第14話 トイレ弁償しろ
「やべ。トイレットペーパー切れた」
自分のけつくらい自分で拭けるようになれ。それがいっぱしの男である証明だ。なんて酔った父親に言われたことがあるが、トイレットペーパーが切れてはどうしようもない。
ウォシュレットを盛大に使い、ティッシュペーパーを応用することで事なきを得たが、大変な目に遭うところだった。世界が終わる前に、俺の人としての尊厳が終わるところだったのだから。
街の状況が次第に悪くなっていく中、春さんから市長打倒の作戦が練られた計画書を貰っている。
結構は明日の朝なのだが、そんな時に限って変な連絡が来たりする。
そう。うちの父親からだ。
日本を取るとか、魔王とかいろいろ言われてる、中年中二病のあの人だが久々のラインは開口一番の『ごめん』だった。
そりゃ謝ってほしいことは沢山ある。俺のお年玉を年末有馬記念にツッコんだこととか。酒のつまみに俺のバレンタインチョコを食べたこととか。
けれど、それに対する謝罪ではなかった。
とんでもない魔物がそっちに流れていった。危ないから気を付けろ。という注意喚起兼謝罪だったのだ。
なんで見つけたときに倒しておかなかったのかと責めたが、『無理』と返事が来た。
封印術の天才時政も、純粋なる化け物には手が出ないらしい。
焼酎のロックを飲んだ後に、ウォッカと日本酒をストレートで飲んで、ワインで口をすすぐ俺様でも、流石にアルコールそのものは飲めねーよ。だそうだ。
知らねーよ。こっちは酒の味なんて知らないんだから。
『01』は化け物そのもの。何か純粋な悪の生命体。そう、化け物たちの根源的なものを感じるらしい。
怖すぎんだろ。俺は見る前から、01にブルってしまっている。
変な風に乗って、よその土地に流れることを盛大に願っていたりする。
「問題は山積みだな」
一つ一つ処理しなくては。
まずは、明日の決戦のために体力を付けねば。
食料が限られているご時世に、筋トレをする羽目になろうとはな!
――。
市長は街のトップであるのだが、今は別の意味でトップに立っている。
街の一番高いビルの屋上に立ち、街を見下ろす。
「たまらないな。この全能感」
覚醒した力を使えば、こんなところにも登れる。
エレベーターは節電のために止まっているし、そもそも屋上は施錠されている。
市長は自力でビルの壁を上ってきたのだ。
「まるで化け物だな。この僕も」
何度か化け物退治も行った。
そのたびに感じる。目覚めた力は、間違いなく化け物たちと似た力なのだと。
片腕を無くし、顔や体には紫色の血管が浮き出ている。筋骨隆々としており、日に日に人間離れする体と感情。
金丸ひろつぐという男は、生まれた時から金と権力に恵まれた環境で育った。
小学生までは、この世の楽園を謳歌していたのだが、東京に行ってそれが変わってしまった。
世の中には当然、上には上がいる。
田舎の権力者家の出身でも、国の中枢で権力を握る親を持つ子供たちの前では小さな力だった。
しかし、幼少期に培ってきた強大な自尊心を抑えきれるはずもなく、東京の名門校で真のエリートたちと衝突することとなる。
その結果。人望も運動神経もないひろつぐ少年は、手痛い社会の洗礼を受けることとなった。
圧倒的数による暴力を受ける日々。学校には行けなくなり、中学三年間を棒に振った。
トラウマで高校にも行けず、ようやく社会と向き合えたのは大学に入学したころだった。
それでも未だにあの頃を鮮明に思い出すと、体が震える。
「今なら、あいつら全員に復讐ができる」
実はもう既に一人やっていたりする。
今立つこのビルは、当時自分をいじめていたグループの一人、その親が経営している会社だ。会社を継ぐために地方の支店で勉強中だった同級生がいる。異空の祠騒動に巻き込まれ街に閉じ込められていた。
運が悪いことに、金丸ひろつぐはそのことを知っており、この世の力ではないものを手にした彼によって首をへし折られている。数分前の出来事だ。
「……全く罪悪感はないな。もっと痛めつけるべきだったか」
後悔はあったが、それは手を汚したことに対してではなかった。
もっと残忍に、かつて自分が味わった恐怖や痛み以上のものを返してやればよかったと、そういう後悔である。
「街はもう僕のもの。ゴミも片付けたし、御大の爺はどこにいるか分からない。となると……やることはあと一つ」
不敵な笑みを浮かべる。
もともと強大な自尊心を基盤に持つため、好戦的な性格ではあったが、今は物理的に好戦的である。
妙に伸びた犬歯をちらりと見せつつ、遠く山の麓を眺める。
「待つこともない。飯を食べ、シャワーを浴び、今夜にでも鳴神のガキと戦ってみたい。僕がどれくらい強いのか、知りたいものだ」
――。
まっずいです。
筋トレ後に、今日一日街中を周ったが、トイレットペーパーはなかった。
市長に従わない組織もあって、その伝手でトイレットペーパーを求めたが、やはり物資が足りていない。
国からの支援は全て市長が独占しているのだ。市長組がこちらに物資を流してくれるはずもないので、もともと街にあったものでやりくりしている人たちは、日々物資が減っていく現状を嘆いていた。
俺にくれるトイレットペーパーなんてなかったのだ。
悲しいかな。窮すれば、尻紙貧する。
暗くなる前に家に戻ると、いつも通り春さんが来ていた。
俺の様子を見に来てくれたのと、打倒市長の計画の確認だろう。
春さんとの会話は楽しいので、来てくれるだけで助かる。娯楽も少ないし、本当に会話だけが楽しみと言ってもいい。
ビチョも春さんに懐いており、春さんも始めこそ『両生類きっしょ!』みたいな表情を見せていたが、今では手に乗せて撫でまわすくらいには可愛がっている。
「ビチョ、また大きくなったんじゃない? そろそろうちに来る? うちの神社結構大きめの羽虫出るから、美味しいかもよ」
なんか餌で釣ってるし。
「春さん、あの……」
「ん? どうしたの?」
その綺麗な顔がこちらに向けられて、俺は頼もうとしていたことを口に出来なかった。
トイレットペーパー分けてくんね? 今朝けつ拭けなくてあせったわー。がはははっ。
なんて言えない。無理無理無理。
美少女の前でそんな恥部を出せるか。当分はティッシュで凌ごうと思う。
「あれ? ……花火?」
空を見て、何か明るいものが見えたので、春さんが花火だと口にしたが、そんな感じではない。
今は確かに夏だが、花火をやる程呑気な状況でもない。
場所によっては景気づけに一発どーんと打ち上げている土地もあるだろうが、ここは市長のせいでディストピア一直線だ。
花火を打ち上げるなんて粋なことはしないだろう。
「花火ってか、隕石かも!」
明るい光がこちらに降り注ぐ。
我が鳴神家の古い屋敷、明治時代に立てられたという話をちらっと聞いたことある由緒正しき建物が、その隕石っぽいものによって半壊させられた。
衝突音と、木造の家が崩れていく音がしばらく響く。
しかもあの場所は……。
「とっトイレじゃね? うああああああああ俺の家があああ。トレイがああああ。ウォシュレットがあああああ」
トイレットペーパーねーんだぞ。
どうしてくれんだ。
「あいたたた。でも、まあこんなものか。全く、すさまじい力だ」
「え?」
半壊した家の残骸を跳ね除けながら、人が出て来た。
隕石だと思ったそれは、空から降り注いできた市長だった。スカイフロム市長?
なんの悪夢?
トイレ弁償しろ。トイレ!
「鳴神の。凄いなこの力は。お前たちは何代にも渡ってこんな力を有していたのか。それで僕たちを見下していたと」
片腕を無くし、人間離れした芸当を見せる。随分と様変わりした市長が、わけの分からないことを口にしている。
俺は人間ダイブなんて芸当出来ないし、そんな禍々しい血管も浮いちゃいない。人の生活に紛れ込んで、毎日異空の祠を封じていただけだ。
「宗一郎さん! 市長です。なぜか先手を打たれましたね。それに、あの姿はなんでしょう」
俺が聞きたい。
爺ちゃんや父さんと違って、俺は知らないことだらけなんだ。自分のけつも自分で拭けないようなガキなんだ。明日からどうすんだよこれほんと!
「……お嬢さんは、形代家の者か。ふむ、僕たちと似た力を持っているのを感じる。今から鳴神のガキと力試しするから、消えてくれ。目障りだ」
――あ!
俺は目を見開いて、衝撃のあまり閉じることができなかった。
まるでサバンナにいる野生動物のごとく俊敏な動きで春さんに迫った市長は、片腕を燃え上がらせながら、真っすぐ突きを放ち、体を貫いた。
そう。春さんの体に真っすぐと腕が突き刺さっている。
離れた場所からでも分かる。人の体の中心に穴が開いてしまった。
「春さん……!!」
「脆く弱い。価値のない人間。僕も以前はこうだっと思うと、悲しくなるね」
「お前――!!」
人は不思議なものだ。激高した俺は、殴り掛かるわけではなく、自然と自分の得意なものを構えていた。
封印術の構えを。
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