第28話
父の作ってくれたご飯を食べた後は、早々に切り上げて家を出て、予約していたホテルのチェックインを済ませた。
部屋に着いてからはふたりでしばらく仮眠がてらゆっくり過ごして、気が付けばえっちが始まって、明け方過ぎに事を終えて寝て……起きてからシャワーを浴びて。
二日目は本格的に観光をしようと、普段よりお洒落してホテルを出たら、晴れやかな朝日がわたし達を迎えた。
「わぁ…良い天気!お出かけ日和だね」
「……うん」
幸先のいい快晴の空に気分を上げて笑顔のまま振り返れば、樹希さんはわたしの顔を目に焼き付けるみたいにじっと視線を逸らさなかった。
な、なんだろう……昨日からやたら見られる。
気になったものの、彼女の考えてることは常によく分からないから、これも気分のひとつだろうと捉えて気にするのをやめた。
「温泉街に行ったら、おまんじゅう食べよ?有名なの!おいしいんだよ」
「…いいね」
「あと和物を扱ってる雑貨屋さんがあるの!そこでお揃いのアクセサリーとか…」
「優奈ちゃん」
デートを楽しむことにして、ウキウキで話しかけ続けていたら、不意に言葉を遮られた。
「…お揃いは、やめとこ」
静かな声で、瞳で、遠回しに“買いたくない”と告げられる。
「あ……は、はは…そう、だよね」
内心ものすごく傷付いたけど、なんとか笑顔で取り繕って、動揺して揺れ動いた瞳は俯くことで隠しながら返事をした。
……ここに来る前は、お揃いの指輪欲しいって、言ってたのに。
どこで、嫌になったの…?
不安に思うのに、怖くて聞けない。
面倒くさいことを言って、いよいよ本格的に捨てられちゃうのが恐ろしくて、膝から崩れ落ちそうになる絶望はただひたすらに意地だけで耐えた。
「…優奈ちゃん。着いたよ」
「……あ。うん…」
「どこ行きたい?まずはご飯でも…」
「どこでも…へいき」
「じゃあ、せっかくだからご当地グルメでも探してみよっか」
気を張っても上の空になってしまうわたしと違って、樹希さんは普段通りの気さくな対応に戻っていた。
さっきのはなんだったんだろう…?って戸惑いの中で、観光名所である温泉街を巡る。
樹希さんが調べてくれたご当地グルメのお店でご飯を食べてる間も、無料開放されてる足湯に浸かって歩き疲れた足を休ませてる間も、途中で見かけたお店でコロッケや温泉まんじゅうを食べ歩きしてる時も、ずっと。
「お、これおいしい…優奈ちゃんは、おいしい?」
「あ…う、うん。おいしい」
「……よかった」
彼女の挙動、ひとつひとつが気になって、自分の行動ひとつひとつ……嫌われる要因になってないか怖くなって、楽しむ余裕なんて正直なかった。
「次は温泉入ろっか。ここら辺で一番有名なとこはねー…どこだったかな」
逆にどうして、彼女はそこまで普通でいられるんだろう。
……やっぱり、わたしのことどうでも良くなっちゃったから?どうでもいいから、軽い感じで接してられるの?
わたしは、こんなにも……
「優奈ちゃん…?」
綺麗で、少しキョトンとした心配そうな瞳が視界に映り込んで、思考を遮断された。
「疲れちゃった?…ごめん、明日には帰るからって思って予定詰めすぎたかな」
「あ……へ、へいき」
「ほんと?」
「うん。…温泉、どこ行こっか」
「…少し休んでもいいんだよ」
抱き寄せられて、慣れた仕草で髪に軽く唇が当たって、その感触だけで心臓は高鳴る。
こんなにも好きな相手を、手放したくない。
たとえ嫌われても、離れられない。離れたくない。嫌われたくない。
暗く、深く、重く沈んでいく心が、彼女を求めて動き出す。
「ホテル…戻りたい」
その結果導き出された繋ぎ止めるための手段を、言葉に変えた。
「具合悪くなっちゃった…?」
「えっち…したいの」
きっと彼女が一番、わたしに対して望んでいるだろうことを、彼女にとってのわたしの存在意義をおねだりという形で伝えたのに、どうしてか樹希さんは困った反応を見せた。
…もう、抱けないくらい嫌いになった?
恐怖心が心を覆い尽くして、どうしたらいいのか血迷ったまま相手の服を引っ張った。
「おねがい……しよ…?抱いて、樹希さん…」
「どう…したの、優奈ちゃん。なにか不安になっちゃった?」
「わたしのこと、嫌いにならないで」
縋りついた瞬間、彼女の瞳から光が消えた。
「……優奈ちゃん」
聞いたこともないような低い声で名前を呼ばれて、怯えた肩が勝手にビクリと跳ねる。
「そんなんじゃ、いつまで経っても幸せになれないよ」
「え…?」
「私は、優奈ちゃんが幸せになるところが見たい。そんな必死で、嫌われたくなくて他人に体を差し出すバカ女なんて見たくない」
「あ……ご、ごめん、なさ…」
真剣に怒られて、自分のやっていたことの愚かさに気付かされた。
さらに幻滅されちゃったんじゃ…?ってビクビクしながら樹希さんの顔色を窺えば、その行動にもまた彼女は眉間のシワを深めて怒った表情に変わった。
「…いい?優奈ちゃん」
服を握っていた手の上から手を重ねて包み込んで、表情に似合わない穏やかな声で顔を覗き込まれる。
「自分のこと、もっと大切にして。…優奈ちゃんは、本当に素敵な女性だから。大丈夫だよ」
真っ直ぐに褒めてくれる彼女を見ていたいのに、視界が涙で滲んで見えなくなっていく。
そんなことを言って、そんなにも褒めてくれるくせに……どうして付き合ってくれないの?なんで、他の子と会うの?
わたしは、樹希さんが良いのに。
樹希さんは、違うの?
卑屈な思いが心を埋めて、それを口に出していいのか分からなくて、ただただ泣いた。
人目も気にせず泣き出したわたしを抱き締めて、樹希さんは何度も宥めるように背中をさすってくれた。
「ちゃんと幸せになろう、優奈ちゃん」
「っ……う、ん…」
どこか覚悟を決めた声が届いて、この時のわたしは考える余裕をなくしていたから……彼女の本心に、企みに、気付きもしなかったんだ。
自分がバカだから、あんな選択肢を取らせてしまったことになんて。
知る由もなかった。
「…落ち着いた?」
「ん……ごめん、いきなり泣いちゃって…」
「いいんだよ。…私もごめん、怒って」
「へいき…」
「…今日はもう、ホテルに帰って休もっか」
結局、わたしの体調を気遣って温泉には行かないでホテルに戻ることにしてくれた樹希さんは、ほとんど無言で車を走らせた。
部屋に着いてからも口数は少なくて、わたしが疲れてると思ってるのかベッドへとそっと寝かせてくれた。
「飲み物とか、欲しかったら言ってね」
「うん…」
「……さびしくないように、そばにいるから。大丈夫だよ」
わたしの不安を汲み取って、同じベッドの上で過ごすことにしてくれたらしい彼女が、すぐ隣で優しく微笑みながら胸元に手を置く。
いつもみたいないやらしい触り方はされなくて、寝かしつけるようにトントンと何度も穏やかに叩いた。
どうしてか、その姿が儚げに感じて、目を閉じることなくじっと見つめる。
今にもどこかへ消えてしまいそうなのが、怖くて。
「ずっと、そばにいてくれる…?」
相手の頬に手を伸ばして聞いたら、彼女は何も言わず眉を垂らして笑った。
こういう時、濁して約束してくれない樹希さんを…それでももどかしくて苦しい気持ちごと好きで好きで仕方ないわたしは、もうどうしようもない。
「好き……樹希さん…」
わたしから顔を近付ければ、それにはすんなりと応えてくれた。
ふたりの間に言葉はいらなくて、相手の体温を求めて体を動かすうちに、気が付けば事は始まる。
キスをして、服を脱いで、肌の上を這う唇の感触に浸って、深く深くへと沈んで、心も思考も唇も、わたしの全てを奪ってなお、わたしのものにはならない相手の温度に縋る。
「っぅは、ぁう…ぅ……そ、こっ…ばっかり…」
その日の樹希さんは、いつにも増して執拗な愛撫を続けて、まるでそれがわたしの存在を味わい尽くすようにも見えて、漠然とした不安は募った。
指や舌や、体全体で堪能されてる途中、余裕のない中で揺れた瞳に涙が浮かぶのを見た。
そして。
「優奈…好きって言って」
「う…んっ……す、き…っ好き」
「…ねぇ、優奈」
最後の、最後に。
「愛してるよ」
聞き間違いじゃない、特別大きな快感と共に愛を運んだ彼女は。
旅行を終えた後、わたしの前から姿を消した。
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