第31話
帰り道、家に着く前からわたしはこれまで引っかかってたことを聞いていった。
樹希さんがわたしの事を好きなのは分かったけど、それにしても謎が多いというか……どうしてその行動を取ったのか、分からないことが多かったから。
「なんで、バーで働いてたこと……教えてくれなかったの」
まずは全ての勘違いの原因である、そのことについて聞けば、樹希さんは「うぅん…」と言いづらそうな雰囲気で喉を鳴らした。
……やましいことが、あるのかな。
ここに来てまた疑惑が持ち上がって、だけど一旦は冷静になろうとざわついた心を落ち着ける。
「その……行ってみたいとか言われちゃったら、困るな…って」
「どうして?」
来てほしくなかったって暗に言われて、ちょっと凹んだ。
「うちの常連みんな絶対だる絡みするだろうし……今まで関わってた女の子も、けっこう来るからさ。色んな意味で嫌な思いさせちゃうのが、嫌で…」
だけどそれも、彼女なりの気遣いだったと知って、すぐに反省する。こうやって勝手に自分の中で決めつけちゃうから良くないって、思ったばっかりなのに。
長年の癖のように凝り固まった思考回路は、なかなかすぐには治ってくれない。
「あ。そうだ…」
そこでまた他の聞きたいことを思い出して、足を止める。
「年始にホテル行った時……女の子から、たくさんメッセージ来てたよね?あれは…?」
「え、ただのあけおめ連絡だけど…」
「で…でも、今度はホテル行こうね、とかまた会いたい…って、ハート付きで来てたの、わたし見ちゃった…」
「あー……それ、バーによく来る女の子たちだね。冗談でよく口説いてくるから」
なんでもないことみたいに言われたけど、冗談でも口説かれるの嫉妬しちゃう……のは、さすがに面倒くさいかな。
仮にその頃から付き合ってた認識なら、それはもう一種の浮気なんじゃ…ってモヤモヤしすぎて、言葉が出てこなくなってしまった。
……過去にえっちしたことある女の子達と、未だに会ってるのも嫌だけど…そこはお仕事だから、仕方ないって感じなのかな。
樹希さんとわたしの考えのズレが、ここまで大きいだなんて知らなかった。
それもこれも、全ては話し合いを避けてきちゃったからだ。…もっとちゃんと、色んなことを聞いて話して、向き合ってくればよかった。
「そ、そういうの……なんて、返信してるの?」
「あぁ…見る?」
やっとの思いで聞けば、樹希さんはこれまた平然とした態度でスマホを取り出した。
「えぇー…っと、これとか?」
何度かスクロールして見せてくれた画面には、
『今度はホテル行こうね!』
『今日も来てくれてありがとうございました!ホテルよりも店の方が楽しいっすよ!ぜひまた来てください笑』
思ってたより他人行儀な返信内容が表示されていた。
他にも『また会いたい♡』の子に対しても『バー来る時教えてくれたら、秒で出勤して待っときます!店で会えるの楽しみにしてます!』と、似たような返事をしていた。
……いわゆる、営業メール的な。
あくまでも店員として接してるだけで、何もやましい事がないから見られても平気だったんだ…と、腑に落ちた。
でも、正直ものすごく複雑ではある。
樹希さんにとっては当たり前の業務のひとつと分かったとはいえ、相手の子が本気だったら…とか、そういう可能性を考えて不安になった。
「樹希さんって……ほんとモテちゃうんだね…」
「確かにモテるけど……あそこ、ビアンバーだからさ。ビアン同士、ただ親しみやすいだけってのもあるよ」
「…ビアンバー?」
「うん。名前の通り、ビアンの人達が集まるの。基本的に男立ち入り禁止で……ノンケのお客さんも来るっちゃ来るけど、ほとんどみんな女の人が好きな女の人ばっかり来んの。あとバイの子とか」
「そういうところがあるんだ…」
出会いを求めて来る人も多いらしくて、そういうお客さんからのアプローチも冗談含めけっこうあるんだとか。
それを聞いちゃうと嫌ではあるけど、大事なお客さんだから無下になんてできないよねと納得する。
なんだか知らない世界を生きてる人みたいで、樹希さんの存在が遠く感じた。
彼女はいきなり居なくなってしまう恐怖もあるから…
「……どうして旅行の後、出て行っちゃったの」
そこで、ようやく理由を知りたくて仕方なかった本題に入った。
樹希さんはすぐには答えてくれなくて、スマホをポケットに戻した後は何も言わずに夜空を仰いだ。
「なにから話したらいんだろ…」
彼女の中にも複雑な思いがあるようで、しばらく言葉を探してるのか無言が続いた。
「…優奈ちゃんはさ」
「う…うん。なに…?」
「結婚するのが、夢なんでしょ?」
次に口を開いた時、意図の汲めない質問をされた。
なんでそんなこと聞くんだろう……と、思って、ふと。
その言葉を、わたしは彼女の口から過去にも聞いたことがある、ということに気が付いた。
だからもちろん、後に続く言葉も知っていて。
だと、したら……
嫌な予感が、心を埋め尽くす。
「い、や……やめて…」
聞きたくなくて首を横に振ったのに、樹希さんは止めることなく口を開いた。
「だから女の私じゃなくて、他に素敵な男と結婚して幸せになって」
自惚れていた気持ちは、一瞬で。
その一言で……結局、わたしはどこまで行っても、彼女がこれまで関わってきた女の子のうちの、ただのひとりなんだと突き付けられた。
樹希さんにとっての、特別な女の子にはなれなかったんだ…と。
「…って。そう言えたら、楽だったのにね」
どん底に落とされた心を掬い上げるように、彼女は眉を垂らして困った顔で笑った。
「私、女だから……結婚もできないし、子供だって産ませてあげられない。…優奈ちゃんに、幸せになってほしいって思えば思うほど……女の自分には、望んでることなんて何一つ叶えられないって、分かってるのに」
そう自嘲して、また笑う。
「この期に及んで……まだ諦めきれないんだよね」
ひどく自信を失った彼女は、傷心しきった苦笑で、それでも言葉を続けてくれた。
「…だからもう、私なんかそばにいない方が良いと思って。優奈ちゃんの幸せの邪魔になるだけだから」
初めて見る、これ以上ないくらい卑屈になってる彼女を見て、どう声をかけたらいいのか分からなかった。
わたしの知らないところで苦しんで、悩んでいたことも知らなくて、言葉はどんどん喉の奥に詰まって吐き出せなくなっていく。
「今まで、こんなことなかったんだ。…失恋した女の子が、立ち直ってまた次の恋愛に進めて、それで笑顔になってくれることが何よりも嬉しくて、だから優奈ちゃんも…って、思ってたはずなんだけど」
俯いた樹希さんの語尾は震えていて、何かを飲み込むように喉が動いた。
「……結婚して、男の隣で幸せそうに笑ってる優奈ちゃんを、見られそうもなくてさ」
女性らしい自分の、細く綺麗な手を見下ろした彼女は、悔しそうに下唇を噛む。
そして静かに、震える拳を作った。
「私が男なら、何も問題ないのに。そう思うばっかりで、いつか男のところに行っちゃうんじゃ…って余裕なくなって過度に束縛しちゃうのも嫌で、そばにいるのも辛くて……逃げちゃった」
顔を上げた時にはもう、樹希さんはいつもの調子でへらり、とした軽い表情を浮かべていて、今はどうしてか……それが逆に痛々しく思えた。
「ごめんね。こんな情けないやつで……優奈ちゃんの幸せを、手放しで喜んであげられなくて」
きっと、これまで。
望まれるがまま、求められるがまま応えてきた積み重ねが、彼女の中にある自分の存在意義を履き違えさせてしまったんだ…と思う。
どこまで行っても男には勝てない…なんて。
失恋する女の子を救うばかりの毎日で、彼女はどれだけの優しさを消費して、心をすり減らしてきたんだろう。
今向けているその言葉がすでに、何よりも大きな愛情だというのに……本人は気付きもしてない。
「嫌なことは、嫌って言って…良いんだっけ」
そんな不器用で愛しい樹希さんが教えてくれたことを思い出して、冗談めかして呟いた。
わたしが何を言い出すのか分からなくて不安なのか、怪訝で警戒した表情を浮かべた彼女を見上げて、微笑む。
「樹希さんが幸せにしてくれなきゃ、やだ」
照れて笑みをさらに深めたら、綺麗な顔が綺麗に歪んで、目に涙が溜まっていった。
「一緒にいてくれないと、いや」
わたしもつられて視界を滲ませながら、それでも微笑んで、震える唇を開いた。
樹希さんの瞳に、動揺と希望が宿る。
お互いもう、言わなくても答えは決まってた。
でも、それが良くなかったのも、もう知ってるから。
「だから、わたしと付き合って…?」
早く、こう言ってあげてればよかった。
本当にただ、それだけのことだったのに。
「愛してるよ、樹希さん」
「っ……優奈ちゃん…」
小さく腕を広げて、彼女の抱える葛藤ごと、抱きついてきた体を受け止める。
わたしたちに足りなかったのは、相手を思いやりすぎて何も伝えないっていう…対話の無さで、今回のことでお互い心底良くなかったと反省した。
だから家に帰ってからも、今までのすれ違いを埋めるように、体を重ねるより先にまずたくさん会話を重ねた。
「旅行の前と後で気持ちの変化があったのは…どうして?」
「……最初は、私が幸せにしたいとか思ってた時もあるんだけどさ」
「…うん」
「優奈ちゃんの実家に行った時、弟さんと話してるの聞いて……実はまだ結婚願望あるのかな、とか。優奈ちゃん優しいから言えないだけで我慢させてたのかな…とか、色々考えてたら自信失くなっちゃって…」
「そっか……気付いてあげられなくて、ごめんね」
「優奈ちゃんが謝ることじゃないよ」
ベッドの上で、お互い慰め合うように抱き締め合う。
こうして話して初めて、樹希さんが色んな想いを抱えてて、言葉にしないと相手の気持ちなんか分からないっていう……当たり前すぎる事を今さら自覚する。
「…今度からは、嫌なことも良いことも、ちゃんとお話し合いしよう?」
「……うん」
「もう、勝手に居なくなっちゃうのは嫌なの…」
「ほんと…ごめん」
「…わたしもごめんなさい」
変な我慢をしたり、自分の気持ちを押し殺すのは、もうやめようと。話し合って決めた。
おかげで体だけと思っていた関係が、違うと分かって、ふたりの認識や意識が明確に変わった日。
「おやすみ……優奈ちゃん」
「うん…おやすみ」
「…愛してる」
「ふふ…わたしも。だいすき」
この日、わたし達は初めて相手の内面を深く知っていって、体の奥深くまで入ることはせず穏やかに眠りに落ちた。
【ダメ女がイケメン女子大生と出会ったその日にお持ち帰りされる話】
第一部(?) 完
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