夏の夕に集いて

 また少し日が経って。その日セイとヨルは、物置小屋を開いていた。

 色々と工房に物が雑多になってしまったので、要る物・要らない物とを一度分けようということになったのだ。

 運び入れるものを置く場所を確保するために、まずは物置内にあるものの仕分けをする。

 なかなか物が捨てられない性質が災いし、作業の進みは芳しくなかったが。ヨルの適切なアドバイスを受けて、少しずつ物を運び入れるスペースが出来ていく。

 そろそろ工房から運ぶ行程に移ろうかとヨルに呼びかけようとしたとき、ふとあるものに気付いた。

 開いた痕跡に申し訳程度にガムテープをはった、それなりに大きさのある古い段ボールの箱だ。

 箱に書いてある商品名やメーカーから、セイはそれが何かを知る。


「これ、バーベキューコンロ?」

「ああ、おじい様が大分昔に買われたものですね」


 テープを取り払い開いていると、ヨルがそれに気付いて声をあげる。

 中から表れたのは、確かにバーベキューコンロである。それも、結構しっかりとした作りの。

 ただ、妙に新しい。いや、新しいというわけではなくて……。


「あんまり使った形跡がないような」


 怪訝そうな表情でセイが首を傾げると、ヨルが苦笑交じりに説明してくれる。


「ご家族でバーベキューを、と思っていらしたようですが……奥様は、上のお嬢さんの受験や進路の事でいっぱいで」

「結局実現しなかった、と……」


 ヨルは多分、家族でバーベキューをしたいという祖父の願いの顛末を聞かされていたようだ。

 祖父としては家族で団らんの時を持ちたかった。

 けれど、それは妻から拒絶されたのだ。

 自分は娘……つまりはセイの母の為に忙しいのだから、そんな暇はないと。

 そして、目的を失ったバーベキューコンロはこうして物置で眠りにつくことになってしまった。


「下のお嬢さんがキャンプに行った際に一度か二度、使われたそうです」

「叔母さんが」


 完全に新品というわけではなかったのは、叔母が持ち出したからか。

 それならば、まだ完全に無意味にはならずにすんだのかと改めてコンロを見る。

 叔母は母の妹である。

 同じ市内に暮らしていて、家庭も持っている。

 祖母に厳しく育てられた母に比べ、進路も就職も比較的自由だったらしい。

 昔は、よく色々経験したことを楽しそうに話してくれていたし、何かと気にかけてくれていた。

 けれど、母と叔母は折り合いがあまりよくないらしい。

 確かに、二人が顔を合わせる時の空気は幼心にも良好とは言いがたかった。

 そのせいか、年々話す機会も少しずつ無くなっている。

 どうしているか気になったが「今更何を」と言われそうでこちらから連絡をし辛い。

 元気にしていてくれればいいがと思いながらも、感じる苦さと不安めいた心を振り払うようにセイは再びコンロを見る。


「これ、まだ使えるのかな」

「大丈夫ですよ。しっかりした作りですし、まだ使えます」


 悲しい真新しさを湛えるコンロを見ながら、セイは首を傾げる。

 何か勿体ない、と呟いたセイの言葉を聞き取ったのか、ヨルは何か思いついたという風にセイに問いかけた。


「それなら、バーベキューをしてみませんか?」

「え? うちで?」


 ヨルの提案に、きょとんとした表情で彼を見てしまう。

 ヨルは静かに頷きながら、周囲を手で示してみせつつ問いに対する説明を口にする。


「せっかくお庭もありますし。これだけ離れていれば、ご近所への音や煙の問題も大丈夫だと思います」


 民家が密集した場所でなら、煙や騒音の問題が発生するらしいが、この家は近隣の家とは少し距離がある。

 庭でバーベキューをしても、即座にトラブルとはなるまい。

 ヨルに静かに説明されて、セイは暫く考え込んでいたが、不意に呟いた。


「そういえば。……バーベキューって、したことないかも」


 学校の同級生が楽しそうに話しているのを、羨ましく思いながら遠目に見ていたのは覚えている。

 だが、キャンプや行楽地で、といった記憶は、曖昧な記憶の中から探せど探せど見つからない。

 勿論、庭や玄関先で、といった記憶もない。

 故に、多分セイはバーベキューをしたことがない、気がする。

 そんなものは必要ないからと、誰かが険しい声で言ったから……。

 やや置いてから、セイは目を輝かせて「やりたい」と口にしていた。

 それを聞いたヨルは頷いて見せつつ、準備をしましょうと言ってくれる。

 まずは荷物の運び入れをしてしまって、それからコンロの手入れや材料の準備をしましょう、とヨルは楽しそうに言った。

 二人で手と足をそれまで少し速度をあげて動かしながら、心弾む様子でバーベキューの打ち合わせをする。


「それじゃあ、時見さんにも声をかけてみますか」

「そうだね。都合があうなら、人は多い方がいいかも」


 なら、由紀子さんにも声をかけようというと、ヨルは頷いて同意する。

 二人への連絡はヨルが引き受けてくれることになった。

 時見へ事の次第を説明し誘いの声をかける段になって、ヨルは鼻歌交じりに言った。


「多分時見さんなら、セイさん会いたさに買いだしも快く引き受けてくれるでしょう」


 ヨルも大分時見を使うようになったな。

 頼もしいといっていいのか、どうなのか。口には出さないものの、複雑な顔をするセイだった。


 やがて陽は沈み、空はゆっくりと鮮やかな茜から暗みを帯びた朱に転じていく頃。

 手元をうまく照らせるように灯りとしてランプを設置した庭に、セイとヨル、つつじ。それに時見の姿があった。

 由紀子達にも声をかけたのだが、生憎今日は娘や孫たちと出かけるとのことだった。

 是非今度ね、と言いながら出かけていったという。

 ヨルと時見が手早く火を起こしてくれたおかげで、セイ達の目の前では既に金網が充分に熱されている。

 いざ肉を置くかというところで、ヨルが少し躊躇いがちに時見を振り返る。


「本当に良いんですか? かなり良いお肉ですけど……」

「貰いものだから気にしなくていい。一人で食べ切れずに悪くしてしまうより良いさ」


 ヨルが恐る恐るといった口調で聞いてしまうのもわかる。

 確かに、かなり良いお肉だった。セイですら見てわかるぐらいの。

 恐らくスーパーで見かけたら、値段を見て手を伸ばすことすらやめてしまうような。

 そもそも、しっかりとした木箱に入っていた段階でもう次元が違う気がする。

 どう考えても贈答用の類ではと思っていたら、時見の答えは案の定だ。

 これをバーベキューで焼いてしまっていいのかと戸惑うヨルとセイに、時見は笑って手を振っている。

 しかし、セイが思わず真顔になってしまうのは肉だけではない。

 時見はバーベキューの計画を聞かされた時、適当に材料を見繕っていくと返してきたという。

 が、彼のいう『適当』とは一体、とセイもヨルもつつじも思ってしまっている。

 ソーセージは市内で有名なお店のものであるし、刺身で食べられそうな程に鮮度のよい良い大きな海老や貝。それに魚の切り身。

 野菜もつやつやと瑞々しくて立派、どう見てもこれはそこらへんで適当に選びました、というラインナップではない。

 その上、材料費を出そうとしても煙にまくように笑って受け取ろうとしない。

 最初こそ渋い顔をしていたセイ達だったが、こうなったら割り切って思い切り楽しんでやる! と食材を焼き始めた。

 といっても、焼く係は専らヨルである。

 役割的に性に合っているというのもあるだろうが、何せヨルは仮面を外せないのだ。

 せっかく楽しい御馳走なのにヨルだけ食べられないなんて、とセイの顔が曇ったのを察したらしい。

 後で必ず頂きますから言いながら、ヨルは焼けたお肉の第一陣をセイの持つお皿にのせてくれた。

 つつじには、焼けた魚の切り身をほぐして少し冷ましてやっている。

 材料の提供者である時見を差し置いていいのか、と一瞬視線を時見へ向けるが、時見は笑って頷いている。

 セイはお肉を、つつじは魚を同時に口にして。

 同時に、ほうっと感嘆の息を吐いた。


「ああ……美味しい……」

『うん、すごく美味しいね!』


 材料がいいからこそ、シンプルに塩胡椒で焼いただけなのが活きている。

 ヨルの手による焼き加減も絶妙で、旨味が口に広がったと思えば、溶けた。

 顔を綻ばせて頬を赤くする一人と和んだ様子の一匹は、気が付いたら揃って嬉しそうに呟いていた。

 それを見た男性二人は顔を見合わせると、笑み交じりの声音で言葉を交わす。


「本当に美味しそうに食べるね。これなら、日々料理も作り甲斐があるだろう?」

「ええ。セイさんもつつじも、美味しいと喜んでくれるので作る方としても張り合いがあります」


 全身全霊で美味しいと訴えているようだ、とヨルは言う。

 セイとしては、せっかく作ってもらったものだから、美味しいならそれをきちんと表して食べたい。

 けれど、少しだけ子供っぽかっただろうか、と少し恥ずかしそうに視線を巡らせてみると。

そんなセイの様子を見ていた時見が軽く吹き出したが、すぐにいつもの余裕ある笑みに戻り、セイへと首を傾げて見せる。


「いつでも美味しい甘いものも、美味しいお肉も食べさせてあげるから。遠慮しないで私のところにお嫁においで」

「時見さん。お菓子に加えてお肉で餌付けしようとしないで下さい」


 あまりに自然な様子で再び求婚を口にする時見に、釘をさすようなヨルの冷静な声が続く。

 顔が見えたらジト目をしているのではないかという様子のヨルを見て、時見は苦笑する。

 さすがに食べ物でつられて結婚を決めるなど、良い大人としてはどうなのかと思う。

 だから、セイは精一杯重々しい口調で告げた。


「……そ、そんなこと言われても頷きませんから」

『セイ、今動揺してた』


 つつじの落ち着いた指摘が痛い。

 出来る限り静かに落ち着いた声音で告げようとしたはずが、何故か若干声が裏返っていた。

 いや、動揺していたわけではない。

 お肉があまりに美味しくて、感動で上ずっていただけだ。

 視線が泳いでいるのも、きっとそのせいだ。

 笑いを噛み殺している時見と、仮面の向こうから感じる多分静かなヨルの眼差しと、つつじの呆れたような視線が痛い。

 気を取り直すように軽く咳払いをすると、ヨルは続けて焼けたお肉をそれぞれの皿にのせた。


「はい、また焼けましたよ。さあ、食べて下さい」

「ありがとう、ヨル」

「ああ、ありがとう」


 次もまたすぐに焼けますからね、というヨルに礼を言って肉にとりかかるセイと時見。つつじもまた、毟ってもらった魚の切り身に必死である。

 遠い水平線に燃えるような夕陽がおちていくのが見える。

 あたりを赤く染め、そして消えていく夕陽を見ながらセイは目を細めた。

 夜には少し涼しくなるけれど、確かに夏の気配を感じさせる風が吹きすぎる。

 こんな風に親しい人々で夜空を見上げながら、楽しい時を持ったのは初めてかもしれない。

 何故かそれをしてはいけないと……『楽しい』に罪の意識のようなものを感じる自分が居る。

 誰に言われたわけでもないのに。

 いや、誰かに言われた……? それなら、誰に……? 何で……?

 何故か寒々しい物思いに耽りかけたセイを、不意にかけられた言葉が呼び戻す。


「楽しいですか? セイさん」


 優しいヨルの声音に弾かれたようにそちらを見れば、軽く首を傾けているヨルの姿があった。

 その後ろには見守るような眼差しの時見と、同じくこちらを見ているつつじがいる。

 セイは、浮かびかけた物思いを消し去ろうとするように、満面の笑みを浮かべて頷いた。


「勿論、凄く楽しい!」

「その笑顔を見られただけで、来たかいがあったというものだ」

「まだまだありますから、いっぱい食べて下さいね」


 セイの顔に浮かんだ輝くような笑みに、満足げに時見は頷き、ヨルは嬉しそうに更に勧めてくれながら食材を焼く手を動かす。

 つつじも嬉しそうにセイの足元を回ったかと思えば、身体をすりつけて甘えてくる。

 本当に、楽しい時間だと思う。

 またこんな日があったらいい、と思う。

 また、ここにいるみんなで。こんな風に時間を過ごせたらと願う。

 同時に、不思議な感覚を覚えている自分に気付く。

 楽しいと思えば思うほど増す、棘が刺さったような不思議な痛み。

 奥にわだかまる形容しがたい不安が、ゆらゆらと蠢いている。それが、楽しさの渦の中、セイを熱狂させたままでいてくれないのだ。

 けれど、今は。

 精一杯に楽しい、だけを感じていたい。

 今この瞬間を、ただ楽しんでいたい。笑いあって過ごしたい。

 この場に満ちた温もりを、この先もずっと、けして忘れずに居たい。

 セイはただ、それだけを願って、二人と一匹へ出来る限り一番の笑みを浮かべた。

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