【短編】みずいろの涙
Imbécile アンベシル
第1話 透明
わたしは、空っぽの透明だ。わたしを生んでくれたお母さんの顔を見ずに育ってしまったわたしにはいつでもすきま風が吹いていて、心を冷たくしていく。きっとわたしのせい。ずっとそう信じて生きてきた。
わたしには、青い水が流れてる。擦りむいた傷も、こぼれ落ちた涙も、苛まれ吐き出した中身だって、絵の具を溶かしたみたいに真っ青。
誰に言っても信じてもらえない。透明だろ、赤いだろ、汚いなあって。だから誰かにわかってもらうことをやめた。
お医者さんにもわからない。幻覚とか、精神だとかそんなふわふわした問題として片づけられてしまった。だってわたしが見たみんなの血や涙は赤いし、透明だったから。
一人くらい優しい人はいるって思ってたのに、そんなわたしをおかしいものと扱う人はいくらでもいて。お家でも学校でも、みんなわたしを避けていく。
それでよかった。わたしに関わったら、きっと不幸になるから。きっと耐えられないから。
今日もみんなとは違う椅子に腰かけて、教科書をぺらぺらとめくりながら窓の外を見る。膝にかかったシーツを取る気にはならない。
こんな性格だから、外に出て遊ぶなんてことはすっかりなくなって。中学に上がっても変わらず砂ぼこりを立てながらボールを蹴りはしゃいでいるみんなの姿を眺めては、深くため息をこぼした。
やがて陽が落ちてきて。一日の終わる安心感を胸に保健室から出る。帰ったってどうせ休まらないから、町の柔らかな風景と一緒にゆっくり帰るのが好き。茹だる暑さは嫌いだけど、それでも楽しかった。
二人分くらい空けて、これから何をして遊ぶか話しながら歩く男子のグループ。私を一瞥するとやや眉をしかめ去っていく。
「ねえ!」
ぱたぱたと駆けるスニーカーの足音と共に、私の肩を叩いた声に思わず身が跳ねる。驚いて振り返ると、栗色の短髪をしたYシャツ姿の男の子が弾けるような笑顔で立っていた。
こんな子クラスにいたっけ。顔までよく見ていないからピンとこない。膝に貼られた大判の絆創膏が目立っている。
「一緒に帰ろう」
「...なんで」
「なんでって、」
「一人で帰るのって寂しいでしょ?」
寂しい。考えたこともなかったけど、ずっと付きまとっていた感覚はもしかしたらそういうことなのかな。
ハッとするのと同時に、嫌気が差した。この子とわたしは住む世界が違う。親しげに話したりなんかしたらきっと囃し立てられる。
力を振り絞り歩く速度を早めた。それなのにずっとついてくる。怒るなんて私にはできない、下手に好かれるのもいやなら嫌われるのは同じくらいいやだ。
そして、ついに家の前まで来てしまった。取っ手に指を沿わせることすら憂鬱な引き戸と対峙し、後ろで感嘆するように鼻を鳴らし欠伸をする彼に声をかける。
「...なんでついてくるの」
「"不幸です"って顔に書いてあるから」
軽薄に笑いかける顔を、戸で遮った。何が正解だったかなんてわからない。砂利を擦り立ち去る足音が聞こえなくなった頃、目の前の廊下を通った祖母が舌打ちをした。
食卓に並べられた出来合いのコンビニ食品をぽつぽつと食べ終わり、自室にこもる。机なんてない。畳の床に置いたノートの上で鉛筆を滑らせ、電線に止まったカラスを写し描く。
勉強だって追いつこうとしたって無理なんだ。夢も希望もない私には、ろくな道が残されていない。私もこの両腕を捨てたら、自由に羽ばたく鳥になれるのかな。
そんなことを考えながら眠りにつく。翌朝、朝食を抜いたまま外に出ると、昨日のように彼はスクールバッグを手にそこで立っていた。
「おはよう」
もう追い返すのも疲れた。なにも答えず、なんとなく通学路の隣を歩かせていると、どこか満足げな顔をしている。
本当、訳がわからない。私の青い体液のことをわかってもらいたくてした説得が、自分の首を締め続けてここに追いやられているのに。
時折わずかに視線を送っても、悟ったような真っ直ぐな瞳で遠くを見つめながら歩くだけ。
「キミはさ、」
「このまま生きていたいって思う?」
「えっ」
投げ掛けられた突拍子もない質問に、疑問符が口からこぼれ落ちる。死にたがってはいない。でも生きていたって仕方ないとも思う。漠然と澱んでいた思考を暴かれ、思わず私は足を止め黙りこくる。
「私は、」
答えようとするが早いか、浮かんだ「死」の恐怖につぐんだ言葉の続きを遮るように。彼は私の手を引いて反対方向に走り出した。
追い縋る私のペースに合わせた軽い足取りだ。まるで待ってましたとでも言うように。まだなにも告げていないのに。
「僕もさ、死のうと思ってるんだ」
僕「も」。その共感するかのごとき口振りに、安堵してしまった。気がつけば抵抗の意志は彼の朗らかな笑い声に掻き消され。
たくさん汗をかきながら、連れられるがままに電車へ飛び乗った。こんな時間だ。中は私と同じ学生やスーツを纏った大人たちでごった返している。
その中をかき分け、私を席に着かせてから。彼は掴んだつり革に体重をかけて身体をぶらぶらと揺らす。
「名前、名前は...?」
訊ね忘れていたことを訊いた。焦りに声の加減を間違えたのか、一斉にこちらに視線が突き刺さる。
「ニシガミ」
「ニシガミ アオイ」
「同じ...」
「同じなんだ、名前」
「うん」
立ち込める湿気とは裏腹に、爽やかな笑みでニシガミは答えた。
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