共に見上げる夜空

 ヨルに頼まれた『星』を作ると決めて、明けて翌日。

 セイは、幾つかのファイルを作業台の上で開いていた。

 温故知新とも言うし、ここは手始めに祖父の作品を見て着想を探ってみようかと思ったのだ。

 祖父は真面目で几帳面な人だったので、自分の作品は一つ一つ説明書きと共にリストとして残している。

 その中には、幾つも星をモチーフにした作品がある。

 同じ様に星をアレンジしても、祖父とセイの作品にはそれぞれに個性が表れているのが面白いと思う。

 寡黙な人ではあったが、作品はその人柄や言葉によらぬ思いを伝えてきている気がする。

 セイも、こんな風に思いを込めたい。

 ヨルは、彼の為に作ってくれたなら、と言っていた。

 セイがヨルの為に、彼を思って作る星には一体どんな思いが籠るのだろう……。

 思案しながらファイルのページを一枚、また一枚と捲って祖父の作品を目にする。

 工房に顔を出していたセイに、色々なことを教えながら数々の作品を作り出し続けた魔法使いのようだった祖父。

 祖父に助言を求められたらと思うけれど、今どこにいるのかもわからない。

 便りがないのは元気な証拠というけれど、些かそれが過ぎるのではないかと思う。


 祖父の手助けと、星。

 その二つの言葉を浮かべた時、一瞬痛みと共に脳裏に何かが過りかける。


 しかし、すぐにそれは霧散してしまい、何も思い出せずに終わってしまう。

 『星』について思うようになってから、自分でもわからないことが増えてしまった気がする。

 一体、何が起きているのか。何が起ころうとしているのか。

 考え続けたが、結局日中に星作りは前進せず。いつも通りに夕食を終えた後、考え事をしたいとまた工房に戻った。

 気づかわしげなヨルが、あまり根を詰めないで下さいと言っていたのであまり無理をしないように心掛けたい。

 目の前には、祖父の作品リストの他、祖父に倣って記録するようにしていた自分の作品リスト。

 追っていた背中とも言える祖父の作品の後は、この工房で、自分が今に至るまで歩んできた道のりとも言えるものを振り返っていた。

 そして、その道のりにはいつも仮面の青年が居た。

 着想が上手くいかずに唸っている時は、そっと温かい紅茶を差し入れながらアドバイスをくれた。

 ステンドグラス作りに打ち込んでしまえば日常生活がおろそかになるセイを、あれこれと言いながらも支えてくれた。

 ついうっかり買いすぎた本で床が歪んでしまった時には、溜息をつきながらも直してくれて。

ゲームや動画に熱中して夜更かしをした結果寝坊するセイを、毎朝起こしてくれる。

 自分が居て、ヨルが居て、つつじが居る。

 それが、自分にとっていつもそこにある世界のかたちだ。

 なら、自分にとってヨルはどんな存在なのか。

 ヨルを思い浮かべた時に、自然と浮かんでくる光景は夜空だった。

 星が輝いて見えるのも、背景として漆黒の夜空があるからこそと思う。

 静かな夜に、見上げた先にある輝きを守るものようにあるもの。

 人々が休息を求める刻に安らぎを齎してくれる、包み込むような存在。

 そこにあることが自然であるように、セイがセイとしてある為に傍にいてくれる。

 セイにとって、ヨルはまさしくそんな存在だ。


「夜空と、星と。……これが上手く形に出来たら」


 ただ星を作るだけではなくて、夜空ありての星のイメージを形に出来たなら。

 そう思いながら作業台に肘をついて大きく息を吐き出したセイは、ふと目を瞬いた。

 脳裏に不思議な声が響いたからだ。

 それは一つではなくて二人の子供の声。

 一人は少年で、一人は少女。

 二人は、声を顰めるように会話している。覚えがないけれど、不思議に心に馴染む声である気がする。


『君は、お星さまだよ。……そうだ、僕は……って呼ぼう』


 少年が言うと、少女の戸惑いが何故かセイに手に取るように伝わってくる。

 違うよ、私はそんなものじゃない。

 少女が言うのを優しく制する少年は、更に言葉を続けた。


『僕は……になる。……が輝ける、……の空になる』


 穏やかだけれど決意を秘めた、温かな言葉。

 違うと否定したくても、そうありたい、あってほしいと願ってしまう、心のよすがとなる言葉。

 少女は何と答えたのだろう。

 何故かそれは分からなかったけれど、でもきっと嬉しいと感じている気がした。

 だって、少女にとって少年は、ただ一人の……。


「……今の、空耳……?」


 不思議で、何故か切なく感じる『声』はそこで途切れた。

 沈黙と静寂が戻ってきて、疲れているのかなと心に小さく呟きながら頭を軽く左右に振ると、聞こえていた声は余韻すらも完全に消えてしまった。

 今のは一体何だったのだろうと思う。

 触れたいけれど触れたくない。ここ最近胸に抱くことが増えた感覚を、今の『声』にも覚えた。

 胸を締め付ける程の何かと共に。

 視線を窓の外に見回せば、そこには静けさを讃えながら広がる夜の闇がある。

 そして、見上げた先にはきっと夜空に輝く星が。

 調子を整えるように大きく息を吸って、吐いて。作業台の前から立ち上がったセイは工房を後にする。

 居間ではヨルとつつじがくつろいで過ごしていた。

 セイが玄関へと向かう様子を見ると、ヨルは首を傾げて問いかけてくる。


「セイさん? こんな時間に外ですか?」

「少し本物の星でも見上げてみようかって」


 もはや深夜と言える時刻にさしかかる頃である。

 困惑した様子の夜に、たまにはそういうのもいいじゃない、とセイが茶目っ気をこめて片目を閉じると、ヨルとつつじは顔を見合わせた。

 きょとんとした様子の一人と一匹を見ながら、セイは首を軽く傾げつつ口を開く。


「ヨルとつつじも一緒に見ようよ」


 どうせなら、みんなで一緒に見たい。

 幸いに雲はないようで、月の光が明るく辺りに降り注いでいるのが分かる。

 セイの提案に、一瞬考え込んでいた様子だったヨルは静かに頷いて同意して立ち上がり、つつじも、にゃあと鳴いてそれに続いた。

 連れ立って家の庭に出ると、辺りには静寂の夜闇が拡がっていた。

 微かな虫の鳴き声を耳にしつつ見上げると、黒を背景に大小の星が瞬くようにして輝いている。

 この辺りは中心部のように夜になっても辺りを照らすネオンはない。

 民家が少なく灯りも比較的少ないからこそ、星が綺麗に見えるのだろう。

 黒い天鵞絨に小さなガラスのビーズを縫い付けたみたいな空を見ながら、セイはあの星は何だろう、と口にした。

 するとヨルがあれは、と答えをくれる。

 ヨルは星に詳しいようで、セイがじゃああれは、と次々聞いても確かな口調で答えを返してくれる。

 感心したように見つめると、ヨルの声に少しばかりの恥じらいが滲む。

 昔、星が好きで、夜空を見上げるのが好きで、小さい頃は真剣に天文学者になりたいと思ったこともあるらしい。

 そうなのか、と思う反面、それなら何故祖父に弟子入りをすることになったのだろうと疑問に思う。

 セイの知らないヨルの過去を、もっと知りたいと思う。

 一緒に暮らしているのだから、聞いたとしても不自然なことではない。むしろ、何故今まで聞かなかったという感じではある。

 けれど聞いたら多分、この星空の下の時間は終わってしまうと感じる。だから。


「久しぶりだからかな。なんか、すごく懐かしい」


 ヨルに問いかけたいと思う心を必死に我慢しながら、セイはしみじみと呟いた。

 先程、脳裏を巡った不思議な『声』を思い出す。

 多分、あの少年と少女も一緒に夜空を見上げていた。一緒に、星を見つめていた。何故かそんな気がする。

 根拠を問われても説明できないけれど、確信は消えない。

 今、セイ達がこうしているように、温かで、けれど切ない心を抱えながら、きっと。


「こうしてまた、星を一緒にみたいな……」


 我知らずのうちに、セイの唇からは願いの言の葉が零れ落ちていた。

 星が瞬く夜に素直に心に生じた、小さな願い。

 この家に暮らすなら、晴れた日に一緒に庭に出ればいいのだから、いつでも叶うと思うのに。

 セイは不思議とこの願いが、自分から遠く離れた場所にあるような、悲しさと寂しさを覚えてしまったのだ。

 何で、と裡に呟くけれど当然ながら答えは出ない。

 分からない。最近、分からないだらけだ。

 分からないは不安を呼ぶ。セイの内側に靄のように不安が湧き上がりかける。

 けれど、その瞬間セイの耳に柔らかな響きが下りた。


「見られます」


 ヨルだった。

 仮面の目で静かにセイを見つめながら、ヨルは穏やかで確かな声音で告げた。

 不安と、それを打ち消すように感じた安堵の反する感情に未だ戸惑うセイに、ヨルは続ける。

 静かに、噛みしめるように数多の思いを込めて。


「セイさんが望んでくれるなら。あなたが、忘れないでいてくれるなら、きっと」

「……うん」


 一瞬、きょとんとした顔で目を瞬いたセイは、次の瞬間に笑みを浮かべる。

 セイは、それ以上何も言わなかった。ただヨルの顔を見て、一度頷いてまた空を見上げた。

 心の中に、問いはある。

 どうして、そう言い切れるの? と。

 ヨルが何故そう言えるのか。何故、ヨルの言葉でこんなに安心できるのか。

 でも、ヨルがそう言ってくれるから。だから、きっと確かなのだと感じることが出来る。

 それは、静かに自分の背を押してくれる『何か』になる……。

 腕の中でつつじが小さく鳴いた。

 笑みを浮かべながらセイは、育ちゆく、分でも分からない『何か』を胸に、ただ黙って星を見上げる。

 夜の空に守られた星は、静かに、けれど確かにそこにあった――。

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