第2話 色づく

 姓は違うけど、名前は偶然にも同じだった。アオイ。忌々しさしか作らない、不幸な生い立ちと合致した大嫌いな名前だ。

 親近感が湧いた。疑り深さを払拭しようと必死になっていたから、暖かく声をかけてくれるだけで嬉しかった。つくづく、優しくされればちょろい。


 わざわざ用もない保健室に通ってきて、私の相談を親身になって聞いてくれた男子がいた。とても誠実そうで、心からの親切でしてくれていることなのだと確信していた。

 それでも、閉め切ったカーテンの裏でベッドに無理矢理押し倒された時にはそんな甘い考えも吹き飛んだ。

 これだけ優しくしてやったんだから、関わってやったんだから、ありがたく思えよって顔をして唇をねぶられた。

 幸い騒ぎを聞きつけた先生が割って入ったから大丈夫だったけど、想像していた自らの行く末に直結するこの経験は、心を閉ざすには十分すぎた。


「つらかったんだね」


 ニシガミが目を細める柔和な表情で言う。そこから次々と、今し方フラッシュバックしていたトラウマを言い当てられ。


「なんで...知ってるの」


「僕は人の心が読めるんだ」


 嘘だ。それも見え透いた。頬の内側をかじろうとしたその時、彼の衣服に見える違和感に気がつく。

 バッジがない。夏服の場合は、学ランの襟に着けていたクラスのバッジを外して黒い台紙に付け替える決まりがあったはず。なのにニシガミのワイシャツにはそれが見えない。


「これから死ぬのに、」

「校則なんて守ったってさ」


 やっぱり。嘘なんかじゃなかった。でもクラスメイトだったかどうか以前に、ニシガミが何者なのかがわからなくなった。心の声と受け答えしているみたいだ。

 まあ、いいか。誰かが私を殺してくれるならそれでいいと思えたから。終わらない苦しみを味わいながら生きていくよりはマシだから。


「どこに行くの」


「隣町でお祭りをやってるんだ」

「一緒に行こう」


 もはや断る理由はなかった。電話は持ってないから連絡が行くとしても家電だし、経験のなかった逃避行という刺激は、身を置くべきであろう生活を易々と突っぱねる。

 私が抱えてきた諦観には、もう一つ先の段階があったらしい。それも道を踏み外した先に。

 もう戻れない。自らの手で腱を切ってしまった。何もかもを自責の介在しない解放感が拭い去ってしまったせいで。

 ずっと重く下を向いた視界に割り込む手招きに、ふらふらとした足取りでついていく。名前しか知らないのに、歳も素性もほとんど聞いていないのに。


 湿気と日照りでむせ返る海沿いの町を歩く。しかし、商店街を通っても、住宅街を通っても。赤色の提灯があちこちに吊るされているばかりでまだ祭が興されているふうではなかった。

 期待のボルテージが冷めてしまうのを恐れた。このまま気持ちだけが有耶無耶になって、また逃げ続けるだけの毎日に戻ることがたまらなく怖くなっていた。


 ふと、ニシガミが足を止める。辺りを軽く見渡してから、ポケットに手を突っ込み財布を引っ張り出した。

 それは、同じくらいの歳の男子には似合わない華美な装飾のされた長財布。一目で彼のものでないとわかるほど。


「それ、誰の...?」


「さあ?無防備にバッグから飛び出させていたから、つい」

「キミは気にしなくていいよ」

「他人の気持ちを考えて、自殺ができるかい」


 身震いを誘う感覚、心臓が今一度強く跳ねた。先程企てた計画に比べて、この程度の罪、なんと些末なものなのだろうかと。

 相応の覚悟を伴っているとはいえ、勢いのままここまで来てしまったが故所持金はゼロ、以前に財布すら所有していない。そもそも入学、勉強に必要最低限な品を揃えられた時点で小遣いなど払う気も毛頭なかったのだろうが。


「アイスでも食べようか」


「.....」


「今日は暑いからさ」


「...うん」

「食べる」


 また、頷いてしまった。

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【短編】みずいろの涙 Imbécile アンベシル @Gloomy-Manther

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