第27話
過去の記憶を掘り起こせば、このベッドで初めて男性に触られたあの日も、わたしは声を出さないように必死だった。
何もかもが初めてで混乱してる中、了承もなく入り込まれた時、あまりの痛さに悲鳴を上げそうになって……それをひたすら耐えるっていう時間が続いてた。
だから初体験には、そんなにいい思い出はなくて、このベッドで過ごした日々たちは正直たいした思い出にもならないくらいなんだけど……
「はぁ……むり…優奈ちゃんが他の男に抱かれてたの。想像したら泣きそう…」
樹希さんにとっては、絶望してしまうような出来事らしい。
「泣かないで……今は、樹希さんだけだから。大丈夫。男の人とはもうしないよ…?」
「……元カレと私、どっちがよかった?」
「ん、ふふ。そんなの、樹希さんに決まってるよ」
やたら拗ねて面倒くさいようなことを聞いてくる、わたしの胸元でふてくされた顔をする樹希さんの頬を軽くつまんで笑った。
彼女は意外と、嫉妬深くてかわいい。
わたしの女友達相手にはまったくそういう気配はないんだけど、男ってなると容赦なく束縛もするし、自信を失くしちゃうみたいだった。
今も、「大丈夫」と伝えてなお不満や不安が残るようで、両手で抱き締められるアレを使ってまで、実家だというのに遠慮なく抱き潰してきた。
「あぁー……私が男だったらな…」
「そんなこと言わないで?性別なんて関係ないよ」
頬に手を当てながら伝えたら、樹希さんの口元が分かりやすくニマついて、未だ繋がっていたままの腰が小さく揺れる。
「っ…ん、まって……腰うごいて、る…よ」
「嬉しいと、動いちゃうみたい。嫌だった?」
「は、ぁ……んぅ…きもちぃ、けど…」
我慢できなくなりそうな声を、手の甲で口を塞ぐことでなんとか抑えて、意地悪く激しくしてくる相手の肩にもう片方の手を置いた。
向こうも向こうで次第に余裕を失くしていって、眉間にシワを少し寄せたのを、のぼせた頭でぼんやり眺めた。
……改めて見ると、わたしの部屋に樹希さんがいるの、変な感じ。
思春期の思い出が詰まる場所に、大人になってから出会った彼女がいるチグハグな状況が、またわたしの中で密かに興奮を際立たせた。
彼女の言うように、本当に上書きされてる気がして……思い出の中にまで入り込まれることが、嬉しい。
もっと早く、出会いたかった。
樹希さんが望む通り、わたしの初めてを彼女に捧げられる人生なら、どれほどよかったか…と、悲しくも思った。
人生の全てを、最初から彼女に染められたかった。
「このまま、中に出されたいな…」
「ん…?」
「樹希さんの子供、欲しい」
せめて今後の人生は彼女だけに捧げたいと切望する思いから、叶いもしない願望を口にした。
…前に、彼女が妊娠させたいと言った気持ちが分かった気がする。
ふたりの間で深く交わり合った証明と、互いの人生を分け合った結果が形として欲しくなるのは、人間の本能とも言えた。
「……ごめんね。叶えてあげられなくて」
てっきり同じ温度感で返してくれると思っていたのに、予想外に低い声を出されてびっくりする。
「優奈ちゃんみたいな良い子は、結婚して子供産んで……そういう“普通”を生きた方がいいって、分かってるんだけどさ」
わたしの鎖骨の辺りに額を預けて、どうしてか泣きそうな震えた声で呟く。
ベッドシーツを握る手に力がこもるのが、視界の端に見えた。
「素直に応援できない…」
こんなことを言われて、勘違いしない人なんて…いるのかな。
樹希さんのずるいところは、こういう時でも「だから付き合って」とは言わないところで……あくまで、自分は他人の恋路を応援する側なんだってスタンスを貫く。
自分が恋をしようとは…きっと思ってない。
彼女にとって、わたしはそのうち男に戻ってしまう他の女の子と同程度の認識で、そんな相手には怖くて心を委ねられない気持ちもよく分かるから……何も言えなくなってしまった。
「…ごめん。変なこと言った」
顔を上げて笑った樹希さんを、どんな感情で見たらいいのか分からなくて眉を垂らす。
「そろそろご飯できるかもだし、やめとこっか」
「あ…」
触れ合っていた体温が離れて、腕の中から樹希さんが居なくなってしまったことに、喪失感にも似た寂しさが湧き上がる。
腰の下に敷いていた濡れたタオルの処理や、わたしの体を丁寧に拭く作業をしてもらってる間、ずっとなんて声をかけようか悩んだ。
「…うん、よし。終わったよ。腰とか痛くなってない?」
「……うん…へいき」
「呼ばれる前に、リビング行こっか」
すっかりいつも通りの雰囲気に戻った樹希さんに連れられて、一階のリビングへと降りる。
「…うおっ、めっちゃ美人だ」
入ってすぐ、扉が開いたことに反応して振り向いた、弟の悠斗がソファの背もたれ越しに驚いた声を出した。
そこで初めて、樹希さんが男性からも好かれる顔だったという至極当然なことに、今さらになって気付く。…こんな美人さんがいたら、そんな反応にもなるよね。
「え、なになに。友達?やば……鬼美人じゃん」
「…どーも。はじめまして」
外面対応の笑顔を貼り付けた樹希さんが挨拶を返せば、悠斗は興奮した様子でソファを降りてこちらへ歩み寄ってくる。
「はじめまして!俺、倉田悠斗っていいます!まじ美人っすね、彼氏とかいるんすか!」
「ちょっと悠斗……初対面なのに、そんな…」
「悪いけど」
わたしの言葉を遮った彼女は、どこか不敵な笑みを浮かべて、同じくらいの身長の悠斗に笑いかけた。
「つまんない男には興味ないんだ。…ごめんね?」
こういう反応は慣れてるのか、たいして気にした様子もなく返したことにもまた驚いて、姉弟ふたりして思わず言葉を詰まらせるくらいに見惚れてしまった。
余裕綽々で、口説かれる前に相手の心をへし折って、首を浅く傾けた樹希さんは誰が見ても美人で…多分、男の人からもモテモテなんだろうなってことを察した。
出会って早々に撃沈した悠斗は肩を落としてソファへと戻って、わたし達はテーブル椅子へと腰を落ち着ける。
「……あれ。そういえば、姉ちゃん彼氏は?来てるんじゃないの」
「え?いないけど……どうして?」
「いや……ん?じゃあ、あれは気のせいか…」
ソファから疑問を投げられて、こちらも疑問に思いながら返せば、彼は何かをぶつぶつ呟いて勝手に自己完結していた。
「彼氏と言えば……優奈、真司くんとは最近どうなんだ?」
キッチンから料理を運んできた父が、弟の言葉に反応して聞いてくる。
「あ……少し前に、別れちゃって…」
「え!?姉ちゃん…真司さんと別れたの?なんで」
「ちょっと…ね。色々あったの」
「まじかよ〜、あんな良い人だったのに。姉ちゃんってそういうとこあるよな、もったいない」
「はは、ほんとだね…」
弟は殴られてたことを知らないから、彼の中で真司くんは“人当たりのいいお兄さん”程度の認識なんだろう。
付き合ってすぐくらいに一回だけ実家に行きたいというから連れてきたことがあって、その時に会った印象は家族みんな良い人だと言ってた。
…だから、もしかしたら別れたのは間違いだったのかもしれないけど。
「……ん?どうしたの」
隣に座る樹希さんを見上げて、その視線にすぐ気付いて優しい顔を向けてくれた相手の姿に、この人を選んで間違いはなかった…そう、ときめく心臓が教えてくれる。
「にしてもさー、もう二十五でしょ?なのに別れちゃって……どーすんの、姉ちゃん。出遅れたら」
「…今は、結婚するつもりないから」
「まじ?前はあんなに憧れてたのに?結婚とか子供とか……家庭を持つのが夢だって言ってたじゃん」
「うん。…いいの、もう。そういうのは諦めたの」
「はぁーあ…じゃあ一生独り身コースかぁ。俺が結婚しなかったら孫の顔見れないよ?父さん」
「そうだなぁ……それでもいいよ、父さんは。ふたりが幸せなら、それでいいんだ」
唯一、父がこういう人で良かったと思う。
隣で家族の会話を聞いていた樹希さんは、珍しくずっと俯きがちに何かを考えていた。
「お姉さんは、結婚とかしないんすか」
「……しないよ」
そんな樹希さんに対してもズケズケ無遠慮に質問した悠斗は、静かな声で返されて面食らう。
否定した言葉に、どんな感情が含まれてるのか分からないけど、
「…本当に好きな人には、幸せになってほしいからね」
そう言って、わたしの方を向いて苦しそうに微笑んだ樹希さんを見て……なぜか、嫌な予感がザワザワと蠢いた。
説明しがたい感覚に、怖くなる。
まるで何かを決意したようにも見えてしまって、途端にまとった儚さが、ある日突然わたしの目の前から消えてしまうような気もして。
「い、樹希さんも、幸せになろう?」
必死な言葉は、果たして彼女の心に響いたのか、それとも……
「…うん」
真意は分からないまま、樹希さんは小さく笑って頷いた。
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