3

 それから何日経ったのだろう。全く覚えていない。いや、もう覚える必要はない。もう死んでいくんだから。魁人はただ、夜空を見上げていた。いつになったらあの青い空へ行けるんだろう。そして、空から日本を見下ろす事ができるんだろう。その日は着実に近づいているはずだ。魁人は誰にも気づかれないような場所にいた。ここならディーゼルカーは見えないだろう。誰にも気づかれないまま、死んでいけるだろう。


 魁人はため息をついた。どうして自分は生まれてきたんだろう。イラストを描くのが好きだったのに、その時間を仕事で奪われて、楽しくない人生を歩んでいる。誰がこんな運命にしたのか? 神様に聞いても、神様は目の前にいない。教えてくれない。もしできるなら、仕事も趣味も安定してできる企業がいいな。だが、そんな会社あるわけない。


「ねぇ」


 と、誰かの声が聞こえた。魁人は辺りを見渡した。だが、誰もいない。ここにはもう誰もいないはずなのに、どうして人の声がするんだろうか? もしかして、死期が迫っているからだろうか?


 魁人は後ろを振り向いた。そこには、少年の姿をしたおばけがいる。魁人は驚いた。まさか、ここはおばけの出る場所だったの? 知らなかった。


「えっ、おばけ?」

「そ、そうだけど、怖くないの?」


 おばけは戸惑っていた。今回も怖いと言われてしまいそうだ。


「うん」


 だが、魁人は怖くないようだ。おばけはほっとした。それだけではなく、優しく接してくれた。


「どうしてここに来たの?」


 おばけは気になった。どうしてこの人は、ここに来たのか? もう誰も住んでいないのに、本当にやって来ていいんだろうか?


「ここで死のうかと思って」


 おばけは驚いた。まさか、死のうとしているなんて。そんなの、やめて! みんなが悲しむよ! それはやめて!


「やめて! そんなのやめて!」

「どうして? 俺はもう生きる価値がないんだよ!」


 魁人は悲しそうな表情だ。おばけはその表情を見て、よほどつらい事にあったんだなと思った。どうにか救いたいけど、何もできない。それで死ぬなんて、とんでもない!


「そんな事で死ぬのはやめて!」

「来ないで!」


 魁人はおばけを引き離した。あっちに行ってほしかった。もう助かりたくないのに。


「大丈夫かい?」

「もうこっちに来ないで! 俺は孤独に死にたいのに!」


 そして、魁人は駅を離れ、駅の近くの民家の廃墟に向かってしまった。


「どうして死のうと思ったの?」


 おばけはついてくる。生きていてほしいと思うようだ。だが、魁人の気持ちは変わらない。


「俺、仕事ばっかりで好きな事ができないんだよ」

「そうなんだ・・・。大変だね・・・」


 おばけは魁人の気持ちがよく分かった。好きな事を失うと、よくそうなるよね。


「好きな事ができない人生なんて、人生じゃないよ!」


 と、おばけは冷たい手で魁人の頭を撫でた。ひんやりとしているのに、どうしてこんなに暖かく感じるだろうか?


「その気持ち、わかるよ」

「本当?」

「うん」


 魁人は今までの人生を振り返った。高校までは普通だったのに、大学では遊んでばかりで落第して、そこから転落人生ばかりだ。あのとき、落第していなければ、遊んでいなければ、もっといい未来が待っていたのに。できればあの頃に戻りたい。だけどそれは不可能だ。


「俺、希望を持って東京に来たのに、そこで落第して、ここまで落ちぶれたんだ」

「そうなんだ・・・」


 ふと、魁人は思った。ここはどんな場所だったんだろう。昔は賑わっていたようだが、今では誰も住んでいないようだ。ここに住んでいた人は、どんな事を生業としていたんだろう。いつ、この集落は人がいなくなったんだろう。


「ここって、どんなとこだったのかな?」

「ここにはかつて、何百人もの人が住んでたんだ。林業で栄えて、冬はスキー場で賑わったんだ。でも、みんな都会に行っちゃって、お年寄りばかりになって、そして消えちゃったんだ。東京って、あこがれの地のように思えるけど、大変なんだね」


 おばけは昔、ここに住んでいた。だが、夢を求めて東京にやって来た。だが、東京での生活は厳しかった。いつの日か、故郷に帰りたいと思っていた。だが、すでに両親は亡くなり、帰る場所をなくしてしまった。そして、東京で孤独に死んでいった。その亡霊は、ここに住んでいた平和な頃のままでここをさまよっているそうだ。


「そんな場所だったんだ。ここにも賑わっていた時期があったんだね。確かに東京には夢がある。だけど、厳しい仕事もある。僕はそんな仕事に振り回されて、生きるのがつらくなってしまったんだ」


 おばけは魁人の話に聞き入っていた。まるで自分と一緒だね。だけど、仕事を頑張って、人生を全うしてほしい。


「うん。もうここには誰も住まないだろう。だけど、あの多々良山駅だけは残り続ける。ここに多々良という集落があったという事を語り継ぐために」

「そうなんだ」


 魁人はおばけの話す多々良の昔の姿に聞き入ってしまった。こんな時代があったんだ。その頃はとっても良かっただろうな。ゆっくりと時間が流れていくようで、みんな平和なようで。


「どうしてみんな、都会に行っちゃうのかな?」

「そりゃあ、夢があるからだろう。でも、実際に住んでみて、本当にそうなのかなと思った」


 魁人は豊かさを求めて東京に行った。なのに、豊かさなんてどこにもなかった。あるのは、厳しい現実ばかりだ。どうしてこんな生活になったのかと問いたいぐらいだ。


「生活が安定しているから、そっちに行きたいと思うんだよね」

「うん。欲しい物が手に入るからね」


 おばけは寂しくなった。だから、みんな都会に行っちゃうんだな。そして、田舎は寂れていく。そして、誰もいないくなる。それが時代の流れなんだろうか?


「そっか。だから田舎は寂れていくのかな? 時代の流れの中で、消えていくのか。寂しいな」

「俺たちの気持ち、わかるの?」


 おばけは思った。自分たちの気持ちがわかるとは。この人は優しいな。この人なら友達になれそうだな。


「うん。わかる」

「ありがとう」


 と、魁人は立ち上がった。ここの景色を見たいな。魁人はゆっくりと歩き出した。辺りには、トタン屋根の家が立ち並んでいて、いまにも崩れそうだ。もう何年も住んでいないし、何年も整備されていないようだ。忘れ去られた集落は、いつまでその面影を残し続けられるんだろう。


「どうしたの?」

「最後の思い出に、ここを見て回ろうかなと」

「どうぞお好きに」


 おばけは魁人の後姿を見ている。この人も、自分と同じくおばけになってしまうんだろうか? いや、まだなってほしくない。もっと生きて、ここに来てほしい。


「こんな場所だったんだね。ここに人の営みがあったんだね」

「温もりのあった生活だったのに、若い子はみんな都会に行っちゃったんだ」


 魁人は横を向いた。そこにはあのおばけがいる。一緒に多々良集落の跡を見てくれるようだ。


「寂しいね」

「でしょ?」


 歩いているうちに、寂しさを感じた。昔は多くの人の営みがあったのに、今ではこんなに静かになってしまった。この駅がなくなると、多々良という名前は山の名前しか残らなくなる。こうして、多々良集落は人々の記憶から消えてしまうんだろうか?


「また帰ってきてほしい?」

「うん」


 おばけはまた帰ってきてほしいようだ。そして、多々良集落が再び賑わいを取り戻してほしいと思っているようだ。だが、そんなにかなわない。もう寂れた集落が戻る事はないだろう。みんな、都会に行ってしまうんだ。

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