?


これは、単なる「創作の欲求」だと思う。


物を作る人も、文章を書く人も、絵を描く人も。マンガを描く人も、みんなやってくる創作の衝動、あるいは欲求を満たそうとしている。


職業クリエイターの人にしても、仕事を離れても何か作りたくなるようだ。


結局「やりたいからやっている。」のだろう。


私の知人に、元作家さんがいる。

あるジャンルで数十万部のベストセラーを連発したが、ある時「才能の限界を知って」引退。

その後は会社勤めを経て、今は家業を継いでいる。


その人が家業以外でやっているのが、長文のFacebook、そして地元のミニコミ誌や自治体の広報誌のライターだ。


本業はすごく忙しそうだし、資格試験も受験中だ。それなのに、時々素敵な長文を書いている。


この人を見ると、創作の衝動は抜けないんだな、と思う。

仕事で書くのは限界でも、趣味のため、道楽のためなら書けるし、書きたいんだろう。


Pixivの絵描きさんたちもそうなんだろうな。

たまにプロになる人もいるけど、それが一握りなのはカクヨムと一緒(笑)


趣味で絵やマンガを描き続けている人は多い。

社会人なのに、イベントにサークル参加して死にそうになりながらカラー原稿をあげる人たちもいる


漫画家の故・吾妻ひでおは、描けなくて鬱にになり、アル中で入院し、そのうち失踪した。


そしてガス工事会社に住み込みで働いていたが、彼は会社の社内報にマンガを描いていたのだ。作品名は「ガス屋のガス公」 この辺は彼の「失踪日記」に詳しい。


小説でも絵でも焼き物でもフィギュアでもガンプラでもいい。


何かをクリエイトすることは、たぶん人間の根源的欲求なのだ。


音楽も歌もそうだし、雑文もそうだ。


作ること、歌うことそのものが楽しい。承認欲求はその次だ。



だから僕は時々文章を書く。

絵心も造形の才能もないので、とりあえず文章のみだ。




先日帰省したとき、中学の時に書いた原稿用紙100枚くらいの文集(自分のものだけ)が出てきた。

何を間違ったのか、当時夏休みの作品の一つとして提出したようだ。


一目見て、あまりに恥ずかしいので、中を読まずに捨てた。


作ったものが残るのは嬉しいが、時にいたたまれないほど恥ずかしくなる、と感じた。


どんなに稚拙でも、自分は自分。自分の作品なんだから大事にしたほうがいい。


…もし他人が相談してきたらそう答えるだろう。


だが、自分には言えない。あれを読むくらいなら何か書いたほうたいい。あれを読まれるくらいならこの世から抹消したい。


ちなみに、中学の時の日記も、成人してから焼却炉で燃やした。


若い時の創作の衝動は、時として黒歴史なのだ。





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