彼は星を願う
幸いなことに、セイの体調に異変らしきものはそれきり起きなかった。
話を聞いた由紀子は、念のために病院にいったほうがと言ってくれたものの、ついつい笑って誤魔化してしまう。
セイは出不精を極めているので、基本的に外に出たくない。
余程大事な手続きなど以外では、工房に籠り切りといっていい状態だ。
外に出る用事は大体のところヨルがしてくれるし、趣味嗜好品などの買い物だってありがたいことに通販で色々変えるご時世。
そして、病院というのは大抵の場合非常に混雑していて、待ち時間も長い。
併せて考えると、どうしても引け腰になってしまう。
セイの様子を見て由紀子は溜息をこぼしていたが、ヨルが「いざとなったら引きずってでも連れていきます」と朗らかに告げると安心したようだった。
大いに物申したいところはあったが、セイは敢えてそれ以上何も言わなかった。
いつもと同じ様に朝食を終えた後、セイは工房にて作業に注文の品を作るのに専念し、ヨルはそれを手伝う。
つつじは日向で丸くなってくつろぎながら、二人が楽しそうそうに会話しながら作業する様子を眺めていた。
言葉にしなくても、次の瞬間にはヨルはセイが必要とするものを差し出してくれる。
彼自身も祖父に師事していた身で、手順が分かるからというだけではない。
伸ばした指先には、次に使いたいものを渡してくれる指先がある。
打てば響く。呼吸がぴたりとあう。表現するとしたらそんな感じだろうか。
ふと、隣で頼んだ作業をしてくれているヨルの方へと視線だけ巡らせる。
いつも手伝ってくれているが、ヨルだって一人の硝子職人だ。
ヨルも自分の作品を作ればいいのにと思う。
設備や資材に余裕がないというわけではない。二人でそれぞれ別々の作品を作ったとしても大丈夫である。
せっかく祖父のもとで学んでいたのだ。自分で作ってみたいものや目指すものだってあるだろう。
それなのに、今はセイさんのお手伝いが出来ればいいです、とやんわり断るのだ。
顔のない仮面をつけたままのヨルの表情は見ることはできない。
でも、そういう時のヨルの雰囲気は、何故かとても懐かしくて。きっと優しい表情をしているのだろうなと感じる。
だから、セイはそれ以上何も言えなくなってしまうのだ。
一つ息を吐いて、視線を手元に戻す。
作業台の上には、星を意匠とした、温かな色味を基調としたグラデーションを描く傘を被せたランプがある。
時見から頼まれたステンドランプだ。
丁寧な仕上げが終わり、入念に様々な角度から確認する。
よし、と呟きながら頷いて顔をあげる。
「ヨル。時見さんに連絡して。ご注文の品が完成しましたって」
ヨルは頷いて、スマホを手に取ると時見に連絡を取り始める。
確か贈答用ということだったが、今までの注文の例に倣うと包装については引き取った後に時見が手配する筈だ。
移動に耐える箱と緩衝材を用意しておかないと、と資材置き場となっている場所を探していると、顔をあげた。
「時見さんから、今日所用が終わったら顔を出すと。今は大沼だと言っていましたから、夜になると思いますが……」
「え? 新道を下りてからここまで大分あるのに。それなら、無理に今日じゃなくても……」
思い切り怪訝そうな声をあげつつ、首を傾げるセイ。
大沼から函館へと帰ってくるのに、恐らく彼は函館新道を通ってくるだろう。
函館新道とは、国道5号のバイパス道路。冬期間でなければ下の旧道ではなく、そちらを通るだろう。
ただ、新道の出口からここに来るには、函館市内をほぼ端から端に横切る形となる。
時見の住まいは確か中心部だという。疲れた体に鞭を打つ真似をしなければならない程、時間的に切羽詰まっている感じでもなかったのに。
「セイさんの顔を見たいから、と」
「まーたそういうことを……」
ヨルが続けて口にした時見からの言葉に、セイは思い切り大きな溜息を吐いた。
好意を隠そうともせず、明確にかつ積極的にアピールしてくる男性に、セイは思わず天を仰ぐ。
こちらから理由をつけて今日は断ろうか、とセイが心で呟いていた時、ヨルは一呼吸置いて続けた。
「お土産に大沼だんごを買っていくとのことでした」
「お迎えの準備しておこうか。あ、外の電灯つけておいてね」
ころっと心の裡の言葉とは正反対の言葉を口にしながら、セイは目を輝かせた。
それまでの気乗りしない様子とはうってかわった朗らかさである。
清々しいまでの変わり身の早さに、ヨルとつつじは苦笑いを浮かべながら溜息を吐く。セイは本当に甘いものに弱い、とつつじが呟けば、ヨルは何とも言えない表情で頷いた。
団子が届くまでに作業を終わらせておくか、などと張り切り始めたセイを、ヨルはそのまま何も言わずに見つめていた。
「セイさんに、お願いがあります」
張り切る勢いのままに、別の作業に取り掛かろうとしたセイの耳に改まった声音で紡がれた言葉が聞こえる。
目を見張ってそちらを向けた、姿勢を正してセイを見つめているヨルがいる。
どうしたの、と口にしたいけれど、何故かそれすらも出来ない程に神妙な雰囲気を纏いながら。
小さくつつじが鳴いた。
自分を凝視したまま続く言葉を失っているセイと真っ直ぐ向き合いながら、ヨルは何かを躊躇っている様子だった。
だが、意を決した様子で漸く彼は『願い』を口にした。
「……私に『星』を作ってもらえないでしょうか」
「星……?」
仮面の青年が静かに口にした願いの言の葉を、やや呆然とした声音で鸚鵡返しに呟いてしまう。
星。
セイが日頃好んで使う、作品のモチーフ。
星を意匠として沢山の作品を作って来た。
だからこそ、彼の願いに戸惑いを覚えてしまうのだ。
「星、って言っても。どんな……? 種類とか、色とか、もう少し……」
困惑を隠しきれないままセイは、途切れ途切れに口にする。
そう、星を作ってほしい、とだけ言われても。
星といっても、漠然としすぎている。
星のモチーフということなのだろうか。それならば、星のモチーフの何?
時見の注文で作ったようなランプか、工房にて目を引く飾り窓のような窓か。
大小様々にステンドグラスを使った工芸作品は存在している。セイのレパートリーだけでもそれなりの種類だ。
それに、ステンドグラスだけではない。
工房にある設備として、ステンドグラス以外にも吹き硝子など、他の技法で作ることも可能だ。
如何なる技法で、如何なる形にでも作れる中、示された願いは『星』。
ただ『星』と言われても、何を作ればいいのか。
そして、何故突然ヨルはそんな願いをセイに告げたのか。
作りたくないとはけして言わない。だが、頷くには戸惑いが大きすぎる。
分からないことだらけで唯々困惑するばかりのセイに、ヨルはもう一度丁寧に頭を下げた。
「詳細はお任せします。セイさんが私の為に作ってくれる『星』ならば、何でも」
ヨルはそれだけ告げると、夕食の支度をしてきます、と言って工房から立ち去ってしまう。
残されたセイは、暫くの間呆然と立ち尽くしていた。
外に広がる景色は、空の色が赤みを帯びるにつれて色調を変えていく。
夕暮れ時の光を浴びて煌めきを放つ海を遠くに見ながら、セイは静かに息を吐く。
やがて、空には星の輝く夜が来る――。
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