第4話 美斉津理香

「聞いてくれよ、こいつさ、幻覚を見てるみたいなんだよ」


 翌日の午前中。大学のゼミが始まる数分前。ゼミが行われる講義室で、陽一がおれの肩に手を置いて言った。

 昨日は結局、陽一の目にぶべちょぶぶらちょは映らなかった。鳴き声も聞こえなかったようで、信じてもらえなかった。あいつはゲームを数時間して帰っていっただけだ。


「てめ、何が幻覚だよ、幻覚じゃねぇよ」

「……こいつは重症だ」


 肩をすくめる陽一。

 だめだ、おれが本当にいると主張すればするほど、異常者として見られる。逆効果だ。


「幻覚……?」


 同じゼミの細呂木谷ほそろぎやさんが首を傾げる。

 細呂木谷さんは、髪を茶髪に染めているギャル系の女子だ。三廻部みくるべという別の学部で、おれとバイト先が一緒の彼氏がいる。


「なんか部屋にぶべちょぶぶらちょと名乗る、緑色の丸っこい生物がいるらしいぜ。こいつだけにしか見えないけどな」


 小バカにするような声で喋る陽一。

 くそ、ムカつく……。


「ぶべちょぶぶらちょ……那谷屋くんの部屋にそいつがいるの?」


 美斉津みさいずさんが、スマホを操作するのをやめて顔を上げた。


「え、あ、ああ」


 声をかけられると思っていなかったので、少し驚く。あんまりしゃべったことなかったから。

 美斉津さんはウェーブがかかった黒髪の、スタイルのいい美人だ。

 実は、前々から少し気になっている女性。彼氏とかいるんだろうか。


「へー。どんな姿なの?」

「濃い緑色の、バスケットボールくらいのでかさの球体で、人間みたいな目が四つある生物で……」

「そう……それで、部屋のどこらへんにいるの?」


 ん、妙に食いついてくるな……。他の人たちも物珍しそうに彼女を見ている。


「部屋のはしっこの方にいるんだ。奥にあるテレビの横に」

「ふーん……」

「なに、美斉津さん、興味あるの?」


 陽一が美斉津さんをまじまじと見る。美斉津さんは少し焦った様子で、


「え? べ、べつにないわよ」


 普段のクールな彼女を知っていると、ちょっと不自然に感じる態度だ。美斉津さん、どうしたんだろ?


「へー、そのぶべちょぶぶらちょとかいうのが住み着いているのか、大変そうだね」


 南波留なばるが気の毒そうな顔をする。

 南波留は優しい性格で、頭も良い優等生だ。細身で背が高くて、うらやましいかぎりだ。


「そうなんだよ、大変なんだよ、鳴き声がうるさくて夜寝られないしさー」

「夜寝られないのはキツいよね。だからさっきから眠そうな顔してるんだ」


 南波留が言うには、おれは眠そうな顔をしているらしい。まぁ、ここ二日間満足に寝られてないしなぁ。


「話を聞く限りだと不気味だねー。どうせ見るなら美少女が家にいる幻覚とかがいいよね。そういう幻覚見えないかな?」


 今まで携帯ゲーム機をずっといじっていた根芝ねしばが口を開く。こいつもどうやら信じていないようだ。

 女子たちがどんびきした表情をする。根芝は女子にひかれるようなことを平気で言うやつだ。小太りの男で、重度のオタクだ。今はラボライブというアニメにはまっているらしくて、バッグにそのアニメのキャラの缶バッチをたくさんつけている。

 まったく、幻覚じゃないって言ってるのに……。


「そんなことよりさー、聞いてよー、最近彼氏があんまりかまってくれないのー。デートもあまりしてくれないし、LINEの返事もあまりしてくれないしー」


 興味をなくしたのか、細呂木谷さんが話題を変えてきた。

 そんなこと扱いされてしまった。


「あー、それ、たぶん他の女が出来てるよ」 


  美斉津さんが同情した表情になる。


「え、そ、そんなまさか、としくんに限ってそんなことは!?」


 ガーンという音が出ていそうな表情になる細呂木谷さん。

 みんな、ぶべちょぶぶらちょの話はしなくなった。

 くそ、他人事だと思って……。


          *


 ゼミが終わり、一人で廊下を歩いているとき、LINEがきた。

 驚いた。なんと、美斉津さんだった。

 彼女とはこれが初めてのLINEだ。始めのゼミの講義で、みんなでLINEのIDを交換しあったとき以来、いままで彼女とはやりとりをしたことがなかった。内容は……


『少しこのあと、時間ある?』


 とのことだ。

 え、なんの用だろ……。少し期待してしまっている自分がいた。返事を送る。


『あるけど』

『お茶しない? 少しゆっくり話したいことあるのよ』

『え、いいけど』

『じゃ、大学内の喫茶店にこのあときてね』

『わかった』


 彼女とのやりとりを終える。

 ゆっくり話したいこと……なんの話だ?

 とにもかくにも行ってみるか。

 それから数分歩いて、学内にあるカフェテリアに入ると、既に美斉津さんはいて、奥の二人がけの席に着いていた。カウンターでコーヒーを頼んでから、彼女の元へと向かう。


「な、なんの話だ?」


 言いながら向かいの席に座ると、彼女はコーヒーを一口飲んだあとぶすっとした顔で、


「なに緊張してんのよ、言っとくけど、告白とかじゃないからね」

「あ、そ、そうか……」

「見るからにがっかりしたわね、あんた」


 あきれたようにため息をひとつ吐いた美斉津さん。

 うわ、思っていたより性格がきつい。ゼミのときは、もうちょい優しそうな感じしたのに。


「あなたさ、さっき、ぶべちょぶぶらちょがいるとか言ってたわよね」

「ああ、言ったけど、それがどうした?」

「……私の家にもいるのよ、そいつが」

「え、マジで!?」

「大声出すな、唾飛ばすな、ウザイキモイキタナイ」

「あ、ご、ごめん……」


 そんなに言わなくてもいいだろ……。

 不平を言いたくなるが、こいつの冷たい目を見るとなにも言えなくなった。


「それで単刀直入に言うけど、私と協力しない?」

「協力?」

「ええ、ぶべちょぶぶらちょを家から追い出す……ね」

「べつにいいが、なにか見返りとかがほしいな」

「はあ? ちっ、なにが望み?」


 舌打ち……、こいつ、ほんと態度悪いな。

 彼女の豊満な胸をちらっと見て、


「……エロいこととかでもいいか?」

「ダメ、死ね。そういうことなら、協力なんてしなくていいわ」


 彼女が席から立ち上がる。おれは慌てて、


「じょ、冗談だ。見返りとかなくていいから」


 同じ境遇の人をせっかく見つけたんだ。ここで逃すのはあまりにも痛い。

 彼女はおれを見下した目で見ながら席について、


「ふん、あたりまえよ。調子に乗んな、不細工のくせに」

「はい……」


 キツい。面と向かってこんなこと言うか、普通?

 美斉津さんはめんどくそうに頬杖をつき、


「それじゃ、ひとまず情報交換しましょ」

「情報交換?」

「そ、お互いにぶべちょぶぶらちょについて知っていることを話し合いましょう」

「わかった」

「じゃ、私から、いつからあなたの家にいるの?」

「一昨日からだ。おまえは?」

「私は一週間前から」

「なんだ、けっこう最近だな。おれんちのぶべちょぶぶらちょは緑色のボールみたいな形をしていて、目が四つあるんだけど、おまえの部屋にいるのもそんな姿をしているか?」 

「ええ」

「いつも部屋のはしっこにいるんだけど、それも同じか?」

「ええ」

「ぶぶぶぶべべべべと鳴くのは?」

「同じよ」

「追い出してもいつのまにか部屋に戻っているのは?」

「私もそうよ」

「じゃ、ほとんどおれの部屋にいるのと同じとみていいか……」


 見えているのがおれだけじゃないと知って、少し安心した。

 あれは幻覚じゃないし、おれの頭に異常があるわけでもないという自信を強めることが出来た。それだけでも収穫があった。


「今度はこっちから質問、あんた、ぶべちょぶぶらちょが家に住み着いた原因に心当たりある?」

「さぁ、わかんないな。おまえはなにか心当たりがあるのか?」

「……それが私も特に浮かばないのよ」

「そうか……」

「……ねぇ、あいつってなんなの?」


 彼女はうんざりした表情になる。


「さあ、知らねぇよ。あいつがなんなのか、おれも知りてぇよ」

「うるさいし夜眠れないし困っているのよ、なにかあいつの鳴き声を押さえる方法とかない?」

「知らん。あったらおれも知りたい」

「……はあ。他にあいつについてなにか知っていることとかある?」


 失望したように溜息をつき、何の期待もしていない顔で訊いてきた。


「……特にないな」

「……はぁ、結局、私が知っている以上のことは何も知らなかったわね。役立たず」


 彼女はバッグを持って立ち上がる。

 役立たずって……そっちから呼び出しておいて酷すぎだろ。


「おいおい、そこまで言うことないだろ」

「ふん、次までにもっと調べてきなさいよ」

「……元から調べるつもりだからいいけどさ、おまえも調べろよ」

「いやよ、バイトとか彼氏とのデートとかLINEとかで忙しいし」

「はあ? おれも忙しいんだけど」

「あんた、どうせ恋人いないでしょ、なら私より時間あるでしょ?」

「なんだ、その決めつけ。まあ、いないけどさ」

「やっぱりそうじゃない。そんじゃ、頼むわね」

「あ、おい!」


 あいつは大股で歩き、店から出ていった。

 ……なんて女だ。前々から気になっていた女性だったが、今回のことで好感度が一気に下がった。今では彼女のことを全然魅力に感じない。

 調べるっていっても、なにをすればいいのやら。

 頭を悩ましながらコーヒーを飲んで、飲み終わったら店を出た。

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