第29話

























 意味が、分からなかった。


 旅行を終えて、彼女は家からいなくなって。

 仕事続きの日々に戻った中で、きっとまた他の女の子の所にでも行ったんだろうと、帰ってこないことを当たり前に感じ始めていたある日。


 家に一通の手紙と、封筒が置かれていた。


 中には手切れ金なんだろう、数十万はある札束が入っていて、手紙には一言だけ「ごめん」と書かれていた。


「……なんで…」


 思い当たる節がなくて、ただただ戸惑った。


 喧嘩した覚えも、一方的に怒ったり、怒られたりもしてない。むしろ最後に会った旅行中の彼女は、どこまでも優しくて穏やかだった。

 愛してるとまで、言ってくれたのに。

 送った連絡はメッセージは全て未読で、電話にも出てくれなくて……完全に縁を切られた状態だと分かってから、またさらに困惑した。どうしてこんな急に突き放されたのか分からなくて、絶望もした。

 何度考えても、離れた理由を見つけられない。

 …わたし以外に、良い人でも見つけたのかな。

 一晩考えて導き出した結論は単純だけど、一番納得のいくもので。


「はは……そっか。わたしもう、用無しなんだ…」


 悲しすぎて、もはや涙すら出てくれなかった。


 彼女が居ないなら、彼女が帰ってこないこの家に居ても意味ないかな…って。

 そう思うのにいつまでも、心のどこかで帰ってくるのを願って待つこと、数週間。

 前に会ってから長いこと時間が空いたからか、わたしの近況を心配した凛ちゃんから連絡が入って、休日の夜に食事でもしよう…と、結局一度も彼女が帰ってこなかった家を出て約束の場所へ向かった。


「久しぶり!元気してた?」

「あ、はは。あんまり、かも…」

「?……なに、また恋愛でなんかあったの」


 待ち合わせた居酒屋の個室で、着いて早々に暗い顔をしてしまったわたしを、凛ちゃんは心配そうな表情で小首を傾げて聞いてくれた。

 ……凛ちゃんと樹希さんは知り合いだから、言わない方が良いかな?嫌な思いさせるかも。

 一瞬、良心が黙ることも考えたけど今はどうしても誰かに聞いてほしい気持ちが勝って、口を開く。


「…少し前まで、いい感じの人がいたんだけど」


 念のため、樹希さんの名前は伏せておいた。


「喧嘩したわけでもないのに、家に帰ってこなくなっちゃって…」

「え。同棲してたの?」

「あ……うん。同棲っていうか、その…付き合ってはないから、ただの同居…」

「ちょっと。また変な男に引っかかったんじゃないでしょうね」


 途端に機嫌を悪くした凛ちゃんを見て、慌てて首を横に振った。


「や、そんなに、悪い人じゃないよ…?」

「……どんな人?一応、聞かせて」


 これまでの恋愛遍歴から、完全に不信感を抱いてるようで、低い声を出されて焦る。

 ますます樹希さんであることは隠した方がいい空気を察して、とりあえず性別なんかもごまかしながらこれまであったことを話すことにした。


「すごく大人で……わたしの意思とか、されたくない事とか、聞いてくれるし…尊重してくれる優しい人だよ」

「…そもそも、なんで一緒に暮らし始めたの?」

「真司くんと別れた後……彼がまた来るかもしれないから、うちに来ない?って誘ってくれて…それで、一緒に暮らし始めたの」

「ふぅん……それだけ聞くと、ほんと優しそうな人だね」

「うん。実際、すごく優しくて……服とか、香水とかプレゼントしてくれたり、家事も家賃も分担してくれるし…気遣いな人で、色々尽くしてくれて」

「優奈にしては珍しく…まともな相手じゃん」


 それは、わたしもそう思う。

 そばにいた時も、離れてからも、あんなに優しい人は他に居ないって……今でも強く心は切望する。


「嫉妬とか、束縛とかちょっと激しめだったけど…それもまたかわいいっていうか」

「はぁ……そういうとこだよ、優奈」

「え?」

「ごめん。とりあえず、続けて」


 呆れてため息をつかれたけど、促されてまた話を続けた。

 今まで過ごしてきた時間を思い返しながら、言われた事やしてくれた事を話してるうちに、女の子と遊んでるかも?なんてことまでポロリと言っちゃって、その辺りから凛ちゃんの眉間には濃くシワが寄っていた。

 怒られちゃうかも、と顔色を窺いながらも話を進めていったら、最終的には呆れ通り越してもう笑われてしまった。


「ふっ、は……なんか、女癖の悪さだけは樹希みたいだね。そいつ」


 やっぱり隠し通すことはできなくて、薄々気が付いてそうな凛ちゃんの苦笑に、これはもう言っちゃおう…と勇気を出してみる。

 後で知って嫌な思いさせるより、今この場で伝えた方が良い気もしたから。


「実はね、その……樹希さん、なの」

「は?」

「あ…えっと。だから、その…相手の人……樹希さん、なんだよね」


 正直に話したら、凛ちゃんは目を大きく開いて絶句していた。


「…え。は……え?う、嘘でしょ?」

「ほんと…だよ。少し前まで、同居してた」

「……ちょっと待って」


 まだ整理がつかないらしく、わたしの方へ手のひらを向けて口元を押さえた彼女は激しく動揺して目を泳がせる。

 …その反応にも、なるよね。

 ずっと黙ってたことを心苦しく思って俯けば、情報を整理するためか凛ちゃんから何個か質問を受けた。


「最初から確認したいんだけど」

「うん。なぁに…?」

「一緒に暮らそうって言ったのは、樹希なの?」

「?…うん」

「他の男に行かないで…とかって、束縛してきたのも?」

「う、うん」

「香水作るデート提案したり、ブランドものの服買ったり、優奈のためにご飯作ったり家事したりしたのも、全部……樹希ってこと?」

「う…うん。そう…だよ?」

「ありえない」


 よほど信じられないのか、凛ちゃんは頭を抱えて首を横に動かしていた。

 なんでそんな反応をするのかわたしの方が不思議で首を傾げていたら、不意に彼女の顔が上がってこちらをじっと見つめる。


「優奈、知ってる?」

「なにを?」

「樹希がこれまで、ひとりの女の所に寝泊まりできた最高日数」

「え……し、知らない…」

「三日だよ」

「え?」

「だから、三日。あいつそれ以上は同じ女と一緒に居られないの」


 凛ちゃんが何を言いたいのか、理解できなくて…首の傾きをさらに下へとずらした。


「本来のあいつなら、そんなことありえないって言ってんの」


 疑問の答えを投げてくれた後で、さらに言葉を続ける。


「嫉妬も束縛も耐えられないから、めんどくさくなったらすぐ信頼できる他の男紹介してトンズラこくのがあいつなの。もはや仲人業的なことして逃げんの」

「……どういう、こと?」

「とにかく、自分が幸せにしたり、尽くしたりするなんてこと絶対しないし、付き合うことになる前に他の男に任せて自分はひたすら色んな女の子の失恋を慰めては抱くだけ。それが、いつも樹希がしてることなの」


 未だよく分かってないわたしに盛大なため息を返して、こめかみの辺りを押さえた。

 凛ちゃんも謎行動が多すぎると混乱してるのか怪訝な表情を浮かべていて、しばらくふたりで無言になる。


「…樹希ってさ」


 少しして、ポツリと小さな声で凛ちゃんが沈黙を破った。


「ノンケばっか好きになるから、自分はもう身を引いて、おとなしく相手が他の男と幸せになることばっか優先してきたっぽいのね」

「……ノンケ?」

「男が好きな女のこと。…私とか、優奈みたいな」

「あぁ……なるほど…」


 そんな専門用語的なものがあるんだ。知らなかった。


「だから、その樹希が他の男のとこに行くのを嫌がって縛るなんて……よっぽど好きじゃなきゃ、ないと思う」


 少し言いにくそうに、それでも凛ちゃんはしっかりと口を開いた。


「相当、本気で好かれてるよ。それ」

「え…」


 予想外のことを言われて、言葉を失う。


「じゃなかったら、しないから。ましてやあの樹希が、好きでもない女に嫉妬するわけない。あいつが誰かに嫉妬するとこなんて見たこともなければ聞いたこともないよ」

「え、で…でも、他の女の子と…」

「それは分かんないけど……自分が優奈に束縛押し付けておいて、棚上げするなんてこと、さすがの樹希もしないはず。…あいつ、ああ見えて真面目だから。そういう理不尽なの大ッキライだし」


 半信半疑で聞きながら、頭の片隅ではそれが本当ならどんなに嬉しいか…と思ってしまう自分が居た。


「…もしかしたら、美紀さんなら知ってるかも」


 そこで、知っている名前が出てきて驚く。

 美紀さん…って、深夜に電話をかけてきた、すごい仲良しの女の人だ。

 凛ちゃんも、知り合いなのかな…?


「Spoonyってバーがあるの。そこのオーナー兼ママやってる人で……樹希が大学生になってすぐの頃からお世話になってるみたいだから、女絡みの話はひと通り知ってると思う」

「すぷーにー…?」

「なんか、女好きって意味らしいよ。…まぁ、行けば分かる。週末だから高確率で樹希もいると思う」


 私は彼氏できたし、今はそういうとこあんま行きたくないから…と住所と連絡先を紙に書き出して渡してくれて、ありがたく受け取る。


「…樹希のこと、誤解させてたのは私だから。ほんとごめん」


 それだけを伝えて、その日の飲み会は早くも解散となった。


 ひとりになってから、凛ちゃんが言ってくれた事がじわじわと蘇ってきて、頭の中で点と点が繋がっていく感じがした。


 樹希さんが、わたしのことを好き。


 …かもしれない。


 でも確かにこれまでを振り返れば、彼女は何よりわたしのことを大切にしてくれていて、どんな時でもわたしの意思を尊重して、嫌がることは何ひとつしないでいてくれてた。


 わたしがただ、勘違いしてただけなんだ。


 彼女も、もしかしたら同じ気持ちでいてくれてたのかも…って。


 それだけで舞い上がりそうになった気分で、歩き出す。


 途中からはもう、駆けて。


 向かう先は、ひとつしかなかった。


















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