第5話 悪口

 喫茶店を出た後、バイト先に向かう。駅から歩いて数分のところにある、大きなビルの二階だ。

 電話営業のバイトで、なにをするかというと、太陽光発電のセールスだ。

 電話で太陽光発電の魅力を語り、自宅に訪問して太陽光発電にした際のシミュレーションをする許可を頂く。そしてシミュレーションをしたあと、太陽光をつけるよう説得する、そういった仕事をしている会社だ。

 といっても、電話営業のバイトなので、おれがするのは電話でアポをとるまでだ。自宅に訪問してシミュレーションや客に太陽光を設置するよう説得するのは、またべつの専門の教育を受けた社員が行う。


「おはようございます!」


 バイト先に着くと、真っ先に課長に挨拶にいく。課長は不機嫌そうに、


「おはよう。おまえさ、いいかげんアポとれよ」

「す、すいません……」

「おまえ、やる気あるの?」

「あります」

「なら、結果で示せよ結果でぇっ! 給料ぶんは働いてもらわないと困るんだけど、おまえ今月一件もアポ出せずに給料もらうつもりか?」

「そ、そんなつもりないですっ!」

「だったらいいかげんとれや」

「は、はい、がんばります!」

「ちっ、頼むぞ」


 お叱りは終わりなようで、課長はパソコンの画面に顔を向けた。深く頭を下げてから、自分の座席に行く。

 くそっ、うるせぇんだよ、ボケ。

 この会社はおそらくほとんどの人が聞いたこともないよう会社なので、お客から全然信用されない。たいていの客は会社名を言っただけで「うちは結構です」などと言って、冷たく電話を切る。ひどいときは、詐欺の電話と間違われたり、短気な人から怒鳴られたりする。

 こんなんアポどうやって出せって言うんだよ……無理だろ。

 でも、取ってる人は毎日のようにアポを取っているのが不思議だ。たとえば、三廻部みたいに。


「よぉ、今日も怒られてたな」

 席に着くと、隣の席の三廻部が爽やかな笑顔で声をかけてきた。

 こいつは同じ大学の法学部で、細呂木谷の彼氏。高身長のイケメンだ。

「なぁ、どうやったらアポとれるんだ?」

「ん? とにかくたくさん電話をかけることかな。おれだって話を聞いてくれないことがほとんどだよ。でも、たくさんかけてれば、そのうち話を聞いてくれる客に出会う」

「へー、そうか」

 はっきり言って全然参考にならない。おれだってたくさんかけているはずだが、こいつと違って全然アポが出ない。

 こいつとおれの何が違うんだろうか。

 そういえば……


「なぁ、おまえ、最近細呂木谷にあんまりかまってないらしいじゃないか。あいつ、べつの女ができたんじゃないかと不安そうだったたぜ」

「そうか……最近、ちょっと忙しいだけだ。べつの女が出来たとかそういうことはない」

「ならそう言ってやれよ、あいつに」

「そうだな……そうするよ」

「おい、おまえらそろそろ仕事はじめろよー」


 課長の声がかかったので、会話はそこで終わった。


          *


 午後八時すぎ。バイトが終わり、帰り道を歩く。

 結局、今日もアポ一件も取れなかった。また課長に怒られると思うと、ゆううつだ。

 三廻部のやつはというと、今日は三件もアポを取っていた。

 ほんと、おれとあいつの何が違うんだろう……声か?

 あいつは顔だけでなく、声もかっこいい。やっぱり声がいいやつのほうが、よくアポを取っている気がする。

 でも、声なんてどうしようもないじゃないか。生まれ持ったものだし。

 はぁ、と溜息をつく。

 アポは全然でないし、お客は冷たいし、課長からはよく怒られる。正直言って最悪のバイトだ。何度もやめようと思った。でも、いまだこのバイトを続けているのは、

「時給がいいんだよなぁ、このバイト」

 だから、なかなかやめられない。時給が高い分、精神的苦痛も大きいのだが。


「ん? あれは――根芝?」


 帰り道の途中、狭い道幅の住宅街で、少し先を歩いている同じゼミの仲間を目にした。

 やけにゆっくりと歩いている。あいつの十メートルくらい先にはちっちゃな女の子がいて、時折、怯えた表情で後ろを振り返っていた。

 あいつ、なんか変なことしてるんじゃないだろうな……。


「よっ、根芝」

「うお、びっくりした。おどかすなよ」


 後ろから肩を叩いたら、根芝はビクッとして後ろを振り返った。


「おまえ、なにしてんの?」

「べ、べつになんにもしてねぇよ」

「おまえって家こっちの方だっけ?」

「そうだよ。おれは急いでるから、じゃあな」


 あいつは曲がり角を曲がって、逃げるように早歩きで去っていった。

 ……なんかあやしいなぁ。

 まぁいい。俺も早く帰ろう――

 帰宅すると、ぶべちょぶぶらちょはやはりまだ家にいた。


「まだいんのかよ、おまえ……」

「ぶべべ、ぶぶぶぶぶぶぶぶ、ぶべべべぶぶぶぶぶべべべべべ、ぶぶぶベベベベぶベベベベぶベベベベぶ」

「うるせぇ……」


 もう怒鳴る気力も湧かなかった。洗面所で手洗いうがいをしたあと、リビングに行って、パソコンを起動する。

 帰る途中で寄った『もっとほっと』というお弁当屋さん。そこで買った塩から揚げ弁当を食べながら、7チャンネルをする。


『こいつクズすぎワロタwwwww』『草生える』『もうテレビに出んな』


 とあるスレで、スキャンダルを起した有名人を叩きまくった。

 最近、ネットで有名人を罵倒するのにはまっている。いいストレス発散になるのだ。

 世間でこういう行為が良い目で見られていないことは知っている。

 だが、叩くといっても、悪いことをしたやつに対してだけだ。悪いことをしていないやつにはなにも言っていない。

 だから、いいだろ、これくらい。みんなやっているじゃないか。人間は悪口が大好きな生き物だ。世界は悪口で満ちている。おれだって言ったっていいじゃないか。面と向かって言うわけじゃないし。

 今日は特にムカムカした。態度のでかい美斉津のこと、バイトのこと、そしてぶべちょぶぶらちょのこと。それらのムカツク出来事を思い浮かべながら、中傷的なコメントを書き込む。


「ぶべべべべべ、ぶべべ、ぶべべべべべ! ぶぶぶベベぶぶぶベベベベぶベベぶベベぶ!」

「ちっ、うるせぇな」


 ぶべちょぶぶらちょは相変らず鳴き続けている。

 せっかくのストレス発散タイムなのに、こいつの鳴き声のせいで台無しだ。

 あの緑色の球体を見ると、その目がなんだかおれをバカにしているように見えた。

 四つの目を細めて、まるでおれを見下すように見ている。


「なんだよ、その目」

「ぶべべ、ぶべべべべべ! ぶぶぶぶベベぶベベベベ! ぶぶぶぶベベベベぶぶベベぶ!」

「その目でおれを見るなっ!」

「ぶべべべべべべ! ぶぶぶぶぶぶぶぶぶベベぶベベベベベベぶぶベベ! ぶぶぶぶベベぶベベベベベベぶベベぶベベベベベベ!」


 だが、アイツはその目でおれを見続けるのをやめない。

 くそ、なんなんだよ、てめぇは。


「ちっ、むかつくなぁ」


 立ち上がり、やつの元まで向かうと、ぶべちょぶぶらちょを蹴った。


「やめろっつってんだろっ!」

「ぶべべべ! ぶぶぶぶぶぶ! ぶべべべべぶぶぶぶぶぶべべべべべ! ぶベベぶベベ!」


 笑ったような鳴き声を上げるぶべちょぶぶらちょ。こいつの目は相変わらずおれを見下している。


「き、きもちわるいんだよ、おまえっ!」

「ぶぶぶぶ! ぶべべべべべべ! ぶぶぶぶべべべべべべべ! ベベベベぶぶぶぶぶ! ぶぶぶベベベベベベベベベベベベ!」


 何度も何度も蹴る。だが、痛がっている様子は無い。むしろ、喜んでいる気がする。蹴れば蹴るほど、こいつの鳴き声は大きくなる。


「な、なんなんだよ、おまえ……」


 蹴る気力がなくなり、ぐったりとその場に座り込む。


「ぶべべべべべべべべべ! ぶぶぶぶぶぶぶぶぶぶぶぶぶ! ぶぶぶぶぶぶぶぶぶぶぶべべべべぶぶぶぶぶぶぶ! ぶぶぶベベベベベベベベベベベベベベベベベベベベベベベベベベベベベベベベベベベベベベベベベベベベ

ベベベベベベ!」


 アイツは鳴き続ける。おれを嘲笑うかのように……。

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