あの子が聖女? とりあえず殺っちゃうべきでしょうか

uribou

第1話

「ジェニファーお嬢様、いかがされました?」

「……いえ、何でもないのよ」


 昼下がりのお茶を楽しんでいた時、いきなり頭に流れ込んできた前世の記憶。

 そう、わたくしは転生者だったのだわ。

 そしてこれは乙女ゲーム『華麗なる聖女の階段』の世界。


 自分が全然混乱しないことに少し驚きです。

 登場人物を興奮させない仕様なのでしょうね。

 今この瞬間こそがリアル。


 何故今唐突になのかも、一応の答えを導き出せますわ。

 わたくしより一つ年下のヒロインが『聖女』の力に目覚める一年前、すなわちゲームスタートの時だからでしょう。


 スタンドピーク公爵家の長女たるわたくしの、『華麗なる聖女の階段』の中での役割は何か?

 ええ、もちろん忘れはしませんとも。

 『魅了』のスキルを持った悪役令嬢。

 本来ならば第一王子アントニー殿下の婚約者でした。

 けれどヒロインたる『聖女』リリーに殿下を取られそうになると、嫉妬に狂い虐めぬいてついには断罪される役どころ。


 ……困りました。

 断罪なんて真っ平ごめんです。

 『魅了』のスキルを使わず平穏に暮らしていければ……。


 いえ、考え方が甘いです。

 もうきっとゲームの強制力が働いているのですよね?

 前世の自分がどう死んだかすら思い出せないわたくしが、『華麗なる聖女の階段』の世界だと意識できたところからすると。

 となると放っておいては、わたくしが何もしていなくても『聖女』リリーが台頭し、わたくしが殿下を『魅了』したと陥れられてしまうのでしょう。


 前世乙女ゲーくらいしか趣味がなかったわたくしが、悪役令嬢ジェニファーに転生した理由。

 それは強制力という名の運命を変えてみせろという意味ではないでしょうか?


 とはいうものの、わたくしの『魅了』は忌むべき禁断の力。

 使えば使うほど破滅が近付くのに対して、ヒロインの『聖女』は力を発揮すれば崇拝されます。

 おまけに『魅了』は『聖女』に効かず、またせっかく『魅了』したアントニー殿下も『聖女』の力で解けてしまいますし……。

 ハンデが大き過ぎやしませんかね?


 ここまで考えて、はたと気付きました。

 わたくしはヒロインよりも一つ年上、これはアドバンテージなのでは?


 侍女が心配そうにわたくしに問いかけます。


「本当に大丈夫でいらっしゃいますか?」

「明日は聖授の儀式があるではないですか」

「ああ、緊張していらっしゃるのですね?」

「少しだけ」


 聖授の儀式、それは十二歳になる年に行われる、成年見習いとして神様に認められるという儀式です。

 平民ですと教会で大勢いっぺんに行いますが、貴族では司祭を呼んで自邸で行うことがほとんどです。

 侍女が明るく言います。


「お嬢様は品行方正ですから、きっとギフトを授かっちゃいますよ」

「だといいですね」


 よくないのです。

 聖授の儀式では稀に神様からギフトと称される異能を授かることがあり、わたくしの場合の『魅了』やヒロインの『聖女』がそれに当たります。

 『魅了』なんて授からない方がいいくらいですが……。


「今日の夜は早くお休みになるのがよろしいですわ」

「ええ、おやすみなさい」


 強制力が働くのならば、『魅了』を授かるのは決定事項なのでしょう。

 『魅了』の扱いと今後のスケジュールについては考えておかねばなりませんね。

 一年後、ヒロインが『聖女』となる前に……。


          ◇


 ――――――――――一ヶ月後。ヒロインリリー視点。


 何でえ?

 何で今、悪役令嬢が孤児院に慰問に来るの?

 乙女ゲーム『華麗なる聖女の階段』のシナリオ通りなら、悪役令嬢が『魅了』で第一王子アントニー殿下をメロメロにした後に、一緒に来るはずでしょ?

 確かもう数ヶ月時間があったはず。

 私とアントニー殿下の最初の出会いになる重要なイベントよ?


 シナリオが改変されているの?

 誰が……ひょっとして悪役令嬢ジェニファーも、『華麗なる聖女の階段』のプレイヤーの転生者?

 だってシナリオ改変で一番の受益者は、断罪されるはずの悪役令嬢だもん。

 でもどうやって……。


「院長先生、そこのリリーさんとお話がしたいのです。個室を貸してもらっていいかしら?」


 うええええええ?

 悪役令嬢ジェニファーったら何を言い出すの?

 あっ、でも転生者かどうか確認するチャンス?

 いえ、悪役令嬢も私のことを転生者と疑ってる?


「もちろんですとも。リリーもおいでなさい。ジェニファー様は公爵令嬢だから、失礼があってはなりませんよ」

「は、はい……」


 うう、身分差があって逆らいようがない。

 主導権を握られちゃってる。

 個室へ連れていかれて……あれ?

 悪役令嬢は従者すら部屋に入れないのね。

 いよいよ前世の話をされるのに間違いなさそう。


「さて、リリーさん。わたくしに聞きたいことがあるでしょう? 互いの身分差を考えると、今後腹を割って話す機会はないかもしれませんよ?」

「……」


 おそらく悪役令嬢ジェニファーは『華麗なる聖女の階段』を知っている。

 だから『聖女』になる私を探ろうとしているんだ。

 私が転生者という確証がないから。

 ならばこの場だけしらばっくれてやり過ごせば、『聖女』のギフト発現後に挽回のチャンスが……。


「だんまりですか。自分の立場がおわかりでないようですね。例えばわたくしが今ここであなたに無礼をされたと騒ぎ立てるとします。するとあなたは即投獄されて、来年聖授の儀式に参加する資格を失います。『聖女』のギフトは授かりません」

「げ……」


 ちょっとタンマ!

 悪役令嬢の言う通りじゃない。

 自分のピンチにビックリ。

 私が転生者であろうがなかろうが、ここで始末する気だったのね。

 そ、そんな方法があったとは……。


 おまけに『聖女』のギフトは授かりませんときた。

 悪役令嬢ジェニファーは、完全に『華麗なる聖女の階段』を把握しているのね。

 これは慈悲に縋るしか逃げようがない……。


「ごめんなさい。降参です。私も前世の記憶がある転生者です。『華麗なる聖女の階段』も知っています」

「やっぱりリリーも転生者だったのね。話が早いわ。共闘しましょう」

「は?」


 共闘?

 私は処分されるんじゃなくて?


「私は生かしてもらえるんですか?」

「あなたは前世の記憶がある協力者よ。二人きりの時はジェニーって呼んで、言葉も崩して」

「えっ? じゃ、じゃあジェニー」

「ええ、それでいいわ」


 ニコッと貴族らしくない満開の笑顔を見せるジェニー。

 まあ美人。


「ちょっとこれを見てくださる?」

「ええと、何これ?」

「お妃教育についての想定問題集。今わたくしのところにアントニー殿下の婚約者としてどうかと、内々に打診が来てるのよ」

「やっぱり『魅了』を使って殿下を籠絡したの?」

「まさか。冷静に状況を考えれば『魅了』なんか使わなくたって、一番手にわたくしのところへ婚約の打診が来るのは当然なんですもの」


 なるほど、公爵令嬢だもんね。

 詳しい貴族の勢力バランスは知らないけど。


「わたくしは今年の聖授の儀式で『魅了』を授かったけれど、ギフトについて他所に漏らさないよう、司祭にはお金を握らせて口止めしてあるのよ。『華麗なる聖女の階段』のシナリオを知っていれば、『魅了』なんか使う気にならないでしょう?」

「確かに」


 どのルートでも、結局『魅了』を悪用したことを問題視されて処断されるもんね。

 悪役令嬢賢い。


「もっとも王家だけには、わたくしが『魅了』持ちであることを報告してありますけれどもね」

「王家からも文句を言われる筋合いがないということね。完璧じゃない」

「かどうかはわからないけれど。それでこの紙の束は、王子妃教育のごく初級の内容なのよ」

「……何書いてあるかさっぱり。私は字すら読めないもん」

「でしょう? だってリリーは教育を受けてない孤児なんだもの。当たり前だわ。ゲームではわたくしを断罪して盛り上がったところで、煌びやかな令息の誰かと結ばれてエンディングよ? でもこうして『華麗なる聖女の階段』の世界に転生してみると、読み書きすらできないのに後の生活で幸せになる未来って、考えられないでしょう?」


 ……全然思ってもみなかった。

 でも読めもしない文字列を見せられると、ジェニーの言う通りな気がする。

 教養ある令息のパートナーに、私は全然相応しくないわ。

 読み書きできたとしても、多分前世の知識が通用するのは算数だけね。

 教養も技術もない私は、『聖女』である他にセールスポイントがないじゃない。

 急に心細くなった。


「『華麗なる聖女の階段』のシナリオ通りになると、わたくしはもちろん、エンディング後はおそらくリリーも不幸になるの」

「うん、理解したわ」

「そこで共闘しようってことなのよ」

「どういうこと?」

「つまりわたくしがアントニー殿下を引き受けるから、リリーは他の攻略対象に目を向けてってこと。わたくしがアントニー殿下と結ばれて、かつ『聖女』リリーと親友って状態が最も王国が安定しそうなのよ」


 平和な生活のために、国の安定まで視野に入れてるのね?

 そうだ、後ろ盾もなく何も知らない私が王子妃を目指したら、国がどうなるかわからないもん。

 ゲームならともかく、現実になってみると怖い。


「でも私が無教養では、結局ダメなんじゃ……」

「リリーをスタンドピーク公爵家で引き取ります」

「えっ?」

「今のままのあなたでは使いものにならないわ。スタンドピーク公爵家で責任を持って教育します。これでわたくし達双方のウィンウィンの未来が見えてくるわ」

「あ、ありがとう」

「ありがとうなんて言ったって、勉強内容は甘くならないわよ?」

「ひえええ!」


 とにかく私にも見えてなかった道筋が開けた。

 ジェニーには感謝しかないわ。


          ◇


 ――――――――――三年後。ジェニファー視点。


 リリーとは真の意味での親友になりました。

 リリーが聖女となってからは、他人を憚ることなくリリージェニーと呼び合っています。

 やっぱり前世と『華麗なる聖女の階段』を知っているわたくし達は、価値観も似ているから。


 リリーが聞いてきます。


「アントニー殿下とは順調なんでしょ?」

「もちろんよ」

「『魅了』も使うことなく?」

「当たり前です」


 『華麗なる聖女の階段』のシナリオと違うことがあります。

 それは『聖女』リリーがアントニー様に色目を使わないこと。

 しっかり教育を受けたリリーは、上流階級の令息にとって目新しい、平民じみた天真爛漫な態度を見せなかったこと。

 よってアントニー様もまた『聖女』に食指を動かすことなく、わたくしとアントニー様は穏やかな愛を育むことができたのです。


 わたくしの『魅了』の力は王家と取り決めで、許可なくして使わないということになりました。

 いざという時の必殺技扱いですね。

 それでいいと思います。


「リリーのお相手は誰に決めたの?」


 『華麗なる聖女の階段』の設定からすると、『聖女』は自分の相手を自由に決めていいはず。

 リリーためらっていますか?


「……決めたわけじゃないんだけど」

「盟約に基づき、全力でサポートしますわよ」

「そんな盟約だったっけ?」


 リリーが首をかしげてますけど。

 わたくしはリリーに大感謝していますからね。

 リリーにも幸せになって欲しいのです。


「リリーも貴族学校に通ったから、選択肢が増えたでしょう?」

「うん。今になってわかるけど、やっぱりそれなりの人と結ばれたいと思うなら、貴族学校に通ってないとダメね」

「でしょう?」


 原作ではリリーは貴族学校で学んでおらず、イベントや事件を通して攻略対象と出会うのですが。

 貴族学校は人脈形成の場であり、また卒業生でないと上流階級の人間と認められないという現実がありますから。

 いかに『聖女』とはいえ、貴族学校の卒業生でない者が高位貴族の令息の婚約者となるのはちょっと。


「ジェニーが教えてくれて本当によかった」

「あら、わたくしだって『聖女』のリリーと親しいということで、一目置かれていますのよ」


 たまたま引き取ったリリーが『聖女』だったことで、見る目が尋常でないと思われているのです。

 たまたまじゃないですのにね。


「私だけだったら『華麗なる聖女の階段』の攻略と同じと考えて、実生活のことなんか無視してたと思う。ジェニーはすごいわ」

「お互い様ですってば。で、どの方がいいの?」

「気になってるのはカイル様。ロイド商会の」

「……ああ、ロイド男爵家の分かれで、新興商会の」

「そう」


 驚きました。

 『華麗なる聖女の階段』の攻略対象ではないモブです。

 どうした心境でしょう?


「ジェニーは仲良くしてくれるけど、やっぱり私は平民なんだよね。攻略対象は王子殿下以外も全員高位貴族の令息でしょう? ちょっとね」

「リリーはちゃんと考えてるのね」

「考える余地を与えてくれたのはジェニーなのよ」


 あっ、アントニー様?


「やあ、聖女殿とお茶会だったのかい? 僕も混ぜてくれよ」

「殿下、お邪魔しております」

「もう、アントニー様ったら。いらっしゃるなら連絡をくださいませ」

「ごめんごめん。ジェニファーは怒った顔も可愛いよ」


 アントニー様に抱きしめられます。

 リリーがいるのに恥ずかしいです。

 ニヤニヤしているではありませんか。


 前世で『華麗なる聖女の階段』をプレイしていた時も、わたくしの推しはアントニー様だったんです。

 正統派の王子様ですよ?

 ヒロインリリーでプレイして、悪役令嬢ジェニファーのあの手この手の攻撃を、必死で振り払ったものでしたが。


 今自分がジェニファーとしてアントニー様の婚約者だとは、感慨深いものです。

 わたくしはあなたの隣に相応しい女であるでしょうか?

 アントニー様が優しく微笑んでくださいます。


 リリーがボソッと呟きます。


「……既視感のあるシーンだ」


 そうです。

 『華麗なる聖女の階段』のアントニー様エンドで、『聖女』リリーが抱きしめられるラストシーンがありました。

 悪役令嬢がヒロインの立場に置き換わり、そのヒロインが真の幸せを求めて行動しようとしています。


 アントニー様のぬくもりに感じるリアル。

 これがゲームでない、本物の感覚なのですね。

 ああ、アントニー様、愛しております。

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