第10話 試験は大抵1級から難易度が上がる

 まず真っすぐ天に向けて立てた左手の人差し指と中指を胸の前に持ってくる。その二本指を右手で優しく包むようにして握り込む。


 これは封印術の基礎のポーズである。まず最初に体に叩き込まれるのがこれだったりする。

 大日如来の智拳印と非常に似たこの呪文の構えは、我が一族が古くはあの空海から血の繋がった一族だと言われたり言われてなかったり……。


 俺が書物を読まないように、先祖もあまり読まなかったらしく、由来は定かではない。

 結構パワー系一族だったりする。ヤー!!


 次に、集中。全集中なんて高度なことはいらない。封印術中にエロいことを考えなければ良い。くらいの集中力だ。


 そして、詠唱に入る。


 田中さん宅をぶっ壊して飛び出て来たイノイノの化け物は、わかりやすく後ろ脚で地面をかきながら加速の準備をしている。

 爆発的な大腿筋を温め終わるのももうすぐである。


 真っすぐターゲットにされれば、人間の筋力で躱すのは無理。

 俺も田中さん宅の門と同じく残骸にされて、短き人生に幕を閉じる結果となるであろう。


 そうなる前に。


「虚空に漂う力よ、我が声に従い、今ここに封じ手の力を現せ。異空の鎖が狭間を閉ざし、魔を鎮める【暁の鎖】」

 ……4本といったところかな?


 緊急封印の呪文、発動。

 イノシシの化け物の四肢のちょうど外側に、4点赤黒い空間が現れる。

 そこからジャリジャリと金属が擦れる音が鳴り響き、勢いよくまっすぐ伸びた鎖が現れる。


 鎖はまるで補助封印の元素たちが見せた動きと似た、蛇のような流れる動きでイノシシの体に纏わりついていく。


「確保」


 柔からの剛。

 突如鎖の特性を思い出したかのように、きつくイノシシの化け物を縛り上げる。

 悲鳴を上げ激しく暴荒れるが、緊急封印が決まればしばらくは動けない。念のために鎖を4本も出したので、その力は殊更強い。


「……お見事です」

 パチパチと拍手を送るのは、唯一逃げずに共に戦うつもりでいた春さんだけだ。

 見た目の美しさだけでなく、その内面の美しさも美紀ちゃん級と来ている。恐ろしい人だ。


「まさかこのレベルを一人で……。しかも瞬殺ですか」

「殺してはいないんだけどね」

「いえ、それでも無力化した時点で勝ちです。時政様と善一様の映像にも驚かされましたが、宗一郎さんも……」


 額に汗を浮かべているのは、宗一郎めっちゃ強くね? 凄すぎだろ。の反応なのか、それとも鳴神家って変な力使ってきんも。おばば様の命令じゃなきゃこんなとこにいないわ! の汗なのか。俺には判断しかねる。


「やはり……これは」

 封印したはいいものの、まだ緊急封印の状態だ。少し休んだから主封印をしようとしていたら、春さんが怖がることなくイノシシの化け物に近づいていく。


 イノシシの化け物はその見た目はただの巨大イノシシで、額に赤い魔石と、尻尾が鉄でできているくらいの違いだ。

 それでも十分怖いのだが、春さんは寄りにもよって体を触り出す。


「第一印象で最低でも3級はあると思っていましたが、こう間近で見ると2級の脅威はありそうです」

「英検?」

「……違います」


 俺が何も知らないのを察知してくれたらしい。

 イノシシの調査をしながら、口も動かして説明をしてくれる。


「異空の祠が生みし魔物には等級があります。あなたが先日倒したミミズの魔物はせいぜい5級。時政様が東京で討った魔物は間違いなく1級。北にて善一様が討った魔物も推定1級レベル」

「やっぱりあの二体は強かったのか」

 そりゃ政府がてこずるし、自衛隊もお高い兵器を粉砕されてしまう訳だ。

 試験って大抵、1級から難しくなるんだよな。


 英検にしろ、簿記にしろ、建築士にしろ。化け物たちもそうなのだろう。


「へー、こいつ結構強かったんだなぁ。イノシシを大きくしただけの化け物……いや魔物か。だからそんなに脅威ではないのかと」

「逆です。何か具体的な脅威を感じられる姿は、その魔物の脅威と比例します」

 ははーん。


「それでか。東京のギュウギュウは妖怪の牛鬼を連想できたし、北のクマクマは荒れ狂ったクマを想像できるもんな」

「ギュウギュウとクマクマ? なんですか、その可愛らしい名前は……」

 春さんはあまりSNSとかやらないらしい。

 勿体ない。


 春さんくらいのビジュアルがあれば、ダンス動画をSNSに上げるだけで万バズ確定だというのに。

 美紀ちゃんはそれでバズっていた。俺も当然、いいねを押した。


「イノイノは2級か。こいつが1級なら俺にももっといい通り名がついたかもなぁ」

「イノイノ……かっかわいい……」

 頬を赤らめて、なんか微笑んでいる。

 すまん。適当につけた名前だけど、女子高校生にはなんか刺さるものがあったみたいだ。


「この世を恨んだ世界、異空。これからもまだまだこの世界にやってくるでしょうね。異空の祠がまた封印される日まで。それまであなたを補佐しますので、よろしくお願いいたします」

 俺への説明と、礼儀正しい挨拶の混ざった春さんのありがたいお言葉。それがなぜか頭に半分くらいしか入ってこない。


 それは、春さんが群衆が投げ捨てたバットを手に持ちはじめたからだった。


「春さん? それでなにを?」

 美少女に、釘の刺さったバット。なんともミスマッチ。


「イノイノ。名前は可愛らしいですが、ちゃんととどめをささなくてはなりません。……南無!」

 バットが額の赤い石に叩きつけられた。


 火花が散り、春さんも苦しそうな表情をする。

 意外とパワー系だった春さんの力が優り、石が砕け、イノシシが倒れた。


「ふう」


 異空の鎖も姿を消す。

 何ていうか……。春さんかっけええ!!

 美紀ちゃんを超えたかもしれない。いやダメだ! 俺には美紀ちゃんという人が! 一筋なんだ! 


「さて、これどうします?」

 と春さんが提案したのも束の間。辺りがまたわかりやすく騒々しくなる。

 魔物を退治した俺たちへの労いではなかった。


 イノイノによって壊された田中宅の門が壊れたのを見て、魔物の脅威も無くなったと理解したのだろう。一人が乗り込み始めると、次々と人が流れ込んだ。


 ありゃりゃ……。

 数日前まではヒートテックの行列に並ぶ余裕があった人々も、目の前に迫る飢えの恐怖には敵わなかったらしい。


 強盗染みた狂気を発しながら、人が押し寄せる。

 俺みたいに他人を守る責任のある人もいるかもしれないから、致し方ないのかもしれない。


 一応リーダーとしてここにやってきたので、みんなに落ち着くように言ったが、誰一人として聞く耳持たない。


「ちょっと怖いですね。これから日本中でこういうことが起きるのでしょうか?」

「さてな。政府が早いところ回復してくれればいいんだけど」

「……時政様が権力を握るのが一番柔軟な対応ができて、良い形に収まりそうですが」

「本気で言ってる?」

「ええ、本気ですよ」

 魔王の信者がここにも!


 騒動は一時間も続いた。

 続いたというより、1時間で終わった。


 食料を独占していた田中さん宅から全てのお米とキャベツが持っていかれたらしい。


「ひっ! まだいたのか。我が家の分までは持って行かせん! 絶対にだ」

「すみません。それを取るつもりはありません」

 抱え込んだ米袋を奪う程、俺は非常になれないし、それほど飢えている訳じゃない。


 あと三日も飢えたら、死体から毛を毟るばばあにドロップキックでもして奪うのだが、今はまだ余裕がある。


「田中さんが無事か確かめに来ただけです。すぐに帰ります」

「……お前、さっき交渉していた男か?」

 バレたか。


 奪いにきたのだが、こうして田中さんの全てを奪うと、少し罪悪感が生まれる。


「……ぐすん。本当は私もこんな醜いことなんてしたくなかった! みんなに分け与えたかったが、怖くて! ううっうううう」

 おっさんが咽び泣き始めた。それだけならいいのだが、俺の脚に縋りつくはやめてくれ。

 ちょっ! 鼻水!


「醜いよな! 私は醜いよな!」

「そんなことないって。俺だってPS5を独占出来たらしてるもん。あんたの気持ちわかるよ」

「ううっうううう。そうだよな。うん! ありがとうよ、青年」


 行いを悔いる俺。自らの卑しさを悔いる田中さん。やれやれ。人間捨てたもんじゃないな。こんな世界になっても。


 と感動のラストを迎えるかと思いきや、春さんが田中さんの胸倉を掴む。


「私たちの分も出しな!」

「春さん!?」

 えっちょっ! 春さん!


「どうせこういうタイプの人間はまだ隠しているんでしょ? あのイノシシのように路上に横たわりなくないなら、今すぐに吐きな!」

「春さん!?」


 ……しかも、本当に出て来たのだから、なんとも悲しい。あるんかい!

 田中さん、群衆にとられた分はフェイクだった。

 用意周到な男だ。田中家地下には、まだまだ数年は食べて行けそうな量の穀物があったのだ。

 分かる場所にあったものは全部、はなから取られて良い分だったのだ。


 ……おお、人間。


「ううっうううう。やるから、それをやるから最初から私がみんなに食料を配ったことにしてくれないか? 抵抗もせず、慈悲深い心でみんなに分け与えたと……」

 そうじゃないと今後生きづらいもんな。法と秩序が緩くなった世界じゃ、もっとも恨みを買いやすいタイプかもしれない。


「わかったよ。そういうことにしとく」

 最近めっちゃフォロワー増えたし、帰ったら電気と電波が通っているうちにポストしておこう。


『田中さん宅にはまだまだ食料がある。慈悲深い心で分け与えて下さるそうだ』と。






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