第9話 ぶべちょぶぶらちょ化

 次の日――

 浮気のことについて、美斉津を糾弾してやろうと思っていたのだが――


「あれ、美斉津は?」


 ゼミ教室に来ても、美斉津の姿はなかった。


「まだ来てないみたいだよ」


 南破留がおれの疑問に答えてくれる。

 いつもはおれが講義室に入ると既に来てるのに。珍しい。

 陽一がにやけた面でおれを見て、


「気になんのか?」

「あ? なにが?」

「美斉津さんのことがだよ。最近、おまえ、美斉津さんと仲いいっぽいじゃん。喫茶店でおまえと彼女が仲良く話しているところを、この前見たぜ。ひょっとして、付き合ってんのか?」

「え、うそ!?」


 細呂木谷さんが、スマホから顔を上げておれを見た。目を見開いている。


「バカ、そんなんじゃねぇよ」

「ほんとかー?」


 猜疑心に満ちた目をする陽一。

 たくっ、こいつは……。


「まあ、でも、付き合ってはいないんじゃない? りかちゃん面食いだし。那谷屋くんなんかを好きになるわけないよ」

「それもそうだな。ハハハ」


 細呂木谷さんの発言に納得して、爆笑する陽一。

 くそ、ムカツク……。


         *


 しかし、結局ゼミが終わっても美斉津は来なかった。

 みんなその日は気にしていないようだったが、来週もそのまた来週もあいつは来なかった。

 さすがにみんなも心配しだす。


「最近、見ないな、美斉津さん」


 陽一がそう言うと、みんなが思案顔になった。細呂木谷さんが唇を尖らして、


「あー、もう、りかちゃんがいないと、彼氏の愚痴が言えないじゃーん! 彼氏が最近全然かまってくれなくて、ストレスたまってるのにー!」


 みんなはそれを聴いて苦笑いした。

 しかし、ほんとにどうしたんだか……。あいつとまた話し合いたいのに。

 ぶべちょぶぶらちょに対して最近なにも実験していないので、特に話すことはないのだが、それでもあいつと話さないと不安なのだ。美斉津と話し合うことで、ぶべちょぶぶらちょが見えているのは自分だけじゃないって確認できるからな。

 ……三廻部のやつならなにか知っているだろうか?

 今日はバイトがあるので、三廻部と会う。訊いてみるか。


         *


「なあ、三廻部?」

「……なんだ?」


 三廻部はなぜか最近少しやつれた顔をしている。今日もそうだった。

「美斉津がここ最近、大学に来ていないみたいなんだが、なんか知ってるか?」

「……ぶべ」

「ぶべ? なんだ急に?」


 三廻部は急に顔を青ざめて、


「い、いや、なんでもない。み、美斉津のことだがな……それが……」

「なんか知ってんだな?」

「……ああ、それが……様子がおかしいんだ」

「様子が? どんなふうに……?」

「それが……意味がわからないんだ。わけがわからないんだ。りかはおかしくなったんだ。おれもおかしくなりそうなんだ」


 頭をわしゃわしゃと掻く三廻部。


「お、おい、大丈夫か?」

「い、今のおれじゃ、う、うまく説明できない……み、見てくれ、あいつを実際に……」

「あ、ああ、わかった。見るから」

「このあと時間あるか?」

「あるが?」

「ついてきてくれ……りかの家に行くから……」


        *


 三廻部についていくこと数十分。とあるアパートの二階に行き、階段から一番近いドアの前で三廻部は立ち止まった。


「ここが理香の部屋だ……」


 三廻部は弱々しい声でそう言うと、ズボンのポケットから鍵を取り出して鍵穴に入れる。


「おまえ、それ……」

「合鍵だ」

「やっぱり付き合ってんじゃねえか」

「ああ、そうだ。浮気してたさ。だが、そんなことよりも……」


 あいつは最後まで言わず、ドアを開けた。途端に、


「ぶべぶべぶぶぶぶぶぶぶぶぶぶ、ぶぶぶベベベベベベベベベベ、ぶぶぶぶぶぶベベぶぶぶぶ、ぶぶぶぶぶぶベベベベベベベベベベぶベベ」


 もはや聞きなれた鳴き声が耳に入ってきた。


「この鳴き声はぶべちょぶぶらちょの……」

「違う、違うんだ」

「は?」


 違うってどういうことだよ?

 靴を脱いで玄関から出てリビングへ行って部屋の電気をつける。


「え?」


 ぶべちょぶぶらちょはいなかった。しかし、部屋の端に、


「ぶぶぶべぶべぶべぶべべぶべぶべぶべべ、ぶぶぶぶぶベベぶベベベベぶ、ぶぶぶぶベベベベぶベベ、ぶぶぶぶぶぶベベぶベベベベベベベベぶベベベベベベベベぶベベ」


 ぶべちょぶぶらちょのように鳴く美斉津がいた。

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