第7話 御大おこです
「お邪魔しまーす」
人妻の家は、職場から自転車で更に20分。俺の家から反対方向なので、帰るには50分かかるという単純計算。
エアリズムは貰えたが、果たしてこれは割の良い仕事なのだろうか?
いいや、人助けに損得とか考えだしたら終わりな気がする。
それに相手は美人で、人妻っぽい雰囲気あるレディだ。思わぬご褒美を期待できるやもしれぬ。……やもしれぬ!!
お子さんはまだ機能している保育園に預けているらしい。舞台は整った!
「びちょびちょ」
人妻の家に着くとやけにビチョが騒がしくなった。
築数十年は経っていそうな一軒家。でもリフォームしたのか、内装は綺麗で、清掃も行き届いている。
両親から受け継いだ家なのだろうか?
人間の俺としては凄く快適な空間なのだが、ビチョはやたらと興奮した様子だ。
普段なら閑静な住宅地にある素敵な一軒家だが、今日は外でサイレンが鳴っている。またどこかで化け物が出て、警察と自衛隊が奔走しているようだ。
「ごめんなさいね。散らかってて」
「いいえ、とても居心地が良いです」
リビングのソファーに座って出されたお茶を飲む。ありがたいことに煎餅まで頂けた。電機は通っているようで、エアコンまでつけてくれるサービス。そういえば、我が家もまだ電機は通っているな。思ったより、この国のインフラはしっかりしていて、先人に感謝の念が沸く。
平時のときに食べる煎餅とは旨みが全く違った。米から作られたその甘みが口に広がる。
っと、いかんいかん。くつろいで煎餅を味わっている場合じゃない。
「ところで、例の化け物は?」
「んー、まだ見えないみたいですね。いつもは小窓あたりに居着いているんですが」
キッチンにある小窓。そして、勝手口辺りでお米を貰って食べるのだそう。ほとんど野良猫である。
見た目が不気味なだけで害獣駆除依頼されるんだから、見た目って本当に大事だよな。きっと猫の化け物だったら依頼が来ていなかった。
人妻との会話もなく、気まずい沈黙が続いていると、小窓がカツカツとノックされた。
もしやと思い窓を開けると、そこには額に赤い石の埋め込まれたカラスがいた。脚が三本ある。まんま八咫烏っぽい。
「お前か。……本当に害はなさそうだな」
しかし、依頼されたし、こいつがある日化け物にならないとも限らない。安パイに封印術をかけておくか。
となると、お米を少し頂戴し、勝手口に米粒をばらまく。
まんまと寄って来て、器用にくちばしで米粒を食べて行く。
馬鹿め。
罠に引っかかったな。
「ウマイ」
「ぎょっ!」
ぎょっとしてぎょって言葉が出てしまった。
そういえば、こいつ喋るんだったな。頭から抜けていた。
人間でない者が人間の言葉を喋ると、凄くゾッとする。慣れるのに、そうとう時間がかかりそうな抵抗感だ。
「アヤメサン。アタリ、アンゼン。ボク、ミマモッテル」
「……え? ストーカー?」
喋るだけで不気味なのに、喋る内容がもっと不気味だ。
「ストーカー、チガウ。ゴエイ」
うわー。アウト。
確定だよ。自覚ないんだよな。ちょっとキレ気味に早口だし。
完全なストーカーです。
化け物にもいろいろいるんだなと感心させられるわ。
これで同情することなく封印できると思っていると、横から肌色の長いものが伸びて来た。
ビチョっとカラスの頭を絡めとり、ゴムの反動のごとく引き寄せる。
「びちょっ」
「ヤ、ヤメロ」
ビチョが舌を伸ばして、カラスを丸呑みしようとしたらしい。
しかし、ビチョはまだ手のひらサイズで、カラスの方が大きい。
頭だけが喉辺りまで行き、体が口に入りきらなくて、二体は膠着状態に入っていた。
「ビチョ。そんなでかいもの飲み込んだら体を壊すぞ。ほら、吐き出しな」
頭を横に振って拒否される。
そうとう、この御馳走が欲しいらしい。
「分かった。幸いキッチンがあるし、俺が捌いてやる」
「ヤッヤメロ」
やったことはないが、何事も経験だ。俺はまだ若いし、これからの世で役に立つかもしれないしレッツチャレンジ。
「わっ! やめてくれ。そのカラスは僕の使い魔なんだ!」
家の塀を超えて、丸眼鏡をかけた長身細身の男が身を乗り出して来た。
使い魔?
昔、爺ちゃんからそんな話を聞いたことがある。
異界の生物を使役して、今日の日本でも上手に立ち回っている一族がいると。
「あんたのペットか。てことは、こいつの話してる内容は、あんたの意思?」
「ああ、そうなんだよ。話が早くて助かる。ぼっ僕はあやめさんの身を思って、辺りを警護していたんだ。決して、やましい気持ちなどなく」
……ストーカーって怖いね。
「彼女のいる時間に合わせて、家の周りをね、こう。僕がいれば、こんな世界になっても安全だから」
自分で墓穴を掘っているのに胸を張ってるんだもの。
「あやめさん。通報して下さい。現行犯でストーカーが見つかりました」
「この人、最近私のまわりをうろついている不審者です」
「はい、役満です」
飛び。刑務所に行きましょうね。
「やだ! 僕はあやめさんを守る使命があるんだ!」
「黙れストーカー。良いから行くぞ」
警察ってまだ機能しているんだろうか?
化け物に奔走して、人間界に紛れ込んだ化け物ストーカーに手が回らないってことはないよね?
「って、あれ? 君、宗一郎くんじゃないか」
「は? 俺のストーカーまでしてたの?」
「違う、違う! 僕は断じてストーカーじゃない。おばば様に言われて、この後君を迎えに行く予定だったんだよ」
「おばば様……」
何度も聞いたことのある言葉。
そう、おばば様とこの街で呼ばれるのは、あの人しかいない。
「あんた形代家の人?」
「はい。形代家の時期当主、数馬です」
形代め。こいつらがあれである。我が家にps5級の値段がするお札を売ってくる家である。
――。
頬骨を殴られたとき、本人の耳には周りが聞いているよりも遥かに大きな音が響く。
高級なスピーカーを買えないが、体に響く重低音を味わいたいなら、頬骨を殴られたら良い。
かなり安上がりだ。
「はあはあはあ! なんで、なんで殴った!?」
「愚か者が」
たった今、埋められた異空の祠の上で、市長が殴り飛ばされていた。
黒服のボディーガードに銘じて、長い白髪と、同じくらいの長さを持った髭を伸ばした老人だ。
10名ほどいるボディガードたちからは『御大』と呼ばれている。
「まさか鳴神家に送っていた資金を着服する愚か者がおったとはな。しかし、ワシらにも責任はある」
「いいえ、御大が責任を感じる必要はありません」
「いいや、ワシの祖父が日本国を動かしておったとき、毎年この地に足を運んでいたものだ。それが父の代になり次第に回数が減り、ワシの代では完全になくなった」
それでも、とボディーガードが擁護しようとするが、御大の迫力の前に言葉が出ない。
この国を牛耳っているのは、政府でもなく、巨大企業でもない。怪しい宗教団体か!? 実はそうでもない。
このご老人こそが、真の権力者。
国の重要なことはほとんどこの方が意思決定を行っている。その血族の歴史をさかのぼると平安時代から語ることになるので、めっちゃ省略。この爺はいわゆるスーパー最強権力爺である。
「鳴神家のことを蔑ろにした責はワシにもあるが……」
それでも金は出していた。
年々減ってはいたが、平和な時代がこれだけ続いていたのだ。危機感が薄れるのも仕方ない。
「金丸ひろつぐ。ああ、あの金丸家の者か。お主の父親はワシが目をかけてやっておったのに、下手な賄賂で身を滅ぼしておったよ」
「なっなんでパパのことを!?」
「ワシが国会議員にしてやったし、その後も面倒を見てやったからな。それにしても、親子揃って金に汚く、コソ泥のような真似を」
御大は、今度は自身の脚で市長の頭を踏みつけた。
怒りに任せ、ぐりぐりと地面に押し伏せて行く。
「卑しいコソ泥が権力を握ると碌なことにならん。よりにもよって、こんな大それたことまで」
しばらく市長をいたぶると、御大も気が済んだのだろうか。それともこんなことをしている場合じゃないと悟ったのか。
「そろそろ行くぞ。もう後には引けん」
ボディーガードたちも続くが、一人御大に呼ばれて、命令を受ける。
「あれを? こんなやつに……」
「いいからやれ。実験体は多い方が良い」
ボディーガードが指示を受け、市長の体を拘束する。
顔を天に向けさせ、顎を開く。
「やっやめひっ!」
口に何かを押し込まれたと思うと、腹のあたりを強く押されてごくりと強制的に飲み込まされた。
「なっなにをした!? 僕に何をしたんだ!」
「呪物を飲ませただけじゃ。まあ運が良ければ生きていけるじゃろう。それも最高の景色を見ながらな」
「……はあはあは。おえっ。なんだよこれ。おえっ」
愉快そうに立ち去る御大に向けて、市長が怒りの侮蔑を投げかける。
「お前の言うことが確かなら、確かに地獄のスイッチを押したのは僕だ! けれど、こんな化け物が出る世界になったんだ! お前も終わりだ。ははっ、みんな破滅なんだよ。偉そうにしやがって!」
「……馬鹿を言うな」
御大は一瞬だけ脚を止めたが、表情は全く崩れていない。本当に余裕のある笑みを含んで返答する。
「ワシはいくらでもなんとかなる。むしろ、混乱した世の方がより一層権力を取り戻せる。うーむ、楽しみじゃ。ほっほほほ」
御大の笑い声が、かつて鳴神家が納めていた土地に鳴り響く。
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