第9話 ツキ La luno



 満月まんげつの夜に、さかの多い田舎町いなかまち散歩さんぽしている。


 飼猫かいねこ勝手かってに前を歩かせ、わたしは早くこの町とえんを切りたいなあと思いながらゆっくりついていく。


 観光客かんこうきゃくたちは、この不便ふべん退屈たいくつ土地とちのなにを、よいものとかんちがいしておとずれるのか。


 住民じゅうみん毎年減まいとしへっているせいだろう、町の中心部からすこしはなれた地域では、夜道よみちに人の気配けはいはなく、月光げっこうだけがさあさあと音を立ててるよう。


 おや、猫が立ちどまった。家と家にはさまれたごく細い道の入口で、なにかのにおいをかいでいる。

 とり死骸しがいでもあるのだろうか? 


 猫が入っていかないようにこうとしたら、するり、猫はわたしの手をのがれ、細道ほそみち小走こばしりにけていってしまった。あわててあとう。


 あのなまけものにまだ長く走る意欲いよくがあったことに少しおどろきつつ、わたしも走る。

 両脇りょうわきの家々から不審者ふしんしゃと見られないかおそれたけれど、そもそもどの家にもかりがついていない。

 道が明るいのは、うえから降る月の光にらされているためだった。


 かどがまるくなった石段いしだんを上がり、古いおはかのそばをとおってちょっとくだる。また上がって、放置ほうちされたブラウンかんテレビや洗濯機せんたくきをよけておくへと進む。

 その先に、コンクリートの低いへいだけを残し家屋かおく撤去てっきょされた、空地あきちがあった。


 そしてそこで猫とわたしは、半球状はんきゅうじょうの、なぞ物体ぶったいくわしたのだった。


 表面ひょうめんは白く、見た目は半分にったピンポン玉、ただしわたしが全身をせて乗れるくらい巨大きょだいなものだ。


 猫はその半球体の匂をかぎ、前足まえあしでかりかりとひっかいた。するとたまがぽうとにぶく光った。それから地面にゆっくりしずみかけ、なにかにさえぎられたようにまたもどった。


 光を弱く明滅めいめつさせている球の様子ようすを見るうちに、もしかしたら、これは月ではなかろうか、と思いつく。


 月なら真上まうえにあるでしょう? ええ、たしかに。だからこれは「つぎの月」なのだ。


 いまの月がけ、空から退場たいじょうしてから姿すがたあらわすはずの、次のばんの月が、浮かれたのかまちがえたのか知らないが、先走さきばしって出てきてしまったのだろう。

 そして、しまったとあわてたものの、一度いちど出てしまうとたぶんうしろに引っこめないのだ。こまったあげくこんな場所にこっそりかくれている。

 まあ、まったくを隠せていないけれども。


 わたしの考えを口にして、そうなんでしょう、といかけると、月らしき球は光を消して沈もうとした。当然とうぜん沈めずにまた浮きあがる。


 もっと小さくはなれないの? といてもだまっている。なれないらしい。


 今宵こよいは満月で、次の月の出番でばんまでまだまだ日数にっすうがかかるのに、どうするつもりなのか。

 昼間ひるまわるガキたちに見つかりでもしたら、つつかれたたかれ、あげくのてはられてしまうだろう。

 あるいは写真にられ、SNSでさらし者にされるかもしれない。田舎の子どもはとくに残酷ざんこくなのだ。

 このままほうって帰るのもかわいそうだが、どうしよう。


 まよっていると、わたしの飼猫が目をほそめ、くわーとあくびをするように口を開けた。

 大きく、大きく、ひらいたその口は、目の前の月を――すっぽりするん! もぐっていた部分ごと、まるまる一呑ひとのみにしてしまった。

 ぺろりと舌を出して口を舐め、ついでに前足を上げて舐めては、自分の顔を撫ではじめる猫。

 驚いたわたしは、猫を抱きあげその口もとを見つめる。

 お腹もさわって調しらべたけれど、べつふくれてもいない。

 ひとまず安堵あんど、猫の鼻先を指でちょんとつついて言う。

 出番が来たらちゃんと出してあげるのよ。

 猫はちらりと目をひからせ、でもいつもと変わらぬ声で、ニャアといた。


 地面に下ろしてあげると、猫は飼主かいぬしを放ってさっさと細い坂道を帰りはじめた。

 わたしはそのあとをまたぶらぶらついて歩きながら考える。


 今夜のような出来事は、この町の猫たちにはめずらしくないのかもしれないな。月だの星だの、うっかりものたちをちょくちょくみこんでは、その平和へいわなお腹のなかにしばらく滞在たいざいさせてあげているのかも。


 うちの猫といい町の猫といい、わたしがお腹をなでてあげるたび、ぐるうぐるぐる、と不思議ふしぎな音を出していたけれど、あれははたして猫が出した音なのか、お腹の月が出した音なのか。

 いまそらから足もとを明るく照らしてくれている月も、この手がお腹越なかごしになでてあげたことがあるのだろうか。


 もしそうだとしたら――この町は意外いがいと、退屈な場所ではないのかもしれない。




 Fino



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